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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:もののあはれ――あは!という感嘆――というエポケー)

もののあはれ――あは!という感嘆――というエポケー

このQ&Aのポイント
  • あはっ! ( Ah ! , Oh ! )という感嘆の声にすべての現象は還元される。
  • アハは感動や嘆きを表現し、ものごとの根源を知覚したことを指す。
  • もののあはれを知るとは、一般的な常識や先入見を取り払い、直感や直観によって知覚することを意味する。この境地では、社会的な身分や人為的な現象を超えてものごとを見ることができる。

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noname#140926
noname#140926
回答No.1

アホです秋ですこんばんはさむいですね くおりあ拾いが現象学ですか さとりは純化された語感で物事や自分を埃みたいに霧散させてみるようなまったく弱化させてみるまなざしやら気分やらかと思ってました。完全な傍観というか老子の 日比野さとりは能動的であいかわらず地味対話革命で、憔悴してる私はイメージしようとするだけで疲れますが、どうせなにもできないし 日比野さとりは仏教ほとんど関係なしで人が目指すべきような態度はこんなんだとやっぱり訴えているんですか 今ここ 職安にいく気力もありません 望ましいものにはなりたいのになに望んでいるかも分かりません ひとから認められたり誰かから選ばれたりはしたくて全く受け身の恋愛願望 あれが人としての理想形だよねと草食がかった人々の向いている先に立ちがちな釈迦の、悟りって、体系のことにも気づくことらしいなら権力体系を察知することは犬らもしててヒエラルキー(懐かしいです) あらゆる体系のうちヒエラルキーという人間相互の権力体系ばかりをとりわけ重視し、それにとらわれたり 釈迦の生きた時代と場なら更に輪廻という死生観体系への過剰な盲目的妄想的な着目があり 体系どうしの体系ができて、ある体系が他の体系を隠そうとするので、粒に還って目を開いたり閉じたりしてみると、その他のあらゆる体系やその外側にも、自分や他者の全体や一部が属しうるのだと(こどもの頃を)思い出して悟り 自分や存在や群の自由度を高める悟りにべき論といえるほどの強さがあるか知らない 国があって、日本なんかを中国が呑もうとするので日本軍や愛国心の強化を唱える右翼や西村真悟さんや聞き上手先生(44)。 他国に呑まれようが暮らしにさほど変わりはあるまいと思いつつ しかし放射能を自国民に浴びせて平気そうな日本の官僚や政治家はたぶん最低だけど もしさらにこれが中国やアメリカに呑まれた場合、中国やアメリカの官僚や政治家はもっと嫌な扱いを日本の民にするかもしれない、国家という体系に粒子が潰され 人への悲観 吉田戦車という漫画家が、被災地の中学生に授業しながら、味方になる大人は無数にいることを伝えたいらしい。そういう人間にたいする加算的な、肯定的まなざしが、無力で無為な私にない 味方にならない人々もいるし、体系にはまると体系の利益にならないことには酷なふるまいをする 体系というパワーがないと無力でしかなかったりする 体系というパワーの中で失うものも 人間らしさは何も指さない言葉 医者からシゾイド気味かもと言われ私は心が薄い なにかの体系・組織かあらゆる体系に属し波のうねりに荷担しつつ、どう時にあらゆる体系の外にあるという、属しきらない限定されないものであるという、やがてほどけて体系から去り霧散するであろう自分や他者や体系じたいだと気づけば、少しは何らかの体系にばかり目を覆われずに済みそう ものの哀れ って、群組織や生体などの体系づいているものが霧散して力を失い、力も命も自由も不自由感もない粒に還っていくという、滅びの方向を見つめるまなざし? 体系的な組織や社会に呑まれてある状態で物事をありのままに捉えるには、体系からある程度自由な心が要り 粒子と体系どちらが自由、こどくと組織どちらに自由、自由どこにあり、ちからのそばにありますか、他者をほしいままに扱い命じる意味での権能という自由、他者や体系からの圧力を免れる自由、互いに隷属しあう万人の社会的自由、ある程度のマネーの獲得と所持と利用は自由で。貯金が少しずつみるみる貯まっていきます、使いようもなく、また引きこもる資金にする自由 好きなものや群などに関わる自由が欲しく ヒエラルキー。職場にもありますひとの権威体系、えらさの上下階段 私は粒で霧散してて、組み込まれずちゃんとした机もなく、属したくありません が失業寸前なんで面接うけましたが不採用でした 採用されれば市役所勤務でしたが、みせた資料の中で公務員をなじったのまずかったのか、落ちて 世の中との関わりが急速に薄れはじめ また大気がぐさぐさと肌をさし、妙にさみしいです病院にいく気力もありません 家族は福島県においてきたし 仕事も失うんでアイデンティティ崩壊してます引きこもりという粒にかえるのもいい加減グロテスク 最近は地震すくないですが、原発や原発ムラは生き物や暮らしという永い体系の一部を一時支えるものでしたが全体の急所になりやすい古い体系なので、解体霧散はかなくさせようとオンライン署名に私は粒として加わりました安易にさっき

