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「谷川俊太郎」の詞について

私たちが日常、ことばを使っているときは、普通表される内容がまずあって、それを盛って運ぶ手段としてことばがあるというふうに考えています。私たちの関心はもっぱらこの内容のほうにあるわけで、それを運ぶ仲介役としてのことばが入っていても、ことばそのものにはあまり注意を払いません。ことばというのはあるようでないようなもの、存在しながら、存在していないような、何か透明になってしまっているような感じがするのではないでしょうか。  ところが「かっぱ」のような詩を読みますと、俄然ことばが、私たちの前にふさがって、それに、私たちが頭をぶつけている――そんな印象を持つのではないかと思います。 質問(1)「かっぱ」という詞は次のとおりです。 かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった たってちってた かっぱなっぱかった かっぱなっぱいっぱかった かってきってくった この詞は「谷川俊太郎」という方が書いたのですが外国人の私はいくら読んでも意味がぜんぜん分かりませんがご存知の方に教えてほしいです。よろしくお願いいたします。

  • aifen
  • お礼率53% (256/480)

質問者が選んだベストアンサー

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noname#11434
noname#11434
回答No.5

皆さんのお答えどおりで足せるものは実質、何もありません。文字通りの「ことば遊び」の詩で、「かっぱ」「らっぱ」といった、促音(そくおん。つまる音)尽くしの詩ですね。#3さんが例をあげられているように、早口言葉でも有名な下記の「ピーター・パイパー」の詩など、英語のマザーグースに似ていると思います。 Peter Piper picked a peck of pickled pepper; A peck of pickled pepper Peter Piper picked; If Peter Piper picked a peck of pickled pepper, Where's the peck of pickled pepper Peter Piper picked? (ピーター・パイパー、酢漬けのしし唐、ひとつまみ。 酢漬けのしし唐、ひとつまみ、ピーター・パイパーつまんだよ。 ピーター・パイパー、酢漬けのしし唐、ひとつまみしたなら、 酢漬けのしし唐のひとつまみ、ピーター・パイパーつまんだぶんはいったいぜんたいどこ行った?) この訳(私訳)でもそうですが、定型詩やあそび歌などでは、調子や音の数を揃えるために、助詞の「が」「は」「を」「に」などをしばしば省きますので、わかりにくくなるのではないかと思います。 「かっぱ」の詩は、普通の文にするとこのような感じかと思います(リズムが変わって、面白みが半減してしまいますが)。 カッパ(河童)は、かっぱらったよ[何をかっぱらったの?] カッパは、ラッパを、かっぱらったよ トッテチッテターと、吹き鳴らしたよ カッパは菜っ葉を買ったよ[どれぐらい菜っ葉を買ったの?] カッパは菜っ葉をいっぱい買ったよ 買って、切って、食ったよ * 「一把」は、「ひとたば」の意味ですが、「いっぱ」と読まないこともありませんが、「いちわ」と読むほうがどちらかといえば普通かなと思いました。ここでは、「いっぱい」をつづめて、「いっぱ」(普通は言いませんが)と言っていることとして読んで見ました。 * 「たってちってた」は「とってちってた」だと思います。「トテチテタ」というラッパの音の擬音で(わりと懐かしい感じのする古風な表現ですが…)、「おもちゃのちゃちゃちゃ」という童謡の中にも出できます。 http://plaza.rakuten.co.jp/ayusop11/12001#おもちゃのチャチャチャ

その他の回答 (6)

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.7

jakyyです。 調べますと、英語では結構「言葉遊び」のようなことは、 「mother Goose」にかぎらず結構あるようですね。 「Doughter Goose」というサイトがありました。 言葉遊びのよく出来たものを集めたサイトです。 下記のものなどよく出来ています。 Pease porridge hot, Pease porridge cold, Pease porridge in the pot Nine days old. Some like it hot, Some like it cold, Some like it in the pot Nine days old. http://www.geocities.com/EnchantedForest/Dell/3942/

参考URL:
http://www.geocities.com/EnchantedForest/Dell/3942/
  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.6

