裁判員である女性が『人殺しー!!』と叫ぶ裁判の質は

このQ&Aのポイント
  • 石巻殺傷事件において、裁判員制度で選ばれた女性が裁定中に『人殺しー!!』と叫び、刑務官に退場させられる場面がありました。しかし、裁判員は公正さと感情のコントロールを持つべきであり、女性を選ぶ司法制度に疑問が生じます。
  • 女性を裁判員として採用する現行の制度は感情的な面を考慮しているが、凶悪犯罪の裁判には精神的な負担が大きく、公正な裁判を行うことができないという指摘があります。
  • 裁判員制度の目的は何なのか、その目的に沿った裁判を実現するためにはどのような改善が必要なのか、皆さんのご意見をお聞かせください。
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裁判員である女性が『人殺しー!!』と叫ぶ裁判の質は

ご高覧ありがとうございます。 石巻殺傷事件では、被害者女性と同性である裁判員制度で抽出された 裁判員が裁定中に『人殺しー!!』と泣き叫んで裁判長指示で刑務官に退場させられる場面がありました。 (因みに彼女は被害者とは何の関係もありません。確かに彼は人殺しの容疑で 裁判しているのは紛れもない事実ですが) でも、一裁判官としての立場、責務もある筈です) 裁判員が、このように最初から被害者サイドに立っていること自体おかしなことだし 増して感情的であるというのは公正さという観点からも論外のような気もします。 更に、、加えて言えば感情的になりやすい女性を裁判員として採択する現在の 司法制度にも現実的に少し無理があるのではないでしょうか? 素人の女性に凶悪犯罪の裁判は、精神的な負担が余りにも大き過ぎます。 これでは公正な裁判が行われてないような気がします。 可哀相か可哀相じゃないか、憎いか憎くないかだけで裁判員として重要な裁定をしたら まずいのではないかと思います。 何の為の裁判員制度かも分からなくなります。 皆さんは、この裁判中の言動どのように思いましたか? 私は、正直かなり疑問に感じました。 ご意見等、お伺いさせて頂ければ幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 3691819
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回答No.11

 こんにちは。 裁判中にこのような発言をしてしまうような方は、裁判員としては 明らかに失格です。仮にも人の一生を左右してしまう立場にいる以上、 事の成り行きを冷静に判断出来なければいけません。  このような言動をした時点で裁判員を解任するのが妥当で、そう しなければ被告にとって不利益が生じる可能性が極めて大きく なるので、公平な裁判を受ける権利を確保する意味でも必要だと 思います。  精神的に未熟な日本人が裁判員を沈着冷静に行えるのか、 かなり疑問に思います。

01203939
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 普通に考えてかなりの問題ありますよね。 そう思えない人が多いようで驚きました。 日本はもうダメですね。

その他の回答 (10)

  • kumap2010
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回答No.10

そのために多数決制度を用いています。 アメリカの陪審員制度ならその感情的な意見も刑に反映されてしまいますが、 裁判員制度では少数意見が排除される形なので、感情的な意見は反映されません。 私も裁判員制度が始まる前には質問者さんと同じような懸念を抱いていましたが、 いざ始まってみると意外なほど公平に審査されていると思います。 おそらくそういったこともかなり事前に説明されているのではないかと思います。 希に感情的な人がいることは仕方がないでしょう。

01203939
質問者

お礼

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.9

>加えて言えば感情的になりやすい女性を裁判員として採択する現在の司法制度にも現実的に少し無理がある それを言うと男性裁判員も無理がある。一度言い出したことは撤回せずにプライドを守るために誤っていたと気づいても自説を貫き通して相手を論破しようとしやすい男性を裁判員にすることも問題。 全知全能ではないただの人間である裁判官だけで採択する司法制度にも現実的に少し無理がある 感情的になりやすい女性を裁判員として採択する司法制度にも現実的に少し無理がある プライドを重んじ、自分の主義主張を押し通そうとする男性を裁判員として採択する司法制度にも現実的に少し無理がある

