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なぜ神は初めから被造物の個体数を多く作らなかった?

なぜ神は最初から被造物の個体数を多く作らなかったのですか? 神は人に言いました。『産めよ。増えよ。地に満ちよ。』それなら、最初から人の数を沢山作ればよかったのでは? 他の生物も同様で、少ない個体数を作って自分勝手に増えるように設定するよりも最初から無尽蔵に作ればよかったのではないでしょうか。その方が効率が良い気がしてなりません。 この質問に対する解釈を求めています。よろしくお願いします。

noname#142902
noname#142902

質問者が選んだベストアンサー

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noname#137163
noname#137163
回答No.3

地に満ちるだけが望みではなかったからでは?

noname#142902
質問者

お礼

ただ単純に増えるだけではなく、数以外のことを求めていた、ということですか? 確かにそうですね。地に満ちる以外のものを求めるのは自然といえそうです。 有難うございます。

その他の回答 (10)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.11

最初から被造物の個体数を多く造ったら、なぜ神は 少ない個体数を造って自分勝手に増殖するように しなかったのか、と問う人が出てくるでしょう。 どうして神が効率なんて人間臭い、みみっちいことを 考えないといけないのでしょうか。

noname#142902
質問者

お礼

神がどの様に振舞ってもそれにけちをつける輩は必ず出るでしょうね。それを教えてくださって有難うございます。 確かに能率という人間のルールにあわせろ、と主張すること自体が傲慢かもしれません。 逆転の発想を有難うございました。

回答No.10

>なぜ神は最初から被造物の個体数を多く作らなかったのですか? 聖書を書いた人が思いつかなかったからでしょ。

noname#142902
質問者

お礼

鋭いです。聖書にも色々と矛盾(?)があると感じています。恐竜も載っていませんし。 ちなみに聖書は時の権力者によって支配する側に都合の良いように曲げられた、という説があります。イエスの言行録も現在は福音として4つしか新訳に入っていませんが、実際は200程彼の言行録があったらしいです。 私は聖書はあまり詳しくないので間違えているかもしれませんが、悪しからず。 有難うございました。

回答No.9

モノには順序が在る、ていう? 「増えよ」と言っている、ていう。

noname#142902
質問者

お礼

回答していただいて、誠に申し訳ありませんが、あまり意味が分かりませんでした。すみません。 これから、色々と上の文面からじっくりと考えてみます。 考えるきっかけ。 それを作っていただいてありがたいです。

回答No.8

 こんにちは。  聖書は 基本的に言って 比喩においてものごとを語っています。事実をしるしたというものは それのかたちある証拠がふつうにありうると考えられる箇所に限られると思います。  ★ 神は人に言いました。『産めよ。増えよ。地に満ちよ。』  ☆ これをこの世界における経験事実だと見るのは 無理だと考えます。  細かく言えば 《神が光あれと言った。光があった》という記述が 経験事実であるともないとも人間には分からないと言うのが 答えだとは考えますが。  つまり 《絶対》の問題です。  絶対を 神であるとかあるいはさらに創造主であるとかの人間の言葉で表現するのは あくまで仮りのたとえとしてです。代理表現です。  じんるいの出現からの歴史を 仮りにたとえて言えば  ★ 神は人に言いました。『産めよ。増えよ。地に満ちよ。』  ☆ というような物語においても 捉えてみることができるのではないか? という程度の話だと考えます。  要は もし創造主なる神と表わすのであれば そのような絶対なるナゾの存在に対するわれわれ人間のきよらかなおそれ これが大事なことではないか。と言おうとしているのではないでしょうか?  じんるいや生物の歴史は 人間にとっての第二の自然とも言うべき社会的な過程をもふくめた大きな自然史過程として推移して来ていると見るのが ふつうだと考えます。  きよらかなおそれをおぼえる者には 子孫が増え地に満ちるという祝福がありましょうよというところでしょう。

