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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:参考書の例文。 文学的vs日常的)

昔の参考書と今の参考書、どちらが面白い?

このQ&Aのポイント
  • 昔の参考書は文学的な英語を題材にした例文が多く、古書気味の参考書も面白いと思います。
  • 現代の参考書には日常的に使われる平凡な英文が載せられていますが、昔の参考書の方が面白いと感じます。
  • 文豪の書いたドラマチックな英文と日常生活で使われるけれどつまらない英文、どちらが好みかは人それぞれですが、私は昔の参考書の方が好きです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ucok
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回答No.5

#2で回答した者ですが「お礼」と「補足」を拝見しました。こちらこそ、ご質問の方向性を少し見誤っていたと感じ、仕事が一段落したら再回答しようと朝から思っていたんです。 参考書は主に学校教育に活用する人が多いのではないかと前回書きましたが、そもそもその学校教育が実社会に合っていないと示唆しておられるのなら、私は英語に限らず、大いに賛成だと思いまして。高校を卒業したばかりの息子の教科書は確かに私の時代に比べたら、映画界や音楽界の人気者を取り上げるなどしていて“ナウく”しようとしているのは感じますが、そのナウさがそもそも既に古い。 もちろん、本当に新しいものはそこらじゅうに転がっているのだから自分で探せばいいと言われればそれまでですが、箱入りの中高生たちが、社会への唯一の窓口と言ってもいい教科書でつまづいたら、もうその教科には、なかなか興味を示しませんよね。教科書を脱して独自の教材を配る教育者もいらっしゃいますが、その人たちとて、生徒より最低でも一世代は上。稀に本当に生徒を開眼させてくれる若手の先生がいらしても、古株のやり方に押されて辞めていく始末。 質問者さんは「学校の成績で英語は苦労しませんでした」とお書きになっていますが、意外ではありません。本来、学校教育は、質問者さんのような謙虚でバランス感覚のある視点で受けていれば、文部省のガイドラインくらい楽々クリアできるはずですし、質問者さんくらいなら、きっとその上を行っていたのでしょう。それを教科書は、かえって妨げているような気がしてね(と書いてしまったのがかえって言い訳がましいのですが、念のために申しますと、私は母語感覚の英語以外、成績はドツボでした)。 ちなみに、聖書に関しては単純に「自分だったら読んでみたい」と思っただけで深い意味はないのですが、なぜ聖書かというと、ご存じのように、聖書の基本を知らないと理解できない西洋の娯楽作品があまりにも多いからです。ティーン向けのちょっとしたジョークにも引用されていますからね。にもかかわらず、聖書は実際のところ難解ですよ。そもそも原書が古いヘブライ語ですから、現代英語の聖書は翻訳に翻訳を重ねたものだし、日本語訳はそのまた翻訳なので、解釈も多岐に別れます。そのあたりも含めて、面白おかしく真面目にわかりやすく解説している参考書があれば便利だと思うんですよね(どこかにあるのかもしれないけれど)。 で、本題に戻りますと、例えばこのQ&Aサイトを見ているだけでも、「このオモシロ動画やゲームやツイッターで、何て言ってるの?」みたいな、ありがちな質問に、古典の引用が盛り込まれていることがあったりしますよね。そんな感じで、教材のメインは生徒世代が*今*楽しんでいる媒体にして、引用として盛り込まれている古典はトピックス的に取り上げた教科書や参考書があると、今の現実世界や社会生活に活用しやすいのかなという気がするんですが。まあ、私は教育に関しては素人なので、的外れかもしれないけれど。

