子どもの脳死移植と自殺の情報-複雑な気持ちになりました

このQ&Aのポイント
  • 子どもの脳死移植がありましたが、週刊文春によると、自殺との情報が出ているそうです。
  • 脳死移植による臓器提供は利用できるものは生きているものに利用すべきでしょうか。
  • 子どもの脳死移植は初めてのケースであり、慎重に考慮されるべきでしたが、周りの考え方や思惑も重要です。
回答を見る
  • ベストアンサー

子どもの脳死移植がありましたが、

週刊文春によると、自殺との情報が出ているそうです。 http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/ なんだか複雑な気持ちになりました。 交通事故との報道だったので、中々親としては受け入れがたい話、普段から情に流されない科学的なご両親かなと思っておりましたが、もし、それが事実なら、うーん、子どもは命を懸けて何を伝えたかったのかなと思わざるを得ません。 「彼を失ったつらさや悲しみから少し救われるような気がしています」 この言葉も受け止め方も随分違ってきます。 勿論、法律的には不備はないのでしょうし、新潟県での鉄道自殺を図った中学生と噂されていますが、その真贋はこういう制度上絶対肯定も否定もされませんから、あくまで、噂であり、また、善悪を問う性質のものでもありません。 自殺なら、その本人の死にたいという意思を、一刻も早く認めるほうが肉親は精神的に楽でしょうし、その後も誰かの役に立っている、どこかで彼の一部が生かされているということは、確かに「救われる」思いでしょう。 残されたものが持つ、なぜ子どもは死を選んだのかという辛い辛い問いかけも「少し救われる」でしょう。「良いことをした、彼らしいと思う」ことができる、通常の自殺者の親とは異なる地平を得たわけです。なんとも複雑です。 しかし、利用できるものは生きているものに利用したほうがいいとの合意の脳死移植ですから、そのパーツのみならず、自死の動機すらも生きている者が利用していいのでしょう。 私は、別にこの親御さんを批判しようと思っているのではないのです。我が子の突然の出来事、死が目前。誰だって正常ではおれません。受け入れがたい現実を前にして、選んだ判断が正しいかどうか誰も自信もてません。 ところで、自分の場合に当てはめて考えてみました。幼い子ということで、孫を対象にします。小学生の孫が2人おります。憎たらしいことも言いますが、やはり孫は孫です。そして、嫁が疑惑の(つまり浮気をしていた)3人目をお腹に宿しております。上二人だと、決心がつかないです。でも、今度の子なら、ああ、どうぞどうぞと脳死前から言ってしまいそうです。人間なんてそんなものです。 私が言いたいのは、遺族のほうではなく、周りのほうです。 初の子どもの脳死移植です。もう少し慎重でも良かったのではないか?肉体的に虐待がなかったとしてそれでよかったのか? 私が、3人目の孫をこれから精神的に苛めて自殺に追いやっても、人の役に立ったと私は救われるんでしょうね? 札幌医大で心臓移植があった事件では、医者の功名心があぶりだされました。 この移植も、なんだか移植をしたいほうばかりの思惑が優先しているようで、手放しで良かったと思えません。 しかし、この少年は多くの善を与えたんですね、臓器以外にも。それだけは認めないといけません。 今後、死後の臓器移植を希望する自殺少年が続かないように願うばかりです。 皆様はどう思われますか?

noname#133023
noname#133023
  • 医療
  • 回答数5
  • ありがとう数3

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yama-girl
  • ベストアンサー率28% (204/711)
回答No.3

