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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:先祖のお墓を探しています。)

先祖のお墓を探しています

このQ&Aのポイント
  • 私は平家落ち武者の子孫で、先祖のお墓を2つ探しています。
  • 先祖のお墓は宮崎県の山岳地方にあると思われます。
  • 亡き父の口伝によれば、先祖のお墓は新天地に落ち着く前に建てられた仮のお墓とされています。私も一緒にお参りしたいです。ご存知の方がいらっしゃる場合、お知らせください。

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  • ベストアンサー
  • yahtzee
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回答No.26

ご無沙汰しておりますがそのご進展はありましたでしょうか。 三叉鉾は祭祀に使われた可能性が高いと思いますが徴兵除けや魔除けといった鉾もあるようです。 家系図に関しましては単純な物でしたら手書きで十分でしょうが複雑になってきますと OfficeのWordやExcelなどを使うとわかりやすいとは思います。 無料のテンプレートを公表されている方もいらっしゃいますのでそういった物も使えます。 用はどのように残したいかだけですからPCで残す必然はありません。 ですがこちらの添付画像はとても非力なのでほんとうに残念です。 まずは鉾でお調べいただくのがいちばんの方向なのかもしれませんが それで結果を残せないようでしたら的を絞ってその地域の市史など郷土史を探す方法、 その地域の寺社や埋葬のしきたりを調べて辿っていくしかないと思います。 郷土に貢献された方でしたら郷土史に記述がある可能性があるかもしれません。 ただ今一度戸籍の話をさせていただきます。 残っていればなのですが一番確実なのが戸籍なのです。 これぞれの自治体で対応が異なりますので運河絶えず付きまといます。 もし明治19年式の戸籍を残しているところでしたら何度でも聞いてください。 直系の戸主の方の戸籍がなくても直系の方が載っている戸籍でたら取れるのです。 戸籍担当の方は基本的に最新の物、あるいは相続のためのある特定の方の 出生・転入から転出・除籍までの戸籍を探すことには長けていますが このような先祖の戸籍にきちんと対応できる方は少ないのではと感じています。 その役場が災害に遭っていたり電算化で古い戸籍が対面上(法的に)廃棄されている場合は 残念ながら入手することはまずできません。 ただし明治19年式の古い戸籍までしっかりとあるところでは 何度も問い合わせてやっと入手できる戸籍があっても不思議ではありません。 ついつい父方の戸籍に執着してしまうと思いますが母方を含めてすべて入手できるものは 絶対に請求して入手すべきです。 私も母方の戸籍から新たな発見をしたことが何度かあります。 母だけでなく、戸籍の上側の部分(身分事項欄といいます)に兄弟の記述があれば 通常その兄弟の戸籍は請求できませんがその戸籍に直系となる人物が載っている可能性もあります。 載っていれば当然請求はできるのです。 身分事項欄に載っている人物が戸主でない可能性もあります。 そういった可能性を含めて請求する必要があります。 また明治19年式の戸籍でしたら身分事項欄には地番が載っておらず~町、~村としか記載されていない といったこともあるのですが、それでもくじけずに問い合わせ請求することが大事です。 それだけの情報でも入手できる可能性はあるのです。 お役所の担当とも交渉をするためには古い戸籍に関してある程度勉強をしなくてはなりません。 ここには記述致しませんが、知識がなく問い合わせるだけですと ほんとうに存在しない戸籍なのか、あるいは法的に発行できないのか見極めができません。 該当のご先祖の戸籍が入手できるできないにかかわらず、あるのかないのかでまったく異なります。 その探している直接の方を探すのか、いわゆる本家筋を探したほうがいいのかといった面でも 方向性が変わってきてしまうためです。 正直に申し上げまして、直接連絡ができればもう少し踏み込んだお話ができるのではと思いますが こちらの質問欄からの応対ですとこのあたりが限界ではないかと感じています。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 私こそ長いこと、ご無沙汰いたしまして誠に申し訳ございません。 7月10日頃より、パソコンの調子がおかしくなりまして、このコーナーにたどり着く事が出来なく なりました。知人にお世話になり、メーカーさんに依頼してましたらパソコンの頭脳が破壊されている との事でした。・・・人様のご好意で今日8月28日に中古のパソコンを設置する事が出来ました。 7月に入った頃(教えてgoo)のコーナーもボチボチ締切?と思っていた矢先の事でした。今思えば、パソコンが壊れたので、今回あなた様からのご解答を頂けたのですね。壊れた事に感謝?しています。久しぶりにあなた様のご解答が目に入りまして、嬉しいやら感謝やら・・・あなた様には本当にお世話になりました。あなた様から頂きました数多くの知恵、知識を今後に役立たせていただきます。あなた様のご好意を無駄にしないように、心しまして私の先祖探しに邁進します。・・・(教えてgoo)のコーナーを通じましてたくさんの良きお教え、又多くの良きお導き等頂きまして、深く、深く心よりお礼申し上げます。あなた様のご健康とご多幸を南九州の地より、感謝の心でお祈り申し上げます。長いこと誠にありがとうございました。私の質問を締めさせて頂きます。又(教えてgoo)のスタッフの方々長い事お世話になりまして誠にありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

