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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:供養しないと、幽霊が出ますか?)

供養しないと、幽霊が出ますか?

michael-mの回答

  • michael-m
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回答No.8

それは先祖に聞いてみないと判りませんね。 本来仏教に生死は無いんです。魂の修行が在るだけです。 仏教でも宗派によって考え方が違います。例えば浄土宗などでは死ねば即仏の世界に行けます。そうなると亡くなった人にお経を唱えるのも不合理な話で、結局お経は生きている人のためのものとなる。逆に亡くなった後もお経で救わなければ成仏できないと言う教えであれば、お経を唱えなければ怨まれるやも知れません。 逆に後者の教えを説く宗派のお坊さんが「お経は生きている人のための物、死んだ人に唱えたって何もならない」と言えば檀家から総攻撃を喰らうでしょうね。実際そうなってしまった人もいます。 仏教の全部じゃありませんが、魂の世界を喩えると光に似ています。 光は周波数によって変わることは理科で習ったはずです。波長が長いと赤くなり、更に長くなると暗くなって、最後には目に見えない赤外線になります。 逆に周波数が高くなると青から白っぽくなり、こちらもやがて目に見えない紫外線になります。 魂の世界で目に見えない部分が霊界と言う所であり、目に見える部分が現世、人間界です。 私達は人生により多くの経験と知識を得て自らの波長を短くしていくわけです。一段波長が短くなる際に死を迎えます。これを繰り返し、悟りを開くまで達すると仏陀になれるわけです。 私達の世界から目に見えない仏の世界に生まれ変わる事を解脱(げだつ)と言いますが、真の解脱は悟りを開く事を言い、それまでは修行と死を繰り返すわけです。 つまり人間であると言うのは魂の成長過程において目に見える可視光線の領域に存在しているに過ぎません。修行を積めばやがて可視光線から紫外線となり、この世に生まれる必要の無い段階に入ります。逆に悪行を繰り返せば周波数が長くなり、低いほうの目に見えない赤外線のような世界、つまり地獄に落ちるということです。 お経と言うのは人間の得るべき知識や経験などを文書にしたものです。 我々が全てを体験しなくても教科書を読めば知識として得られるのと同じく、お経は体験し得ない知識を得るものです。 だからお経を読むことでより大きな知識を得、それによって破傷を短くする度合いを上げようというのが仏教です。 お経は自分は読むことで「功徳」をえます。また人に読み聞かせる事によって大きな功徳を得ます。この読み聞かせの行為を「法施」といいます。今日を読み聞かせる事は聞いた相手も知識を得ることとなり、功徳を得ます。 してに功徳を与えた事は更に大きな自分に対する功徳になるわけです。 また人間は死んで仏の世界に生まれたからと言って終わりではありません。 これも宗派によって異なるのですが、魂は仏の世界に入っても悟りを得るための修行を繰り返します。 観音行とはこの修行の事を言います。 つまり亡くなった人に対する読経は次の段階に進んでいるであろう魂に対して読み聞かせをする事であり、それはとりもなおさず自分の功徳であるということです。 で、亡くなった人を供養しないから怒って来るというのはありえない話です。 人は死ぬと49日後に次の転生先が決まります。 これを周波数で喩えるなら、その人が可視光線の波長であれば人間界に転生し、悪行を行なえば地獄に転生するだけです。紫外線の領域の波長であれば仏界に転生すると言う事になります。 つまり自ずと転生先は決定されるわけですから、それによって怨むのはお門違いだし、更に言えばそれで怨むようであれば波長が無くなる、つまり地獄や畜生道に転生するということになってしまいます。 読経するのは功徳を積む事にはなるが、読経しないからと言って浮かばれないと言うのは自己責任だということです。 まァ逆に考えれば、そのように浮かばれない魂だから恨むと言う事も在るかもしれませんけど、よほどの意志の強さが無ければ、そんな簡単に怨みを晴らすほどの霊力を得る事は出来ません。 四十九日を過ぎれば次の転生先に行ってしまいます。

kinkan66
質問者

お礼

幽霊が出るとか、悪いことをすると地獄にいく、とか、 そういう話を子供のころから聞いていると、 お経は死者のためになくてはならないもの、と思ってしまいます。 悪いことが起ると、供養しなかったか、と責められる感じです。 こうやって責める人は、普段から自分の責任を他人に転嫁する傾向ですが。 光の見えない部分は、難しい話で、わからないですが、 人の心と思っていいですよね。間違っている解釈かしれないけれど・・・ 読経も、人のエネルギーをどこへ向けてるか?だと思います。 読経している時間に、困った人を助けるのに時間をかけている人もいます。 信心深い人が、自分の利益優先だと、それって何??と 思うことがあります。 やはり毎日の生き方が大切なんでしょうね。 姑と義理弟が、いつも数珠を持っていますが、 人をすごく憎んでいる方たちで、ギャップを感じます。 ふたりとも人間不信で、アルコール依存症です。 私に向かって「あなたがお嫁にきたから、悪いことが起る」といいます。 本人の心の問題だと思います。

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