今日は。 提議されていることは、もし自殺が本当なら、 1)主に脳死移植にまつわる部分と、 2)子どもの自殺に対する親の贖罪意識の部分と、 その2つが今回は重なったということだと思います。 1) の脳死移植に関しては、私自身はあまり賛成でない立場です。なんていうのですかね、人間が神の領域まで手を出す奢りを感じてしまいますし、死をあくまで受け入れたくない人間の行く末を考えると恐ろしいと思ってしまいます。ただ、実際に世界中で行われています。 今回は、年齢制限を取り払ったはじめてのケースですが、日本で提供がないから海外で移植を受ける多くの子がいました。長期にわたる渡航ですし、その肉体経済的負担は大変なものでした。しかも、現地での目は厳しいです。外国から来て金の力で横取りをしてゆくという批判がなされています。 海外での移植を禁止するわけにも行きません。国内でも踏み切らざるを得なかったのです。成人の時もまったく同じです。良い悪いではなく、せざるを得なかったのです。 そして、本人の意志の問題です。 死後の移植なら、それほど抵抗はなくなってきていると思います。しかし、心臓は絶対、心臓死があってはできません、他の臓器も新鮮なほどありがたい訳です。しかし、脳死となると、治療の放棄になります。 私は、やはり脳死移植は本人の意思がある程度明らかでないといけないのではと思ってしまいます。しかしそれでは絶対数が不足です。不足しても仕方がないと考えるか、なんとか供給を増やせないか、 そこで本人の意思を取っ払って、家族の同意で供給増を図っています。 しかも、幼児のような理解できてない子も対象にしないと幼児の心臓は手に入りません。子どもの移植に踏み切る以上、親の裁量だけで提供が決まるということがほとんど当たり前になるのです。 ここの部分でどんな議論がなされたのかわかりませんが、虐待がないことという条件がついてます。 今回も、それをどう確認したのかについては、情報がありません。 2) この少年が自殺だったか否かは別として、子どもが自殺した時の親の贖罪意識について。 子どもの自殺には多かれ少なかれ、親の影響はあります。力不足で支えれなかった場合から、少数ですがネグレクト虐待まで。そして、贖罪意識は親の落ち度に比例するわけではありません。反比例かもしれません。しかし、どんな鬼の親も、我が子が自殺してしまったという現実から救われたいとの思いがあります。その表し方は様々です。他者の落ち度を執拗に攻撃する場合もあれば、子の落ち度を強調する場合もあり、贖罪一辺倒から宗教的な意味づけを探る親もいます。 さて、そういう親の前に、脳死移植の話が出てきたら、、、 贖罪意識と裏腹に自分も救われたい思いもあります。また、子どもの死を受け入れる作業も要ります。 私見ですが、私が移植コーディネーターだったら、張り切って出かけるでしょう。提供してもらえる環境としては願ったり叶ったりです。そして、成約すると、本人にも親にもいいことをしたと胸を張るでしょう。 しかし、自死を選んでいったその子の苦しみは共有されるのだろうか?親の贖罪は薄まってしまうのか?しかし、済んでしまったこと、あえて、その(苦しんだことの結果の)死で裁くことなく、生(生きてきたからこそ人に命と希望を与えられた)に意味づけすることによって、全てが救われる道へ行けたともいえるのかな。無駄な生ではなかったということは、すなわち、無駄な死ではなかったになります。 最後に、臓器移植に関して、 私はあまり好きではないのは確かです。批判的ですらあります。赤ちゃんの奇形など、昔ならそのまま死んでました。産まれて来なかったかも知れません。成人の移植も、再利用は合理的だとは思いますが、人間は浅ましいものです。早く誰か死んでくれないかと、願うというのは、人としてどうなのだろう。誰かの死との引き換えの延命をどう消化するのだろう。 しかし、それもこれも、自分や周囲にそういう対象者がいないからです。我が身がそうなったら、自分も浅ましい臓器渇望者になるのだろうか?そういう思いをしなくて、無事墓場に行けたら、幸せな人生だったと思えそうです。 今回のケースは、噂されているようなことでしたら、確かにもう少し慎重であるべきだったと思います。 また、生きていく意味を見いだせれない青少年が、移植を希望して自殺するということがあれば、感慨深いものがあります。というのは、練炭自殺する若者に、せめて献体でもすれば?と思っているからです。

noname#133023
質問者

お礼

なるほど、外国の圧力もあったのですか。 ではしないといけないですわね。 それもあったのですかね、少しでも早くと焦りもあったのかもしれませんね。 誰でも一番目は嫌です。次からの人は少し楽かもしれませんね。 ただ、これは私の心情ですが、子どもはかわいそう、同意のない脳死はかわいそう。 やっぱりそれがあるから思ってしまうのかもしれません。 自殺についての考察、本当に親に付きつけたものを見てやってほしいものです。 苦しみの共有化、それです、私の言いたかったことは。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#174952
noname#174952
回答No.5

