1.アフリカ(エジプト・エチオピア除く)の発展途上国が発展しない理由
(1)馬がいなかったこと
アフリカの伝統的生業は農業、牧畜、狩猟、採集、漁労です。ここまでは、他の大陸とほぼ同じですが、二つだけ違うことがある。それは遊牧と略奪が無いことです。それは何故か。馬が居なかったからです。北アフリカの沿岸部にはかつて馬がいましたが、古代ローマ以前に絶滅したといわれています。馬がいたならカルタゴのハンニバルは騎馬軍団でローマを攻めることもできたでしょうが、もう馬はいなかった。
馬がいないのでは広い範囲を移動できない。だから遊牧はできなかった。また馬がいないのでは、略奪しても逃亡することはできません。逃げても追いつかれてしまいます。すなわちアフリカには騎馬遊牧民族は居なかった。中国4000年の歴史は騎馬遊牧民族の襲撃・略奪に専守防衛の農耕民族が苦しみに苦しんだ歴史です。苦しみぬいた中国は強大な中央集権国家を建設し文明を築いた。しかし、そうした歴史はアフリカには存在しない。よってアフリカでは強大な外敵を撃退するという目的がなく強大な中央集権国家も作る必要が無かったのです。結局、馬がいなかったために国家づくりに結びつかなかった。
(2)伝統的生業の生産性の低さ
先に述べた通り、アフリカの伝統的な生業は農業、牧畜、狩猟、採集、漁労です。しかし、どれも生産性が低かった。ヨーロッパ・アジアの農業が生産性が高いのは小麦・米という収穫量が大きい品目が栽培できたからです。ところがアフリカは気象条件・土壌条件が合わず小麦・米は栽培できない。また土地が痩せていて収穫量が増えません。牧畜、狩猟、採集は元々生産性が低いのです。土地面積に比して養える人口が極めて少ない。アフリカは海岸線が極めて単調で湾や入り江に恵まれない。よって外洋漁業がほとんど発展しませんでした。よってアフリカの漁労は湖の淡水魚が対象となります。それでは大漁祈願もままならない。ちなみに日本で牧畜が成立しているのは、市場で商品が高く売れるからであって、酪農家であっても主食が米なのは農家と同じです。しかしアフリカは農業の生産性が低い為、自家消費以上の生産ができず、日本のような取引は成立しませんでした。また日本の狩猟は農民が農作物に害を与える害獣を撃退する為、あるいは趣味の狩猟であって、生業としての狩猟では全くないことに注意してください。
結局のところアフリカの伝統的生業はどれも生産性が低い。よって余剰食糧を生産できず、統治階級を養うことができません。貴族、学者、神官、僧侶、芸術家、教師、官僚といった非生産的知識階級を養うことができなかったのです。
(3)アフリカの諸王国について
先に述べた通り、アフリカの生産性は低かった。にもかかわらずガーナ王国、孫害帝国などの諸王国が栄えた国はあります。しかし、どの諸王国も土地を基盤としない国で、国王がイスラム商人と中継交易を為して財を蓄えただけだった。財を蓄えたものの拡大再生産にはまったくつながらなかった。また国民は国民意識を育てられず、部族意識を持ったままだった。結局、国王だけが繁栄していたのです。そんなだからイスラム商人との交易が途絶えるとたちまち国勢は落ちぶれます。また王族の相続争いで内紛になって衰えます。また土地を基盤としないので、諸王国間の戦争は起きなかった。時代と領土がほとんどぶつからずに棲み分けできてしまったからです。領土を確定させようという動機が生まれず、ヨーロッパのような切磋琢磨というか相次ぐ戦争が起きなかった。戦争が起きないので、国民意識が育たず、市民も権利意識に目覚めません。古代ギリシアが1000以上のポリスに分かれながらもギリシア人という意識を持ち続けることができたのは古代ペルシアとの戦争があったからです。一致団結して強大な古代ペルシアの侵攻を撃退した。この成功体験がギリシア人という民族意識を作った。また当初は貴族だけの戦争だったのが、平民、次に奴隷と軍事力の母体が拡大するにつれて参政権も拡大していったのです。これはヨーロッパ全般、アジア全般にもいえることです。
(4)大航海時代~奴隷貿易
大航海時代、ポルトガル人がアフリカに進出してきた。キリスト教と交易を餌にして国王に取り入ったのです。それは大変魅力的なものに思えた。対等な国交を結びましょう。西欧の商品も売ってあげましょう。キリスト教は大変良い宗教です。いままで騙されたことのない国王は疑うことなく、ポルトガル商人のセールストークを全部信じてしまった。ところがこれが罠。ポルトガル人から訳のわからない伝染病をうつされ、奴隷貿易で新大陸に売り飛ばされ、教会に土地を取られて、すっかりがたがたになって植民地化されてしまいました。ポルトガルは軍事大国ではない。戦争でアフリカを植民地にしたわけではない。アフリカはキリスト教によって植民地化されてしまったのです。
(5)産業革命と帝国主義時代
この頃にはポルトガルは没落し、産業革命を終えた欧米列強は相次いでアフリカを切り刻んでいきました。しかしアフリカ人は戦争をしたことがない。部族抗争をしてきただけなのに、いきなり近代的軍備を備えた欧米列強が進出してくると戦争にはなりません。ズールー王国だけが、槍と盾だけで大英帝国の侵略に敢然と立ち向かいました。部分的戦闘にはズールー王国は勝利できたが、奮戦かなわず最後は大英帝国の軍門に下らざるを得なかった。
(6)植民地時代と部族対立
アフリカ分割を為した欧米列強は、原住民の生活テリトリーを無視して、勝手な国境線を引きました。だから同じ部族が違う宗主国に分断され、多くの部族が混在するような国が出来てしまった。従来、必ずしも対立していなくて平和共存していた部族もむりやり対立するように仕向けられてしまった。原住民は誰も国民意識を持てず部族意識を持たされ続けた。
(7)独立から現代まで
1960年代アフリカ諸国は相次いで独立しました。しかしどこも独立戦争を戦ってない。欧米列強は植民地経営で利益が出せず、自然撤退していったからです。これが東南アジアとは大きく違う。インドネシアやベトナム、インドは独立戦争に勝利できたから独立できたのです。独立戦争を戦ったからこそ、国民意識、国家意識を育てることができたのです。しかし、アフリカ諸国はそうでない。だから国民意識、国家意識が育たない。無理矢理民主主義を導入したところで部族対立がそのまま政党対立になっただけの話。
内戦があってもアフリカ諸国は国家間の戦争は全くしていません。
(8)結論
アフリカ諸国は、過去から現在まで全く国家間の戦争をしていないので近代国家に成りきれていない。ここは何処?、私は誰?、国って何?そういう状態です。独立して、わずか50年では国民意識、国家意識が育たない。先進国以前に国民国家になっていない。うわべだけは憲法や制度を導入しても国民の意識がついていっていないのです。部族意識を乗り越えて国民意識に切り替えるにはまだ多くの時間が必要でしょう。それには国家としての歴史を積み上げるしかないのです。それはどのくらいの時間が必要なのか。それは分からない。対外戦争をしないで部族意識を国民意識に切り替えた国は無い。