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平安時代、妻が夫に貸付した記録について

平安時代に詳しい方にお聞きしたいのですが、私は現在大学の論文の中で、当時の女性地位について書いています。 あるホームページで平安時代に妻が夫に貸付をした記録があると書いてあったのですが、当時、家庭内で妻が夫に貸付をした記録が残っている貸付帳や書物など、なんでもいいので教えてください。 論文の参考文献として載せたいです。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 ANo.1&2です。史料を無事に見つけることはできましたか?。 「平安遺文」は同じく東京堂出版から「CD版」が出ています(Windows95版ですが)。また「説話集」でもある「日本霊異記」や「三宝絵詞」「今昔物語集」「宇治拾遺物語集」などには「債(モノカイ)」などの言葉も見えますよ。研究室や大学図書館にある「国語大辞典」小学館などで典拠を当たっても見つけることもできます。頑張って「史料的根拠」を見つけることが出来るよう応援しております(今までは伏せていましたが僕は母校で日本史学の特任教授も務めさせていただいています)

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  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.3

原典にあたるならば、竹内理三編「平安遺文」、特に「古文書編」だと思います。大部ですが、大きな図書館や、日本史・日本文学関係の学部、学科のある図書館には必ずあるはずです。

wangleehong
質問者

お礼

今平安遺文を検索したところ、資料が見つかりました。 明日、大学の図書館で探してみます。 質問してよかったです。 とても助かりました。 丁寧な回答ありがとうございました。

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  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 丁寧なご連絡ありがとうございました。 最初の文面からは「結論を正当化するために後から史料で肉付けする」との印象を受けました。これでは歴史学の研究姿勢としてはプロクルーステースの寝床的な姿勢であると感じたゆえ、最初のような回答となってしまったことをお詫びさせていただきます。  さて本題ですが、「日本と中国に於ける女性の地位比較の研究」とのテーマですか。それでは日中での「家」に関する比較研究と言い換えることも可能ですね。では比較文明史的考察との視点から以下の研究論文はお読みになっていますか「公家と武家II」笠谷和比古編(思文閣)、更に家産制に関しては日本国内で「日本中世の国政と家政」井原今朝男(校倉書房)などがあります。また「家・社会・女性-古代から中世へ」女性史研究会編(吉川弘文館)「家と女性 (日本女性史論集) 」(吉川弘文館)「日本女性史第1巻」及び「日本女性史 第2巻 中世 女性史総合研究会 編」(東京大学出版会)に論考が収められています。  また先ほども申し上げましたとうり、「財産分与」「相続」の問題からならば古典的な研究として「日本法制史論集」中田薫著(岩波書店)を筆頭に「鎌倉幕府訴訟制度の研究」佐藤進一著(岩波書店)などがあります。  女性史に関しては日本の学会として「女性史研究会」がありますので、そちらを通じて「研究文献」「研究史料」に関する助言を求めることも可能です。私が存じ上げる限りでは日本国内での「女性史研究」を施行されている方として義江明子氏、脇田晴子氏、永原和子氏などがいらっしゃいます。  尚、比較研究とのことでしたらその前提として既に「中国に於ける家産相続」に関する基礎的データ及び論文は入手済みですよね。それなくしては比較はできませんから。

wangleehong
質問者

お礼

説明不足で誤解が生じる質問になってしまいすみませんでした。 前回の回答と共に丁寧なご説明ありがとうございます。 昨日回答を頂き、ホームページの管理人へメールを送ってみました。 論文を書くにあたり、二つの回答共にとても勉強になります。 教えて頂いた論文、資料を探し女性史について勉強してみます。 ありがとうございました。

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  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.1

 それを調べることが論文を作成する時の準備過程です。そのホームページがあるURLの管理者に直接問い合わせることから始めるのが筋です。少なくとも私達の年代では大学の学部で卒論を書く時もレポートを作成する時も参考文献を辿り研究史を洗い直す事から始めました。史料ならば尚更のことです。  さて本題ですが、財産所有と財産相続の問題であるならば、先ず平安時代の後に続く鎌倉時代ではどの様な事態があったのか、などは既に様々な研究論文があります。研究者は自分のターゲットに対して「それ以前はどうだったのか」「それ以後はどう変わったか」を問題意識の中に置いて検証を行っているはずです。手掛かりを探すとすれば、鎌倉時代の訴訟制度を扱った研究とそこに引用されている下知状には幾つかの類例があります(著者も典拠も知っていますが、お教えしては意味がありません)。  また研究室には指導教員もいらっしゃいます。卒論指導は学生と教員が卒論作成のために何度か進捗状況を報告し相談する場でもあるので、指導を仰ぐことも必要です。

wangleehong
質問者

お礼

論文のテーマは日中女性の地位比較です。歴史の流れの中、母系から父系に変わった平安時代の事も書こうと思っています。当時経済的に女性が独立していた事を証明する為の資料として貼りたいと思っています。現在海外の大学に在学中であり、資料調達が少し難しいです。指導教員も論文のテーマに合った先生ではない為、この場を借りてお聞きしました。 回答ありがとうございました。

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