全然別の視点なのですけど。 脳死移植は患者の家族側からの申し出は稀です。ご家族はそういうことまで頭が回ってません。 脳死状態になりそうということは治療側はわかります。 その時に、主治医または同僚に臓器移植に前向きな医者がいれば、声をかけます。 対象になりそうな患者さんがいても、そういう医師がいなければありません。 救急医療センターのような所に搬送されたら、その確率はぐーんと上がります。 今回の事故は多分、そういうところで治療を受けたのではないかと思われます。 そして、患者さんの家族の心理というものもあります。 ちょっと考えても見てください。 大学病院の高度救急救命センター。 物々しい最新の建物器具設備。医者も看護師も大勢がかかりっきり。 一般の方はそれだけでも圧倒されます。 お医者さんの言うことは大げさに言えば、神の言葉のように聞こえます。 対照として、救急指定の個人病院。こういうところにも交通事故の患者さんはもたくさん搬送されます。 不幸な転帰になった場合、心のどこかで、この病院に担ぎ込まれたからなのかと思う人も多々。 そして、話題になっている、自殺のことなのですが、 自殺が保険適応がなく、自費ということはご存知でしょうか? 既遂の場合は、普通、勝負が早いです。到着時にはもうほとんど見込みがないことが多いです。 未遂になった場合も、ほとんどの方が、数日以内で退院できます。 ですから、自費で払えないほど高額の例は滅多にないです。(但し、高額でなくても払わない人はいる) しかし、長くなる例もあります。そういう場合はつまり、後遺症が残ったということで、ある時点から公費に変えます。 しかし、既遂になりそうで、長引くと治療費がどうしたらいいのだろうと言うことになってきます。 一命を取り留めての治療なら保険が使えるのですが、そうでなかったら、、、、、 脳死状態でこれ以上、治療の効果が出せないとわかったら、一日でも長く持たせるとこは、すなわち遺族にそれだけ高額の請求をしなければいけなくなる。といって、勝手に人工呼吸器をはずせません。 移植が決定したら、はずせます、その時点で治療をやめれます。 その担当医なら、勧めたくなるのが人情です。 自殺は臓器移植の対象外にされたら、困る人もでてきます。

noname#133023
質問者

お礼

なるほどねぇ、そういう場にいると、そういう雰囲気になるんですね。 費用のことも、なるほどねぇと思いました。 そういうことなら、自殺をはずすと困るわけだ。 勉強になりました。ありがとう。

  • polpol-v
  • ベストアンサー率35% (74/207)
回答No.4

失礼します。 臓器移植って、結局気持ちの問題、だから性格なのかなと思うところがあります。 脳死の前に。今、移植そのものは多いですよ。生体肝移植、死亡腎移植、肺移植は、大学病院のような大きな所以外でもよくあるようになってます。 そういうところでも気になることはあります。特に生体肝移植は知人でありましたので、複雑な感じを持ちました。親から子、夫婦間、子どもから親。頼まれて断るのも冷たい気がしますが、わざわざ自分の体を痛めてまでとどうしても、私なんか思います。夫にはやりたくない、子どもにはやりたいと、ずごく、我ながら本音が出てきます。 知人の例は息子さんからお父さんだったんです。辛いですよ、そういうのは、まだ若くて未婚の息子さんです。将来の結婚相手はどう思うだろう? それと費用もあります。田地田畑売った人よりも、周囲に募金を回す人の多いこと。これも複雑です。 その知人の場合も、うちより立派なお家に住んでます。お子さんも家は2人、あちらは4人、しかも、うちは全て、公立から国立大学、あちらは、中高一貫から、私立もいます。しかも、医学部に入ってる息子さんもいます。元々、肝炎だったのでいずれ肝硬変から癌に進行することはわかりきっているのに。 私憤を書くようですが、納得がいかないから募金なんか応じたくなかったのですが、同級生が世話人で頑張っていたから、その人のためにと思って。 それで、脳死のほうですが、これは、移植をうけいれられる考えなら、後、脳死を信じるかどうかということみたいですよ。つまり、ここまできたら、もう絶対、死しかないということを信じるかどうか、それだけらしいのです。100%死しかないということを受け入れるかどうか、その科学を信じるかどうか。 私はやっぱり駄目です。100%見込みがないといわれても、本当に心臓が止まって、心臓マッサージしても動かなくなるまで諦めれません。非科学的な愚かな女だと夫に馬鹿にされていますが、後悔したくないです。あの時やっぱり、もう少し頑張ったら、というのがどうしても残る、未練がましい性格です。 それと、自殺について。 親に大きな落ち度が見当たらなくても、親にとっては辛い辛い出来事だと思います。それを受け入れるには、子どもとのその生きてきた全ての時間を振り返り、反芻し、語りかけないと無理な気がします。 そこに脳死移植が起きたら、応じたら、死後に振り返る時にどうしても、その誰かに役に立っているという事実が挟まれます。排除はできません。それはいいことなのか悪いことなのか、、、、 始めから役に立っているという結論を用意して考えるってことなのだから、救われるに決まってますよね。 ただ、親子のかかわりはそれぞれだと思います。 成人して家を出て行ったら、ほとんど没交渉の方もいます。どこかでやって行ってるからそれでいい。かの地で元気らしいからそれでいい。動物としてはそうなのでしょう。 過保護とまでは行かなくても親密に連絡を取り合い、度々会う親子もいます。 そういう親子の形によっても違う気がします。 私はやはり、最後まで私の子どもです。後者のほうです。そして自殺に限らず、先に逝かれた場合も、私の中でだけ生きています。だから誰かの中で生きていてほしいとは願いません。友人などの心の中にあれば、それは有難いとは思います。 前者の方はきっと違うのだろうなという気がします。 移植に応じる応じないはそういう違いもありそうです。 私などは、本人が登録して、何かを提供する意思があったにしても、かなり迷いますし、半分恨みます。 最後は本人の意思を尊重しますが、あの世で子どもに叱られたくないですから、でも、立派なことだ立派な子だったという考え方はしないでしょう。 何か参考になりましたら。