noname#142902
質問者

お礼

聖書は比喩なので文字通りの解釈はいけないのかもしれませんね。有難うございます。またひとつ勉強になりました。 <もし創造主なる神と表わすのであれば そのような絶対なるナゾの存在に対する <われわれ人間のきよらかなおそれ これが大事なことではないか。 <と言おうとしているのではないでしょうか? 確かにそのおそれ、畏敬の念。それこそが一番大事という気もします。シュヴァイツァーを思います。 何度も丁寧に有難うございました。

noname#181697
noname#181697
回答No.7

神は必要最小限の初動を起こしたら、後はなるに任せている様に思います。恐らく一から十まで管理するつもりは無いのでしょう。人類を含む万物が流転する様子を見るのもまた、神なりの戯れって奴なのかも知れません。 まあ、いきなり沢山の人間が地上に出ても、それを養うだけの文明が無いので、あまり上手く行きそうにないような気がしないでもないです。

noname#142902
質問者

お礼

確かに初動だけを起こして、後は見守る、というのも確からしそうです。その方が神が疲れずに済みそうです。 全てを一気に出すと養えないだろうな、というのはしみじみ思います。 返事が遅くなってすみませんでした。有難うございました。

noname#144675
noname#144675
回答No.6

一神教の絶対神 を 信じてしまうような ちえたらず は 創りたくなかった。 今日信者を創ったのは俺ではない と言い逃れをするため。   ようは責任逃れのためです。 あと髪が存在しないという 常識的前提を もういちど 検討したほうがよいでしょう。 かみだ かみだ といっているやつは 頭がおかしいか もうすぐ死ぬ暇人たちだけです。

noname#142902
質問者

お礼

確かに一神教の絶対神をむやみに信じるのは良くないと思います。言い逃れというのもなるほどと思います。 そうですね。髪が存在しないというのももっと検討してみます。そのあたりも詰めてみます。 最後の一行、非常に鋭いと思います。聖書に恐竜は全く載っていませんし。 個人的には宗教は無知な民衆を操る最良の手段だと思っています。 あえて書きづらい内容を書いてくださって有難うございました。

  • nyao-nao
  • ベストアンサー率15% (96/610)
回答No.5

地上や海が無限に広がっているなら生物を無尽蔵に増やす事もできるでしょうが、地球の大きさは一定です。 限られた中で食糧を耕作する土地、生き物が住む場所諸々を確保しなければいけないんですから。 今問題になっている世界規模の人口増加、食糧危機、自然破壊が「モノには限度がある」を物語っていると思いますよ。

noname#142902
質問者

お礼

確かに一気に作るよりも、徐々に増える方が地球に優しそうですね。少しずつというのが実はとても賢い方法の気がしてきました。 丁寧に有難うございます。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.4

土から作ったとされているので、フルスクラッチと同じように一体づつ作っていたのだろうから、たくさん作るのが面倒なのと、ちゃんと勝手に増殖するか確認したかったのでは。

noname#142902
質問者

お礼

確かに面倒といえそうです。また、増殖するかどうかまで確認しなければ生物として充分かどうか分らない。説得力のある回答、有難うございました。

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (293/2664)
回答No.2

生産能力がないいままでは みんな飢え死にしてしまいます

noname#142902
質問者

お礼

これも鋭い回答です。一方で弱肉強食ならば飢え死にしないという考えも成り立つかもしれません。そういえば『一度に』強いのも弱いのも出すならば『小出し』の方が賢いのかもしれませんね。全てが一気に出てしまってはあっという間に弱いものは滅びる気がします。たとえば恐竜が大量に出現したら現代の生物は絶滅が目の前にある気がします。 他の方にもけちをつけることがあって心苦しいのですが、付き合ってくださり感謝しております。 有難うございます。

  • shubal
  • ベストアンサー率20% (402/1958)
回答No.1

戦争になってすぐに滅亡するからじゃないですか?

noname#142902
質問者

お礼

鋭い意見です。然しながら、意地悪なことを言ってしまえば、滅亡しないように導くのが神、とも思います。気にされたらすみません。

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