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その他の回答 (25)

  • yahtzee
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回答No.15

「飾り椎の木」が椎葉村につながる情報であればと思ったのですが現時点では成果がありませんでした。後から思えばその宮崎の落ち武者として有名な地域の現在の住宅地図を見ておけば、「岡元」姓、「岡本」姓の方がいらっしゃるかある程度わかったのではと自らの至らなさに落胆しきりです。 私事で誠に恐縮ですがこちらでは昭和後期以降の情報を電話帳、住宅地図、市役所、地域の方々、行政書士さんから追い求めていますので状況によってはまた国会図書館に行く必要があるかもしれません(古い戸籍と異なり、本籍地と実際の住所との違いに苦労しています)。その際には宮崎などの該当地域を予め調べて見てみたいと思っています。微妙な個人情報の範囲に入ってしまうと思いますので書かなかったのですが金之丞さんの奥さんの名前も多少のヒントになるとは思っていますが、かといって地域を限定できるものでもないでしょうね。いわゆる朝鮮とのかかわりの可能性なのですが歴史にまったく詳しくない私にはそれ以上のことは書くこともできません。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 いつもありがとうございます。 お礼文があなた様のご解答文を前後しながら読み返していますので私のお礼文の内容が前後してます事で 申し訳ございません。岩下の姓の事を前回申しましたが、今、反省しています。あまりに遠くの過去に飛びすぎて肝心の金之丞祖が置き去りになつてる様に感じています。申し訳ございません。 何か手がかりがあるかもと思いまして[岩下)姓を出してしまいました。さて椎葉村の事ですが私は心の 中では亡き父の口伝の[上から下りてきた)の上の地を椎葉村では、と、今も思っています。その根拠は 以前に申しましたが正月の門松の代わりに、椎の木を使用している事、岡元[本)と牧迫の姓分かれて 高千穂神社と菅原道真公の関係の方と何かの縁が出来た地・・・高千穂、熊本県の五家荘?に行き帰り出来る地・・・椎葉村では・・・と推測しています。が、私が椎葉村に限定出来ないのが私の先祖方が今の地に下りてこられ方に、直接に来られたか、数回かけて下りて来られたかによりその[地)が違うと思いますので、その地を絞り込むことができません。双方の先祖方が遺されたものに解明の手がかりが有りそうなきがします。あなた様はおおきい、大きい感謝のこころです。いつもありがとうございます。

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  • yahtzee
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回答No.14