noname#133106
noname#133106
回答No.2

私は脳死体からの臓器移植そのものに反対する立場です。 理由は様々ありますが、質問者様に近い懸念も勿論あります。 脳死(に近い状態)から行われる「助ける医療行為」「臓器を確保するための行為」は全く異なるものです。臓器をより良い状態で確保するなら早い時点で「死」に向けた管理を始めなければならない。 質問者様のお孫さん達が同じ状況で交通事故にあった場合、「脳死だから新鮮な臓器類を早くごっそり取って下さい」と言うか「嫌です。お願い。この子の体はまだ生きているじゃないですか。体中をバラバラにしないでー!」と号泣するか。 親に救われず最後のメッセージをこめて自殺を選んだ。親はお棺を燃やすことすら泣いて止めるか。病院の先生に任せるか。 医療の現場では、到底助からない子供、心臓も止まった子供に抱きついて 「先生、助けて下さい!」 と必死で懇願する母親が珍しくありません。 たまたま親が冷静に「臓器移植の準備に切り替えて下さい」と言ったために子供の命の重さが軽くなるのは、その子があまりに不憫で不平等だと思います。 反対する他の理由は、裁判制度,死刑制度のいい加減な暴国で死刑囚から臓器が取られている場合の人権問題。臓器売買。移植手術をする医者達への不信。移植を選んだ後の家族の後悔や罪悪感。などがあります。 私は、再生医療(卵ではなく皮膚などを使うもの)を待つべきだと思っています。 「早くドナーを」と、他人の死を待ち望んでまで生きのびる事は決して「当たり前のこと」ではありません。 その本人も、ドナーの死体が「目玉もなく、心臓もなく、大きな傷の縫い痕があった」と知った時、どんな気持ちがするでしょう。 死体になってもお骨になっても人を尊重する日本人はどこへ行ってしまったのでしょう。 以上のように私は脳死移植全般に否定的ですが、「親」次第でどうにでもされる子供の臓器摘出にはもっと強く反対します。 医師会の力は強いので、法律が改正される可能性は小さいのですが。 長文失礼しました。

noname#133023
質問者

お礼

はい、私も臓器移植というものはなじめません。 でも、そういう技術があって、したい人がいて、あげたい人がいるなら、口を挟むことではないと思います。でもそれで足らないからって、、、、もう少し、亡くなった人のことも考えてほしいものです。 あの世のことは判りませんが、あの世で心臓がなくて困っているかもなんて、ちらっとも思わないんでしょうか? 再生医療のほうは、まだまだみたいですね。 誰でもが80、90まで生きられない、そんなの当たり前だったのに。人間って欲が深いものです。 しかも、移植も成功とばかりは言えないそうですね。 生きられなかった子ども、親が心臓が止まるまで抱きしめているものじゃないかと、どうしてもそういうことを考えてしまいます。 自分がその子どもだったら、一人で死んでいくのは心細い、最後まで、かぁちゃんにはげまされていたいですよ。 ありがとうございました。