zatousan
質問者

お礼

超人、再度のご回答ありがとうございます。 >そもそもその学校教育が実社会に合っていないと示唆しておられるのなら、 >私は英語に限らず、大いに賛成だと思いまして。 そうなんです。 かと言って僕も何が最善かというとよく分からないのですが、本当に海外に移住するなら日常会話も良いかもしれないけど、日本にいて洋画や洋書を読み、ビジネス英語を使うには特に今の参考書は大して役に立たないような気もします。 ビジネス英語はご存知の通り単に「定型文」ですので、大して難しくないし、 >「このオモシロ動画やゲームやツイッターで、何て言ってるの?」みたいな、 >ありがちな質問に、古典の引用が盛り込まれていることがあったりしますよね。 >引用として盛り込まれている古典はトピックス的に取り上げた教科書や参考書があると、 >今の現実世界や社会生活に活用しやすいのかなという気がするんですが。 僕もそう思い、返って古典の方が、箸にも棒にもかからない中途半端な日常会話よりは、ずっと現実的だと思いました! 本当に超人の文章に比べると僕の文章は稚拙だったと思うのですが、そういう思いを込めての質問だったのです。 >箱入りの中高生たちが、社会への唯一の窓口と言ってもいい教科書でつまづいたら、 >もうその教科には、なかなか興味を示しませんよね。 仰るとおりですよね。  >なぜ聖書かというと、ご存じのように、 >聖書の基本を知らないと理解できない西洋の娯楽作品があまりにも多いからです。 >にもかかわらず、聖書は実際のところ難解ですよ。 確かに難解ですよね。 日本人的な感覚で読むからいけないのか、僕個人の読み方がいけないのか分かりませんが、『どうしてそういう解釈になるの?』とか、Davidの名前が欧米人に多いけど『ダビデはそんなに立派な人か?』とか?そもそも根本的な所でややっこしいと感じています。 >そのあたりも含めて、面白おかしく真面目にわかりやすく解説している参考書 >があれば便利だと思うんですよね(どこかにあるのかもしれないけれど)。 確かに、そういう参考書があったら僕も読みたいですね。 もう聖書は何回通りか読みましたが、僕の個人的な感想と西洋的な見解の隔たりが大きく、、、『理解をあきらめ中』です。 本題に戻りますと、僕と同じように超人も古典の現代的な重要さを感じているとの事で、自分の思い違いでないと分かり安心しました。 本当に相変わらず深いご回答ありがとうございます。

zatousan
質問者

補足

訂正が少しあります。 自覚症状がないのですが、ちょっと疲れているみたいでまた超人のご回答を誤読してしまいました。 >引用として盛り込まれている古典はトピックス的に取り上げた教科書や参考書があると、 >今の現実世界や社会生活に活用しやすいのかなという気がするんですが。 というコメントに対して、 「僕もそう思い、返って古典の方が、箸にも棒にもかからない中途半端な日常会話よりは、ずっと現実的だと思いました!」とコメントしてしまいました。 超人が仰るとおり、トピックス的に適度に取り入れられていれば申し分ないのですよね。  さてどういうわけか、今日はうまく思ったことを、うまく文章化できないのですが、何か頭の中に渦巻いていた疑問が晴れました。 ありがとうございます。

その他の回答 (4)