本日国会図書館に行ってきましたので成果はありませんでしたがご報告をさせていただきますね。私は歴史に疎く、時間を割くことができませんでしたのでいつの年代だかわからないまま、年号の記述もあってもそれがいつごろなのかといったありさまでもっと勉強しなくてはと痛感しました。 まず題目上は「宮崎県西臼杵郡椎葉村史」となっているものですがこれは昔のぺらぺらの紙に書き綴じられた古文書をデジタル化したものとなっておりまして、モニタでは前後のページが透けてしまいとても読みにくいものでしたページ数ということですと140ページ弱、「岡元」姓、「牧迫」姓ともに出ていないように思うのですが、最後のところに「寛永2年12月日」とありましたので(読み違いでなければ)古すぎる資料ですよね。 「椎葉村史」、こちらはきちんと製本された活字のものですので読みやすいのですがどの年代を読んでいるかを把握する時間がありませんでした、申し訳ありません。いわゆる「五人組」のような具体的な名前の記載も多かったのですが、先の資料もそうだったのですが、苗字がかなり限定されているといいますかいくつかの姓ばかりが目立っておりましてやはり「岡元」姓、「牧迫」姓は出ていないように思います。もちろん斜めに読みましたのできちんと読めば載っているのかもしれませんし、年代が異なる部分を読んでいたのかもしれません。 「宮崎県東臼杵郡椎葉村の正月行事」、こちらは光沢紙の小冊子といったようなもので姓名といった個人情報的なものはなくその土地の風習が写真や図もあるものでした。実は以前のご回答に「飾り椎の木」と書かれていたのでこちらを確認しようと思ったのですが、勝手に門松のようなものと想像しておりましたのでもしかしたら私の勘違いなのかもしれないのですが、椎葉村の「門松?」(という記載だったか忘れてしまいました、コピーする時間もなかったのです、お許しください)はトシノヒ(大晦日)に飾るのですが地域によってほぼ4種類の型に分かれているそうです。そしていずれも「赤松」を使用するようでして、両側に立てて、あるいは一本の型もあるようですが、ツルノハ(譲り葉)はいずれも、そのほかは型によってあるなしがあるのですが、カケガリ、橙、トビ紙、樒の葉、年木、竹、荒神幣、ウラジロなどを使う絵表示でして、地域区分図や写真もあったのでコピーしたほうがよかったのかもしれませんが、(私の見当違いだったら申し訳ありませんが)椎の木を使うということが書かれておりませんでしたので、その段階で断念してしまいました。 門松も調べてみますと元々は松・杉・椎・榊といった常緑樹を使っていたとのことですので、着目を誤ってしまいました。現在でも「椎葉村」だから椎の飾りかもというのはちがったようですが以前はどうだったかわかりませんよね。ほかにも参考になりそうな書誌はいくつかありましたし、ひとつの本から、さらに参考図書として記載されている物もありました(「平家没落由来書」安永2年といったものなど読んでみたくなりました)。ただやはり地域を限定するにはしっかりとした情報がほしいですし、もしずれていますといくら探しても出てこないものだったり、その逆にずれていてもなんらかの情報があって辿れたという可能性もなくはないとは思いますが、なにか地域を絞れる確実な情報がほしいですよね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 何時も貴重な資料などお教えて下さいまして誠にありがとうございます。 私には(国会図書館)て今回はじめて聞く言葉です。地方の田舎で百姓しています者でして・・・。 私のご先祖方のお陰で又あなた様のお陰で今までと違う世界に足を踏み入れた心境でございます。又 インターネットのお陰でこれほどまでに先祖様方に近ずくことが出来、又歴史の中に自分が関連している 事にきずいています。本当にありがたいことだと皆様方に感謝しています。さて私の先祖の姓は(岩下)と口伝で伝わっています。年代は不明ですが今の岡元[本)、牧迫姓に分かれたと・・・。 先先日、[岩下姓の多い地域)で検索しましたら鹿児島県の離島の島々に平家落ち武者の子孫で[岩下)姓の方々が多くおられると記してございました。又戦国時代の長野県当りには地名にも[岩下)の所があるように記してございました。今後は高千穂神社ゆかりの[矛)の事、扇の家紋、正月の飾り木[椎の木)のこと等を調べたり、お聞きしたいと思っています。又宮崎県の山岳地方の岡元[本)姓の方々に、はがきお出ししまして、お聞きしてみたいと計画しています。毎度のことですが感謝の心でいっぱいです。誠にありがとうございます。

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  • yahtzee
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回答No.13

お忙しいところお返事をありがとうございます。 以前のGaigarさんへのお返事を改めて読みまして今まで実務的な対応ばかり記入しておりましたが(すでにご存知の情報かとは思いますが)このようなページを見まして歴史を多少なり実感しております。 http://wesensschau.at.webry.info/200611/article_1.html 探せば(少なくとも全般的な)いろいろな史料がありそうですよね。 私も先祖の墓を探していることはお伝えしましたが調べる方向性が逆に近いので(私の場合は地域がほぼ特定できておりまして直系にあたる子息を探しています)即戦力になる情報をご提供できないのが申し訳ないですし、こういったネット上での個人情報の出せないやりとりではもどかしく、実際お会いできれば戸籍の情報などはもっとなにかしらの具体的なご協力ができるのかもしれないと口惜しく感じています。 私の先祖のほうも少し新しい情報が手に入りましたので住宅地図や地番を確認するために明日国会図書館に行く予定です。五家荘、五箇荘、椎葉村といった検索でもたくさんの書誌が見つかりますし地元でしたら尚更なんでしょうね。「椎葉村史」、「宮崎県西臼杵郡椎葉村史」、「宮崎県東臼杵郡椎葉村の正月行事」といった書誌もあるようですのでこういったものに「岡元」さん、「牧迫」さんのお名前があればとも思いますがそんなにかんたんではないようにも思います。あいにく明日は週末でして時間的な余裕があまりありませんが、私が明日必要としているのは地図なので別枠ですからその三点の書誌は同時に請求ができますので(急用などで行けなかったら申し訳ないのですが)人名まで出ているか斜めに読んでみたいと思います。でも実際の椎葉村、もしくはその地域にある書誌を求めたり情報を尋ねたりするほうが有効なのかもしれませんね。 私のお墓がわかっている先祖のところでも実際に見聞きしますといろいろな史実があり郷土史を少しずつですが読みすすめています。必要だと思われる書籍は購入することもありますが、このご時世では無料でPDF化され無料公開されているものもありますので驚いてしまいます。 個々の古書を扱っているネットショップもありますが一応こんなところもということでご参考になれば。 https://www.kosho.or.jp/top.do http://sgenji.jp/ 宮崎県に絞られているのでしたら宮崎県立図書館ですね。 http://www.lib.pref.miyazaki.jp/ さらに絞れるのでしたらその地域公的図書館や資料館などを。 小さな図書館ですとネット上では蔵書検索できなかったり、検索システムに完全でない場合もありますので問い合わせてリストを教えてもらうという手段もあると思います。 平家という日本史でも有名な内容ですのでその道筋を探されるということは羨ましくもあります。その分広範な内容ですので糸を手繰り寄せるのは大変かもしれませんが、広く声かけをすることでかならずその反応はあると思います。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 いつもいつもご協力下さいまして誠にありがとうございます。私はいま農作業の後始末と我が家に代々 伝わってる「矛」を新しく築造しました館に奉納する為の準備にと一日一日過ごしています。メールの点検が毎日できず悔やんでいます。又申し訳なく思っています。昨年の11月に宮崎県の椎葉村の平家祭りに孫たちと行きました。色々下調べしまして・・・おそらく周辺の山々は椎の木いっぱいの所だろうと 期待して行き着きました。・・・心の中で大きなショックをうけました。椎の木は一本も見つからなかったのです。地元の2~3人の方に正月の飾り木のことをお聞きしましたが?でした。椎葉村から突き放された心境でした。だいたい825年前の事でしょうから・・・椎の木はシイタケの原木だったでしょうから長年かかり切られたのかな?と思い心を落ち着かせました。そこで地図で椎葉村と五家荘と高千穂神社の位置と方向と距離をだいたい確認しました。大体の絞込みの(地)が出来たらと何時も思っています。 あなた様にたくさんの知恵、ヒントを頂いていますのでこの事を底力にコツコツと前進します。 毎回のことですが感謝の心です。いつも誠にありがとうございます。