  • P0O9I
  • ベストアンサー率32% (693/2146)
回答No.1

週刊誌の?入りの記事から、ものすごい妄想ですね。 >鉄道自殺を図った中学生 鉄道自殺で死んだ体から、あちこちの臓器を取り出せると、思いますか? 嫁が浮気して産んだ子供を殺したいのですか? 貴方の方がよっぽど危ないと思いますね。

noname#133023
質問者

補足

いえ、妄想がどうかではなく、自殺となると、色々考えさせられるということですよ、色々っての例として出したまでで。 つまり、臓器移植法の改正で15歳以下も対象に入れたのはいいけど、自殺の場合も同じ扱いで構わないと、その時検討されたのだろうか?何だか微妙な思いがしませんか? うちの孫の例を出したのもそれですよ。 それと、 >鉄道自殺で死んだ体から、あちこちの臓器を取り出せると、思いますか? 週刊文春34ページ 「初の子ども脳死移植「少年」は事故死ではなく自殺だった!?」  今回ドナーとなったのは、新潟県内に住む男子中学生。  この中学生は6日午後5時頃、居住する町のJRのホームから  列車に向かって飛び込んだという。  救急車で、病院に運ばれたものの、後頭部を強く打ち、  意識不明の重体に陥った。  県警関係者も「中学生が飛び込むところを目撃されており、  自殺で間違いない」という。 新潟日報4月7日付朝刊 「列車にはねられ男性が意識不明 加茂駅」  6日午後5時前、加茂市駅前のJR加茂駅のホームで、同市の10代男性が  列車にはねられ、後頭部出血などで意識不明の重体。  加茂署によると、男性がホームから飛び降りる姿が目撃されており、  自殺を図ったものとみられる。 どうやら、轢死体ではなかったようです。

関連するQ&A

  • 脳死と臓器移植について。

    脳死や臓器移植のことについて無知なので教えてください。 今の法律を変えて、脳死を人の死、と認めた場合 これまでより臓器提供・臓器移植は増えるのですか? 教えてください><

  • 臓器移植法・子供の脳死判定

    今話題にされている臓器移植法について知っているともいいがたい程度の知識しかないのですが、 自分だったらどうするかなと考えることが多いです。 子供の脳死判定後、臓器提供を申し出る親の気持ちとはどんなでしょうか。 私(既婚・子あり)が脳死判定を受けた場合、臓器を待ち望んでおられる方に臓器提供をしてもらって全くかまわないのですが もしも配偶者が脳死となったとき、そのまま焼いてあげたいという気持ちが先に来て、 臓器移植は望まない判断になるような気がしています。 まして我が子が脳死を判定されたとしても我が子ならなおさらのこと、 その先に臓器を待っている幼子がいるとわかっていても 臓器提供には進めない気がしています。 でも・・・もし我が子が臓器を待つ立場になってしまったら 国内で臓器提供が受けられるなら最善を尽くしてやりたいとも思います。 (海外移植に踏み切れるのは周りの方に恵まれた人だけかなと思います。) 矛盾しているのは百も承知。結局自分さえよければという思いがそこにあるのも事実です。 ここ最近、堂々巡りのことばかり考え、答えが出せずにいます。 我が子の臓器提供を希望する親はどのような気持ちで応じるのでしょうか。 やはり「この子の臓器が他の子の体で生きていてくれるなら」という思いのみでしょうか。 我が子が脳死判定・・・その後どうしますか?。 子供の臓器移植、日本でも定着するでしょうか?。

  • 脳死と臓器移植について。

    高1女です。 高校の課題で、脳死と臓器移植についての小論文を書くことになりました。 インターネットでいろいろ調べてみたのですが、 脳死や臓器移植についてあまりよくわかっていません。 今は、臓器提供をする意思があるときのみ 脳死判定をしているんですよね? あちこちで「脳死を人の死とするか」が議論されていますが、 それは脳死の患者、もしくはその家族が決めることではないのですか? そういう議論がされていること自体の意味がよくわかりません。 なぜこのような議論がされているのでしょうか? 教えてください><

  • 脳死移植についてお答えください。

    たくさんの人の意見が必要です。 どうかご協力ください。 脳死移植が行われています。 皆さんはどう思われるでしょうか? 脳死になったらドナーになりたいという人が若い人には多いようです。 私もその一人です。 脳は死んでも心臓が生きているわけですが いつ死が訪れたのだと思います? 脳が死んだときですか? それとも心臓が止まったとき? 日本には死について仏教的思想や昔からの考え方がるため 最終的に遺族に提供を求めた時ほとんどが断ってしまうそうです。 臓器が足りないと騒がれている今 ドナーカードの登録に呼びかけていますが 肝心の医者が登録していないといわれています。 医者が呼びかけておいて登録しないことにどう思われますか? いずれ脳死移植はなくなるだろうと思われます。 その病気になった人の細胞から臓器を作るようになるのですが このことについてもわかれば意見を下さい。 長々と申し訳ありません。 よろしくお願いいたします。

  • 脳死は人の死だと思いますか? 臓器移植はどう思いますか?