bragelonne
質問者

お礼

 247さん あっ ちがった 2_4_8 さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  三つをまとめてお応えしようと思いましたが 一つひとつゆっくりとまいります。三つ目で 全体のまとめが出来ればという思いで 一つひとつは それぞれ断片的になってもよいという気軽な気持ちで個別のことがらについて述べて行きます。  (1) これまでのやり取りから行けば せっかく帰って来たなら お帰りなさいという言葉は わたしからではなく ほかに発する人がおられるのではないですか? あなたのご見解に即してみれば そういうことだと わたしには いまの段階で 思えます。  (あっ このように言うということは やはり全体を読んだあとで 全体についての応答をもしているようです)。(《女の話》のところです)。  (2) そうですね。目の前のあるいは身の回りの人びととのつながりや組織における関係やについて その親しさをもまた言わゆるシガラミをも超えて ものごとを見ようとしたあと 案外ひとびとは 観念だけは シガラミではないとあやまって捉えるようです。  (3) 次のお考えが 観念チックであります。  ★ ~~~~  ものの哀れ  って、群組織や生体などの体系づいているものが霧散して力を失い、力も命も自由も不自由感もない粒に還っていくという、滅びの方向を見つめるまなざし?  ~~~~~  ☆ そうではありません。たとえそのように分析したことが現実に起こっていたとしても そのことが もののあはれを知ることではありません。  どうしても この《いま・ここ さらにあるいはこの〈わたし〉》に還って来ていなければいけないからです。  (4) 〔ちなみに わたしの話にあっては さとりと言っていても ブディズムとは関係ないと見えたようですが 一方では それでよいと思いますが 他方では やはりそんなことは――基本の問題として言えば――ありません。  今・此処に還って来るというのは 厳密に教義どおりであるかどうかを別として 往相還相(おうそうげんそう)の理論にもとづいています。往ったあとやはり還って来るのです。片道切符ではなく 往復切符だという意味です〕。  (5) (3)のあなたの命題は あなたの言葉で《体系的》な思考であり それに片向き過ぎています。現実を離れていないとしても   忘れてしまっているような分析思考であり その思考物を何らかの体系に組み込もうとするかのようです。  (6) この観念論ないし精神論の傾向は およそこの哲学カテにおいても そこここに見られるクセです。これでは 十年一日どころか 百年一日 あるいはひょっとしてニ千年一日という体たらくだと言わねばならないでしょう。  (《神――つまり〈絶対〉という概念――とは何か?》についての勘違いが はなはだしい。哲学として致命的。と言うのも いまいましいほどです)。  (7) そうですね。このいまの観念論主義というクセ これを指摘すれば あとは 大した問題ではないと言っていいかも知れません。どうでしょう?  (8) あぁ そうですね。世の中猫も杓子も この観念論ないし精神論主義がいやと言うほど はびこっていますから もしわたしのようにそこから自由になってしまうと たしかに住みにくいということになるかも知れません。シガラミのちからは つよい。きわめてつよい。   そういう問題もありますね。  (9) 《公務員をなじった》のですか? でかした! と同時に 世の中の負け組へようこそ! と言わねばならないこの日本です。  (10) 若いきみたちが どうも頼りないからなぁ。この日本は どうも沈んで行ってしまいますかねぇ?  ★ さとりは純化された語感で物事や自分を埃みたいに霧散させてみるようなまったく弱化させてみるまなざしやら気分やらかと思ってました。完全な傍観というか老子の  ☆ 何で《傍観》なの?  (11) ★ 憔悴してる私はイメージしようとするだけで疲れますが、どうせなにもできないし  ☆ まぁ わたくしも何も出来なかったし 出来ていないけれど 弱音を吐くこともない。そこが違うようだ。強気に出ることもないけれど たゆたえども沈まず( Fluctuat nec mergitur. )は実行しています。  (12) ★ くおりあ拾いが現象学ですか  ☆ これは どうなんだろう? よく知らない。茂木の本も――新書版のなんとか言った 《補助線》がどうのこうのという本を読んでみたほかは――知らないし。  (13) ★ ~~~~  日比野さとりは能動的であいかわらず地味対話革命で、〔憔悴してる私はイメージしようとするだけで疲れますが、どうせなにもできないし〕  日比野さとりは仏教ほとんど関係なしで人が目指すべきような態度はこんなんだとやっぱり訴えているんですか  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは そうなのでしょうね。仏教のこともすでに書いたし。  (14) ★ ~~~~  今ここ  職安にいく気力もありません  望ましいものにはなりたいのになに望んでいるかも分かりません  ひとから認められたり誰かから選ばれたりはしたくて全く受け身の恋愛願望  ~~~~~~~~~~~  ☆ ここらあたりが わたくしではなく ほかの人に まづ先にうったえることなのでは? そうでないと これまでの発言内容についての整合性がやぶれる。  (ほんとは この一件のみをこのように応えて 追いかえしてもよいところだ。つまりあなたは そこまでの宣言をするかたちで わたしの見解とは たもとを別(わか)ったと心得ています)。  (15) つまり人はその考えが変わりますから それならそれでそのことに触れて ふたたび話を始めればよい。そうしないとすれば あの精神論主義にともなわれるいまひとつわるいクセとしての《のっぺらぼう》交通が 大手を振って街を歩くという死んだ社会のままです。  (16) 精神論ないし観念論が ひとの頭をまた心をあらぬところに持って行ってしまっています。だから この現実に対しては 地に足がついていない。  (17) 顔が無い。顔が無いほうが 主義主張を述べない《のぞましい日本人》だと 思い込んでいるというわけです。主義主張を述べると見られてしまうと KY だとレッテルが貼られてしまいますし それは悪しき個人プレーだと思い込んでいるようです。思い込まされているようです。  (18) 主義主張を あからさまには述べないのが立派な人間であるという思いは きわめて考えの狭いひとつの主義主張だということが 分からない。  (19) ここらへんで 言葉をひかえようかと思います。  (20) ★ 聞き上手先生(44)。  ☆ って誰のことですか?  (21) それでも続けますが ヒエラルキアについては ふたつあります。   (あ) 宗教組織において 聖職者が――そして非聖職者もその延長において―― あたかも人格や信仰の篤さを基準にして序列され得るという理論の〔まちがいの〕問題。  つまりあらゆる宗教組織はすべからく すみやかに自己解体へとすすみましょう。   (い) それ以外の組織においては――人格の品定めは 正式には あり得ませんから―― 職務に応じた権限が地位などの上下関係として体系づけられているだけです。  そこで ガミガミ役とそのガミガミ電波を受けとめるアース役とが決まるという副作用があるのみです。  (22) ★ ~~~~  体系にはまると体系の利益にならないことには酷なふるまいをする  体系というパワーがないと無力でしかなかったりする  ~~~~~~~  ☆ これは ただの《分業=協業》のための組織だと割りきるのがよいでしょう。間合いが測られなければ ぶつかり合いが出て来ますが 少しはケンカをすればよいのです。秩序のためまたその安定した成長のためです。地位の上の人に対しては おだててやればよろしい。我れに還りましょう。  (23) ★ 医者からシゾイド気味かもと言われ私は心が薄い  ☆ 《気味》くらいでは その話を信用する必要はないのではないか。  個人の状態を 自分ひとりの問題と見るのではなく 社会性のうちに見ないことには 話が始まらないと考えます。休息が必要となるほどの状態になれば それとして別ですが。  つまり みんなそうだという見方です。その気味は みんなにあるという意味です。  しかもそれを超えて もののあはれへと。そして ここへと還って来る。  (24) ★ ~~~~  体系的な組織や社会に呑まれてある状態で物事をありのままに捉えるには、体系からある程度自由な心が要り  粒子と体系どちらが自由、こどくと組織どちらに自由、自由どこにあり、ちからのそばにありますか、他者をほしいままに扱い命じる意味での権能という自由・・・  ~~~~~~~  ☆ というように考えますかねぇ? まちがっていると言おうとするのではなく どうも《もののあはれを知る》のは 筋がちがうように思えます。脳天気でいるその過程において 何か《あはっ!》というヒラメキが来るものと思っています。その無根拠から 自由が得られます。めぐみです。どうでしょう?  (このヒラメキが やはり鍵ですね 考えてみれば この質問は)。

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その他の回答 (17)

noname#141674
noname#141674
回答No.18

すみません 相手してもらいながら『しつこいので』は失礼でした。

bragelonne
質問者

お礼

 分かった。

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noname#141674
noname#141674
回答No.17

そうさなあ……ってマシューですよね 韓国の黒歴史……φ(._.) 半日じゃなくて反日でした サイト名は 韓国は『なぜ』反日か です。 信憑性の高いサイトらしく 読んでてまんまとうんざりしました 島田紳助?…φ(-_-) テレビとか芸能人とかきょうみないですが 芸能人クラブから一抜けたような山本太郎さんみたいに 島田紳助もあほくさくなったんじゃないですか 嘘っぱちのテレビが 原発ムラや東電からの圧力の下に虚構してる番組番組番組で もう全く誇らかな仕事ではなくなったんじゃないですか 恥ずかしくなったんじゃないですか と想像しました やめても生活費くらいあるでしょうし やくざよく知りません 中央政府と地方……φ(-_-) 中央政府ってどこになるんでしょうね、西日本に移るかも、天皇家も 放射線にひたされた東京ではモノも子も家庭も作りにくそうだし 天皇のY染色体が肝心ならより放射線の少ない環境で育つべきだし 人工受精で天皇を量産・分散させて 自治体ごとにプチ天皇を配置とか 天皇家と軍隊は一つのまま各自地体が政治の決定権を担うとか あんまりきょうみないです 弁がたたないので市長とかなれません バイキングに……「行っちゃった」?(゜-゜) どんなバイキングだか……妖しい…… またしばらくきえます お元気で あと… 儒教とかアメリカとかが日本人の素のありようの発揮を妨げているのでは?という意見について、φ(-_-) かもしれないですね φ(゜-゜)ノシ