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  • yahtzee
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回答No.12

その後いかがでしょうか。かんたんではないと思いますが少しでも情報が入るといいですね。 補足するページですが <http://wiki.chakuriki.net/index.php/ありがちな姓/鹿児島> 「明治の新姓」のタイミングで漢字を変えられたのかもしれませんね。 以前のページもこのように表記したほうが親切でしたね、失礼いたしました。 <http://ja.wikipedia.org/wiki/平家の落人> 以前の電話帳を使うという手段は不要のように思いますが最新の物は各所にありますが 古い物となりますと地元の大きな図書館などでないと見ることができないと思います。 国立図書館にもありますが、意外なことにNTT営業所などにはないようです。 住宅地図も以前の物は同様ですが、おそらく以前の物は当面不要ですよね。 ゼンリンのサイトからPDF形式で購入したり、コンビニでプリントアウトするような サービスがありますので現行のものでしたら簡単に入手することができます。 http://www.zenrin.co.jp/j-print/service.html 図書館でコピーするほうがはるかに安いですが。 電話帳や住宅地図から探すのは確率がとても低い方法ですが手段がなくなってきますと 検討せざるを得ませんよね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 いつもありがとうございます。・・・なかなか難しい事とは、わかってはいるのですが・・・でもどうにかしたいです。補足するページも数多く教えて頂きましてたいへん助かっています。今日(11月9日) まで約40日間の農繁期でした。お宅様からのメールのお礼文も遅れ申し訳ございませんでした。今日で 忙しい期限付きの出荷が終わりホッとしてます。又今からお教え頂きました事など(もと)にしまして ご先祖探しを遂行いたします。出来る限りをつくします。お宅様からのご好意を無駄にはできません。 気にして頂きまして心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

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  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.11

