江戸時代の街道の整備技術とは?
- 江戸時代の道路は主要道であっても土盛りの砂利道であり、整備はされていたもののアスファルト舗装のようにはなっていませんでした。
- 道路の整備は地域の役所や村落自治体が担当しており、手入れや踏み固めによって道路の荒れ防止を図っていました。
- 江戸時代の道路整備技術は主に土木工学的な手法ではなく、地域の資材や人力を活用して行われていました。
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江戸時代の街道(東海道など)の整備技術
江戸時代の街道(東海道など)の整備技術 いまの時代はアスファルトで道路を舗装していますが、江戸時代の道路はどうなっていたのでしょうか。 未舗装というと、土手の砂利道しか思い浮かばないのですが、主要道路が小石だらけだったとはちょっと思えませんし、主要道であれば水溜りがあまりできないように手入れがされていたのではないかと思います。荒れないように固く踏み固められたのかとも思います。 何もしらない私の憶測はおくとして、江戸時代の道路はどのように整備されていたのでしょうか。できれば土木工学的な回答が欲しいです。 江戸時代の道路整備技術を一言でいう単語があればそれも知りたいです。(現代でいうところの「アスファルト舗装」に類する言葉) よろしくお願いします。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸時代の道路整備技術を一言でいう単語があればそれも知りたいです。(現代でいうところの「アスファルト舗装」に類する言葉) 東海道を例にとってお話をします。 東海道は、箱根の難所を除いては割合平坦にできており、街道には松並木などが施され風情を添えると同時に、夏には日除けとして、冬には積雪を防ぎ、小雨程度であれば一時的な雨宿りの役目をしました。また、旅人の目安となるよう一里塚が築かれ、土標ともなっていた。 日光街道の杉並木が有名ではあるが、東海道にも、三河御油宿(ごゆしゅく)を中心として数百メートルに渡る松並木が今も残る。 また、箱根の難所では、石畳を敷き少しでも旅人を楽にさせる工夫がされている。石畳は、他にも、佐世の山中や鈴鹿峠でも同じようなものが見受けられる。 慶長18年(163)にイギリス国王の使節として来朝したジョン・セーリスは、 「東海道の道路は大部分が素敵に平坦であり、山にかかれば道は切り下げられたりしている。これは全国の中でも幹線道路であり、おおむね砂および砂利によりなる」 と、書き残している。 徳川幕府が成立して間もない時期に、すでに東海道は江戸と京都を結ぶ主要幹線道路になっていたことが分かる。 東海道は、さらにその後、旅人や大名行列などが頻繁に行き来したため、土は踏み固められアスファルトのようになっていった。 また、大名行列では、当然、他藩を通ることになるが、通行する側は、その地の藩に、 「何日頃、通過します」 と、礼を尽くして言上し、通過される藩も道端の草刈や橋の修理などを沿道の住民にさせ、お互いに結構気を遣いました。水溜りのできるような所があれば、川砂を採ってきてその窪みを埋め、その上から付き樽(樽の両端が延びていて、樽の中には大きな石がある。それを二人がかりで土に上下させて土を固める)で「地固め」などをして補修をしました。 まあ、お答えになっているかどうかは分かりませんが・・・。
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