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義務教育について考える
- 義務教育とは、全ての国民が教育を受ける権利と子女に普通教育を受けさせる義務を持つ制度です。
- 家庭の事情によって毎日の登校が難しい場合でも、修了証書や卒業証書を取得できれば良いという意見があります。
- 一方で、義務教育では自習や補講といった授業に拘束される必要があるかについて議論があります。また、能力の違う児童生徒を同じ学級で一日中拘束する必要があるかも疑問視されています。
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はい、確かに、一般に「教育の義務」と簡単に言われていることは、「義務教育期間に該当する年齢の子どもの保護者(一般的には、親)は、その子どもに、教育を受けさせなければいけない」ということです。 子どもサイドから言えば、学校に行く義務なんて、ありません。 どんな境遇の子でも(たとえば、両親が亡くなって、児童養護施設で養育されているとか、両親がリストラされて、生活保護の家庭で暮らしているとか)、等しく教育を受ける『権利』をもっているだけです。 ただ、私が学生時代に、教育法規の授業かなんかで聴いたような記憶があるんですけど、日本の義務教育というのは、「教育を受けさせる」とは言ってますけど、それを具体的に言うと「学校に登校させる」のが義務らしいです。 だから、強引な言い方をすると、「『登校しなくても』卒業証書がもらえれば良い」のではなく、「『成績が底辺級でも』(学校に登校していれば)卒業証書がもらえる」みたいな感じ。 「能力が違う子を、指定した時間帯ずっと、拘束する」……というか、親が学校に拘束を委託するというか……言い方が極端ですけど……そういうのが、日本の義務教育の実際のアクションみたいです。 外国にも、義務教育という制度がある所はたくさんありますが、システムは様々です。 たとえば、「これこれの内容(知識)を理解することが、義務化されている」といったシステムで、優秀でどんどん理解できてしまう子がいる場合、「できない子を集めて補習をおこなう」のではなく、優秀な子の方を、どんどん飛び級させてしまう所もあります。 また、できる子は進級するが、できない子は留年するのが普通……という所も、あるみたいです。そういう地域では、理解できない・理解するのに時間がかかる(時間をあけて2回もしくはそれ以上、繰り返して話を聞かないと、理解できない)という子は、2年かけて(時間をかけて)進級するのが普通なので、留年というか同じ学年を2回とかやっても、恥ずかしくないらしいです。 質問者さんは、ルイザ・メイ・オルコットの「若草物語」を読んだことはありますか?昔、テレビアニメになったこともあります。 南北戦争時代のアメリカを舞台にした、4人姉妹をメインにした児童文学ですが、この中で三女ベスと四女エイミーは、学業期の少女です。エイミーは学校に通っていますが、ベスは体が弱いので、家で勉強しています。また、エイミーが学校で不快な経験をした時(教員が嫌な思いをさせた)、母親が「あの先生(学校だったっけか?)は、不満に思う点もあるので、しばらく学校に行かずに、家でベスと一緒に勉強しなさい」と言ったことがあります。(解決して、エイミーは再び学校に行くことになりますが) 時代や国にもよりますが、このように、「勉強さえできれば、学習する場所は、学校でも家でもいい」というのも、あるようです。 学校でいじめられたりしないよう(=無菌状態で過ごすために)、学校に通わせずに、家庭教師をやとって家で勉強させるという上流階級があった、という話も、きいたことあります。 卒業証書や修了証は、学校で発行する物なので、「学校長の裁量で」死亡した生徒や長期療養の子などに発行することは可能ですが、学籍簿的には、死亡した生徒はその学校の卒業生になりません(卒業の段階で本人がいないので、卒業証明書に該当する物は出しようがありません) 今の日本は、質問者さんが希望するような教育システムではないので、そういう点では質問者さんにとっては残念な状態です。 しかし、質問者さんがお考えのような教育制度も、いいですよね。