むずかしいものですね。以前の投稿の繰り返しになってしまうかもしれませんがご容赦ください。 申し訳ありませんが歴史につきましては無知に等しいのでそちらのほうはほかの方にお任せするとしまして、一応みなさまの地元の資料から移り住んだことが記載された資料を探されるのがいちばん(あるかないかの極端になりますが)分かりやすいと思います。 平家部落、平家落人といった情報から古文書、郷土史、研究資料を探すこともひとつだと思います。 私も国会図書館や地域の図書館にお願いして該当しそうなページをコピーしてもらったりしています。 郷土資料館みたいなところに電話をして参考になるような書籍があるかを尋ねたりもしています。 たとえばこういったような情報から辿っていくのもひとつだとは思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/平家の落人 さらにこれはどちらで聞いたことか忘れてしまったので正しくないかもしれませんが、岡本でなく岡元の「元」という表記が九州の西側、鹿児島、そして宮崎、大分の一部に特徴的なものだということです。 たしかに現在でも岡元姓が多いようですね。 http://park14.wakwak.com/~myj/lanking/46.html http://park14.wakwak.com/~myj/lanking/45.html 平家の落ち武者ということなのでどうなっているのか分かりませんが家紋というものも併せて参考になる物なのかもしれません。 それぞれ該当しそうな自治体に問い合わせ、郷土史家や岡元姓に詳しいそうな方(古くからお住まいの方)を紹介してもらう、あるいは該当地域の岡元さんに手当たりしだい手紙を書く(あるいは電話をする)といった方法もあります。電話帳やゼンリンの住宅地図も活用できるかもしれません。かなりの労力が必要になりますし結果がまったく得られないことも考えられます。ただひとつの糸でもつながってくれればなんですよね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 いつも御解答下さいまして誠にありがとうございます。 今回のご解答の中の岡元の(元)の事で気になった事がございました。前回のお礼文の中での岡元南太郎 じいさまの所のお墓を、全部骨上げして納骨堂にした時に一番古いお墓の墓石には(岡本)と刻まれていた(何も入ってなく、名も覚えていない)がその時は間違ったのだろう位で気にならなかつたと言われた その墓石は壊さずにそのまま納骨堂の下に埋めてある・・・昨日11月4日の晩に南太郎じい様の直系の かたに電話して聞きました。この事は今年のお盆にお墓でその直系の方とバッタリお会いしまして、ご先祖方の話をしました中でその方が墓の中に一つ(岡本)と刻まれていたと言われた事を思い出しまして、 その方に確認した次第です。又、私の所は30年位前は岡の山の所は止でしたが子供たちの事を考えまして、私が今の(岡)に役場に届けましてかえました。今の私は、私達の先祖方は以前は(岡本)でこの地に来た時の明治5年戸籍の届けでの時に今の(岡元)で届けられたのでは・・・と推測しています。そう すれば私の探している(岡元金之丞)は(岡本金之丞)の可能性もあるのでは、と思っています。 だんだん複雑になっていますが今からですので電話帳や多くの所を調べてみます。長くかかっても必ず探し出す思いでございます。いつも同じ言葉ですが感謝の心でいっぱいでございます。ありがとうございます

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  • yahtzee
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回答No.10

おせっかいで申し訳ありません。 実は私も先祖の墓を探しているのです。3つの地域のうち2つのお墓がわかりそれぞれ本家の本家の存在もわかりいずれ調べたいと思いますが残りの1つは地域は分かっているものの見当がつかない状態です。地域も把握している内容、求めている内容も異なりますので同じことをやっているわけではなく思いついたことを投稿させていただいておりますので、なにか新しい情報がなければお返事は不要ですよ。 戸籍で金之丞さんの住所まで辿れなかったことは残念ですね。金之丞さんの戸籍までは無理にしても地域が絞り込むためにもご親戚の戸籍からなにか新しい情報が入ることを祈っております。父方に限定せずに入手できうるすべてを取寄せることは必要不可欠だと思います。正直に申し上げましてみなさんの土地や具体的な情報が分かりませんので疑問に感じることもまだあるのですが、ひとまず戸籍以外の方法をいくつか記入したいと思います。 たしかに宮崎県の山岳地方という目星をつけていらっしゃるようなのでその地域の古文書、郷土史を大きな図書館などから探すという方法があります。きちんとした郷土史を編纂している場合もあるでしょう。分限帳や宗門人別改帳なども手当たりしだいというのはちょっときびしいかもしれません。ただ、宮崎県の山岳地方と考える根拠も辿ってみてくださいね。没年が分かっていらっしゃるのでそれ以上の情報はないのかもしれませんが、思いもよらない伝聞や家系図、過去帳、位牌などを持っている方がいらっしゃってなにか情報が付随している可能性があります。お住まいの地域にご親戚も多いようですので宮崎県ではなく、お住まいの地域の古文書や郷土史を探してみるほうがピンポイントなので有効かもしれません。特に集団で移られた場合はその一族がどの地域から来たかということが記してある可能性も低くないかもしれません。現地にご子息が残った可能性があるのでしたら姓名から調べてみるとか、地域によってしきたりが異なりますが家紋から調べるという方法もあります。該当の役所にでも電話をしてその地域の歴史に詳しい方を紹介してもらったり、斎場や寺院に尋ねることも選択肢です。最近はお寺などに電話しても個人情報にあたるといって電話では答えられないということも増えてきました。平家の研究者は多いようなイメージがありますのでそういった方につながるといいですね。ネットを利用してコンタクトを試みてもいいかもしれません。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 いつも多くの知恵を頂きましてありがとうございます。 今日、10月30日の夕方に(岡元南太郎)直系の方より南太郎じいさまの戸籍を入手して頂きましたが必要な地名は、わかりませんでした。その直系の方は私と別の地域の役場で私の申し出を担当者の方にくわしく話をなされて調べてもらわれたようですがそれらしい地名は出てこなかった様でございました。あと 一人、私の金太郎じいさんといとこの宇右衛門じいさまの直系の方にもお願いしょうと思っています。 いつも誠にありがとうございます。今後もあなた様から頂きました多くの知恵を活用させて頂きまして念願達成出来ます様に努力いたします。 あなた様もご先祖様をお探しのお方と知りまして少しビックリしました。2つのお墓が解明なされたとの 事、心よりお喜び申し上げます。もう一つもあなた様でしたら必ず成し遂げられる事と思い、お祈り申し上げます。私はあなた様に後押し頂いてます事に感謝申し上げまして少しでも解明出来ます様に努めます いつも感謝の心です。ありがとうございます。

