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敬語について

敬語について質問です。 地の文は、書き手から、話題の人物に対する敬意で敬語を使って 会話文の場合は、会話をしている人同士の関係で敬語を使うと考えればいいんですよね? 「かぐや姫のおひたち」に出てくる敬語で 「わが朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。 子になりたまふべき人なめり。」 というのがあります。 「おはする」「たまふ」どちらも、 「翁から三寸ばかりなる人」への敬語という考えで合ってますか? 会話文だから作者は関係ないとおもったのですが・・・

noname#153265
noname#153265

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  • ベストアンサー
  • qwelkj
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.1

その通りです。 竹取物語では翁はかぐや姫にずっと敬語ですし、かぐや姫も翁に敬語です。

noname#153265
質問者

お礼

ありがとうございます。 まだまだ不安なことが多くて 初歩的な質問が多いと思いますが、許してください

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