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 韓国は『なぜ』反日か  ☆ これを読んでから 補足欄にて おこたえします。

bragelonne
質問者

補足

 ご回答をありがとうございます。  ★ 韓国は『なぜ』反日か  ☆ その(3)は エラーで出なかったため 読めていません。  おそらく たぶん 日本人のたましいは そういう韓国人の現状を聞いたり見たりして 心を痛めることでしょう。まづは じっくり見守るという姿勢をとると思います。長い目で 互いに よいところを伸ばして行こうという態度でいることでしょう。  情報として得たら あとで活用するとよいでしょう。  そうですね。魚雷で船を爆破されても ミサイルを撃ち込まれても 忍耐をしている国民ですから まづはえらいと見るべきでしょう。  尖閣の事件くらいは 事件のうちに入らないくらいなのですから この尖閣事件で騒いだ人たちは さらにもっと現実的な和解の道を模索するべきでしょう。まだまだよい方法があるのではないかと もっともっともっと考えるべきでしょう。忍耐の精神を見倣ってです。  国民には民度として 幼稚な段階にある場合はあることでしょう。  たしかに 日本のほうが ましなところが多いようです。  あらためて長い目で見て また世界の全体を見渡して しっかりとした隣人関係をきづいて行かねばならないでしょう。  ★ ~~~  嘘っぱちのテレビが  原発ムラや東電からの圧力の下に虚構してる番組番組番組で  もう全く誇らかな仕事ではなくなったんじゃないですか  ~~~~~  ☆ 番組の制作事情ですか。オモテだけは取り繕って来たけれど そのウラがますますひどい状態になったってことですかね。  ★ ~~~~  人工受精で天皇を量産・分散させて  自治体ごとにプチ天皇を配置とか  天皇家と軍隊は一つのまま各自地体が政治の決定権を担うとか  あんまりきょうみないです  弁がたたないので市長とかなれません  ~~~~~~  ☆ さらにうん十年先は ムラの長は 当番制ですよ。くじ引き。弁が立たないは 言い訳にならない。ま わたしは 弁が立っても もう引退ですが。  ★ ~~~~  あと… 儒教とかアメリカとかが日本人の素のありようの発揮を妨げているのでは?という意見について、φ(-_-)  かもしれないですね  ~~~~~  ☆ あとで考えたら 経済のやり方は まだしばらく続くだろうから 影響が大だと思うけれど 考えてみれば アメリカ式は やっぱりダサい。欲のかたまりみたいなんだから 誰も ほんとうには魅力を感じないはず。  ★ どんなバイキングだか……妖しい……  ☆ ガスト。そういえば そちらのほうで 赤痢菌が出たそうだけれど。  ★ そうさなあ……ってマシューですよね  ☆ 赤毛のアンだとか。知らずに使っていた。

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noname#141674
noname#141674
回答No.16

主義に殉じず……φ(-_-) おじさんは主義主張がわりと一貫してそうで、二年半前はユッキンさんに、存在をあいし欠陥を憎むどちらもてってーてきにとか書いてたし、それ貫徹する意志の表明と違うんですか ネット人格では一貫したものをごり押しして現実じゃのっぺらぼーなんですか分かりません 私はなんか自分をちゃんと単純なパッケージで包まないと許されないような感じがして 他人にも分かりやすい単純さを期待してるような気がします 世間に溢れるキャラクターイメージというものの弊害か、安易なキャラクタライズをして貧しく ゆたかな具体的にんげんでありたかったのにいよいよがりがりに貧しい 田んぼ道サイクリング+都会生活φ(-_-)市場経済やマネーって便利で素敵でみんな大好きで必要なんですよねポケー 質問主旨の読み違え…φ(゜-゜;) まあよくあることですが、ピンポイントで指名されたような気がしたのですが でもほんとかなあ…あと出しじゃんけんなんじゃないのかなあ… 自意識過剰なのか…よく妄想じみて人の文章を読みながらこの書き手はきっと私を念頭して書いているんだと思いますが 見つめられたい認められたい支えてほしいと外界依存症で おじさんも暇そうだから長話がしたいんですね 学生時代に左翼運動した人々が社会人になったらコロッとヒエラルキアの階段昇って出世しちゃって悔しいなそんな世代ですか 気分屋なんですよね、みんな、もののあはれで、空気の奴隷です、引きこもりが流行ったら私も青年たちも引きこもるし。楽な型に流されちゃって しがらみφ 腐れ縁、あんまり無いです。縁や出会いを大切にできませんから、しがらみも友人もできません。少しいても福島に置いてきました。 対人不安はあるし、めんどくさいし、飲み込まれそうで怖かったり たまに親しくても手の平返します 猫も態度がころころ変わります ツンデレ、デレツンです ツン×デレ=1。 であり。デレ×ツン=1。であり。 さらに ツン=1/ツン。であり。デレ=1/デレ であり。 この等式に触れて納得するものは、私と、猫。くらいです。 アポケーw…φ(゜-゜) いいじゃないですか…記憶ミスですよ エポケーなんて使ったことないし 会話ほとんどしないので言葉の音ってよく分かってないかもしれません アポケーはエポケーでも、ヒエラルキーはヒエラルキーでいいじゃないですか あんまりアホなので言い返せる余地くれたんですか 指摘されて良かったです なんだか落とされエサを全て食べてるから文章が長くなるんですね

