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「地の文」の中での二重敬語の特殊性
周知の通りに、源氏物語等の古典の中では、「会話文」だけではなく、 「地の文」にも二重敬語が盛り込まれていますので、 是が日本の古典の特徴なのだろう、と思われますが、 十分な証拠が揃いますと有り難いものですから、教えて下さい。 『「虚構の作者が自分の作品の中の登場人物達への敬意を言葉で表して綴っている」、 という形式の作品は、海外の文学作品の中にも御座いますでしょうか?』 御忙しい中へ度々の御邪魔を致しておりますが、 もし構いませんでしたら、御教授を宜しく御願い申し上げます。
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二重敬語については、地の文で用いられた場合、動作の主体が天皇・中宮などの最高身分のものであることが多く、最高身分の者に用いた場合、特に最高敬語と呼びます(本来摂関にすらも二重敬語は用いない)。逆に会話文では対象が広がり、同等身分の者に対しても二重敬語を使うことがあります。現在よく言われる「日本語の乱れ」のように考えるならば、会話文の二重敬語は、本来の二重敬語の用法から考えると、日本語の乱れにあたる場合が多いのではと思います。(現代でも会話の方が乱れがちなのと同じです) 地の文で二重敬語が広い対象に用いられているのは大鏡です。これは、大鏡が全体の構成上対話形式でできているために、地の文といえども構成上会話文なので広い対象に用いられているわけですが、動作の主体と客体との身分関係に注目しながら源氏物語などと比較するには適当ではないかと思います。 二重敬語についてですが、これも当然敬語の一種であって、外国の文学と比較する場合、二重敬語だけでなく敬語全体を考えなければならないと思いますし、その前に敬語とは何かという定義をはっきりさせないことには比較は進まないと思います。中国語では名詞の敬語が多く、「陛下」もその一種ですが、文学の中によく出てくる表現です。近い表現で「皇爺」なども同じですし、「上」「勅(す)」なども同じです。朝鮮語を含めて身分の上下関係を言語表現で表す体系を持っています。その他の言語でも敬語類似(定義次第なので)表現は存在します。
補足
有り難う御座います。 「勅(す)」の様に、表敬の為に「地の文」にも使える用言(「動詞に限らないで」という意味で「用言」にしました。)は、 東洋社会独自の表現技法なのでしょうか? そもそも私が此の内容への拘りを持ち始めましたきっかけは、 「時制の一致」との比較でした。 つまり、時制を一致させる考え方が優先されますと、 線的な時間秩序の都合で、「元号」の様な円循環的時間秩序が考案され難いのではないか、と私が勝手に考えたのです。 ですから、そうしますと、自ずから円循環的時間秩序の基準(身分制度)への表敬の様態に違いが現われるのではないでしょうか? 従いまして、折角の御縁を此処で終えるのが勿体無く思われますから、畏れ入りますが、追加の質問をさせて下さい。 『「地の文」の中へ表敬の為の用言を盛り込める文法は、 東洋社会の文化の特徴なのでしょうか?』 因みに、現代の企業の間での取り引きで、自分達の身内の行為が他者の方々へ及ぼされる際に、その行為を謙譲語で表現する場合が多い訳ですので、物語文学内部の登場人物への表敬は、読み手やら聞き手やらへの表敬を損ねないだろうか、と私は勝手に妄想していましたので、「日本語の乱れ」という御指摘には、脱帽を致しました。