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言語獲得の前の時代の「与信」

言語が無かった頃に特定の経験を味わった当事者が、(暴力的に押し付けずに、)其の経験を他者達に伝えて信用して貰う為には、其の経験の産物(貢物等)の提供による証明が不可欠になっていたのでしょうか? 或いは、同時に同じ経験を味わえなかった集団の構成員達を信用させる為に、他のどんな手段を採用し得たのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

言語=社会性以前の、集団性(~コミュニケーション)の主体は、 血縁的コミュニティ=本能的な共感をベースにしたものでしょう。 今でも家庭の中では、社会的契約(お金のやりとり)とは無縁な 関係が成立しています(母性本能や家族愛による)。

SakuraiMisato
質問者

お礼

困っている方々への救済の手段の提供は、それに該当しそうですね。

SakuraiMisato
質問者

補足

有り難う御座います。 因みに「地縁的な関係」は契約に依存させられやすいのでしょうか?

その他の回答 (4)

回答No.5

こんばんは、SakuraiMisatoさん。 質問文の「同時に同じ経験を味わえなかった―――」の<同時>と 補足文の「同時に一緒の現場で経験を共有」の<同時>なのですが この<同時>の読みようがちがうこと先にことわっておきます。 質問文の「同時」という言葉を読んだときの「同時」のとらえ方は、時間的(年齢的)ひらきがあります。 たとえば親A(45歳)の若かりしころの自分(20歳)と、そのころの自分と 同じぐらいの年齢に達した我が子B(20歳)が出会うことはない。 親と子、先人と後人のように。世代間格差。 【世代間不均衡の研究】 http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis250/e_dis246.pdf http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis250/e_dis246.html で、補足文をみますと 「同時に一緒の現場で経験を共有していられたら、初めての経験であっても、 類似性への理解を共有し得るのでしょうけれども…」と、お書きです。 ↑ ここでお書きの「同時」にという<同時>には時間の隔たりはありますか? 質問文の同時と補足文の同時は文字は同じでも時はちがうんじゃないのか?と疑問がわきました。 【国税と社会保険料の徴収一元化の理想と現実】 http://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/47/matsuda_01/ronsou.pdf 【神話の衣服】 http://sanada-studio.info/sub2_2.html

SakuraiMisato
質問者

お礼

此処の質問に関連する質問( http://okwave.jp/qa/q7614842.html )を、別のページでも提出させて戴きましたので、 其処でも御指導を賜れますと、非常に助かります。

SakuraiMisato
質問者

補足

返事が遅くなりまして、失礼を致しました。 御指摘を賜り勉強になりましたので、追加の回答を賜れましたら、有り難いものですから、拙い私見を申し上げます。 つまり、<同時>という表現に、「セシウム原子時計が指し示す【同一時刻】」という意味合いを私は託していますので、隔たりの存在を意味させていません。 もし外部からの強圧が介入してこなければ、集団構成員を信用させられないのでしたら、与信の獲得が酷く難航するのでしょうから、それだけではないと思われますが、他にも具体例は見付かりますでしょうか?

  • codotjtp
  • ベストアンサー率26% (40/149)
回答No.4

言葉が殆ど通じない場合にも当て嵌まるのではないか、と思われますが、 黒船襲来の時には暴力的に信用させられたのでしょうか。

SakuraiMisato
質問者

お礼

http://okwave.jp/qa/q7632619.html 上記URLのページでも、御指導を賜れませんでしょうか?

SakuraiMisato
質問者

補足

有り難う御座います。 確かに、言葉が通じなければ、言語の不在と類似しているのかも知れませんが、威圧を受けた武士達の間では言語的な遣り取りが行なわれていますので、私にも其の内容の検証の課題が残されているのかも知れません。

回答No.2

 今もその延長線でしょうが、相互の錯覚の紡ぎだと存じます。  ある意味で以心伝心。そして同情(シンパスィ)と共感しているという錯覚の繰り返しをする経験の中で段々に習熟していく。

SakuraiMisato
質問者

お礼

貴方の専門分野の質問( http://okwave.jp/qa/q7646584.html )へも、雄弁な回答を提供して頂けませんでしょうか?

SakuraiMisato
質問者

補足

非科学的な内容ですね。 安易に「氣」の概念を持ち込んで済ませては勿体無い問題です。

回答No.1

こんばんは、SakuraiMisatoさん。 言語獲得の前の時代の「与信」 言語が無かった頃に特定の経験を味わった当事者が、(暴力的に押し付けずに、)其の経験を他者達に伝えて信用して貰う為には、其の経験の産物(貢物等)の提供による証明が不可欠になっていたのでしょうか? 或いは、同時に同じ経験を味わえなかった集団の構成員達を信用させる為に、他のどんな手段を採用し得たのでしょうか? あかん、“言語獲得の前の時代”ってので止まってしまう ごめん、勝手に読みやすいように読み替えてイメージします、あしからず。 ぷいと思いついたのが“研究” 目に見える成果がでるまでは遠い道のり―――――――――――― 傍から見れば、「何をやってんだかわかりゃしない」と胡散臭がられるばかり、 終いには「この金食い虫!」と罵声が飛んでくる。 「こんなこんなすごいものができるんですよ」と言ったところで目に見えた成果物あるじゃなし、 そんな時どこの誰ぞが研究資金を提供してくれようか。 「夢半ばにして断念せざるを得なくなるのか」と悲観に暮れる研究者の心情に思いを馳せる。 言語時代の前の時代って、言葉のない――――― or かたちのない―――――ころ… ベンチャー企業とベンチャー・キャピタルの投資評価基準に関する経営財務論的研究 http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/18530299 我が国ベンチャーキャピタルの投資実態 http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~chousa/WP/j-55.pdf 金融大学 http://www.findai.com/kouza/100fin.html http://www.findai.com/kouza/index.html

SakuraiMisato
質問者

お礼

下記URLのページでも、御指導を賜れませんでしょうか? http://okwave.jp/qa/q7667311.html

SakuraiMisato
質問者

補足

有り難う御座います。 仰る通りに是は酷く難しい疑問です。 同時に一緒の現場で経験を共有していられたら、初めての経験であっても、類似性への理解を共有し得るのでしょうけれども、研究とかの場合には、途中経過をばらせないでしょうから、発表の際にも疑念の払拭の為の作戦が練られるのでしょうね。 因みに、勝手な私見によりますと、古代社会で支配者候補が侵略した際に、其処の庶民を従える為に、驚かせ得る技術を見せ付けたり、「神話」への理解を押し付けたりしてきたのではないか、と思われます。 但しそうしますと、其の前の段階を探らないといけなくなるのかも知れませんので、不安を覚えましたが、上記の事例(神話等)への私見は誤りだと思われますか?

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