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ~~~  主義に殉じず……φ(-_-) おじさんは主義主張がわりと一貫してそうで、二年半前はユッキンさんに、存在をあいし欠陥を憎むどちらもてってーてきにとか書いてたし、それ貫徹する意志の表明と違うんですか ネット人格では一貫したものをごり押しして現実じゃのっぺらぼーなんですか分かりません ~~~~~  ☆ ここは 大事なところですね。舌足らずだった。  1. まづ 主義というよりは 信仰をつらぬきます。  2. 表現としては――たとえば イエスは 大ウソつきだというように――けなして言っていても むしろ そこまで言っても何ら中身は変わらないと言えるほどに つらぬきます。  3. というよりも すべては――つまり身と心と思いと或る種の仕方で運命等々のすべてを――ゆだねています。  4. というかたちで 《つらぬくこと》と《変幻自在》とが 両立する格好になっているのかなぁと 今回思いました。  5. もうひとつは まだまだ若いころは 信仰は別としても そこから来る生活態度(思想)については むしろ確かに守ろう・保持しようという意識がつよかった。その意味では 主義じたいをつらぬこうと思っていたかも知れない。  6. ただしこれまた 独特なふるまい方になるのかどうか 分かりませんが 主義主張をつらぬくときに  ★ 貫徹する意志の表明  ☆ というかたちでは――若いころは―― 表わさなかった。ただ相手の出方を見ているだけといったかたちだった。つまり 社会力学の上では すでに初めに 有力と非力とが分かっている場合には そういうかたちであった。  7. つまりは 相手の好きなようにさせる。というかたちで 主義主張をつらぬいた。レチサンス。  8. それでそのあと 信仰が深まり 具体的な思想ないし信念も固まって来たときには もうそのままの思いを 自己表現そのままとして 表わしている。  9. 言いかえると 対話という場がそれとしてはっきりと設定されているときには そのように自己表現が自由に行なえるということではないだろうか。  10. ★ ネット人格では一貫したものをごり押しして現実じゃのっぺらぼーなんですか分かりません  ☆ したがって ひとつに対話の場がそれとして決まったかたちになっているかどうか。  ひとつに 若いころには 必ずしも確立していなかったところがある。  もうひとつに 仕事の話をしているときに 哲学の話を持ち出すことは やはり控える。  11. のっぺらぼうとレチサンスとの違いかなぁ。いや レチサンスも うわべはのっぺらぼうだなぁ 確かに。  12. ★ 私はなんか自分をちゃんと単純なパッケージで包まないと許されないような感じがして 他人にも分かりやすい単純さを期待してるような気がします  ☆ ただしですね。ただし わたくしの場合 ちょっと特殊であるかも知れない。というのも 二三回会ったあとでは わたしの印象は いわゆるコンプライアンスが徹底していると思われるみたいなのです。つまりもう言わなくても わたしというパッケージは 人びとには出来ていてそのように見えるみたいなのです。  これを 単なる杓子定規ではないのだと 実際には分からせるという必要が生じるわけです。そんな事情も 影響していると思います。  ★ ~~~  質問主旨の読み違え…φ(゜-゜;)  ・・・  でもほんとかなあ…あと出しじゃんけんなんじゃないのかなあ…  ~~~~~  ☆☆(趣旨説明欄) ~~~  (10) 焦点は こうです。   ○ ~~~~~~~~~   社会的な作為としての身分(あるいは いわゆるシガラミ)を超えてものごとを見ている(それはひょっとして 空観?)そのような《もののあはれ》を知った境地は それでもあたかも向きを変えてふたたび身分や人間的なシガラミの場に立ち戻って来た場合 どうするか?   どう現実をとらえるか?   どうふるまうか?    ~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~  ☆ ほらね。  もし皮肉っぽくなっていたら それは 例のくだらん回答たちに対する常日頃からの怒りの爆発いや漏出だと思ってください。  ★ 学生時代に左翼運動した人々が社会人になったらコロッとヒエラルキアの階段昇って出世しちゃって悔しいなそんな世代ですか  ☆ 運動は 実際にはやらなかった。やれなかった。社会に出てからだとかたくなに思っていた。  その結果は そういう頑固者は 社会で歓迎されず 運動に乗った者のほうは いらっしゃいと迎えられ 出世街道まっしぐら。  ★ おじさんも暇そうだから長話がしたいんですね  ☆ すでに若いころからのレチサンスの裏に溜まった自己表現が わんさとある。ってな具合い。クモの巣も張りますよ。  ★ ~~~  しがらみφ  腐れ縁、あんまり無いです。縁や出会いを大切にできませんから、しがらみも友人もできません。少しいても福島に置いてきました。  ~~~~~  ☆ あぁ なるほど。そういう場合もあるんですね。だったら ぎゃくにそのことを活用すればよい。自民党議員のように しがらみ人間にはとても無理な仕事を うんとやって行けばよい。  ★ ヒエラルキーはヒエラルキーでいいじゃないですか  ☆ ヒエラルヒーと言ってみると 注目されるかも知れない。

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noname#141674
noname#141674
回答No.15

おはようございますame_za_zaです。 夕方あたりにまた退会します 時には限りがあり、ケータイで書くと時間がかかり、そのうちプロバイダ契約しようと思いますが今はケータイです スティーブ・ジョブスさんがアホでいろと言い残して死に 私も明日死んでも良いような今日を生きたいと思うのですが おじさんとやりとりしてばかりいてはそういう今日になりません なので退会します 退会しても充実した今日になる気はしませんが 退会せずただ訪問をよせば良いような気もしますが しかし、おじさんはしつこいので、決然として退会します。 雪山さんのこと…φ(-_-) 雪山さんは面白いので大丈夫なんじゃないですか ユーモアあるし、悲喜こもごもやってて 雪山はシャカのゼンセの名前なんですね 彼の課題は彼の課題で 心や体が難病なら専門の医師に頼るでしょうし 治らねーと雪山さん怒ってましたが 医者にも怒ったらどうかなと思います おじさんも彼といっしょになんかに怒ったり感情の共有したらどうですか 怒ったり嘆いたり喜んでみたり懐かしんだりネットでも実際にも ああ友人ほしいかも あんまり…いらないけど 憧れ…φ(._.) 女すきですが今とくに誰かに憧れてません、かなしい テキスト読みつつ知性に妬みますが、IQいくつなのかなとか でもあまりこのごろはそんなこともなく サングラスで笑うご婦人に…あいさつっていっても、あいさつとかよくわかんないし 素敵なモヒカンですねくらいしか書くこと思いつかず 脚やら腹やらをほめたらセクハラで 現象学みたいな透明っぽいタマネギの薄皮むくような作業はじれったくてしたことないし 近づけません 遠くから腹を見てます 被災者……φ(=_=) 福島の人は原発爆発に萎縮してたんだと思います、私なんか1ヶ月くらい閉め切った部屋に寝てました 風が吹くときという古い海外アニメを見たことがあるんで、こもってました あんまり日常が変わってほしくないので、人々も物騒なことはしなかったんだと思います 平和が好きなんですよきっと お祭りも静かなもので みんな家ん中が地震でめちゃくちゃになり、その後片付けや、普通に買い出しに行かなきゃならなくて コンビニとか品物は少なかったですが最低限のものはあって 暴れ出す理由がなかったんじゃないですか 閉じこもってたんでガソリンもいらなかったし 洪水とか起きれば町や地域ぐるみで助け合うのが習慣で、その習慣があるから混乱がなく、縛り付けあって避難もしないとか 福島の海岸にちかい町では住民が避難したあと、外部から車でのりてけた泥棒たちが夜な夜な大活躍して、窓ガラスなんか割ったりモノをとったりしてたそうです あとマインドコントロールがあって、ガキによい子のレッテルを貼りフリーズさせるように、国が国民に動いてほしくないから、あんたらが静かなの余所の国で褒めてるよといって、国内の人々も被災者らの落ち着きをほめそやして、被災者が被曝地でフリーズする一因にもなったのかも、罪なほめごろし 節税…φ(._.)?

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  富士山の高くそびえる空一面に にっぽん晴れです。  しかもにっぽん晴れの空に 大きなクモの巣を張りめぐらしております。  ここに来たら もう逃げられない。あほになって 引っかかってしまえばいいのに。    あぁ 雪山童子でしたか。読み方ひとつで 気づかないという見本になってしまった。  あれぇ にしな大明神は シャカのことって知ってたの? (こりゃシツレイ)。  ゆきくんは このやり取りを読んでいてくれてるみたい。  んっ?  ★ ~~~  おじさんも彼といっしょになんかに怒ったり感情の共有したらどうですか  怒ったり嘆いたり喜んでみたり懐かしんだりネットでも実際にも  ~~~~~  ☆ あぁ 何にも分かっちゃいないなぁ アキツミカミくんも。わたしは つねに怒っていますよ。  初歩的な内容の文章には 何にも怒ることもありませんが じつにくだらん内容の回答が多いぢゃありませんか。知ったかぶりを超えています。あきれて何も言わなくなりましたが でもやはり怒れてくるものです。  ただし ぶらじゅろんぬ閣下は 怒り方がちと違う。嘆き方も喜び方も懐かしみ方も。そこを分かっちゃいない。修行が足りん。  目の前に見えている現象から 常識はもとより既成概念も先入見もすべて白紙にして そのあと何が見えるか? このエポケーが大事だと言っているそばから なんも分かっちゃいねえ このおたんこなす。  ★ 遠くから腹を見てます   ☆ だと? ん。よく言った。そこまでまじめなら だいじょうぶ。上のおたんこなすを取り消してさしあげよう。  ★ 素敵なモヒカンですねくらいしか書くこと思いつかず  ☆ あぁ これをモヒカンって言うのかぁ? わたしは この髪型だけは――ここだけの内緒の話だけれど―― 風に吹かれているのでなければ おかしいのではないかと思っていた。きみとは ぎゃくの印象だね。  ★ ~~~~  洪水とか起きれば町や地域ぐるみで助け合うのが習慣で、その習慣があるから混乱がなく、縛り付けあって避難もしないとか  福島の海岸にちかい町では住民が避難したあと、外部から車でのりつけた泥棒たちが夜な夜な大活躍して、窓ガラスなんか割ったりモノをとったりしてたそうです  ~~~~~~  ☆ この二点で だいたい分かったと感じた。助け合いの習わしに濃い薄いがあると思われるけれど 昔からの日本社会なのだと まづは思いました。なかには ワルイ奴もいるのだと。というかたちにて。  情報をありがとう。  つづく。

