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シルバーバーチと故人供養の関係
- シルバーバーチを読むと、死後の世界では霊的存在となり、物質界から離れて霊的成長が進む姿が描かれています。
- 現世での家族からのお供えには言及がなく、連絡も困難で忘れ去られることが多いようです。
- 死後もまだ物質界への執着がある魂にとって、お供えは意義のある行為かもしれませんが、気休めのような感じもあります。皆様のアドバイスをお願いします。
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シルバーバーチ関連の世界観の信者であり、それについて自発的に考えている者です。私はシルバーバーチだけ読んでいるわけではありませんが、色んな別の箇所で発生した関係ない霊言が、共通の世界を別の表現の仕方をして述べていると考えています。それは近藤千雄が訳したり、記述した霊たちであり、西洋の霊もいれば東洋の霊もあります。浅野和三郎のものもあります。その霊たちを、表層の部分だけを軽く見積もって「全部ちがう、別のものだ」と結論する人もあるかもしれません。しかし、私は共通の世界に対する個人個人の見方なのだと理解しています。もし、あなたがこれから読まれる内容がシルバーバーチと矛盾する点があるならば、私の死後の世界についての理解の仕方は間違いであると考えて下さい。しかし、もし私が裏が取れていたり、内容的根拠により「これは真である」と認めた多数の霊たちの述べていることがシルバーバーチと矛盾しないならば、各所で別々に発生した霊言の信憑性を感じて下さい。 死後の魂は、現世の心と、人物は全く変わりません。周囲の様相(現世か幽世か)が変わるだけで本人の個性、思いのクセは現世のままです。幽界に行ったからと言って急に心が変わるのではありません。これは供養への対応の仕方も現世の人間に対するのと同じだという意味です。 もし、現世の人間に対してならどうしますか?「今日何が食べたい?」「好きなものは何?」となるのではないでしょうか。確かにそれは現世に対する執着です。ですが、死んですぐの人間に「現世を忘れろ、スッパリ今すぐにだ、そして早く幽界生活をパスして霊界に上るんだ、早く」という態度なのが良いのでしょうか。人にその理想を押し付けるのが果たして最善策なのでしょうか?。それは優等生の理想を述べているに過ぎません。実際には人間は千差万別、ツインソウルでもない限り個性は全く別の存在です。優等生向けの理想的指導一本やりですべてOKなわけありません。対人関係はマンツーマン、個人個人に合った付き合い方があるのではないでしょうか。結論から申し上げると、No.1さんのおっしゃるとおり自然に対応すればよいと思われます。故人は難しいことをごちゃごちゃと考えてはいないでしょう。ただ素朴に「応援してくれたらうれしいな」くらいに思っていることがほとんどです。現世の人間だってそうでしょう。それと同じです。多くの霊はたいがい現世の物質など忘れ、幽界に熱中するものと思われます。ですが時として現世を思い出す場合もあるでしょう。そんなときのためにお供え物の一つでも上げてあげればよいのではないでしょうか。そうすれば、それが必要な霊にも、必要でない霊にも無難に対応したことになるでしょう。 お供え物よりも重要なものがあります。それは祈りです。物質はあの世では楽しめません。神経がないからです。その代わり心が通じるようになります。本当のことを言うと、物質のお供え物もあまり必要ではなく、故人のことを思いやって、「そういえばあれが好きだったね」と、「あれ」のことを思い浮かべてその思いを故人に送ればいいのです。そして、故人がより明るい世界に行けるように願う、それが祈りです。 間違っても自分の現世での成功を願って「なんとかしてね」などと思ってはなりません。故人は決して喜ばないし、故人にそんな力はありません。現世の人間でも「他力本願の、情けない、自分勝手なやつ」と思うでしょう。霊も同じです。現代人の祈りにはこの間違いが圧倒的に多い。私は人間の自分勝手さを腹立たしく思います。「人は死んだら仏になる」という迷信のせいで、神さまと勘違いしているところがあります。そして最近は特に依存心が目立ちますね。