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  • yahtzee
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回答No.9

いつも丁寧にお返事をくださり恐縮です。気がついたことがありましたのでお詫びして補足いたします。 例外もあるのかもしれませんが、戸籍の身分事項欄には当人の名前は書かないのではと気がつきました。お取りになられた戸籍の戸主である曾祖父の南太郎さんと、その身分事項欄にある岡元南太郎さんは別の方の可能性が高いかもしれません。「岡元南太郎叔父亡金之丞2男分家入籍ス」の部分はいまだよく分からないのですが、書式としては住所が書かれていて、その戸主である岡元南太郎さん、そしてその叔父で亡金之亟さんの二男である南太郎さんがこの住所に入籍したということでしょうか。叔父ということでたまたまだったのかもしれませんが、江戸時代でしたら家督ということで屋号のように(戸籍上)同じ名前を継承することも多かったようです。いただいた情報から想像しているだけなので、ちがっているかもしれませんがお許しくださいね。パズルのようで頭が痛くなりそうですが、戸籍に書いてあることから読み解いていくしかないですよね。別の戸籍が手に入るといいですね。 戸籍を辿るといろいろなことが分かってきますよね。古い戸籍は「戸」が単位でしたのでかなりの大人数になっているものもあります。親戚の方もいらっしゃるようですし、少しずつ解明されているということで安心しました。まだまだ時間がかかるかもしれませんが納得のできるところまで辿れることをお祈りしております。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様      いつも、ご解答頂きまして誠にありがとうございます。 戸籍からは、私の方からは先祖方がどこから下りて来られたのか所在解明は法務局、役場の係りの方から 無理?との事でしたので今私は南太郎じいさまの直系の方に内容を説明しまして、南太郎じいさまの戸籍を取り寄せてほしい・・・とお願いしている所でございます。私たちの先祖さま方がこの地に定住された のでその子孫の多くがこの地で大きくなりました。各家ごとに一人か二人かが、この地で生活しています。この地に辿り着かれたれたのが集団か単体家族で来られたのかは、今はわかりません。又金之丞の次男の名は金太郎です。南太郎じいさまと金太郎祖はいとこです。南太郎じいさまの父、金四郎じいさまは 金之丞祖の弟にあたります。・・・ある程度の絞込みがかないましたらあなた様のお教えを基本にしまして行動しようと計画中です。おかげさまで(なぜ)、(どうして)と疑問の中で今まで進行してまいりました。あなた様のお教えを底力としまして今後も精一杯に金之丞祖のお墓探しをします。誠にありがとうございます。おおきい、おおきい感謝の心です。

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  • yahtzee
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回答No.8