01203939
質問者

お礼

  • luukmeew
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.8

裁判員は無作為に選ばれているので、そういった事も起こりますし、今後も起こる事があると思います。 それはある意味で仕方のない事だと私は思っておりますし、まだ始まって新しいこの制度を取り入れたばかりの日本では実際にやってみないと裁判員というのがどれほど感情的になってしまうものなのかも分からい所も多いと思います。 裁判員の偏りについてですが、 参審制を早くから取り入れている海外の場合(イギリスなど欧米の話になりますが)、陪審員候補者の中から弁護側・検察側がそれぞれ自分達に有利になる人、ならない人を質疑応答を通じて選んでいきます。 どのようにして「有利・不利になる」というのが分かるかと言うと、 彼らは過去の膨大なケースを全てデータ化しており、どのような裁判内容でどんな陪審員(性別、年代、生まれ育ちの背景、教育等全て)が、どのような判断を下す傾向が強いかを把握しているのです。(いわゆる陪審研究と呼ばれているものです) つまり、陪審員達が「完全に中立の立場ではない」ことをある程度前提に、計画的に選出しているのです。(もちろん最初から意見が偏り過ぎな人は選ばれないと思いますが…)  ですので今後日本でも裁判員を選出する場合、何を基準に誰を選んでいくのかを明確にする必要があるでしょうし、今回のケースもこのような女性は検察側にとっては「好都合」となるかもしれません。 公平か不公平かと言えば、このような女性でも選ばれるという点では公平だと思いますし、 法だけでなくごく一般的な国民の視点や考えが反映されるというのが、そもそもこの裁判員裁判のひとつの意義ではないでしょうか。 それよりも私は、そういった一般的感覚を持った裁判員の心理に訴えかけるため、様々なパフォーマンスを入れて裁判を進めようとする弁護士や検察官の方が裁判員裁判において問題だと思っています。^^;

01203939
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 コメントは差し控えさせていただきます。

noname#140045
noname#140045
回答No.7

日本の場合「国民感情」と言えば何でも正当化されるのを見てもわかるように、感情をコントロールできない人を「情緒あふれる心優しい人」として、むしろ素晴らしい人として推奨されています。 まるでドラマの主人公にでもなったかのように、公衆の面前で感情豊かに自分を表現できる人がテレビのニュースなどでも好んで取り上げられます。 確かに裁判員制に負担があり過ぎるのも事実かも知れませんが、それ以前の問題として自分の感情をコントロールできない人を美化するのを止めるような国民層にならないと、すぐに感情的になり泣き叫んだ人が得をするという、変な世の中になってしまいます。 また(別の裁判で)裁判長が公の場で「控訴を勧める」などしなくとも、言われなくとも不満ならば勝手に控訴することを事前に裁判員に説明すべきでしょう。 それだけでなく、あくまで想像ですが、裁判官から裁判員への説明が不足しているため、無駄な心配があり過ぎるような気がします。 そしてこれも想像ですが、裁判官からすれば裁判員は邪魔者で、このようなトラブルが発生することをむしろ助長させているのではないでしょうか。

01203939
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりです。 感情的になるというのは実は利己的な人のことですからね。

noname#131426
noname#131426
回答No.6

基本的に作為はあるそうです。 ある程度は調整しないと偏るからだそうで。 本番の裁判員の前の段階で、検察と弁護士の方でいくらかの人数は調整するそうです。全てじゃないですけどね。 で、このように退出させられるようなこともあるので、予備の裁判員はずっと待機させられています。 >被害者女性と同性である とりあえずは、男と女しか居ないわけで。 どちらか偏るというのは、これも公平性を欠くと思います。 >可哀相か可哀相じゃないか、憎いか憎くないかだけで裁判員として 正規の裁判官も混じっての審議ですから、感情だけの判決にはならないと思います。 ここからここまでの刑罰の範囲で、どこら辺が適当かって事ですから。 >最初から被害者サイドに立っていること自体おかしなことだし この辺も、選出の段階で調整されます。 例えば、レイプ犯罪の場合 女性は厳しいそうです。特に、年配の女性の場合 みだりに肌を露出するから、襲われるのよっ という感じで。弁護側は送り込みたい人物ですね。 若い女性だと少し見方は変わります。 反対に、被害者女性と同年代の娘がいる父親が裁判員になる場合もあります。 これは、加害者に対して厳しくなります。検察は是非ともという人物でしょう。 杓子定規な規則だけの裁判より、多少感情も交えて審議した方が良いんじゃないかという事ですから、これで良いんじゃないでしょうかね。

01203939
質問者

お礼

回答No.5

ここの回答者の言ってることが通用するなら 自分の気に入らない人間は全部有罪、全員死刑にしますが出来ますか それじゃバカボンと同じじゃないですか

01203939
質問者

お礼

そうですよね。

回答No.4

女性が人殺しと叫んだそうですがその動機はなんでしょうか 普段からそう言う言動が目立ち、今後もそうなら矛盾がないと思いますが もしそうでなければ、第三者の入れ知恵によって行われた可能性が高くはなはだ問題だと思います じゃあその第三者の言い分に素直に従ったのは何故か 事件にはなんら関連が無いじゃないか と言うことになります 裁判が外部の人間に影響を受けてはリンチと変らないじゃないですか