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noname#141674
noname#141674
回答No.14

コピペが上手くいかず3つ目が消えました。ケータイで書いてるんで面倒くさいので簡単に書きます。 話題は変わって韓国の黒歴史についてです。 『韓国はなぜ半日か』というサイトを眺めると、また右翼ですみませんが、国家による洗脳や隠蔽が日本にも中国にもあり、とくに韓国で 隠されている歴史と実際の歴史との齟齬が甚だしく、それに気づいた韓国人が精神を病むといいます。国をあげての洗脳で 社会常識と内的な知識との差により、社会環境から内的な本音が孤絶し、言葉や語らいの場を失い、不安を共有する方法に乏しく、大多数の韓国人が漠然と韓国から出たいそうです 精神を病むというのは他人ごとではなく どういう精神や環境なら黒歴史に立ち向かえるか、受け入れられるか、という問いを得ました もののあはれやその逆の漢心を利用する案なんですがどうおもいますか 和と漢の心をあわせ持つということで やっぱり心理操作がお手軽で、外界や国家に操作洗脳されて辛いなら、どうにか自ら再操作、解除して、わりと操作可能な自分の心ってのを工夫するのが安いしすぐという、洗脳する国家側の怠惰に近いですが 国家や国史から多少距離を置くことのできる素っ気ない心、哲学にも使われる硬い疑い、それから情報環境に国史の洗脳が含まれていてもそれに染まらず同調しない心が必要で どちらかというと国家に対する哲学的カラゴコロです 美しい画像の下みこでしさんも哲学を洗脳解除(除洗)の道具といってました そんでも問題はしぶとく韓国は史実においてながらく権力構造の下位にあったそうなので、そうした国家に無意識に同調していると、また心理学の言葉ですがあの権威主義的パーソナリティという厄介なありふれた弱いものイジメの精神に囚われやすいんです。たぶん。 過去の祖先がどうあれ現代人は現代を生きればよく、立ちこめた恨みの空気から引きこもるか、脱出するか、言論によって恨の空気を分解・理解することを果敢な韓国人がすると良いのか、どうせ対岸の火事ですが、隣人が健やかなほうが人は生きやすいだろうし解決すべき問題だと思います 韓国人が韓国の黒歴史を否認せずそれに向き合うために必要な環境と情報と方法とそして精神はどういうものか、という問いは。 韓国の精神科やカウンセリング室は正史史観という嘘から解放された場なのだろうか。 パチンコはちゃんと禁じられているのに変なの 東日本にも放射能汚染を否認して生活する人々がいて、日本政府は国民に実際の危機をしらせず気づかれたくなく、特に福島県民は被爆しながら幻想としての日常の継続を生きるという相反する世界にあって、それを目の当たりにした異邦人がぞっとしたりしたとか 韓国では歴史に関し国家による情報汚染と監視の中、史実に感づきながら暮らしている人々が大勢いて虚実の二重生活 私は就職して少しは心安定し、友や恋人がいなくて暇なせいか一人でコンピュータと麻雀したりオセロしたり隣の国の人々の心の問題に老婆心が湧いたりします。 夕方ですけど眠くなりました。お休みなさい。

bragelonne
質問者

お礼

 そうさなぁ。  あまりくわしくもないけれど。韓国の問題は なにはともあれ 北朝鮮と戦争状態にあるということが先に来るのでないかえ?  国としてまとまらねばならない。日本は その手段として使われていないだろうか? 誰でも日本に恨みがないわけではないだろうから 使いやすい。  世代の交代と共に 変わって行くと思うよ。そんなに心配しなくとも。  それより いま何で 芸能人と暴力団との関係が表沙汰になるようになったの?   もとからの問題であるようなので そういうこともありかと受け取ってしまったけれど いま何故 大きなこととして取り上げられるのか。(韓国人と関係があるそうだから ふと思った)。  にしなくんが ○△市長になるころには 日本国は中央政府のもとに地方があるという制度はなくなっているだろうか?  * カレーとサラダバーのバイキング また行っちゃった。

bragelonne
質問者

補足

 あこがれの人に あいさつをしに行かなくていいの?

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noname#141674
noname#141674
回答No.13

真面目なので形だけでも哲学問答に付き合おうと、本居宣長やもののあはれについてネットでさっき拾い読みしました。 二十歳前の本居宣長が理想郷を細密な絵にしていたことは印象的で。おまえは俺かという気分ももののあはれだと思います。投影だの対象あーだの、つまり外界の何かに自分を重ね合わせ吸いこみ摂取するやり方。 内界と外界の狭間で感情や意識や意味が分化していく働きを、もののあはれを含む和の心と、それに対立する漢心の2チームに漢心で分けると もののあはれ(やまとごころ)……和歌、自然への一体化、もの(神・なぞ)への敗北、未分化な情、受動、外界からの侵食に伴い心が変化させられる、されるがまま、気骨なし、流され、洗脳、柔弱、非言語的、詩、アポケー、aha、幼児退行 と 漢心……懐疑、対立、分析、内界作業による外界情報の分化、能動、哲学、現象学、オトナ、強度、ケンカ の2組で こんな感じで調べて偉いでしょ的な記述ですが、より文学的な、思い出への耽溺があるという点でお年寄り向けの文学的な精神は、もののあはれのほう。ブラジュロンヌさんがあはれに帰るというと、子どもが世界や母親に恋していた頃の心に舞い戻って、心身ともに可能性としても自由だったはずの幼児期に還るとか、時代を大股で引き返して少数部族ほどであった頃の、個というか村的なほどの範囲で素朴に暮らしていた頃の心性に帰れというのかにゃ ブラジュロンヌさんは不動状態を好み、どちらかというと哲学的だから、また哲学カテゴリだから漢心にかられ、揺り動かされるままなもののあはれには耐えられず、還るという円的な繰り返しか線的な帰巣のイメージをもののあはれに勝手にくっつけて安定したいのかも知れません。だいぶ知りません。