ご回答をありがとうございます。そうでしたか、まずは第一段階の戸籍を入手できてよかったですね。 私も戸籍は素人なのですが、活字化されていない戸籍の場合は字が読めないこともありますが意味が理解できないことも少なくありません。もうひとつ先の戸籍や対となる記載のある別の戸籍を見てはじめて納得できることもありました。 二男さんの分家ですから、これはいい結果だと思います。長男さんが転籍している場合ですと元の本籍の戸籍が早くに除籍・廃棄されてしまっていて入手できない可能性が高くなるためです。一般的に考えますと家督相続をされた長男さんがいらっしゃれば戸籍を辿りやすくなると思いますし、そのご子息が見つかるかもしれません。もっともそのご子息の戸籍は直系ではなくなりますのですべてを取寄せることはできません。(岡元金之丞さんが先に亡くなっておりますので)岡元センケサさんの死亡(除籍)が載っているものまでが入手可能な範囲です。 戸主の上の欄(身分事項欄といいます)の「岡元南太郎叔父亡金之丞2男分家入籍ス」、ちょっと分かりにくいですね。この場合の「叔父」さんが誰をさしているのかがよく分かりませんがそのひとつ前の戸籍で分かるかもしれません。 「分家入籍ス」は本家の戸籍から出る場合などにこのような記載になると思います。この身分事項欄に載っている本籍を辿っていくことになるのですが、それが番地までしっかり書かれていれば前の戸籍を入手できる可能性が高くなります(逆に~町までしかかかれていないといったような場合は難しくなります)。 「岡元南太郎叔父」の直前に別の方の名(と本籍)があればそれが「叔父」さんでそちらから分家したのかもしれません。「叔父」さんに従って分家してその後「叔父」さんが亡くなって転籍しているのかもしれません。あくまで素人の想像なので論理的にも間違っているかもしれませんが。 ご自宅で見失っている戸籍がもし(縦線の幅など)書式が明らかに違っているもの(壬申戸籍)で探している土地のものでしたらそれを見つけることでいちばんいいのですがそれでしたらすでに解決済みとなってしまいますからきっとちがいますよね。戸籍を地道に辿ってみてくださいね。見当をつけている土地まで辿れるといいですね。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様へ 多くのご解答下さいまして、ありがとうございます。 おかげ様で私の方からは、絞込みが出来ませんでしたが、南太郎じいさまの直系の方がおられますのでお願いしてみます。南太郎じいさまの父上は金之丞じいさんの弟と聞いて伝わっています。出来ますれば、 南太郎じいさまとその父上様の戸籍を2通入手できるように、頼もうと思っています。あなた様より、お教え頂きましたお陰様でこれまでに、いろいろな事が戸籍上よりわかりました。私の投稿文の変更があります。上よりこの地におりて来られた時期が明治元年~明治5年位とおもいます。この地に来られたご先祖は、私の推測ですが明治6年頃結婚?され入籍できず?7年に長男が生まれたが自分の籍がこの地になく 周りの方々の知恵を頂いて明治11年に岡元南太郎方の籍に分家入籍して頂いたのでは・・・と今思います。又岡元センケサ祖は生きて来られ明治12年に亡くなられ今のお墓に眠られておられる可能性が大きくなりました。今年中にはお墓を堀まして、確認します。金之丞祖のお墓は宮崎県の山岳地方の何処にかあるはずです。今のこの地にあります祖のお墓2つは周りと比べても非常に小さい墓石です。この地に来られてから金之丞祖の仮のお墓を建てられた後にセンケサ祖が亡なられて墓石はその夫の墓石に合わせて 建てられたのでは、とも、おもいます。・・・なんとかせねばと尚一層強い気がわいてきます。あなた様 よりお教え頂きましたお陰さまでここまで多くの事が戸籍上よりわかりました。感謝の心でお礼申し上げます。・・・この度もありがとうございました。

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  • yahtzee
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回答No.7

その後なにか進展はあったでしょうか。 改めましてご質問を読みまして、金之丞さんの長男がご祖父様ということにまったく気がつかずに回答していたことを知りました、大変失礼いたしました。ここを把握していましたらもっと話が進んでいましたね。この場合「上」と「下」がどこのあたるのかがよく分からないのですが。 そうでしたか、それほど代を辿る必要もないのですね。まずはご祖父様が戸主となっている戸籍謄本をすべて入手しまして(西太郎さんの戸籍も取れるのでしょうか)、この場合は前戸主の欄には記載がないのかもしませんがご祖父様の身分事項欄にその「上」にあたる住所が記載されていれば貴重な情報になるかもしれません。また複雑な面もあるようですのでこのざいご祖母さまなど入手でき得るすべての直系戸籍を入手しておいたほうがいいかもしれませんね、 そこで気になりますのが叔父/伯父西太郎さんに育てられていたということなのです。以前取得していた戸籍に記載されていた西太郎さまの養子となっていたのでしょうか。あるいは同じ屋敷または戸の中にいたということでしょうか。また金之丞さんが慶応2年にお亡くなりになっている点がとても気になります。金之丞さんは戸籍にはその続柄の記載に使われていたのでしょうか。 現在では入手できない明治5年式戸籍(壬申戸籍)は統一書式ではありませんでしたが金之丞さんの没年はひとまず考えないようにしまして、金之丞さんが西太郎さんの甥として記載されているのか、あるいは養子となっていているのかもしれませんね。ご祖父様が金之丞亡長男、あるいは亡金之丞長男とどの書き方になっていましたでしょうか。「亡」が名前の後ろに書かれているのは壬申戸籍、名前の前に書かれているのは明治以降のあたらしい戸籍です。 こちらのページの戸籍雛型が参考になると思います。 http://1st.geocities.jp/edenno2/kosekinorekisi.html まずお持ちで見失っている戸籍がこの明治19年式にちかいものでしょうか。基本的に書式は統一されておりますのでこの形式で、「亡」が名前の前でしたら壬申以降の戸籍です。 こちらに壬申戸籍の例も載っておりますが、たしかにこの形式をよく見ることがあるのですが、罫線が入った別の形式のものもあります。明治19年式以降が行が狭いのに対して壬申戸籍は広いものが通常のようです。そして「亡」が名前の後に書かれています。記憶を辿っていただき、もしお持ちの戸籍が「上」のものであって壬申戸籍でしたらお寺が書かれていると思いますのでお墓がすんなり見つかるかもしれませんよ。 戸主がご祖父様の戸籍…「下」のもの、身分事項欄に「上」につながる情報の記載があるかどうか 戸主が西太郎さんの戸籍…「上」のものなのでしょうか、「下」のものなのでしょうか また、自宅に保存されているはずの戸籍は誰が戸主、戸長で「上」のものなのでしょうか