楽をすることから良い結果は生まれません。どれだけ自力で苦労をしたかが成長の度合いを決めるのです。もちろん「苦労しよう」と思って生活する必要はありません。自然に生活すること、自分の思いを素直に生活に体現することが適切な学びをもたらすものと思われます。それが自分のレベルに合った効率的な修行なのではないでしょうか。「心の道場」の一部の記述みたいに「こうじゃなきゃいけないんだ」ということはないのです。シルバーバーチは理想を述べるかもしれませんが、それを人間すべてに押し付ける態度は微塵も感じられませんでした。シルバーバーチはただ方向性を指し示しているだけです。 質問者様は是非骨身を削って原書に当たっていただき、他が勝手に付け加えていることと、純粋な霊言の区別をする眼力を養っていただきたいです。安上がりなwebページの断片をお読みになるより、良い結果をもたらすのではないでしょうか。それがカルマの因、縁、果でもあるわけです。
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- igunition
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質問者さんが感じていらっしゃる通りです。 俗にあの世というのは精神、魂、思い、イメージの世界なので、生前の慣習に強く支配されます。 ですから生前から神仏を感じる生活をしていれば、あの世に行っても神仏を感じる事が出来やすいのですが、欲にまみれているとあの世に行っても周りに同じ欲まみれの霊しか寄って来ない・・・それを地獄と呼ぶことも有るようです。 話を戻しますが、日本の風習を考えると、源流は古代のバラモン教まで遡ってもお供え物はします。 故人もそのつもりでいると思いますので、風習通り、そして毎年節目にもお供えはしてあげれば喜ばれます。 神仏だって、お供えは喜びますよ。
お礼
私が質問文でURLを貼ったHPの主催者は「心の道場」というシルバーバーチを 研究・普及している団体ですが、そこが「故人が、物質界の執着(飲食等)をまだ断ち切れて いないところに、お供えをすることは、むしろ霊界の学びを遅らせる原因ともなる。」 という趣旨のことを書いています。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sp-introduction2/sp-introduction2n-3_04.htm もはや住む世界が違うのに、お供えをするのは如何なものだろう?、、という迷いがある 訳です。 上記URLは「心の道場の解釈」なので、シルバーバーチそのものというわけ ではないです。 ところで私がシルバーバーチ、シルバーバーチというのは、何か1本信念となる根拠が ないと人生迷うことの連続で、、心が混乱した時に最近読むようにしています。 でも西洋人の価値観だけなので、少し違和感も感じるんですよね。 御回答有難うございました。 大変参考になりました。
お礼
読みながら涙が溢れてきました。 元旦早々良い文章を読ませて頂き有難うございます。 何も付け足すものもないし、引くものも修正する部分も無いと思います。 心からの実感で そう思います。 ところでここで質問するのもなんですが、最近「伊勢白山道」氏のブログが人気ですが、 nande11ii様はどう思われますか? 私は読むと大変感銘を受けます。 ただnande11ii様が 1段目の段落で言及されたことですが、大元の真理から生ずる個々人の表現の違いに戸惑うことが 私は多いので(=個々の表現の背後にある共通性に中々気付けないので)、混乱しないように、 シルバーバーチだけを自分のバイブルにしているのですが。 と言っても霊訓は難しくて とっつきにくいですね。 またおっしゃるようにwebでしか読んでいません。 重ねて有難うございました。
補足
私がお礼部分で質問したこと(伊勢白山道について)は、既に御回答1段落目で、 >内容的根拠により「これは真である」と認めた多数の霊たちの述べていることがシルバーバーチと矛盾し>ないならば、各所で別々に発生した霊言の信憑性を感じて下さい。 とお答えになっていますね。 すぐに質問して考えを仰ぐ癖を直し、自分の中に判断する 目を養わないといけないですね。 失礼しました。