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そう。 義務教育なんておかしいものさ。 本来、子どもが教育を望んだ場合にのみ、大人が教育しなければならない。 これが義務教育なんだ。 日本の3大義務のひとつに教育を受けさせる義務ってあるけど。 あれは親の義務。 子どもにムリヤリ「お前ら、教育を望め」って言ったら、 もはや憲法26条の意味がない。 義務教育は違憲なんだよ。(とオレは思っている) 日本ってのは違憲がまかり通ってるってこと。 沖縄基地とかそうじゃん。 たとえば、子どもが「タンポポの勉強したい」 って言ったら、本を買ってあげたり、 植物学者の先生に教えてもらったり。 そういうことを親がしなさいっていうのが教育の義務。 これがほんとうの教育だよね。
お礼
目から鱗の,私にとって新鮮なご回答です。! ありがとうございました。 国民の三大義務は成人に負わせているのですよネ。 たしか,納税・勤労・そして扶養する子女に普通教育を受けさせる…。とかと,記憶にあります。 義務教育を受ける義務は無いですよネ。 何か創作時の社会通念に縛られているようで,新しい通念では文言の意味に矛盾を感じて仕舞いますね。 還暦過ぎた日本人と自覚はしても,最高裁の判例が変わった事を知るまでは矛盾を抑えていました。 都会では就労の機会が多いのでしょうが,田舎では門地がモノを言います。古い社会通念を堅持しないと,よそ者扱いで,超低空飛行を余儀なくされます。 義務が無いと勝手気ままに成人したら,パートタイムの仕事にもありつけません。子どもができて,教科書やスマホ携帯強請られても,義務教育は中学校までだと追い出すわけにもいかないだろうと,考えて仕舞いました。 二十歳過ぎても,大学入りましたので,その気があればいつでも就学出来ますね。還暦過ぎたけど,生涯大学入りました。義務では無かったので,楽しい思い出ばかりです。 これが本当の教育だったと思います。
- mimi--ko
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「ゆとり教育」がうまくいっていたならば、あなたのお考えに近い物になっていたと思います。 私の子どもは「ゆとり世代」ですが、教育熱心な家庭においての「ゆとり教育」はある程度良い結果を生んでいたのではないでしょうか。 学校に束縛されない時間を活かして、その家庭なりの教育がなされていたと思います。 土日が連休になったことで家族でキャンプに出かけたり、学習に力を入れたい家庭は塾に通わせたでしょうし、子供にあったスポーツやお稽古事を極めることもできました。 子供が通った小学校中学校は、いわゆる実験校で、教育熱心な家庭ばかりでした。 小学校低学年の間は宿題が出ず、自発的な家庭学習に任されていました。 毎日が自由研究状態で、それはそれで結構大変でしたが・・・ 学校では体育行事や様々な行事が目白押しで、子供たちもハードだったと思いますが、良い経験ができたと思います。 学校の教育目標として、社会性を身に着けることがあがっていましたので、ルールには厳しく、立ち居振る舞いなども指導されていたようです。 しかし、多くの学校では全ての家庭が教育熱心であるはずもなく、教育に熱心でない家庭のお子さんがいろいろな面でおいていかれることになってしまったわけです。 そこで、ともかく学校に登校させて、たとえ自習だとしてもやることを与えるほうが良いという事になったのだと思います。 質問者様のように、ご家庭での教育に重きを置いていらっしゃる場合は、私学、をお考えになってはいかがでしょう? 現在の義務教育は、教育の底上げが課題になっているように感じています。
お礼
>多くの学校では全ての家庭が教育熱心であるはずもなく、教育に熱心でない家庭のお子さんがいろいろな面でおいていかれることになってしまったわけです。 そうなんですね。そんな価値の子に時間をかけて,教科書の設問を全て解けないので,宿題にする先生は少なく無いと承知します。 むしろ,上位の20%の名を公表するとか,表彰するのが子どもの学習意欲を燃え上がらせる一番簡単な手法ですが,なぜか受け入れられません。『能力の無いことを名指しすることは…』などと反論されてしまいます。 教科学習に興味がない子もいますし,スポーツや芸事に力を入れる子もいるのです。いろいろあってそれが良いと思うのです。 家事を手伝わせることも,生きる力を育む上で有効と考えます。 ある意味,学校は子どもの教育を過程に委ねず,行事等で拘束しているようにも思います。 