もう明答が出ていますが、私なりの答を書いておきます。 【言葉遊び】 詩の意味を深く考える必要はありません。 リズムで詩が作られているといっていいでしょう。 詩をローマ字に直しますと下記のとおりになります。 KAPPA KAPPARTA KAPPA RAPPA KAPPARATTA TATTE TITTETA KAPPA NAPPA KATTA KAPPA NAPPA IPPA KATTA KATTE KITTE KUTTA つまり音が詩になっているわけですね。 外国の方には、意味を説明される事よりも、 音韻(リズム)で詩が作られている事を お話されるとわかり易いと思います。 【マザーグース】 外国でも同じような詩があります。 他の方のご指摘のマザーグースですね。 英語圏に伝わる、世界的に有名な、「おとぎうた」ですね。 谷川俊太郎は『マザー・グース』を訳していますので、 彼の詩にも影響を与えていると思います。 下記のサイトにマザーグースの原詩があります。 ぜひご覧下さい。 余談ですが、気に入った詩は次のものです。 Hickory, dickory, dock, The mouse ran up the clock; The clock struck one, The mouse ran down; Hickory, dickory, dock. http://www.amherst.edu/~rjyanco/literature/mothergoose/rhymes/menu.html なお「マザーグース」は下記のサイトがわかり易いです。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~torisan/top.html

参考URL:
http://www.amherst.edu/~rjyanco/literature/mothergoose/rhymes/menu.html
  • komomomo
  • ベストアンサー率22% (25/113)
回答No.4

回答は他の方が良い解釈を書いていらっしゃるので、言葉について参考までに。 確か彼は、マザーグースの日本語訳などもされていたはずです。マザーグースは英国の伝統的な童謡で言葉遊びも沢山盛り込まれています。また日本の和歌にも沢山の掛詞が使われています。それを彼は現代詩でもやってみたのでしょう。 実際、言葉のリズムを楽しむということ、彼はそれらの面白さに心惹かれている・・・とどこかで読んだ記憶があります。

回答No.3

基本的には音を楽しむもので、She sells sea shells by sea shore. みたいな感じ? かっぱ・・・川に住んでいるといわれる妖怪 かっぱらった・・・取った。盗んだ。 らっぱ・・・ラッパ。トランペットみたいなもの。 たってちってた・・・ラッパの音を表している擬音。 なっぱ・・・菜っ葉。ほうれん草とかキャベツとか白菜とか。 かった・・・買った。 いっぱ・・・1束? あるいは いっぱい?(たくさん) きって・・・切って くった・・・食べた。 ちなみに、こういう場合は「詞」ではなくて「詩」です。 それから、詩の全文を載せるのは避けましょう。著作権があるので。

  • m770
  • ベストアンサー率21% (140/653)
回答No.2

 元々たいした意味はありません。言葉の韻(リズム)を楽しめばよいのです。  カッパが分かりやすいように「かっぱ」を「河童」に置き換えてみます。 河童、かっぱらった(盗み取ると言う意味) 河童、ラッパ、かっぱらった(ラッパを盗み取った) タッテチッテタ(ラッパを吹いている音) 河童、菜っ葉、買った(葉の食べる野菜を買った) 河童、菜っ葉、一把買った(菜っ葉を1束買った。一把は普通は「いちわ」と数えますが、リズムを楽しむために「いっぱ」と書いています) 買って、切って、食った(買って切って食べた)

  • takomari
  • ベストアンサー率36% (1618/4451)
回答No.1

谷川俊太郎は「ことばあそび」が好きで、「ことばあそびうた」という詩をいくつも作りました。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4834004015/249-2212329-3693169 ことばあそび、とは、言葉の意味、というより音感、を楽しむということです。まだ言葉の意味のわからない子供に音感から言葉への親しみを湧かせるため、また、言葉を並べる楽しみを教えるために書かれた詩です(これは大人に対してもそうですが)。 なので、この詩についても、意味をとる、というよりは言葉を並べたときの音感を純粋に楽しむ、という方が良いのではないかと思います。 質問者さんの言葉を借りるなら、表される内容を運ぶ仲介役としての言葉に注意を払わせようとしている詩なのかもしれませんね。谷川俊太郎という人は、そういう詩人だと思います。 私は谷川俊太郎が好きで彼の詩をただ楽しんで読んでいる者です。学術的に分析できるような知識などは持ち合わせていないので、上に書いたことは全くの自論です。もしかすると、谷川俊太郎自身の目的は違うところにあるかもしれませんが、彼の詩から私自身が受け取ったメッセージをそのまま書いたつもりです。 参考になれば幸いです。

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