• 締切済み

学問の主観的な発展の価値

哲学の分野では、 押し付けがましく意図的に詭弁を弄しても構わないのでしょうか。

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回答No.12

下品な哲学と上品な哲学を合わせて哲学と言うんじゃあんめいか。 下品な哲学とは距離を置くしかあんめい。

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  • miko-desi
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回答No.11

押し付けるつもりも権限もないですが、 一部私の率直な意見を開示させて頂きたくこの場をお借りします。 No.10さんの >概念思考を駆使して問題の明確化を謀る過程は「学問の一分野」になるでしょう。 について、  哲学は細分化していく「学問の一分野」に収まりません。 なので体系化されず、専門性を持たせた学問ではないのです。 哲学は疑いの余地さえない論理や法則さえも疑ってかかり、 半信半疑で採用を決定する(仮説や憶測を立てる)という「手段、方法、態度」という存在です。 数学が厳密であるかどうかも疑うけれども、数学を知らずに人間らしく生活することが可能であっても 哲学をせずに精神を持った人間として生活することを放棄せねばなりません。 哲学は買い物したり掃除や調理するなどのように誰にとっても身近な事態と、私はしています。 学問として体系化されないのは、 より曖昧な直感によって試み、仮説を立てたりするせいです。 学問としての哲学があるのは哲学の歴史とか言語学よりなもの。