大型店の進出で地方では働き口が少なくなっています。米国風の大型店の進出とファーストフードの普及で,総合学習の趣旨も必要ないようです。 夫婦で退職後都会に移住した校長のご子息達は,パートが簡単に見つかるのでフリータばかりで,結婚できそうにも無い。しかし,それにおぼれて自分を高める努力をしないそうです。 我が子は,祖父母が農作業に連れ回したので,卒業後は薄給にも耐えて,経済的な援助はシャットアウトしてそれなりの家庭を築いています。 ささやかな成就感を家族作業で何度も体験していたようです。学校で学んだことを作業で実践していたようです。 学校で褒め称えることは,妬みも恥じらいもアリ一部のキャラの子ども以外には難しいと思います。 義務教育後期にはインターンシップを多く取り入れるなど,授業が苦手な子にも生きる場面を設定したいですね。 英国では半世紀ほど前には進学組と就職組に別れていたと承知します。 日本の中学校でも3年次には就職組は技術家庭科の授業が多くあり,普通に帰宅して,進学組は,暗くなるまで有料の課外授業をしていた記憶があります。
補足
>「ゆとり教育」… 今一度ご解答を拝見させていただきました。 人間を知らない,輩の発想だと再認識しました。 生きるモノ全てが,競争によって学ぶのでは無いでしょうか。 国境がある限り,人間に国家的なゆとりなど無いのです。 尖閣・竹島・北方領土とかTPP。全ておおらかに構えていられません。 先般,下記のような回答をしました。 まさにゆとり教育の賜物かと思います。 とても素直な質問者様です。 http://okwave.jp/qa/q8295832.html 高校生としては国際的に見ても幼い感じがします。教育現場には女性教員が増えて,何かと説明できる態度・資質を涵養しすぎたと思います。意志力を感じないのです。 日本人としては,ちょい悪で良いと思うのです。そうして力を付けたら,困っている人を助けてアゲル。援助すれば良いのです。教育される年代から公平というか,同じラインに徒労を重ねて立たせる必要は無いと思います。義務教育で競争させて,自分に合う生き方を探させて,全員高校にあげるという平等感は捨て去るべきです。早く職に就いて一人前になりたいと望む生徒は沢山いました。「とりあえず高校だけは」と一番覚えの良い年代に高校で尻パンと携帯覚えさせているのです。 経済の成長期に高校を増設して,入学者の調整は進学校普通科の定員でしたのです。底辺校には常に学力の底辺者が入学したのです。底辺校は実業(職業?)高校が多くなり,施設や高校教員の調整が難しいので,常に定員枠は一定だったのです。落ちこぼれの寸前の子が滑り止めで入ったのです。伝統的に無気力が醸されます。 落ちこぼれ組や学校教育に馴染めない子は早く工務店や大店に出して,先輩に可愛がられて,仕事を覚えれば社会でも評価されるのです。高学歴者とは別の世界に住めば良いのです。 同じと考えるから,唯一相手にしてくれる学校への破壊行動が出るのです。 高校や大学に進んだ者とは違った給与体系や人間関係の世界があっても良いと思うのです。分からないデタラメな授業も多いと承知します。義務教育とは言えない託児所的な高校や大学が行政と企業との癒着で増殖したのでは無いでしょうか?
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
教員です。 何故、義務教育が施行されるようになったのか? 元々は「富国強兵」の観点から「国民に一定の学力をつけた方が、国が富む」との政策からではないでしょうか。 「デキない児童生徒だけに補修(補習の間違いでしょうか?)する」のでは「一定の学力をつける」には到りません。 「いや、出来ない奴だけ集めた方が効率がいい」と思うのは、生産者の考え方です。 「朱に交われば赤くなる」とも言われるように、集団での力は侮れないのです。まぁ、逆に「出来る者が落ちていく」事もあるのですが…その為に「向上させる」舵取りとして、教員がいるともいえないでしょうか? 舵取りだけでは船は進みません。推進力になる動力が必要なのです。 >デキた児童生徒には課外授業として,専門教育(部活動)も選べるようにすべきだと思うのです。 同じような意図で「習熟度クラス」や「飛び級制度」が昔はありましたが、日本には合わないようですね。 今現在もそれらを行っているアメリカでも「天才を生む」ことは出来ても「一定の学力を身につけさせる」には到っていません。 