  • tknaka
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回答No.4

お久しぶりです。参考書の例文について面白そうな質問でしたので、ちょいとばかりお邪魔を。 まず前提となる社会状況、進学率、高校生の質を考える必要があると思います。また、実際の参考書の編集者の経歴も考える必要があります。昭和34年当時を考えると、ちょうど朝鮮戦争による特需景気が始まり、大学も新制大学に編成替えされ、一段落と言った時期でしょうか。大学・短大進学率は男性で20%弱、女性で13%でした。ちょうどこの頃から、「大学は出たけれど・・・」というような流行り文句が聞こえ始めることになります。つまり、学生の質が「卒業資格」に対して十分ではなくなってきたということです。 http://shouwashi.com/transition-rateofgoingontoschool.html これに対して参考書の編集者はどのような経歴の方々だったでしょうか? 例として挙げられている「英文法シリーズ」の編集者は大塚高信・岩崎民平・中島文雄となっています。大塚は明治30年(1897)生まれ、東京帝大を卒業して、昭和5年(1930)には東京高等師範の教授に就任しています。岩崎は明治25年(1892)生まれ、大正11年(1922)には東京外国語学校の教授に就任しています。中島は少し若くて明治37年(1904)生まれ、昭和2年に東京帝大を卒業して、翌年京城帝大の専任講師に就任しています。また、大塚・中島は自らの研究テーマとしてシェークスピアを中心に取り上げていました。 編集者達の学生時代の進学率を考えてみます。昭和9年の小学校から中学校への進学率が20%ほどだったということですから、大塚を初めとする三者およびその周囲の学者の優秀さだけでなく、当時の高等師範・外国語学校・各帝大の学生のレベルは推して知るべしということでしょう。トップレベルの者しか学生になれない状況でした。 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad195901/hpad195901_2_008.html 昭和34年当時、新制大学として多くの大学が新しく設立され、また学生数も増えて行くことになりました。しかし、それと反比例するように、学生の質は落ちていくことになります。「英文法シリーズ」の編集者たちが受験勉強をしていた頃、シェークスピア、ミルトンやバイロンを読んでいるのは当たり前のことだったでしょう。ミルやベーコン、ロックなどの哲学書も熟読されていたに違いありません。恐らくは原書でも。とすれば、当時の状況を知る編集者たちが、これらの古典に例文を求めるのも不思議はないでしょう。彼ら自身、その文章の優雅さに惚れてしまっていたのですから。また、当時はまだ教授の権限は絶対であり、彼らのレベルに学生は頑張って追いつき、追い越していくことが要求されていました。 翻って、現在の状況を考えてみてください。2009年の大学進学率は50%を超えることができましたが、AO入試や指定校推薦などの抜け道ができ、Fランク大学などと呼ばれているところでは高校数学の補習なども大学で実施する状況になっています。古典文学に対する造詣もなく、作家の名前を知っていたとしても、多くは受験勉強の成果で、自分がその作品を読んで感動したという背景を持っている学生は少ないでしょう。また、教授は単なる「先生」として扱われ、「お客様」である学生が偉くなってしまったかのような状況です。(学生の授業単位を落とすことができずに、あの手この手を使って学生が単位を取れるように奔走しなければならないようです) このような状況の中で、例文を探そうとする場合、古典から気の効いた言いまわしを持ってくることは可能でしょうか? 特に大学卒業者の多くがキャリア官僚・研究者を選んでいた昭和30年代とは異なり、ほとんどが民間企業で大学での専攻と関係ない職に就くような状況の中で。 欧米では、まだ古典作品の引用が随所に見られたり、パロディ化されていたり、と古典作品が脈々として生きていることが伺えます。特にキャリア官僚にはそういうレベルの人が多いです(大抵何らかの博士号持ち)。流行のポイ捨て、古典は既に葬り去って久しい日本の状況とは大きく異なります。 つらつらと徒然なるままに書いてしまいましたが、結論: 昨今の大学レベル・受験生レベルでは昔の参考書レベルのものは使いきれないと思います。その意味で、現在のようなものにならざるを得ないのでしょう。

zatousan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やっぱり歴史家の大達人のご解説は、「その時代に生きていた人並み」に生き生きとしていますね! 何も知らずに昔の参考書を読むと、昔の参考書のほうがレベルが高いので、「日本人の頭は悪くなっている!?」と一瞬思わざるえないような気分になりますが、ようするに「本当に頭の良い人用のトップエリート用参考書」なのですよね。  >当時の状況を知る編集者たちが、これらの古典に例文を求めるのも不思議はないでしょう。 >彼ら自身、その文章の優雅さに惚れてしまっていたのですから。 僕もこういう例文には惚れ惚れしてしまいます。 個人的にはこういう英文に出会いたくて英語を勉強しているので、今の参考書は本当に勉強のツールにしか感じられません。  >このような状況の中で、例文を探そうとする場合、古典から気の効いた言いまわしを持ってくることは可能でしょうか? ちょっと脱線します。 ここ英語カテの達人達がすご過ぎるので、時々忘れてしまうのですが。 そういえば、僕も世間一般から比べると英語がと得意な方なのでした。  >欧米では、まだ古典作品の引用が随所に見られたり、パロディ化されていたり、 >と古典作品が脈々として生きていることが伺えます。 確かにそうですね。 シェークスピアの名文句パロディはよく見かけます。  >流行のポイ捨て、古典は既に葬り去って久しい日本の状況とは大きく異なります。 考えてみると不思議なものですね。 たまに引用するなら一字一句そのままの日本と、よく引用するけどほぼ毎回独自のアレンジを加えてパロディ化する欧米。 >昨今の大学レベル・受験生レベルでは昔の参考書レベルのものは使いきれないと思います。 >その意味で、現在のようなものにならざるを得ないのでしょう。 それにしても、高度な参考書を読もうと思ったら「昔の参考書」というのも変な話ですね。  深いご回答ありがとうございます。