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回答No.10

(1)営業トークの様な詭弁でも、法律に抵触せず雄弁に機能しさえすれば市民権を得るのでしょうか? ⇒詭弁とは、(イ)「ロジックが不完全であることを知っていながら、相手がそれに気付かないことを想定して、自分の意図を達成させるために論じる過程」、(ロ)「その期待する意図と自覚している不完全なロジックの組み合わせ」ことです。 営業トークに限らず、医療や介護、教育、指導、討論会などのあらゆる場面で使用される手法です。 法律は詭弁を使用することを禁じてはいません。 詐欺罪は、人を欺いて財物を交付させたり、財産上不法の利益を得たりする行為、または他人にこれを得させる行為を内容とする犯罪のことで、目的が不当利得でなければ他人を欺く論理を意図的に使用しても罰せられることはありません。 マスコミを通じて伝えられる解説は、論理でみれば誤謬の塊と言っても過言ではありません。 解説者やマスコミの報道者編集者が論理的には誤謬であることを知ってやっているとは断言できませんが、知っているが詳しく論理的に説明することは適切ではないと確信して解説報道しているのであれば、明らかに詭弁です。 政治の分野などにおいて、論理的誤謬や詭弁を使用することを禁じられたら、なにも論じることが出来なくなります。 市民権は国家内の市民たる資格に基づいて認められる権利のことで、このテーマとはほとんど関係がありません。   (2)哲学は詭弁を披露するものではなくて、実践に用いるものです。 ⇒「哲学は詭弁を披露するものではない」ということは一般的に言い得ても、相手の論理構成が不完全であることを自覚させるために、相手の論理を使用して納得しがたい結論を提示することもあるので、「哲学は詭弁を披露するものではない」とは言い切れません。 「哲学とは」を、「問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問の一分野」のように考えるのであれば、概念思考を駆使して問題の明確化を謀る過程は「学問の一分野」になるでしょう。 「哲学は実践に用いるもの」と考える人がいてもいいですが、それは「数学は実用に使えるもの」と考えるのと同様で、はなはだ狭量な考えだと私は思います。 数学について言えば、数学への内的な興味のために研究がなされ、いかに本質的な概念なり定理なりを得ていかに体系的な数学を構築する、数学的対象を記述するのに適した概念や空間を定義したり、数学的事象をうまく表現した定理を得たりすることに精力を注ぐのが数学らしいと思っています。 哲学でも、基本的に同じで、学問である以上、実用や実践からは遠い思考検討が中心になっても当然であると私は思います。 学問を実用と実践に縛り付け、概念的思考専一に耽ることを拒絶するようなことをしては発展はありません。 そのようなことをするのは、実社会の現実にのみ縛り、社会の変化にも追いつかない状態をもたらす危険を内包させることになります。工学だけでなく理学がある、理論的研究を応用とは切り離してやる学問を否定することになります。   (3)学問の主観的な発展の価値は ⇒学問は、知識の体系を持っているのが普通です。体系は、思考や論理、概念です。 主観と客観をどのようにお考えなのかわかりませんが、体系化する、論理的整合性を求める、合理的に説明理解できるようにするには、事実や事実の観測をただ集積してもだめで、合理化する、体系に組み込む、理屈をつける、説明する、体系を作るなどの主体的意図があって初めて可能になります。 学問の発展にとって学問を志すものの主観はもっとも重要なものと考えます。   (4)押し付けがましく ⇒「押し付けがましく」 辞書には「おしつけがま・し=自分の考え方・感じ方などを、相手に当然のことのように受け入れさせようとする。「―・い親切」」とあります。 主張というのは「相手に当然のことのように受け入れさせようとする」努力の一部です。 テクニックには、高圧的、威圧的、権威的、暴力的、利益誘導的、親切ごかし、親和的、援助的、同情的、恐怖や不安を避ける気持ちを利用する、一見論理的、常識や世間の動勢を説くなど色々の手があります。 それを無意識にやる人もいれば、意識的に方法を換えて駆使する人もいます。  辞書とは違いますが、「押しつけがましい」には、相手側の受け止め方の問題があることがあります。説得やアドバイス、主張を聞く側が「感情的に強制された、強制されようとしている」と感じたかどうかにポイントをおく視点です。 内容や方向性や論理性、手法の問題ではなくて、受取側の感性の問題です。 援助的、同情的方法を温和にとられた場合でも、共感的手法をとられた場合でも、アプローチがあったというだけでも「押しつけがましい」と感じる人はいます。もちろん、そういう人はロジックに誤謬があるのか/ロジックは完璧かは問題にしていません。詭弁か否かも関係がありません。 押しつけがましいと相手が感じると、主張したことが受け入れられない可能性が高まります。(押しつけがましいと感じても、主張が受け入れられることも多いです)  押しつけがましさを感じられないようにすることをどの程度考慮するのかは、簡単には決められません。 もともと他人に影響を与えようとしているのですから、最終的な目的の達成と、相手の状況、問題・目的の切迫性などの兼ね合いで手段は選ぶのが合理的でしょう。 (5)押し付けがましく意図的に詭弁を弄しても構わないのでしょうか。 ⇒一概には言えませんが、現実的には、よくあることと思います。 「人を見て法を説け」ということは現実社会では重要なことです。宗教や教育、仕事の指示だけのことではありません。 意図的に詭弁を弄するのがもっとも効率的であるのが普通だと思います。 ただ意図的に詭弁を弄する能力を発揮できるのは希かもしれません。 論を展開する側に余裕がない場合には、詭弁という認識もなく自分の思い込みを展開しているだけのことも多いです。 また、相手の知識が格段に不足しているとか、思考力が低レベルにあると観じた場合には、相手に合わせた論理で済ませるのは普通です。その時には、話者は、詭弁で語るという意識は持っていないのが普通です。 話者は、自分が展開し述べている論理が誤謬で満ちている(そこを突かれた場合には分かっていると答えるでしょうが)ことを自覚していないのが普通です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC よほど余裕がある人ならば、自分が意図的に詭弁を弄していると自覚しているでしょうが、目的は必要な影響力を他人に与えることでしょうから、それを止めようとはしないでしょう。 「詭弁を使ってかまわないのでしょうか」と尋ねたら、「本当のことを言って何が良くなるのか。あなたは何を大事なことだと考えているのか」と逆に質問されるでしょう。 学問の世界でも同じです。実用を離れて純理論を追求する哲学の学問研究の場合でも、自分の追求してきた理論と厳密さで全くの初学者に語ることは、「語る目的」に合わないと考えれば、相手のレベルで「詭弁を使うこと」も、「そうだねと受容すること」も、「そこは研究の価値があるねと励ますようなことを言うこと」もあるでしょう。

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回答No.9

アルケーの神が宇宙の公理を教えた、と見做す酷く馬鹿馬鹿しい私見を、 或る方が当サイトの哲学カテゴリで訴えていらっしゃいましたが、 そういう詭弁は直ぐに淘汰されるのでしょうね。