bragelonne
質問者

お礼

 そうだなぁ。そうさなぁ。うん。まあ。そうさなぁ。  ○ 《歌は 実情を偽り飾って雅やかに詠まねばならない》  ☆ この命題については 歌論でもあるので措いておいて それでも趣旨説明の中で 次の事柄についてはもっと留意してみては どうだろうか?  ○(趣旨説明欄) ~~~~  前に《江戸時代人の生活意識の隅々にまで浸透している儒仏の影響を払拭し 純粋な〈物のあわれを知る〉心を復活することは 無限に困難なのである》と書いた。  ・・・  つまり 真に 《物のあわれを知る》ということは 素直にありのままにしていれば達成できるような甘いものではない と宣長は言いたかった。  ~~~~~~~~~~~~  次につづく回答では 韓国の事情が取り上げられているけれど そこではまづは《儒教》の影響がきわめて強いのだと思われます。が――そうなのですが―― では現代日本において たとえばアメリカ教による影響については どうなのだろう? そこから もののあはれへの還元は どうなのか?  まさにあなたの体験されている震災後の社会というものは どうなのか? 震災に遭ったあとの人びとの行動が 称賛されています。それは やまとごころが生きていたということなのか? そう受け取ってよいか。  * わたしは 稲穂のなびく田んぼの風景が大好きですが(そこを自転車でゆっくりと走ったりしますが) 生活は むしろ多少とも都会であるほうをえらびます。そう単純ではないですよ。

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noname#141674
noname#141674
回答No.12

こんにちは仁科です。 おかげさまで就職しました。ありがとうございます。 採用されるのって嬉しくて、ネットでぼやいたり自殺みたいに退会したりするよりずっと精神安定効果があります。 この前また色々失礼なことを書きました、すみません。人って怒るんだってこと忘れてました。あはれにも怒りは含まれるでしょうし、ブラジュロンヌさんも怒ることがあるというのに、タライとかティッシュとかオモチャとか書いて失礼で、鈍感でしたし未就労な雪山さんを差し置いてこんな報告をするのも鈍感ですみません。アイデンティティボロボロだったので退行して甘えました。idも属するコミュニティも失していた中、哲学カテゴリやおじさんなんかを繋ぎとして利用しました。少し役立ちました。ありがとうございました。 退会してからすぐには死なず企業の面接を受けまして、どうぶつの屍肉を扱う企業に採用されました。市場経済にどっぷり浸かった民間の大企業です。肉にプルトニウムが入っているか気になるものの、口の重い私は面接で緊張して訊けませんでした。すると採用されました。沈黙がカネになったのです?勤務中に尋ねます。もし放射性の肉を売って人に食わせる会社なら、なるべくこっそり告発し、そしてまた退職したらアイデンティティなくなります。繁殖活動も遠のきます。 質問は、悟りをひらいた気になったことのある引きこもりが、自宅で孤独に浸かり老荘思想やシャカや左翼思想に簡単に溺れ、ネットでピュアぶって国や社会やヒエラルキーを否んだあと、この社会に出て就職した途端すっかり手のひら返して上司にゴマをすったり嘘吐いたりして出世しちゃうわけ?どうなの?という問いかけだ思います。 そんな憂慮を哲学っぽいアポケーや本居宣長やノエマ兄妹や現象学の衣にくるんでもバレバレで見え透いていますこの俗物。 でも心配要らないです。出世してもしなくても私は私ですし、アイデンティティの基礎に孤独を敷き、そこを通して精神的に結びついた私とブラジュロンヌさんなら、もし私がリアルに友人を持ったりお金稼いだり、うっかり恋人を作ったり出世しちゃったり、子宝に恵まれ孫や曾孫や玄孫の大群に満たされたりしても、書くまでもなく、それらの事象が私たちの基礎的な孤独の絆を揺るがしやしません。またすぐ私も友も妻も子も孫以下もブラジュロンヌさんと同じく是が非でも死にますから大丈夫です。そしてそんな孤独の絆が切れたり消えたりしても平気な自分になりたいです。 もう少し冷静になり、社会人になり集団に適応する必要から権威やごまかしに与し、勝ち組に入ろうとヒエラルキーを利用して、つまり出世する気かこのやろうとの懸念について、自分の気持ちを振りかえり皮算用すると 引きこもりだった頃のように、社会から身を引きつつ生きるために実家に寄生したままか、または世帯分離して生活保護を受給しつつ国家の寄生虫になって暮らす自分を想定として予め受け入れるなら、就職しても余裕こいて潔癖な平等主義を維持し、人類愛や社会への無理解のために組織の権力構造や不本意なごまかしなんか突っぱね、使えないやつとも見做され出世せず、そもそも僕はシャカに憧れるのだから畜生の屍など取り扱わないのだと採用通知を海へ流し、実家や国家に寄生しながら実家や国家を否むという両価的な生活に何のためにか還りますから、出世のしようがないです。 しかし東京電力福島第一原発でプルトニウム入り3号炉が3月に核大爆発し私は自主避難して、汚染された実家にはもう寄生できず、震災以来私はうかうかと武田邦彦さんのブログを愛読し、賢いおじさんの類には未だ弱く、武田さんは国から金を貰うことを乞食に等しいことと書き、補償金や生活費を国に乞うことが否まれたので、私はやっぱり自立して、引きこもりに代わる新たなidと生活を持つために、私に金と肩書きをくれる企業に属し自己イメージと生活を保ち、ケダモノの屍肉くらい取り扱いますし、企業組織内で必要最小限のヒエラルキーなら受け入れ、これまでずっと無価値だった自分が社会に寄与し価値ある営みに組み込まれるなら喜んで命じられもしようと思い、まだまだ受動的で、そして屍肉に放射能が入っているなら触ると被曝するので辞めます。 そして他でこつこつ働きますたぶん。出世の道があれば進みます。家庭のためにです。避難したのも家庭のためで、それは古い家庭にもう迷惑をかけないためと、未来の家庭が健やかであるようにでした。 文が長いようなので3分割します。