一般の社会人の学力が、どちらが高いかは「災害時の対応」にも現れているのでは?と思います。 >家庭の事情で,毎日登校させなくても良いと思うのですが。 昔は、これがおおぴらに行われていましたね。 女の子など「学校に行きたい。学びたい」のに、行かせてもらえず、ひらがなを拾い読みするぐらいが精一杯で、大人になってから夜間学校に通ったりする人もいました。 でも、学習って「適齢期」があるんですよ。「その時期に学ばないと、ものすごく努力が必要になる」と言うことが。 それに、義務教育で学習することは「国語」「数学」などの教科学習もあるのですが「集団行動」も大きな比重を占めます。 最近では「運動会の行進」を行わない学校もあるのですが、これが出来ると出来ないでは、先ほどの「災害時の対応」にも影響が出るでしょう。 いわゆる「空気を読む」というのも、ここに入りますね。 また、現在、支援学校では「国語・数学」ももちろん教えますが、それ以上に「生活していく上での力」の養成に、大きく力を注いでいます。 とりとめもなく書きました。私見です。
お礼
そう,富国強兵は,質の良い労働力と兵士の生産ですね。 義務教育を事実上高校まで延長させて,12年間も集団行動できるように躾けるんですね。強力に。 災害時に略奪などが皆無に近いのも教育のおかげと思います。 年齢に応じて違った集団規律を学ぶのですから,。 しかし,高校も含めて12年間も集団教育で我慢を躾けるのも如何なモノかと思います。 ありがとうございました。
- clown11
- ベストアンサー率0% (0/1)
私には法律云々は分かりませんが 前提として義務教育とは人としての土台を築くものだと認識しています 。 >修了証書・卒業証書が取得できれば良いと思うのです。 確かに取得することも大事ですし、これは学校の裁量次第でなんとかなるかもしれませんが、経験は得られません。義務教育で得た経験は大きな価値があります。まあ、私は毎日は行きたくはありません。疲れますし >自習や補講と呼ばれる授業者がいない間も学校に拘束されることが,義務なのでしょうか?教員の休暇・研修等は事前に組み替えて授業数を確保して,できない児童生徒だけに補修する等の区別をすべきだと思うのです。 確かに合理的ないい案ですね。 ただ、私にとっては嫌な案ですね。そんなはっきり君は能力が劣っていると言われると。能力がないので、しょうがないのかもしれませんが... >能力の違う児童生徒を同じ学級で一日中又は,終了まで拘束することが義務なのでしょうか? 能力の違う人と同じ空間にほぼ一日中居続けることは、社会では普通じゃないですか?人は十人十色です。違って当たり前です。他者との違いを理解する、そんなことも大事かな...なんて思います。 >30年以上前からバブル期には,義務教育の必要性は無くなったと教育界で言われました。学校にある図書や事務機器などが,教員の資質さえもが,学区内の民間より劣るケースは少なくないのです。 繰り返しになってしまいますが、教育は経験も含めてだと考えています。確かに勉強面では学区内の民間より劣るケースはありますが、失敗を含め経験って大事です。学校で得られるものって結構大きいと思います。 それとこれは私が幸運だったので言えることですが、 学校って割と楽しいですよ。 以上です。検討違いな返答だったらすみません。
お礼
>まあ、私は毎日は行きたくはありません。疲れますし 私も,祖父母や母と畑に行きたかったのです。小学校へ行っても,その日の学習が終わったら,計算問題やドリル帳の見直しが多かったのです。 畑にいけば,作業の合間にいろいろなコトを教えて貰えたのです。 >そんなはっきり君は能力が劣っていると言われると。能力がないので、しょうがないのかもしれませんが 小学校での経験があります。1~2年生位は,授業が分からないと泣いて悔しがります。大人の感覚と違います。 休み時間にも,遊びより勉強を優先して机の周りに集まります。子どもの熱気に,夏は暑くてたまりません。冬はトイレに行く暇がありません。 「能力が無い」と言われたと反発するのは中学生後期になってからと承知します。無意味な反発をするのは,プライドだけが高い親の意を汲んだ児童の反発です。 賢く,穿った親は,我が子の勉強の資質の低さ等を察知すると先生批判より,楽器演奏や書道・運動等に仕向けます。 我が子の無能と自身の横着を棚に上げて,先生に転嫁する保護者に問題があるのです。 そこで,組織的に能力に応じた学習形態を醸成する必要があるのです。そのためには,デキない児童・生徒をオブラートに包んで進級・卒業させる今風の義務教育を改善できるかどうか教えていただきたいのです。
