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谷川俊太郎さんの「いつだって今だもん」を読まれた方

詩人、谷川俊太郎さんの書かれた戯曲「いつだって今だもん」を読んだ、あるいは観劇された方に 感想をお聞きしたいです 自分の中でもそれなりに、解釈はしてみたのですが、普段、谷川さんの「詩」に感動している私にとっ てはさっぱりしすぎている印象でした 本当はもっと深い意味が隠されているのではないかと思って質問しました みなさん、どういった感想をお持ちでしょうか?

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回答No.1

> 本当はもっと深い意味が隠されているのではないか 深い意味かどうかは知りませんが、もしかしたら最後の「道化」登場の意味を読み損なってはいませんか? 最初は宮廷の道化の恰好をして登場した人物が、最後の場面でトレーナー姿、介護施設の職員として現れます。それは「未来」が変わったことの暗示です。 この戯曲は、ふたつの時間・ふたつの世界が描かれます。 ヨーロッパの中世を思わせる、王様がいて、王子がいて、道化師がいる世界。 そうして、核戦争後、マリとお母さんふたりを残して、あらゆる人が死に絶えた世界。実はこの母親すらもロボットで、ロボットとしての寿命がさほど長くないことが途中暗示され、遠からず、マリはこの世界にたったひとり、取り残されることになりそうです。 最初、一幕目は中世、二幕目は未来……と、まったく別個の世界として提示されていた舞台が、三幕目の終わりから、同一舞台の上手・下手に分かれて演じられるように指定されています。下手では王子と道化がいる中世の森、上手ではマリがコンピュータに向かう近未来。そうしてふたつの世界が徐々にまじり合い始める。 ふたつの世界の端境にいる子どもが登場します。この子どもはふたつの時の壁を守る子どもです。ところがふたつの時がまじり合ったために、この壁を隔てて王子とマリは出会うことになる。ふたりはお約束通り恋に落ちますが、時の壁によって阻まれる。お母さんロボットと道化は自らを犠牲にして、一瞬の間、その壁を消す。 そうして出会った王子とマリは、中世でも未来でもない、「子どもたちのいるところ」どこか別の場所に、手を繋いで駆けていくんです(ト書きでは客席を通って走り出る、とあります)。 その未来と過去がまだシンクロしたままの状態のところに、過去から王様がやってくる。 そこに、トレーナー姿の、もはや道化ではない「老人ホームの職員」が、「奥様」を探しにやってくる。 つまり、未来はマリと王子によって、姿を変えたのです。核戦争もなく、人びとが「歳を取る」ことのできる世界です。道化が探す「奥様」は姿を現しませんが、おそらくその「奥様」とは、死なず、ロボットにならなかったマリの母親でしょう。 最後に「子ども」が劇中で何度かうたう「霧だって雨だって水だもん、湯気だって氷だって水だもん……おとなだって子どもだもん、どこだってここだもん、いつだって今だもん……」というせりふがもう一度登場します。 わたしたちは本来同じ水を、場面によって「霧」と呼んだり「雨」と呼んだり、「湯気」や「氷」と呼んだりしている。そうやって、まったく別のもののように錯覚してしまっている。それと同じように、「おとな」と「子ども」がいるわけではない、「ここ」と「あそこ」があるわけではない、そうして「未来」や「過去」があるわけではなく、いつだって「今」なのだ、というのです。 わたしたちは「過去」をもはや決まったものと、そうして「未来」はやがて自分にふりかかってくるものとして、「今の自分」にはどうにも手出しのできないものとして考えがちだけれど、「いつだって今」なら、「今の自分」にどうにでもできるのではないか、というわけですね。 これを「深い」と思うか、あるいは「さっぱりしすぎている」と思うかは、人それぞれでしょうが。 ただ、このお母さんロボットは、ロバート・シェクリィの短編「静かなる水のほとり」の召使いロボットを思い出させるし、時間の扱い方にしても、ハインラインの「輪廻の蛇」とか、フィリップ・K・ディックの「時間飛行士へのささやかな贈り物」とかを思わせます。わたしが中学生のころむさぼるように読んだSFを、谷川俊太郎さんもきっとずいぶん読まれたんだろうな、と思うと、個人的には何となくうれしいものです。

kouennobenti
質問者

お礼

なるほど、やはりそうでしたか ありがとうございます。とてもすっきりしました 言葉にするの難しいですよね。 わざわざありがとうございました 嬉しかったです

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