    質問です。 脳死は人の死だと思いますか? 今は合法的に脳死になり本人・家族の同意があれば臓器を取り出すことができますが、私は脳死は人の死とは思いません。 理由としては ●心臓が動いている。 ●脳死状態の妊婦が出産したことがある(死人が子供を産めますか?) ●脳死状態になれば数日の内に死ぬと言われているが、脳死状態から回復する人もいる。  他にも色々ありますがこのぐらいにしておきます。 ドナーカードを持つことは「愛の行為」と言ってますが、ドナーカードを持っている人は、脳死・臓器移植について充分な知識はありますか?「愛の行為」という言葉にだまされてなんとなく持ってませんか? 私は臓器を合法的に取り出すために、脳死は人の死と法律で決められたと思います。脳死が人の死ではないと法律で決められてれば、臓器を取り出したら殺人行為になりますからね。 みなさんの意見を聞かせてください。

  • ~臓器移植 脳死~

    脳死になっている方の臓器移植への本人同意はどうやって得るんですか?脳死だと意識がないですよね。誰か教えて!

  • 臓器移植って脳死のみが出来るんですか?

    家族で時折 話していたのですが 生体からの移植以外で提供できる臓器以外 心臓とかって 脳死だけが移植できるんですか?(年齢制限を外したとして) 低レベルな知識では 考えようにも 軽はずみなつもりはなく この機会に 万が一 患者やドナーどちらの立場になったら どう考えるか 話してたんです 分からなくなったんですが 「自分は もういい歳だから もし脳死になったら 試しに数(日)週間生かしてみて ダメそうだったら もう誰かにあげてよ」と言えたものの 「脳死じゃなくて、事故とかでも脳死以外で死んで 他の臓器は使えそうなんですって事ないの?」 「仮に 脳死以外で我が子が確実に 死んだ時 臓器あげられはしないのかな?」 その時に 誰かが助かれば 何か報われるかな?自信ないけど・・。 逆の立場だったら くださいって言えるのか? どこまで自分の気持ちが整理出来るかも分からないのに 軽薄ですが それでも疑問が次々と・・・ TVや漫画で 亡くなった人から 臓器をもらったとかで その後のお話が展開されますが アレは 全部脳死限定?などと揉めました すみませんが教えてください。

  • 脳死と臓器移植というテーマで調べています。

    脳死と臓器移植というテーマで調べています。 ですが、海外の臓器移植法と海外の臓器移植件数などのデータが見つからなくて困っています。 海外の臓器移植法の特徴についてと臓器移植件数などのデータを脳死と関連付けて書いてある書籍やHPか、その情報について知っているという方いらっしゃいましたら、教えていただけませんか? できればなのですが、最近のものを探しております。 自分勝手で申し訳ありません。 どうかよろしくお願いします。

  • 臓器移植法改正案を決める上で、脳死から移植可能という移植条件だけ議論すればいいのに、何故「人の死」の定義が・・・

    臓器移植法改正A案の反対意見で「脳死は人の死に違和感を覚える」という理由で反対していた政治家がいたのですが、ふと思ったのですが、臓器移植で重要なのは、移植する条件を決めることで、生死の定義は必要なのか疑問に感じました。 必要なのは臓器移植の条件。つまり今回は脳死から移植可能でよいかどうかという議論であって、生死を定義する議論は論点が違うような気がします。 死の定義なんて言ったら、一生決まりません。 だって、そもそも「生きている臓器」を使うのですから。 人が死なないと臓器移植できないならば、臓器移植は不可能です。 死んだ臓器など、使えませんから。 重要なのは、移植の条件を決めることで、臓器を移植する上で、「人の死」をわざわざ定義しなければいけない理由は何故ですか?

  • 脳死は人の死?

    A案が可決され脳死から回復した事例があるのになぜとゆう気持ちで一杯です。 1、脳死の回復の可能性が摘まれてしまわないか。 2、脳死が人の死と定義付けられてしまったことで、回復を待つ脳死の方の家族が肩身の狭い思いをしないか。(臓器提供を迫られるなど...) 3、延命より臓器移植の価値が高まり脳死の治療がおざなりにならないか。 以上3点が特に不安に感じることです。人間生きている限り脳死になる可能性も移植を待つ側なる可能性どちらも起こりうるとは思いますが複雑な気持ちです。この点はしっかりフォローされるのでしょうか?ご意見を聞かせてください!!

専門家に質問してみよう