補足
中卒の建築・土木会社の社長さん,腕の良い建具屋さんなど多くの知人がいます。五教科の得点で能力を評価するのは今風です。 以前は喧嘩が強くて番長になっただけでも評価されたのです。いじめはせずに,縄張りを護ったのです。先生には一目置くので,学校の器物を壊したり等は滅多にしませんでした。相互に認め合っていた?のです。 この資質は,経営者になる資質を育んだようです。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1619/6638)
>義務教育ってどういうことだろ思いますか? 義務教育は世間の縮図であると思います。つまり学力差や家庭の収入の差など、あらゆる差のある人達と触れ合う、人生最初の機会だと思うのです。そこには大人社会と同様にいじめもあります。いくら勉強しても、スポーツや音楽・美術などを頑張っても報われない結果に終わることもあります。これも大人社会と同じです。それを経験しながら、自分の将来を自分で切り開く訓練をしているのです。すべてがそろった状態では、そのような力は育ちません。 最近は自分の子供一人を育てられない自分の責任を棚に上げて、何でも人のせいにする風潮があります。子供はそんな親を見習い、次の親になっていきます。どんな社会になるかは想像に難くありません。 >教員の休暇・研修等は事前に組み替えて授業数を確保して >学校にある図書や事務機器などが,教員の資質さえもが,学区内の民間より劣る 能力のない先生に頼らず、ご家庭でなんとかしてさしあげてください。 卒業認定試験があります。主には病弱などが理由で通学できなかった場合に、学力試験を受けて卒業と同等の能力があると認めるものです。これに合格すれば、中卒、高卒の資格を得ることができます。 >自習や補講と呼ばれる授業者がいない間も学校に拘束されることが,義務なのでしょうか? 最後の条文を読めば、これが誤解だと分かります。子供には学校に残る義務はありません。普通教育を受けさせ、学力を身につけさせる義務が学校に(つまり国や都道府県、そこで働く教員に)あるのです。その義務に従って居残りをさせているのです。学力が身についていないことが分かっているのに帰宅させることの方が憲法に違反しているとも言えます。
お礼
>学力が身についていないことが分かっているのに帰宅させることの方が憲法に違反しているとも言えます。 能力には限界があります。午後の授業で普通学級より妥当なレベルでの授業を進めるのです。更に無理な子は養護学校を薦めるなど現行と同じにで,なんら変わりは無いのです。 ここらをしっかり区別すべきだと思うのです。 他動的な子に一人の専従教員を置いているとも聞きます。 >能力のない先生に頼らず、ご家庭でなんとかしてさしあげてください。 先生は,日々研修に励み,頼られるようにして貰いたい。既得権の高給ばかりを望まないで欲しいと思います。義務教育レベルは充分に教えられる知識を得てから正職に就いて貰いたい。医師にはインターン制度があるとか無いとか。 中卒なら可愛げもあります。勉強もしないで高卒・大卒顔でフテたら誰でも虐めて見たくなるでしょう。 社会に出てから社会勉強したほうが,身につきます。学校で勉強したのは,所詮社会では役に立ちません!←ちょっと言い過ぎですが,「教員上がりは使えない。」が通説です。(*^。^*) つまり,義務教育で必要なコトを高校に丸投げしていないか?と言うことです。中学で学べない資質の子は社会で勉強すべきなのです。 義務教育を終わったというプライでを持って社会人になって欲しいのです。そして,この技術なら,「大卒にも負けないぞ!」という意気込みを育んで貰いたいのです。高卒・大卒が誰にでもできる単純労働に甘んじて欲しくないのです。 中卒=義務教育終了で,後は自分で職場で学んだのです。 喜寿に近い先輩方はしっかりした意識を持っています。
- Masami_Fujii
- ベストアンサー率9% (22/241)
その要望が通るとどれぐらい増税になるか、考えて みよう。あと、勉学よりも集団の中での自らの身の 処し方が重要です。 それが理解できないのは不登校児なのかな?
