音は消えずに残る?科学的に証明・発見されているのか教えて下さい

このQ&Aのポイント
  • 音や言葉は一度発せられたら消えずに残り、周囲を漂っている可能性があります。
  • 壁は聞こえる存在であり、音波を通じて音を取り込むことができます。
  • 科学的には、音や言葉はエネルギーの形で存在し、保存されている可能性がありますが、具体的な再現方法はまだ解明されていません。
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音は消えずに残る?

科学的に証明・発見されているのか教えて下さい。どこかで聞いたのか、読んだのだと思います。 どう質問して良いのかも難しいので誤解をまねくかもしれませんがお許しを。 1.音・言葉は一度発せられたら消えない(漂っている?) 2.壁は聞いている これらを科学的に説明できるのでしょうか? どういった文脈だったのか、何が言いたかったのかもよく覚えていません。 全くの憶測ですが、音波とエネルギー保存の法則に関連するのかもしれません。自分の限られた知識ではそれくらいしか思い浮かびません。 1は漂っているだったかもしれないし、2は音を取り出すことが出来るといったことだったかもしれません。なんにせよ、こういった過去の音・言葉を現在の科学で再現できるかというのはポイントではありません。 わからない事だらけで申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

  • 科学
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質問者が選んだベストアンサー

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  • Vwiyoonn
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回答No.2

1.物理学的には、発せられた音(振動)は熱に変わってゆくために媒質を伝播してゆくうちに弱くなり、やがて消えてゆきます。洗濯機の下にゴムなどを敷くとその振動が床に伝わりにくくなるのも同じ理屈です。  しかし、吐いた唾は呑みこめない、なんて慣用句もあるように一度発せられた言葉はあとで取り消すことは難しい、ということは人間関係ではままあることですよね。また、言霊信仰のように言葉によって世界を再定義することによって物質としての世界に変容をもたらせるはずだ、という考え方がありますが、これは物理学ではなく宗教学とか認知科学の領域の話ですね。 2.聞くということには壁がそこで発せられた音を言語的に解釈するという心の働きがなくてはなりません。しかし、悲しいかなごくごく稀な例を除いては壁のほとんどは命なき建築部材が集積したものにすぎません。  面妖な一団と行動を共にし、あろうことか家屋と独立して行動をする能力を有し、あまつさえ会話する能力さえ持っている壁がいるという話を聞かないでもありませんが、この場合の答としてはあまりふさわしくはないでしょう。  また、シロアリが人語を解して駆除業者の行動を察知して逃げだしたという話も聞きませんので、やはり壁が聞くことはないと断じていいかもしれません。  しかし、これまた慣用句で、壁に耳あり障子に目あり、なんてことをいうように自分の言行は誰がどこで見咎めるかなんてのは分かんない、ってこともありますね。  また、音として観測できなくなった元・音が熱エネルギーに変換されきった状態から再現できるかというと、これはエントロピーは増大する方向にしか進まない、という熱力学第二法則から不可能であるとされています。

piyo-maru7
質問者

お礼

目に止まったサイト・文献の文脈としては宗教的な見地から派生したのかもしれませんが、科学的にもうんぬんといった書かれ方だっと印象があります。 「心の働きが必要」とのことですが、テープレコーダーを想像していただければと思います。 主旨からは外れますが、植物が言葉を理解しないまでもその色(ポジティブ・ネガティブ)を感じることができたり、言葉を発せずとも思念で影響を与えることができる、という研究もありますね。 「不可能であるとされています」という言い回しに感心しました。現在の科学では証明できないことや証明済みであることも、将来それが覆されることはありますよね。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.4

1については他の方とも被りますが、人間が音として認識できる空気の振動としては消失しますね。 ただ、一度発生した音という現象によって生じた影響は拡散して広がるだけとも言えます。 バタフライ効果のように、今日私が「あ」と呟いくことによって発生した振動エネルギーに影響された空気分子が巡り巡って大嵐の引き金を引くかもしれません。 ただ、これは単なる思考実験ですし、音声によって生じる影響を音声として扱うべきかは疑問ですが。 2については一見慣用表現のような気がしますね。 しかし、レコードが音波を物理構造的な溝に変換するように、マイクが電気信号に変換するように、壁の構造や素材によっては受けた音波をなんらかの形で保存できるかもしれません。 音波がぶつかれば物理的な衝撃を受けますから。もしかしたらそういう実験かもしれませんね。

piyo-maru7
質問者

お礼

大変興味深いです。 バタフライ効果というのは初めて知りましたが、少々外れますね。 「人間が音として認識できる空気の振動としては消失」とのことですが、人間が認識できないほどの小さなレベルで音は永久に漂っている、というのは皆様からの回答からも、つまり科学的にも間違いではない、という解釈で良さそうですね。 ありがとうございました。

回答No.3

ある意味残るのかもしれません。 発せられた音によって壁なり空気なりが振動して温度が上昇し、そこから別の物に熱として伝播、拡散して行ったとして、それを繰り返し繰り返し、沢山の物に極々微細な変化を与えながら、いつまでも残り続けるのかもしれません。

piyo-maru7
質問者

お礼

例えば、会話は音波として、振動として壁にあたり、一部は反射し、一部は吸収されるわけですが、おっしゃるとおり、「微細な変化」が発生したことを壁に記録されたと言い換えられるのかもしれません。 全く的はずれかもしれませんが、宇宙の成り立ちについて日々研究がされ新たな発見が続々とありますよね。過去にさかのぼるという点で共通点があるかもしれません。 ご回答ありがとうございました。

  • TT414
  • ベストアンサー率18% (72/384)
回答No.1

1.漂いません、数秒でなくなります、音声は空気、壁などに吸収されて熱に変わります。

piyo-maru7
質問者

お礼

エネルギー保存の法則でしょうか?音声は熱になるんですね。勉強になりました。 音声は空気を振動させて音波となるのだから、電子レンジが分子を振動させることで温めるのと似ているのかもしれません。 ありがとうございました。

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