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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自覚とは感情のことですか?)

自覚とは感情のことですか?

tumaritou1の回答

回答No.7

「幸せになるために悩んでいるはずです。 」というところに間違いが在ります、人間の計らいが悩みの元になっています。 「自分の」幸せは何処を探しても存在していません。深く考えた場合人生の何処を見渡しても「自分の幸せは」無い事が分かります。 悩みが何かが分かる時、少しは分かる事もあると思いますので「悩み」に付いて少し考察してみます。悩みとは「心の矛盾」の事を云います。二つの考えが在ってその二つの考えの大きさによって悩みの「大きさとか深さ」が決まってくる事を示しています。 人間の最大の悩みとは、「生と死」です。言葉を替えるなら「永遠と有限」です。この二つの事柄を同時に考えている時に「深刻な悩みを悩む」と言う風に思います。 この問題の到達点が「悟り」です。キリスト教においては「神と和解する」と言う表現方法になっています。この事を詳しく書いてみます。 人間には分かり難い話ですが「意識が二つ内在しています」この二つの意識(人格)の考え方の相違を「人間の悩み」と言っています。動物や昆虫や草や木にありながら、人間も持っています。それは命です。 命にも人格が存在しています、その人格を「命の働き=仏性や神」と呼んでいます。 しかしながら、人間にのみ在って、「動物や昆虫や草や木」には無いものが在ります。このお陰で人間は万物の長として君臨出来ていますが、代償も大きいと思います。 文明を発展させる力になっていながら、片や人間を苦しめているものです。人間だけが持っている事によって、人間が文明を発展させながら、人間には悩むと言う事実が「人間の苦しみの原因となっています」 その原因とは「意識する事」です。はっきりと言葉にするなら、「意識する自分」VS[意識していない自分]と言う二つの人格(心)が人間には同時に内在している事です。この事実が光を放つ場合が知識の集積(文明の発展)、この事実が影となって現れる現象が「人間苦」と云う事になります。 光となる場合「意識」と「命そのものの働きが」同調出来ている場合です。 影となる場合は「意識」と「命そのもの働きが」同調で出来なくなる場合です。具体的な事を書くなら、「自分自身に疑いを差し挟む場合です。」言い換えるなら「心の矛盾」として人生を疑う事を云います。 その疑いには基本的には、三つの形が在ります。もう一度繰り返しておきますが「自我意識」VS[命の働き]が同調出来なくなる場合です。 一つは「身体機能」です。「自分の働き」に任せておく場合を健常者と言っています。自分の働きに疑いを差し挟む場合を「自律神経失調症や心身症や難事性の病です」 一つは自分が「取っている行動」に疑いを差し挟む場合です。この場合を「神経症」と言っています。自分の行動を「自分の働き」に任せておく場合を健常者と言っています。「自分の働きに」疑いを持った事を意味します。 一つは「心の健康」です。自分の心の健康を「命の働き」に任せている場合を健常者と言っています。「自分の心の健康」に疑いを持った場合「心を病む」と言っています。 どの場合にも「生き難い想い」が付きまとっています。漠然とした不安や罪悪感などです。 どの場合も完治した姿は、自分自身の信頼を取り戻す事です。自分自身の疑いを晴らす事です。自我意識には出来なかった事を認めて「自分の命そのものの働きに任せる事」です。 つまるところ「心の矛盾の解消」です。 それが「悟り」であったり「(識られざる自身の)神と和解する事」です。 生き難い想いや、悩みとは「心の矛盾」の現れです。 二つの心の違いを簡単に書いて終わりにします。 メンタル面が強いと言う場合「自我意識が引っ込みやすくなっている状態です」他の言葉にするなら「無意識の自分に入りやすくなる場合です」 メンタル面が弱いと言う場合「自我意識がでしゃばってしまい引っ込めなくなってしまう事です」云い換えるなら「無意識の自分を信頼出来なくなって、或は怖くなって」「無意識の自分と上手く切り替わらなくなってしまう事」を云っています。

odvanscale
質問者

お礼

>「幸せになるために悩んでいるはずです。 」というところに間違いが在ります、人間の計らいが悩みの元になっています >「自分の」幸せは何処を探しても存在していません おっしゃるのは、「探しても(悩んでも)幸せは存在しないのだから、諦めろ」ということだと思います。 その「諦める」というのは考えて(思考して)論理的に解決できることなのでしょうか。 もしできないのならば、何をしたらいいのでしょう。 何もするなというのは、つまり「忘れろ」ということでしょうか。 今の私の仕事は無意識に任せるような仕事で、業務中にあまりこういったことを悩みません。 帰宅しても、酒を飲めば悩みを忘れられます。そして眠る。起きる・・・。 このように死ぬまで過ごしていくしか、悩みから逃れる方法はないということでしょうか。 それでも、完全に忘れ去ることができる自信はありませんが・・・。 >生き難い想いや、悩みとは「心の矛盾」の現れです それはわかります。わかるのですが、 それを聞いても、安心や気付きを得られない自分がここにいるのです。 回答者さまがおっしゃる、「無意識と自我意識が同調した姿」は分かったのですが、 今の同調できていない私がそこに至るまでの道筋が見えないので苦しいのです。 逆に、回答者さまのような説明を聞いて「無意識と自我意識が同調」した人はいるのでしょうか? 悟ったり、「神と和解」した人はいるのですか? あと、文中に出てくる「命の働き」と「自分の働き」っていうのは同じことを言っているのですか? 読んでて少し混乱したので。 ありがとうございました。

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