お礼
>要望が通るとどれぐらい増税になるか… 全く増税になるとは思えません。現場の教員がより意欲的に授業に打ち込めるようになると思えます。校長や教頭を名誉職にしないで,授業を振り分けて,大きな市町村では,ブロック毎に校長を置いたりすれば良いのです。校長一人には1000万円近い経費削減になると思います。 特殊学級も,基幹校に集約したり母校に分散したり集配の小型バスの導入で車内授業も取り入れれば,それなりの人員削減になります。 トヨタ等から県教委レベルで人材の無駄を省く効率的なノウハウを学ぶなど,ガラパゴス化した状況を打破すべきです。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
人間としても、最低限の基準を学ばせることです、、、。別に用があってもなくても、、学校のカリキュラムに従うこと。 センセが居てもいなくても、、、その場にいること、、、、これを学ばないと、、、集団生活、、、仕事場で、、同じことを言いますよ、、、社長がいない日、上役がいない日は、仕事しなくていいの、、、。それはおかしいでしょう。 貴方が、ご自分で、学習させて、弁護士、医者にできる自身があるならいいけど、、、最低の集団生活のマナーは学ばせないとね、、、と思います。
お礼
>弁護士、医者にできる自身があるならいいけど、、、 弁護士医師が義務教育の所期の目的とは思えないのです。 かつて阪大の学生が四本足のニワトリを描いたと聞きます。これは冗談ではなかったようです。 不道徳な投稿映像やいじめ・ネグレクト等の報道に接する度に義務教育が機能していないのでは,と危惧しています。
まわりくどい文章ですが, >能力の違う児童生徒を同じ学級で一日中又は,終了まで拘束することが義務なのでしょうか? がいいたいのですか? 能力がちがうといっても,千差万別でしょう。国語は得意だが,算数が苦手な子。おなじ算数でも計算はいいが図形はさっぱりな子。器械体操はうまいが,泳げない子。これらをひとりひとり見分けて何十~何百種類もの別行動をとらせる余裕は,学校教育にはないでしょう。で,みんなひとしくつきあってもらう。 あなたの主張は,とても観念的です。
お礼
>あなたの主張は,とても観念的です。 ですね。 教えるべき内容を具体的に示して,達成しない児童に午後,補修するといことで,あるときは午後も授業を受け,あるときは,自己の能力を更に高める課外授業にでるという形態は,少しだけ今の学校でも取り入れられていると思います。
お礼
>「若草物語」 米語にも、女言葉が有るのでは無いかと周囲に内緒でビデオを購入しました。作者のルイザは江戸時代に育ち、自身は独身を通したので、私の母の説くモラルと似通った部分を感じました。 何度も聴いて、話し言葉を取得しました。懐かしい作品です。 40年前の話しですが、英国では15歳位で誕生日が来ると義務が無くなると説明されたと記憶します。 旧ウエスタンサモア国では当初義務教育は4年でした。私の下で働いていたメカニックは、弟を学校に通わせて、下校時に迎えに行き、バスに乗せると戻って来ました。義務教育と言いながら彼は受けなかったのです。 しかし、彼は、函館空港にソ連の戦闘機が着陸したことを米軍の放送で聞きとり、知らせてくれました。物覚えのよい子(15歳から17歳まで)だったので、かけ算も教えれば良かったと悔やんでいます。 >学籍簿的には、死亡した生徒はその学校の卒業生になりません… 卒業証書は他の人には無用なので出しても問題は無いのですね。 今は、先生集団(組合では無く)の職場として学校があるように思います。特に高校入試の英語問題は、発音の違いやスペルの違いを出題しています。お国訛りが激しい英語には不要です。 書けなくても、繰り返し構文を読んでスキャット形式で練習すれば、小学校の4年間で(2時間/週)で、英語放送が聴けるようになり、話せるのです。中・高で6年間英語を学んだと言うと「かなりスチューピッド」と言う旨の言葉が返ってきます。 実際十数年前の英語の先生の多くは、先ず外国人と世間話はできませんでした。そんな先生が生徒を拘束していたのです。 祖母は130年ほど前の生まれですが,田舎の小学校を出たと言い、学校へ行かない女子の方が多かったと聞きました。祖父は日清戦争に従軍し、測量士(独学?兵役に就いてから?)の用具を残しました。 学校に児童生徒が登校しなければ、先生が職を失ってしまいます。 現在は政令都市になった市で、30年ほど前に中学校で教員をしていましたが、3年の3学期には、難関校進学希望者は、自宅学習(登校しなくて)をしても特にお咎め無しであったと記憶します・