参考URL:
http://1st.geocities.jp/edenno2/kosekinorekisi.html
heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 度々の御回答ありがとうございます。又重要な知識を数多く頂きまして心よりお礼申しあげます。 前回の御回答頂きまして、早速役場に行きまして相談の中、金之丞の長男?(実は次男)の戸籍を入手しましたら、30数年前の記憶の中の西太郎は南太郎でした。戸主は その次男で、前戸主は記載ナシでした。戸主の上の欄に(岡元南太郎叔父亡金之丞2男分家入籍ス)・・・なんのことかハッキリしませんが育てられたのではない事がわかりました。役場の税務課にも行きましたがわかりませんでした。又法務局でもわかりませんでしたがあなた様と同じ事を(直系戸籍を順次とられたらと)いわれました。あなた様が気になされておられる(金之丞が西太郎に育てられた)、この件は私が30数年前に見たとき、文字を単純に早合点し、受け取った記憶の様で間違いでした。又私の家系は、私・亡き父・祖父・祖祖父(金之丞の次男)・金之丞です。又名前の前、後に(亡)の文字つきその事に意味があることを知りませんでした。今回、(亡)の文字は没か亡か・・・なんのこだわりなく記しました。又この文字は仮の墓石に刻まれています事と亡き父の口伝より投稿いたしました。今後はあなた様のご助言頂きました様に戸籍を重要視しまして行動します。今回も誠にありがとうございました。私はただ感謝の心でいっぱいです。

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  • yahtzee
  • ベストアンサー率76% (10/13)
回答No.6

たびたび失礼いたします。 たくさんの質問サイトに投稿されていることからなんとしても探されたいという気持ちが伝わってきますが、その回答で誤った情報が多いことを知りまして幾分補足させていただきますね。 たしかに2010年6月に戸籍の保存年数が150年と延びたのですが、それ以前は短く設定されておりましたので厳密に対応している市区町村でしたら廃棄となっている可能性もありますが、同時に明治19年式の戸籍でしたら残っていて閲覧できる可能性もあります。金之丞さんとそのご子息が同じ本籍に残っていればより高い確率になるかもしれません。明治19年式の戸籍が手に入れば(金之丞さんのご子息の本籍などが分かりますので)地域を絞り込むのにとても有効ですし、親戚を見つけることができるかもしれません。郷土史やその地域に古くからいらっしゃる方からの情報などを得やすくなります。私も先祖を辿るためいろいろな地域の戸籍を請求しましたが古い戸籍が残っていたほうが多かったです。 また戸籍の附表についておっしゃっている方もいるようですが、残念ながらまったくの見当違いです。戸籍謄本が本籍という時には実体のないものであるのに対しまして戸籍の附表というものは実際に居住した履歴になり住民票に近いもので、戸籍の附表の写しを確かに請求はできるのですがこの制度自体が新しいものですので金之丞さんの戸籍の附表など存在しておりませんし、また附表の保存年数は住民票と同じようにとても短いので昭和期にお亡くなりになった場合でも残っていないはずです(除附表の保存期間は5年だったと思います)。 また足で探すといった方法は無謀かと思います。まったくあてもなく探すというのは無理があります。せめてなにかしらの情報を基にしなければ時間もお金も無駄になります。興信所に頼むという手もありますがかなり料金も高く(20万円くらい取られるかもしれません)結局見つからないかもしれません。

heike_otimusya
質問者

お礼

yahtzee様 お忙しいなか度重なる、お教え頂きまして心よりお礼申し上げます。 メール点検しましたら、あなた様からのお教えご回答でございました。3回拝見させていただきました。 私の問題解決の為にわかりやすい説明と確実な事の進め方など事細やかにお教え、お導き頂きまして 言葉で言い表せない位ありがたいことばかりでございます。今後お教え頂きました多くのいい知恵、良い知識をおおいに活用させていただきます。誠にありがとうございました。感謝の心です。

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