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  • miko-desi
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回答No.8

No5です。 イデアも懐疑方法として仮説として立案されたもの。 先の哲人が如何に仮説を立案するに至ったか?を読み取る参考にします。 後輩はそこから各人で独自の方法論を実践することで「哲学する」に至れます。

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noname#194996
noname#194996
回答No.7

>押し付けがましく意図的に詭弁を弄しても構わないのでしょうか? 明らかに駄目ですね。 認められないだけでなく軽蔑され、相手にされなくなります。 常識です。 哲学の分野でそういった手法で成功した人の実例があれば補足してください。 あると思っておられるのならあなたの誤解だと思います。 もちろんそれを実践するのはあなたの勝手です。 >学問の主観的な発展の価値 は上記の議論とは無関係です。 自分の中では皆主観的です。 あなたの価値観で進める分には大いに結構だと思います。 ご参考になれば。

UtaShiori
質問者

補足

有り難う御座います。 確かに仰る通りでして、此の質問は唯の逆説です。 http://okwave.jp/qa/q6951345.html

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  • Ginzang
  • ベストアンサー率66% (136/206)
回答No.6

回答No.3の者である。 まず始めに先の回答に誤りがあったことをお詫びせねばならない。 「論理哲学論考」の著者は、ウィトゲンシュタインであった。 さて、 >営業トークの様な詭弁でも、法律に抵触せず雄弁に機能しさえすれば市民権を得るのでしょうか? とのことであるが、私が思うに、その答えは多分イエスである(愚かしいことに)。 例えば、小泉純一郎や田中角栄のような、国民的人気を獲得した元総理大臣を考えてみればよい。彼らの発言の中に、幾つかは詭弁というか、よくよく考えてみれば奇妙な発言もあったのではないだろうか。にも拘らず、有権者の高い支持を背景に、国民の多くが進んで疑わないようになり、深い議論も無く世論に浸透していったように感じる。 但し、学術的に言えば、こういった発言は無批判に受け入れられるということは無い。賛同者もいるにはいるが、どこからとも無く反論も加わるものである。そして賛否両論の中で発言は淘汰され、より適切なものだけが評価され残ることになる。 要は、広く国民の中で市民権を得るには雄弁さが相応の効力を持つが、逆に哲学のような学問の世界においては論理的説得力が全てなのだ、というのが私の意見である。 さて、ここに来て私は、私自身がそもそもの質問の意図を正確に把握していなかったのではないかと思った。 質問者の求めるものは「詭弁の存在価値について」なのでは無いだろうか。 これについては、現時点の私には人に語れるだけの立派な意見を持ち合わせていない。ただ、歴史的事実として、先の回答の公孫竜の例もあるし、他にも中世ヨーロッパの神学(つまり、当時は絶対的な規範であり権威であったキリスト教を根拠付けるための研究と議論の総体)でも、キリスト教に対して批判的な立場(しばし『悪魔の代弁者』になぞらえられた)になりきって詭弁を提出する者がいたようなのである。しかし、神学の研究者はそうした詭弁をはねのけようと議論を重ね、突き破っていくことで逆にキリスト教を権威付けていったのである。 つまり詭弁は、それを論破することで主流の議論の説得力を強化することになり、論破できないならば主流を乗っ取ってしまうかもしれない、なかなか使えるものなのである。映画やプロレスに例えて言えば、善玉を輝かせるための悪役。もちろん小物の屁理屈レベルで秒殺されてしまうような雑魚ヒールも多いが、ヒーローと名勝負を演じるような、いつまでもヒーローに負けず劣らず愛される名悪役もいるのである。 余談にはなるが、折角なので先に私が挙げた、歴史に残るような詭弁とはどういうものなのか記しておく。理解できなくても全く問題は無い上、語るとまた長くなるので、詳細は解説しない。 なお、もちろん昔の話なので、現在ならもっと洗練された詭弁でないと哲学界では相手にならない。 ・「堅白同異の弁」 白くて堅い石があるとき、それを手で触るだけで見なければ白いことは分からないし、目で見るだけで触らなければ堅いことは分からない。よって、堅いという概念と白いと言う概念は両立し得ないのである。 ・「悪魔の代弁者」の詭弁の一例 人間より遥かに優れた能力を持つ、天使という存在がいると言うのなら、この細い針の先端に、何人の天使が同時に座ることが出来るのか。例えば、100万人の天使が一度に針の上に載ることが出来るとでも言うのか。

