日本語学習中の中国人が感動される表現について

このQ&Aのポイント
  • 日本語を勉強中の中国人が感動される表現について悩んでいます。
  • 「やはり感動されてしまいます」は自然な日本語なのか疑問です。
  • また、他の表現についても質問しています。
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「やはり感動されてしまいます」は自然な日本語でしょうか

「やはり感動されてしまいます」は自然な日本語でしょうか  日本語を勉強中の中国人です。  中国の友人の結婚式に参加したあとの感想的な話を日本の友人に言っています。私の「やはり感動されてしまいます」は、日本の友人が言うには「やはり感動してしまいます」に直したほうがいいらしいです。「感動される」は自発動詞として成立するのではないでしょうか。つまり思わず「感動する」という動作が起こると思います。添削理由はよくわかりません。  また、もう一つの『特に、お互いに「どんなに貧しくても、どんなに重病にかかっても、支えあう」とのような言葉を誓う時に、一番感動されました』という私の文は指摘されませんでした。もしさきほどの文がおかしいなら、この文の「一番感動されました」の「感動された」も「感動した」に添削されるはずですが、大丈夫のようです。  どなたか説明していただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • momordica
  • ベストアンサー率52% (135/259)
回答No.6

「-れる」「-られる」には「受け身」「可能」「自発」「尊敬」の4つの意味があるとされています。 このうち「尊敬」だけはかなり毛色の違う用法なのですが、残りの3つについては、かなり 共通する部分があります。  (受け身) 「子供が叱られる」 ← 「子供を叱る」  (可能)  「ピーマンが食べられる」 ← 「ピーマンを食べる」  (自発)  「秋の気配が感じられる」 ← 「秋の気配を感じる」 見てお分かりの通り、3つのうちどの用法であっても、「-れる」「-られる」の文の主語は、 基本的に、「-れる」「-られる」を付けない文では目的語(「を」格)であったものになります。 したがって、「自発」の文の場合も、普通は「受け身」とは区別されますが、本質的な構造としては 「受け身」の文と変わりません。  「私には息子とのことが案じられる」 ← 「私は息子のことを案じる」   「判断がためらわれる」 ← 「判断をためらう」  「故郷のことが懐かしく思い出される」 ← 「故郷のことを懐かしく思い出す」  ここで「感動される」について考えてみると、「感動する」は「~を感動する」ということができない 自動詞ですから、上に挙げた例のような文とは違っているのがお分かりになるかと思います。 × 「???が感動される」 ← 「???を感動する」 以上のような理由で、この文は不自然に聞こえるのではないでしょうか。 なお、「自発」の意味の「-れる」「-られる」は他の3つの用法と比べると、使われる場面が かなり限られています。 結局のところ、「なぜだめなのか」というのは、理屈で説明できる場合も中にはあるでしょうが、 「普通はそんな使い方はしない」という以上の理由はないことが多いと思います 「そんな言い方しないよ」と言われたら、そういうものだと受け入れた方がいいと思います。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。「感じる」、「案じる」、「思い出す」は確かに受身の形で自発を表すことができますね。受身で自発を表せることは覚え間違えていないようです。でも、「感動する」は受身の形で自発が表せませんね。「感動させられる」と表現しなければなりませんね。ちょっとごちゃごちゃになっています。おっしゃる「~を感動する」ができないという理由は大変参考になりました。もう一度昔の教科書を見てみます。本当にありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.7

三度目。sanoriです。 前々回の回答で >>>「感動する」の自発動詞は「感動せられる」です。 >>>しかし、「感動せられる」は普通の会話では全く使われず、また、書き言葉でもあまり使われず、非常に硬い書き方をする場合にのみ用いられます。 と説明しましたが、実際に「感動せられる」を用いる非常に硬い書き方の例文を、稚拙ながら作ってみました。 硬い書き言葉は、批評文に適します。「感動せられる」を2か所で使っています。 参考にしてください。 【例文】 私は、結婚式も披露宴も無駄なことに思うし、感動せられるものではないと思う。 結婚というものは、所詮、一組の男女が自らのみの合意によって為すものである。言い換えるならば、本人達の勝手である。法令上は、二人の証人と併せ計四名の署名捺印がされれば成立する。ところが、多くの場合、「結婚式」というものは行われる。結婚式ではお互いの親族が神前で一堂に会する。それはあたかも、二人ではなく親族同士数十名が集団結婚するかのごとき様である。 また、式の後に行われる披露宴とは一体何のための会合であろうか。披露宴では親族だけでなく、友人、知人、職場の同僚までもが列席し、しかも彼らから「祝儀」という名の高額の会費を受け取る。結婚する本人達も百万単位の出費をする。そして、披露宴で「披露」するものが何かといえば、非日常的な服装をした新郎新婦と、特に美味というほどでもない料理の姿である。披露宴の感動せられることをあえて一つ挙げるならば、披露宴の最後に新婦が親宛に書いた手紙を読み、親へ花束を贈呈するという、お決まりの演出である。これらが果たして万単位の会費と釣り合うものなのであろうか。 とはいえ、遠方から来た友人達が同じテーブルを囲むことは、同窓会の意味を持つ。また、新郎新婦それぞれの友人の男女達同士を出会わせるという機能も果たす。実際それがきっかけで結婚に至る男女もいる。そのような恩恵を預かる一部の者達にとっては、十分にペイするイベントであるのかもしれない。 (私自身の意見ではなく、単なるサンプルですので。)

awayuki_cn
質問者

お礼

 たびたびありがとうございます。例文は大変参考になりました。日本の披露宴の最後に親へ花束を贈呈することは知りませんでした。本当にありがとうございました。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.5