bragelonne
質問者

お礼

 にしなくんよ――まづは しばらく。元気よさそうで よかった。そして ご回答をありがとうございます―― 考えてみれば(いっしょに考えてよ):    ◆ ~~~  歩くとつらいし。これはふざけているのではなく前より歩けなくなりました。  心配をかけさせてしまいましたが明日がないのは変わりません…  いままで頑張ってきたけどさすがに無理です。  最近昔のことばかり思い出して あはっと苦しんでいます。  ~~~~~  ☆ という声を聞いているんだよなぁ。きみの声を聞くまで 放ったらかしにしていたけれど。  もののあはれそのものに還元されてしまった状態だろうか。  策もなく わたしはわがちからのみなもと その泉の水も枯渇したとさえ感じたし思ったししたけれど しばらくは 放ったらかしにしていたのだし。  その間 あなたのあこがれの方と コミュニケーションが取れたという朗報はあったのだけれど。(もうひとつ別の 現象学の質問のほう)。  わたしは 多少の節税はしますよ。人から見たら 潔癖主義だと言われるようですが 生きることにそれほど 主義主張を持ち込むこともありません。  社会全体を敵にまわさねばならないことを 一つひとつの取引や交渉やあるいは或る種の勝負において 言ったりこだわったりすることはありません。  逆に言えば そうしてそのレチサンスをとおして むしろ世界のすべてをやはり敵に回しているのかも知れませんが。  (もののあはれ主義で 心を武装するということはしませんし したことはありません)。  (つまりは おのれの主義主張に殉じるというほどの純粋意識でいようと思ったことは 過去に一度も ありません。だから そのレチサンスが 自己の主義のちからを 世界に向かって 伸びさせて来たのかもわかりません)。  (すべては 思想は あとでついて来たという側面もあります。《もののあはれを知る》のは たしかにそれとしては 感性であり感覚ですから そのあと どういう思想を具体的に自己のうちに作り上げるかは 人それぞれのようです。  ――宣長はけっきょく 古道ないし古神道にそれを求めました。もっとはっきり言えば ほかでもなく天皇制です。天皇とほかの互いにひとしい身分の人びとから成る世の中であれば 人の道も定まり社会の秩序も安泰だと見たようです)。  ★ ~~~~  質問は、悟りをひらいた気になったことのある引きこもりが、自宅で孤独に浸かり老荘思想やシャカや左翼思想に簡単に溺れ、ネットでピュアぶって国や社会やヒエラルキーを否んだあと、この社会に出て就職した途端すっかり手のひら返して上司にゴマをすったり嘘吐いたりして出世しちゃうわけ?どうなの?という問いかけだ思います。  ~~~~  ☆ かなしいかな 人間は・そしてわれわれ日本人は この世の中のしがらみに対して よわい。赤子のように かよわい。だから 《手のひらを返すような振る舞いが どうして出来ちゃうの?》というそういう問いかけを じつは 誰もが持っている。はずだ。その現状を まづは出発点として われわれ哲学者たちが考えに考え知恵を寄せ集めるとすると はてさて どういう話になるのか?  どういうあたらしくておもしろい物語が 互いに・みんなで つむがれて行くことになるのか?  あなたの知恵を 思う存分発揮して ここにお寄せください。という質問だよ。互いにその考えを聞けるのは いいことであるはずだから。  どぢゃ? もういちど出直して来たまえ。となるであろう。へへっ。  * アポケーは エポケー。ヒエラルキーは ヒエラルヒーまたはヒエラルキア。  * ゆきくんの話が どこかへ行っちまった。くくっ。

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回答No.11

そりゃあ策もありませんし、切羽詰まっていますし… かといってそちらまで行く交通費はありませんし。さんざん金銭で騒ぎましたが厳しいそれはもう厳しい… 歩くとつらいし。これはふざけているのではなく前より歩けなくなりました。 心配をかけさせてしまいましたが明日がないのは変わりません… いままで頑張ってきたけどさすがに無理です。 最近昔のことばかり思い出して あはっと苦しんでいます。

bragelonne
質問者

お礼

 あまり引っ張らないで。  気分転換をと思っただけ。  こちらだって 明日があるようにしているだけ。  がんばるも がんばらないも 無く。

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回答No.10

大体そちらまで行けませんよ。来られてもこまりますし。 それをふまえてなにか最善の策があれば、と。

bragelonne
質問者

お礼

 ごめん。  策は無いというところから出発してくれないと もう立つ瀬がない。

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回答No.9

あーあ やっぱりこのまま事態は好転しないのかな?困ります。 すごく困ります。 耐えられません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  そうですね。  話をし合える人が 家族をふくめて いないと思っていた二十歳代は たしかに  ★ 耐えられません。  ☆ という思いを持ったことがあった。  それは 本をとおしてその著者と話をするというかたちで かろうじて渇きを癒やし得た。  ちょっと筋が違う話だったか。

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    はっきりと自覚できる意識と自覚できない無意識が人間には在るそうですね。 そして意識と無意識の間のものも存在するそうでそれはひらめきが起きる前のなんかひらめいたような気がすると思うよな感じなんだそうですが説明しづらいです。 ここで悩み事を言わせてもらいます。私は物事の段取りがとても悪いです。何か行動している時にこうすれば作業が早くできると心のそこで思っているような気がするんですがはっきりとそれがどんな考えなのか出てきません。他人から注意してもらうとそれを無意識と意識の間で気づいていたと思ってしまいます。意識的にはっきりと考え方が出てこないのです。 これはいったいなんなのでしょうか

  • 《神を見た》は 共有できるものではない。

     たたき台をしるします。  (1) ひとは 何かの拍子に体験したことをめぐって 《神を見た》と言い表わすことがある。  (2) 《神》は じつは 非経験であり非思考――として人間が想定するところ――の場である。そういう《存在》としても 一般にひとは捉えている。  (《無い神》としてさえ それは《非思考の場》である限り 想定上の《存在》である)。  (3) つまりは この経験世界における《存在》なる言葉を 非経験の領域についても 概念として単純に延長させている。つまりは その存在を《見た》というのも 人間の経験行為を単純に拡大させて――想定じょう――表わしている。  (4) ことばとそれによる思考を超えたところのナゾを 存在と見なし捉えて それとのわれわれ人間との関係についてまで いわば想像力を及ぼそうとしている。  このナゾは 一般にどの言語でも《かみ》と呼んでいる。  しかもこの神を見たとか神の声を聞いたとかというふうに ひとは神体験を持ったと言いその表現にまで及ぶことがある。  (5) とは言うものの われわれ人間にも 超自然的な超経験的ないわゆる神秘体験というのも 起こるかに受けとめられている部分がある。  あるいは 単純な事例としては ひとはヒラメキを得ることがある。  これらは 実際の経験行為にからんで意味をもたらすことのある《神体験》だと見られる場合がある。  いかに神秘的だとは言え 神体験を全否定することは たぶんしりぞけられるであろう。    (6) けっきょく《神を見た》という命題は 《見た》という記号を介して表現され伝達されているに過ぎないのに 実際にも《見た・見ていない》というような経験行為のこととして受け取られてしまうマチガイを起こしやすい。  これは あくまで非経験(つまり 見ることも知ることも出来ない)の神を取り上げているのであるからには そのような見た・見ないという経験行為をうんぬんしても用を成さないと基本的には考えられることである。それなのに マチガイが起こる。  (7) 焦点は このような記号もしくはここでは《ことば》をつうじて それでは どれだけ《非記号》の世界が捉えうるかにある。  (8) 《神を見た》は その第一次的な知覚体験としては その体験者本人にとっても それの事実性は分からないはずであって ましてその体験の人びとによる共有は 無理であろうと考えられる。ほんとうに神であるかどうか これは 本人にも分からないと言わなければならない。ましてや ほかの人とのその体験の共有などということは 目指すものではないし 出来っこない。  と同時に 記号による仮りの表現――あるいは《想定》――の限りで 人びとにはその事実性にうたがいのかかる事柄であっても それぞれの主観にとっての《真実》という場が特殊にあるかに思われる。  (9) 人間にとって その世界における《現実》とは いわゆる科学的な《事実》――それも人間による認識を俟っての事実でしかないが――とおのおのの主観にとっての〔たとえ空想的なものごとであってもその虚構をも容れるところの〕《真実》とのふたつの領域から成る。と考えられまいか?  (10) 《主観真実》とは あやまちうる人間の認識および判断の力を前提とするかぎりで けっきょく――事実誤認のほかにも――《想像の世界ないし虚構》を容れている。虚構というかたちにおいてもその想像世界には《真実》と見なしうる場合があると認めることになる。  しかも主観真実は 大きく《事実》と並びそれとの総合としての《現実》に属すると認めることを意味する。  (11) これもそれも あれも何も この《現実=事実認識+主観真実》なる方程式は 神の問題としてはその現実性が おそらく《ひらめき(直感および直観 言いかえると インスピレーション)》の問題に帰着するのであろうと思われる。また そのヒラメキの信憑性にかかっているのであろう。  (12) もっとも簡単な信憑性の判定基準は けっきょく《直観ヒラメキ》として《イメージ直感》を解釈し言葉で表現した内容が 経験合理性から見て耐えうるものかどうかにある。  (13) 《神を見た。神と顔と顔を合わせて話をした》という第一次の知覚経験が信憑性を持つか否かは おそらくその検証が出来ない。  ただしその《神を見た》ことの間接的な解釈や説明ならそれは 人びとの思考しうる世界に降りて来ることになる。ゆえに ことばとしての記号を通じて 意外と人びとは互いに意志疎通をおこないうる。  (14) たとえば 《ひとは 神の背面(うしろすがた)を見るであろう》という命題は 案外受け容れられるのではないだろうか。  ――これは けっきょく《ひとは 神のことにかかわると思われるようなヒラメキ体験を持つことがある》と言っていることにほぼひとしい。つまり 自同律でしかないかも知れない。けれど その真実が真実であるかぎり 事実との総合において 現実をかたちづくるのではないかと見られる余地がある。  (15) ちなみに《空観としてのさとり》という場合も そのサトリという第一次の言わば非思考の状態を掲げるにとどまらず そこから得るヒラメキをめぐってその解釈と説明を添えるなら コミュニケーションの大通りに現われ出て人びとの世界とその現実をゆたかにしうるものと捉えられる。  (16) なお 共有しうるということは その共有したものごとをそのまま正しいとか妥当だとかと認めてしまったわけではない。――共有し得ないならば 話し合いの主題には成れないということだ。  (17) 《神を見た》なる命題は 一般の話し合いの主題には成らない。このことを 共有しておけば そのような知覚情報とは別の《ことばとしての記号の世界》でなら 哲学の問い求めは話がうんと進むものと思われる。    (18) よってひとは 《神を見た》とか《これこれが神である》といった第一次の知覚情報をもって 神の話をするなかれという交通規則を得ることができる。のではないか?  言いかえると 単純に言って 《神は人間の精神である》とか断定したり あるいはぎゃくに 《神は 人間の想像の産物でしかない》と言って否定したりするだけで説明のない神学は 論外の問題外であると。