noname#159516
noname#159516
回答No.3

実用的知識。限られた学生の時間を、古文漢文ラテン語に費やすのは、もったいない。あえて深く研究したい人だけが読めば。 ディケンズ作品の子供向けアニメーションに関わったけど、あれは絵とドラマがついているから子供の英語のボキャブラリーを超えていても内容がわかる。けど、脚本を読む方は大変だった。普通の辞書でも今イチわかりづらくて。

zatousan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >実用的知識。限られた学生の時間を、古文漢文ラテン語に費やすのは、もったいない。 おっしゃることも分かります。 しかし、結局の所何が実用的な英語の知識なのかって考えるれば考えるほどややっこしいですよね。  >ディケンズ作品の子供向けアニメーションに関わったけど、 >けど、脚本を読む方は大変だった。普通の辞書でも今イチわかりづらくて。 どんな脚本だったのでしょうかね? この「英文法シリーズ」を読んでディケンズの時代の英語ではshallやwillの用法が現代とは違うことを知りましたが、わざわざ脚本でも古臭い英語が使われていたのですか?? アニメでも現代英語ではなかったのでしょうか? ただ、ボキャブラリー的に現在では使われない単語が沢山出てくるのは分かります。 今では機械化されて使われない道具名が沢山でてきそう。 ありがとうございました。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.2

ご回答にある通りで、用途によるでしょう。以前に質問者さんが別のご質問で指摘してくださったように、昔の学生は高校の授業でも古典的な英語を学び、おそらくは入試にもそういった類いの英文から出題されていたと思われ、自ずと参考書もそれに適したものが必要であったのでしょう。反面、今の高校の授業や大学入試では、新聞記事くらいなら見かけますが、シェークスピアは皆無に等しいので、より日常的というか、実際に今の学校で学んでいる例文に近いものを載せる必要があるのでしょう。ちなみに、シェークスピアやディケンズは、それはそれで大学の英文科で学習するでしょうから、教授に買わされる参考書の中には古典をメインとしたものがたくさんあるのかもしれません。 ただ、前回のご質問では、また質問者さん独特のおべんちゃらで笑わせていただきましたが、実は私は高校を卒業するまでほとんど英語の参考書というものを見たことがありませんでした。小学校の大半を英語圏で、英語を母語感覚に使いながら過ごしたので、授業を真面目に聴いているだけで大学入試の英語くらいまでは合格点をもらえたのです。 それで私が人生で唯一、楽しんで読んだ英語の参考書が、社会人になってから読んだ翻訳用の参考書でした。ひょっとしたら以前にもご紹介したかもしれませんが、『直訳克服! バランス翻訳の法則』(椋田 直子, 高野 優 著)バベル・プレス、というものです。 これには大河小説から取説から漫画のセリフまで、あらゆるジャンルの英文が少しずつ取り上げられていて、そのジャンルに合わせた訳し方のコツを丁寧に解説しています。読みものとしても面白かったし、今も学んだ技術が役に立っています。 ただ、この参考書にもシェークスピアやディケンズは載っていません。翻訳家を目指す人を対象とした参考書なので、そこまでの大家の古典を訳す仕事は、駆け出しには回ってこないのを見越しているのでしょうね。聖書をベースにした参考書なんかがあれば、読んでみたい気もしますが。