UtaShiori
質問者

補足

有り難う御座います。 詳しい解説を下さいまして、非常に勉強になります。

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  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.5

哲学は詭弁を披露するものではなくて、実践に用いるものです。 人間の動物に比べて高度かどうか?な神経や脳は 体感を掴んだり行動のために都合を合わせて発達させています。 実践哲学といえど論を押し付ける権利は生理学的にも有しません。

UtaShiori
質問者

補足

有り難う御座います。 イデアさえもが実践の為に立案されていたのでしょうか?

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回答No.4

言葉は空気の振動であり、文字は色の濃淡に過ぎない。 詭弁であれ、強弁であれ、それを唱える人の心境や環境を 想像するのは楽しいことであり、社会や人を学ぶ上で プラスになる。 子供に「バ~カ!」と言われて腹が立つようでは仕方ないが。

UtaShiori
質問者

補足

有り難う御座います。 詭弁の受け入れの価値を、某氏が哲学カテゴリの質疑の中で強調なさっていましたので、明確な回答が得られない事情を把握なさっていながら、その質問を提出なさっている掻き回し行為がマナー違反にならないのかが、非常に気になりました。

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  • Ginzang
  • ベストアンサー率66% (136/206)
回答No.3

現代哲学(分析哲学)をかじった者として、No.1の回答には異論がある。 結論を先に言えば、哲学の世界では無理な詭弁はまず通らない。 質問者の疑問は、昔の中国(2300年くらい前、戦国時代)で公孫竜が「堅白同異の弁」を唱えた時代なら「はい」と答えられたかもしれない。そしてNo.1の内容は、多分その場その場の気持ちや情熱だけで「万物の源は水」などとものが言えた、古代ギリシアあたりでの話だろう。しかし、いずれにせよ、現代的ではない。哲学の方法が論理的に精緻化した20世紀以降は、「詭弁」とか「屁理屈」が通る余地は無くなったのである。 それはちょうど数学が、「公理」と呼ばれる少数の決め事から導かれる定理だけが正しく、導かれないものは全て問題としないようなものだ。現代哲学の礎となった書の1つである「論理哲学論考」の中で、著者ホワイトヘッドは『語ることのできないものについては、黙っているより他に無い』と述べている。 >説得力さえあれば、それが詭弁だと悟られない >技量があれば文句はありません。 と言うが、正しくは 「詭弁は、いくら巧みな話術の技量を持って論じようとも所詮は詭弁。 逆に、正論は唱える者に技量が無くても、論理が通っていれば正論」 とされる(詐術ではなく、論理に関する技量こそが必要)。説得力や技量がものを言う思想など、今やにわか右派の唱える読者の愛国感情に訴えた、多くは中身の薄い保守論くらいではないだろうか。それも、教養の低い一般人にしかアピールしない低品位なものなので、正統な学会は相手にしていない。 (念のために言うが、まともな保守はきちんと論を立て、専門家の批評に耐える説を述べる。ただ保守化傾向のある最近では、思想誌の中でも、安易に他人の説に乗っかるだけの浅薄な論説や、議論が全く丁寧でないのに結論だけ保守派に媚びたような大層なことを掲げる言説を良く見かけるのである。) 逆に言えば、論理的に成立してしまった「詭弁」は最早詭弁ではなく、正論である。実際、確か認識に関する議論だったと思うが、わずか数ページの意表を付くような視点で書かれた論文が、それまでの定説を引っ繰り返してしまった例もある。 そんな論が出せると言うなら、是非とも提出して哲学界に一波乱巻き起こしてもらいたいものではある。

UtaShiori
質問者

補足

詳しい説明を下さいまして、有り難う御座います。 営業トークの様な詭弁でも、法律に抵触せず雄弁に機能しさえすれば市民権を得るのでしょうか?

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