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質問の致し方にも困る様な質問です。
「仲間内で共有され得る論理(言語等)の存在」を人類が初めて知り得た切っ掛けは何だ、と思われますでしょうか。
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うちで飼っているネコのうちで、ここ最近括って飼い始めたおすネコがよく啼くんですね。括る前、といより放し飼いの時には啼かなかったようです。他のメスネコは殆ど啼きませんが、このネコだけが異常に良く啼きます。最初は雌ネコへの愛情表現、ついでライバルへの威嚇と喧嘩の唸り声。そのほかにもいく種類か、一匹になったときに遠吠えのような、あるいは飼い主への意味の分からないぼやきのようなものが聞き分けられます。どうもくくられたことで心がひずんでその発散になっているような感じです。 夫婦間や小家族内では呼び合ったり愛してるよというくらいで言葉はとりあえずは不要でしょうが、別の集団と遭遇したり、何らかの危機が近づいたときなど、仲間内に知らせあったりリーダーが統率するための鳴き声は猿や鳥の集団でもあるようです。やはりリーダーがぼやいたり多少複雑な意志を集団内に伝える必要から言葉の種類が増えていったのではないでしょうか。 >仲間内で共有され得る論理(言語等)の存在」を人類が初めて知り得た 一足飛びに抽象言語の便利さを発見したのではなく、やはり狩りにせよ農業にせよ集団で生きざるを得ない人間がメンバー内で様々な意志伝達を必要としたことからどんどん発達していったのだろうと思います。発達させたグループは他部族より強くなり、他を滅ぼしていったのでしょうか。 身振り手振りよりも言葉が発達したのは、人間が水棲類として生活した時期があったからだという説をどこかで読みました。
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- hakobulu
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#5です。 細かいことですが、ちょっと訂正させてください。 ×そういった論理・言語は発生したような気がします。 〇そういった論理・言語は発現したような気がします。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
感覚から発せられる言葉を除けば狩りの場面ではないかという気がしますね。 動物なんかでも連携して狩りを行ないますが、さらに効率的にする論理なり言語なりを使える能力が人間にはアプリオリに備わっていたはずです。 その素質を具現化する契機となったのは、生命を維持するためには食わなきゃならない、という本質的な宿命を維持するための狩り、というわけです。 その意味で、効率的な狩りをする必要の無い、植物の採集を主体に生命維持していた地域があったとすれば、狩猟主体の地域の人間に征服されていったのではないでしょうか。 タイムマシンで確認してみたいですね。 端的に言うと、怖れ、特に生命維持に関与する怖れによって、そういった論理・言語は発生したような気がします。
お礼
仲間なのか否かの峻別を行ない、餌・敵・道具等を仲間の枠から排除する、という分類方法が「論理」の基礎になったのでしょうか?
補足
有り難う御座います。 勘が鋭いですね。 素晴らしい御意見を伺えましたので、私の側で更に思い浮かぶ内容が有るかも知れませんから、後で「お礼入力」の枠へも綴らせて頂きます。
生まれたときに、「あー」で 死ぬときに「んー」だったのではないでしょうか。 その間の出来事は、おそらく、狩る、食う、寝る、遊ぶ だけだと思いますので、それらに関する擬音というのでしょうか そんな感じではないかと、てきとうに考えています。 それから、これも根拠などないんですが コミュニティー全体が、一家族だったんじゃないかと 思うに任せて妄想が膨らんでいるしだいです。
補足
有り難う御座います。 そういう想像で構わないので、伺いたかったのです。 因みに、現時点での私見は#3の方への「補足入力」の枠に綴りましたが、追加で気付く内容もが残されているかも知れませんので、その場合には、「お礼入力」の枠へ綴りますから、もし構わなければ御覧になって頂けますでしょうか?
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
言葉の誕生について、われわれがかろうじて説明し得るのは、次のようなところまでだと思います。 われわれが未知の出来事と遭遇したとき、それに既知の言葉が対応しないことに気づき、しばらく呆然、忘我、脱自の状態を余儀なくされ、しかしこの状態をいつまでも続けることができず、ようやく苦し紛れに口を突いて出てきたのが、いわゆる《新語》だと思います。 このとき、世界と人間と新語とが一種の三位一体の関係にあったはずで、言葉が言葉である限り、ギャル語であろうと最先端の科学者の学術用語であろうと、例外なくこういう《新語》として誕生した一瞬間を自らの語史のスタート地点に持っているはずです。 もちろん、このことは一個人だけに起こった唯一無二の、一回的な大事件ではあっても、複数の人間に、たとえオルギー状態、エクスタシス状態にあろうと、同時に起こったなどということはあり得ません。 こうして誕生した《新語》がいつか家族なり、友人なりの他人に伝えられとき、はじめて語義(複数の人々に共有される意味概念)を獲得し、それと同時に、その代償として、《新語》として誕生した瞬間に帯びていた三位一体性を失ったはずです。 こうして、《新語》はコミュニケーションの媒介たりうるための社会性、制度性、規範性を獲得することになったわけです。 これ以前の言語の誕生事情を説明したものとしては、私は寡聞にして「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。」(「ヨハネ伝福音書」)しか知りません。
補足
有り難う御座います。 確かに仰る通りに、「未知(の出来事)との遭遇」を経験させられた際に、それを【翻訳】させておきませんと、記憶に留められないのでしょうから、既存の手段を駆使して、<<新語>>の創作を試みるのでしょうね。 でも、同時が不可能なのでは御座いません。 例えば、大きな地域で共通の災害が同時に発生した状況とか、黒船の襲来とかは複数の人間達によって同時に経験されていた筈です。 従いまして、そういう事例の経験の繰り返しが連絡手段の模索を促したのではないでしょうか?
- kuro804
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昔、図書館で借りた一般向け考古学の本で読んだのですが どこかの土地の洞窟で、死者への何らかの祭り事があった痕跡をもとにして 人とそうでない動物を区別し、人類の発祥の手がかりとした事が載っていました。 つまり、寝起きを共にした身近な人の死を共に悲しんだ事が 一つの答えだと思います。
補足
有り難う御座います。 仲間なのか否かの峻別ですね。 それでは峻別の手段は何だったのでしょうか。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
「2001年宇宙の旅」で、動物の骨を武器にしたグループが素手のグループを圧倒する場面があり、そのグループは道具を使うという点で、ひとつ賢くなったような描写が見られました。まああれは一種の比喩表現だとは思いますが。 やはり火山の噴火だとか、大地震、大津波などの天変地異が起きたときに、グループ内で発せられたある特定の叫び声ではないでしょうか?
補足
有り難う御座います。 同じ時間帯に共同体が経験した情報の信憑性は高い、 と認識されやすいでしょうね。
お礼
http://okwave.jp/qa/q7538553.html 上記のページでも、御教授を賜れませんでしょうか?
補足
有り難う御座います。 仲間なのか否かの峻別を行ない、餌・敵・道具等を仲間の枠から排除する、という分類方法が「論理」の基礎になったのでしょうか?