zatousan
質問者

お礼

超人、相変わらずの深いご回答ありがとうございます。 >授業を真面目に聴いているだけで大学入試の英語くらいまでは合格点をもらえたのです。 僕の場合は、(高望みをしなかったので)学校の成績で英語は苦労しませんでした。 (そんな事は聞いとらんというツッコミがきこえてきそうです。 はい、冒頭から失礼しました。) >反面、今の高校の授業や大学入試では、 確かに、高得点を取るには参考書もそれなりに対応したものが必要ですよね。 まあ、僕個人としてはそんなに受験対応したものじゃなくても何とかなるのじゃないかと思う気もするのですが。 >これには大河小説から取説から漫画のセリフまで、 >あらゆるジャンルの英文が少しずつ取り上げられていて、 >そのジャンルに合わせた訳し方のコツを丁寧に解説しています。 >読みものとしても面白かったし、  いっその事、大学受験も「漫画のセリフ訳」、「大河小説の訳」、「取説の訳」とかにしたら普通の参考書も面白くなるかもですね。  >聖書をベースにした参考書なんかがあれば、読んでみたい気もしますが。 そう仰られてみると、不思議なのですがこの古書気味の「英文法シリーズ」にはキングジェームズ版らしき古めかしい英文聖書の解説がそれなりにされていました。  よくよく考えてみれば、何で聖書の英語が例文でも(約5%くらいですが)出てくるのでしょうかね? 聖書でしか使われない予言的な英文の解説とかもありました。 本当に昔の学生は幅広く何でも学んだのですね。 さて、いろいろ考えてみたところ、「(日常会話やら、漫画やら、文学やらで)やっぱり言語って広いな。」という当たり前のことをつくづく感じました。  何が参考書に良いかなんて、ややっこしいですね。 改めて、ご回答にお礼申し上げます。

zatousan
質問者

補足

ご回答をとんでもなく誤解していることに気がついたので、ひとつ訂正。 >聖書をベースにした参考書なんかがあれば、読んでみたい気もしますが。 てっきり自分と同じで聖書の英語が分かりにくく感じていると、理解してコメントしてしまいました。 よくよく考えたら、そういうことでは、ないのですよね。 読み物として面白いかもってことですよね。 この部分だけお礼欄で、超人相手に書き込んでいると言う事をわすてれて書いちゃいました。 失礼しました。

  • Yupa3
  • ベストアンサー率37% (190/513)
回答No.1

ターゲットとしている読者が誰か、ということによります。 一般の中高生をターゲットにしているのであれば、あまり文語表現を教わっても実地では使えません。 インド人の話す英語はシェークスピアだ、などといわれているようですが、おそらく参考書がそういう表現なんでしょうね。 一方、英文学部など、古典や文学作品を読む機械が多い人の為の参考書なら、そういった表現もの掲載されていれば便利だと思いますし、ないと使えない。 基本として、参考書は学習の為の実用的な本なので、そこに掲載する例文は読む人が使える物を載せてないと意味がありません。

zatousan
質問者

お礼

短い中にも深みがあるご回答ですね。 >インド人の話す英語はシェークスピアだ、などといわれているようですが、 昔の参考書の文豪の例文を見て僕は、「こんなドラマチックな英語を普段ネイテブにつかったら、躁うつ病かなんかの気違いと間違われるんで無いかな? (その反面、ラブレターなんか書く文には数段優れているだろうけど。)」と思っていたんですが、意外と「この人の英語はシェークスピアだ!」と、好意的に受け入れられる可能性も秘めていたのですね! 日常英語を日常に使う程適してはいなくとも、文学的英語を日常的に使うのも悪くは無いかもですね!? >一方、英文学部など、古典や文学作品を読む機械が多い人の為の参考書なら、 >そういった表現もの掲載されていれば便利だと思いますし、ないと使えない。 チョーサー辺りまで古くなると日常的例文の参考書では太刀打ちできなくなりますが、ディケンズやシェークスピアくらいだったら、100%理解は無理だとしても7、8割くらいだったらできますよ。(というか、僕はできます。) という事は、 ・文学的昔の参考書: 文学作品の読解に優れていて、日常英語としても使えなくない(好意的に理解されれば)。 ・現代の日常的な例文の参考書: 普通に日常的には使える。 がんばれば文学書も読める。 やっぱり、どっちも悪くないですね。 ありがとうございました。

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