01203939
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるようにそういうことも危惧しなければなりません。 動機は情に絆されての顛末だと思いますが、このようなことは 絶対にあってはなりません。 裁判員は裁判官としての役目を果さなければならなのですから。 場に一種の催眠(暗示)効果が発生してしまいます。 (それだけ彼は酷いことをしたのだ。。という) これは裁判に少なからずネガティブに影響します。 まっだから裁判長も退席させたのでしょうけど。 それでもやはり影響は多少なりとも及んだことでしょう。 人の心理ってそういうふうに出来ていて是正は出来ませんから。

  • napukun
  • ベストアンサー率18% (146/778)
回答No.3

おそらく答えになってないと思いますが・・・ 女性を入れないと「男女差別」とかすぐ言い出す人いますからね なぜか裁判で男女の人数が異なりますが、 あれって3:3とかに統一出来ないもんでしょうかね? そもそも素人に裁判官と同様の考え方を強要すること事態がおかしいのですよ 世間一般の人の考え方も取り入れて時代になった判決をすることが 裁判員制度の主旨じゃないのでしょうか? そりゃ、凄惨な死体等見らされると取り乱す人もいるでしょう。 でもそれでいいのではないですか? それぐらい残酷なことをしたのだから、これぐらいの刑罰で相当だと 素人でも考え付くのではないでしょうか? ただ、素人裁判員が直接被告と顔を合わせる必要があるのか? 表情等がわかるように数台のカメラで撮影し、 別室でモニター等で見るとか出来ないのでしょうか? (報復防止も兼ねて) なぜ陪審員制度にしなかったのか? なぜ先日行われた少年への死刑判決でわざわざ上告を勧めたりするのか? まだまだ中途半端で議論の余地のあった制度を 見切り発車してしまったしわ寄せがこれからもドンドンでてくるでしょうね。 むしろ裁判官に世の中の考え方を教育する為に、1年に1ヶ月ほど 民間会社でバイトする制度でもつくればいいのに・・・

01203939
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるように私も何故アメリカと同じように陪審員制度にしなかったのかとは疑問に思いました。 日本の文化や司法制度に合致しないのでしょうか。 裁判の国、アメリカが何故陪審員制度を採択しているのかはもっと考えるべきであったと思います。 裁判員制度は見切り発車であった。これについても私も同じように感じています。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.2

自然なことだと思いますよ。 無作為に抽出されているのですから、この制度が続く限り、今までも、そしてこれからもこのようなことが起きても全く不思議ではありません。 むしろこういう人が出ないほうが“本当に無作為抽出か?”と疑ってしまいたくなりますね。 当然のことながら、各人によって立場の重心がズレることくらいは織り込み済みで、今の裁判員の数、判決の決め方になっているのでしょう。 ですから、この件についてやいのやいの言う質問者さまのほうがどうかと思います。 (ひとりの信条がそこまで大問題か?) ただ質問者さまは裁判員に対して積極的に“こうあるべき”と考えているようですから、何を言ったところで疑問が解消することはないでしょう。 でも“無作為抽出”の中から質問者さまの納得のいく中立レベルを“作為的に抽出”するくらいなら、今までの制度のようにプロにやらせたほうが手っ取り早いでしょうね。 (一般人は事件に対して、大体はどちらかに意見が偏るものですから。というか裁判官レベルの中立の意見の人っています???)

回答No.1

容疑者と利害関係のない中立的な立場の人間でないと駄目だと思います 容疑者は解体工とのことで、職場環境が事件に大きな影響を与えている可能性があって それに組織暴力団などが関連していた場合、その組織に属する人間(水商売も含めて)は裁判員として相応しくないと思います そもそも、日本の裁判は原告、被告双方の主張が全く違うようなものが多いことから 法律への理解が乏しく、刑罰などの暴力によってしか制御できない国民性なんです そう言う国民に裁判員をさせること自体ナンセンスだと思います

01203939
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 抽出が作為で行われているかどうかは不明ですが 私もこの制度には最初から疑問でした。 『人殺しー!!』と彼女は決めつけて叫びましたが 有罪かどうかすらさえ、まだ分からない段階なのです。 仮にも彼の生死を決める重要な役目の一端を担う裁判員である彼女が、 まだ容疑者段階に過ぎない人なんだということを理解していないことも 驚愕的でした。 私は、改めてこの裁判員制度に不安と脅威を覚えました。

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