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教育について

jiveの回答

  • jive
  • ベストアンサー率45% (27/60)
回答No.5

>自分としては義務教育を受けなくても人間は無限の可>能性をひめているのだからと教えてかったんです。 このことは、非常に賛同できる考え方です。教える価値のあることと思います。ただ、教え方が難しい、という問題である、ということだと思います。 学校に行くこと=良いこと 学校に行かないこと=いけないこと というイメージを多くの子供達は持っています。 これは、学校に行くことを習慣化し、 学校の重要性を理屈抜きに感じさせる上で 重要な役割を果たしている反面、 適応できない子供の心を苦しめたりもしています。 すでにご理解されていると思いますが、 学校は、特に初等教育を行う小学校は、 人間を社会に適応させるために必要な場所です。 そもそもの発想は、 支配階級にとっての良質の労働者の獲得が目的だった、 などといいますが、そんなことは今となっては どうでもよいことです。 義務的な教育のカリキュラムの中で学ぶこと、 そして集団生活の中で学ぶことは、 ひとりぼっちでは生きにくい人間という種にとって、 社会生活を営んでいく上で、 大変有用な内容であると思います。  しかしながら、学校で学ぶということがどれほど重要か、と考えると、過大評価はしてはならないとも言えます。  学校というしくみができたのは近代社会の成立の過程の中でのことでした。それまでは、全ての人に教育を行う学校などと言うものはなかったわけです。  では、その時代、人間は今よりも劣っていたのでしょうか。むしろ、私たちは逆の印象を持ってすらいるのではないでしょうか。    いや、これは、安易に結論づけられることとも思いません。人間にとって大切なことは、栄養のバランスと同様に、様々な要素があります。学校のない時代の人間が、ある種の「栄養失調」であった可能性もあります。しかし、栄養に満たされているはずの私たちが、なんだか自分たちの姿に自信が持てないような気もするわけです。  消極的なようですが、私たちはすでに学校(義務的な教育)なしには運営できない社会に生きています。学校なしに生きることは、定時制学校にやってくる年配の方を見るにつけ、大変なことであるように感じます。  私は学校は人間の発明である、という点から考えても、その必要性を過大評価はすべきでないと思います。学校がないと人間は全くダメ、などとは思いませんし、学校でなくても、多くを学ぶことはできるでしょう。  しかし、学校においても、人間にとって大切なことを学ぶことはできると考えます。むしろ、学校という場所を利用して、多くの子供たちがより多くのことを学び取れるようになれればすばらしいことではないか、と思います。

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