  • 「ねがはざるをいみしきことにして」の理解の仕方

    本居宣長の『玉勝間』に次のような文章があります。 *****引用***** うまき物くはまほしく、よききぬきまほしく、よき家にすままほしく、たからえまほしく、人にたふとまれまほしく、いのちながからまほしくするは、みな人の真心也、然るにこれらを皆よからぬ事にし、ねがはざるをいみしきことにして、すべてほしからず、ねがはぬかほするもののよにおほかるは、例のうるさきいつはりなり、又よに先生などあふがるる物しり人、あるは上人などたふとまるるほうしなど、月花をみては、あはれとめづるかほすれども、よき女を見ては、めにもかからぬかほして過るは、まことに然るにや、……月花はあはれ也、女の色はめにもとまらずといはんは人とあらむものの心にあらず、いみしきいつはりにこそ有けれ。 *****引用終わり***** 古文に詳しくないのですが、自分で理解してみたところ、下記のような意訳になると思うのですが、 「美味い物を食べたがり、良い絹を着たがり、良い家に住みたがり、宝絵を欲しがり、人に尊まれたがり、命が長くあって欲しいと望むことは、みな人の真心(偽りのない心)である。然るにこれらを皆良からぬ事にし、願わないことを忌みしいことにして、全て欲しがらず、願わない顔をする者の世に多いことは、例の煩い偽りである。又世に先生等と仰がれる物知り人、あるいは上人など尊まるる法師等、月花を見ては哀れと賞でる顔すれども、良い女を見ては、目にもかからない顔をして過ぎるは、真にそうであることだろうか。……『月花は哀れである、女の色は目にも止まらない』と言おうことは人とあろう者の心ではない、忌みしい偽りでは有るけれども」 この場合、「願わないことを忌みしいことにして」という部分の真意は「願うことを忌みしいことにして」だと思うのですが、どうして「ねがはざるをいみしきことにして」と表現されているのでしょうか。理解の仕方が分かりません。 文法的にどういう表現であるか、教えていただけませんか? また、もし意訳に間違い等あればご指摘いただけたらと思います。 よろしくお願いいたします。

  • 「あはれ」と「もののあはれ」

    「あはれ」と「もののあはれ」 「あはれ」と「もののあはれ」の違いとは なんでしょうか??;; また、「もののあはれ」について 詳しく説明してくれと言われたら どのように説明すればいいのでしょうか??;; すみません>< 返答よろしくお願いします!

  • 意識(心)は、どこからやって来たのか?

        哲学では、意識とは何か?とか、 死んだ後、意識はどうなるか? と、現在と未来については問われ、語られる事は多い。 しかしながら、私達の「意識」、これは幼心にいつ、どのように生じたかについて、問われ、語れる事が少ない様に思う。 けれども、現在、死後の意識を考える上で、その発生起源を考える事は重要なはずだ。 そこで、問いたい。 あなたの主体である意識は、いつ、どのように生じたか? 記憶をさかのぼる、自己観察、現在ある根拠と思われる物、現象から論理を展開し、この問いを考え、答えてみて欲しい。 ちなみに、意識、心、精神、は区別していない。  

  • 僕は憐れです

    僕はスポーツをやっていました。自分で言うのもなんですがかなり上手かったです。才能もあり努力もしてかなり期待をかけられていましたが慢性的な怪我をしてやめました。 僕には弟がいます。僕の家では事情があり、僕が小学生の時スポーツ少年団に入りたかったのですが入ることができず、弟は入ることができました。僕は結局中学からそのスポーツを始めました。 うちは変な家庭で父は幼い僕に勉強を強要しました。母は食べる子供が好きだったみたいで僕は小さな頃太っていて気にしていました。弟は強要されず太ってもおらずでした。 そしてスポーツから離れた僕はギターを始めました。5年根性で続けましたが全然上達せず周りにはあの時の輝きは…なんて言われてます。もちろん悔しくて勉強そっちのけで徹夜で勉強しましたが上手くなりませんでした。おかげで高校は進学校でしたが今現在一浪しましたがどこも受かりませんでした。弟は進学校で成績も良くスポーツもやっていて家ではナルシスト気に半裸で見せ付けるように居間で勉強しています。 今では父親も母親も当時に比べれば丸くなりあの時はすまなかったと謝ってきますがそうされると僕は誰を恨めばいいのでしょう??弟も悪気があるわけではなく人一倍コンプレックスが強いだけなんです。でもそしたら僕は誰を恨めばいいのでしょう?? 勉強やギターのことを考えると胸が苦しくなり吐き気がします。性格上僕の本当の気持ちを誰かに話す気はありません。 勉強しようと思っても隣の部屋で祖母がイビキをグーグー、弟はゲームをカチカチ(うちは地震で被災もしてます)です。 僕はこれからどうしたらよいのでしょうか??好きにしたらと言われたら家族全員原形をとどめなくなるまで皆殺しにします。 まぁ絶対にしませんが。僕が誰より優れてると思うポイントはここにあるので。しかしその分僕は溜め込みます。 自分で言うのもなんですが背も高いし顔だって自信あります。しかしいいなと思う人がいてもコンプレックスであるこの過去を偽って付き合っていかなければならないと思うと積極的にはなれないし、そもそもこの過去を受け入れてくれる人がいる気がしません。誰にも話す気にはなれません。初対面の人にはどうやったらバレないかとそればっかり考えています。 僕はこれからどうしたらいいんでしょうか