No.3のsanoriです。 ・「一番感動されました」の主語が「結婚式が」「新郎新婦の言葉が」「誓いの言葉をいう新郎新婦が」であれば、文は正しいです。 と書きましたが、下記の通り訂正します。 ・「一番感動されました」の主語が「結婚式が」「新郎新婦の言葉が」「誓いの言葉をいう新郎新婦が」であれば、文は(論理的には)正しいですが、通常使う日本語としては不自然です。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ふたたびありがとうございます。了解いたしました。本当にありがとうございました。

  • qualheart
  • ベストアンサー率41% (1451/3486)
回答No.4

日本語って難しいですね。 「感じられる」のような、動詞の未然形に助動詞「(ら)れる」をつける方法は良く用いられますが、「感動する」にこれが適用できないのは、単純に「感動する」という言葉が未然形の動詞ではなく、「名詞+する」という二つの言葉を使った動詞だからです。 つまり「~する」という言葉は自発動詞としての「~(ら)れる」の活用はできません。 「~される」と言うと、自発動詞ではなく、受動態動詞になってしまうからです。(例:「握手する」→「握手される」) 「感動される」と言うと、自分に対して誰かが感動したという意味になってしまいます。 例えば「わたしのスピーチに感動された」というような文ですね。 なお「感動されました」は厳密には間違いです。 これは「感動させられました」を省略してしまった形で、確かに間違いでこういう言い方をする人はいますが、文法的には間違いです。なので添削されなかっただけだと思います。 ご参考まで。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。日本語の文法は難しいです。参考になりました。本当にありがとうございました。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

こんにちは。淡雪さん。 「感動される」は、次の2つの場合に使います。 1.ある人や、ある物や、ある事柄のことをAさんに感動してもらうとき「Aさんに感動される」と言います。 2.Aさんが感動することを表す尊敬語。 <例>「Aさんは、あの映画を見て感動されたそうだ。」 淡雪さんが感動した場合は、上記1、2のどちらにも当てはまりません。 適切な表現は、 3.結婚式(の素晴らしさ)に感動しました。 = 結婚式が淡雪さんを感動させた。 4.(あの結婚式には)感動させられました。 =  〃 >>>「感動される」は自発動詞として成立するのではないでしょうか。 成立しません。 自発動詞をつくるときは、動詞の未然形に「れる」または「られる」をつけます。 「感動する」の未然形は「感動さ」ではなく「感動し」と「感動せ」です。 「感動する」の自発動詞は「感動せられる」です。 しかし、「感動せられる」は普通の会話では全く使われず、また、書き言葉でもあまり使われず、非常に硬い書き方をする場合にのみ用いられます。 >>>また、もう一つの『特に、お互いに「どんなに貧しくても、どんなに重病にかかっても、支えあう」とのような言葉を誓う時に、一番感動されました』という私の文は指摘されませんでした。もしさきほどの文がおかしいなら、この文の「一番感動されました」の「感動された」も「感動した」に添削されるはずですが、大丈夫のようです。 主語が省略されているので、添削の有無があいまいになっています。 ・「一番感動されました」の主語が「結婚式が」「新郎新婦の言葉が」「誓いの言葉をいう新郎新婦が」であれば、文は正しいです。 ・「一番感動されました」の主語が「私は」であるとすれば、文は間違いです。 >>>また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 以前にもまして進歩が著しく、言うところがありません。

awayuki_cn
質問者

お礼

 sanoriさん、こんにちは。ご親切に教えていただきありがとうございます。理解できました。文法は難しいですね。本当にありがとうございました。勉強、がんばります。

回答No.2

「される」の意味を誤解していませんか? 「される」には、二通りの意味があります。  ・「する」の尊敬語  ・他者から何かを行われる 英語など他の語学を勉強していると混乱するでしょうが、 日本語では「感動する」こと自体が自発動詞です。 英語の場合は、A impress B. のように、AがBを感動させると用い、 Bを主語にすると、B is impressed by A.になります。 『特に、お互いに「どんなに貧しくても、どんなに重病にかかっても、支えあう」とのような言葉を誓う時に、一番感動されました』も間違ってますよ。 「一番感動されました」だと、あなた以外の誰かが「感動した」と受け取られていると思います。 あなたが意図しているのは、おそらく「感動させられました」だと思います。 「やはり感動されてしまいます」は「やはり感動させられてしまいます」です。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。言いたいのは「感動させられました」でした。間違いに気づきました。よくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

noname#120054
noname#120054
回答No.1

あなたの意図する日本語のためには、「やはり(私は)感動させられてしまいます。」と言う必要があります。「やはり感動されてしまう。」は、当方の意図に反して相手が感動する状況です。 「私は相手を感動させないように話したいのに、やはり(相手に)感動されてしまう。」 同じように自分が感動する場合は「一番感動されました」は誤りで、「(私はその情景に)一番感動させられました。」または「(私は)一番感動しました。」となります。 「私は(彼から)感動されました。」 彼が感動した。 「私は(この状況に)感動させられました」 私が感動した。 「私は感動しました。」 「私は熊に食べられました。」 熊が私を食べた。 「私は熊に食べさせられました。」 熊のおごりで私が食べた。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。私の間違いに気づきました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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