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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:国会議員の怠慢、その能力、疑問である。)

国会議員の怠慢、その能力、疑問である。

このQ&Aのポイント
  • 国会議員の怠慢、その能力、疑問である。議員の中から国務大臣を選ぶ必要は無いのではないか?専門家を当てるべきである。
  • 国会議員の過半数が国務大臣を選ぶ必要性に疑問がある。一般人の意思で選ばれた議員が専門的な知識を持っているわけではない。
  • 憲法第六十八条によれば、内閣総理大臣は国会議員の中から国務大臣を選ばなければならないとされているが、この条件は改正が必要ではないか?専門家を選ぶべきだ。

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  • at9_am
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回答No.1

> その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない、非常に疑問である。 議員の中から選ぶ必要は無いのではないか? 国会議員の中から過半数を選ばなければならない、という条項を外すと、例えば総理大臣が自分の妻、子、親戚だけで内閣を作ることもできる。最低限、国民の信任を受けている、という資格を持った人間が内閣の過半数を占める必要がある。 > 議員ではなく、しかるべき専門家を当てる必要があって当然と思われる。 どのような専門家だろう? 例えば文部科学省一つとっても、例えば学校教育の専門家か、科学畑の専門家か、教育であっても初等教育か生涯教育か、科学であっても人文科学、基礎研究、応用研究と、非常に幅が広い。 ということで、「しかるべき専門家」は、突き付ければ官僚がそのまま大臣になるべきであると言っているに等しい。 政治家の職分は、究極的にはどのような国を作るかを示すことであり、表層から言えばどのような制度にすべきかという骨格を示すことであって、その具体化のための細々とした仕事(例えば法律の字句選び)などを行う専門家たる官僚とは別の役割である。

hateha2_goo
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”国会議員の中から過半数を選ばなければならない、という条項を外すと、例えば総理大臣が自分の妻、子、親戚だけで内閣を作ることもできる。” 国会議員の中からではなく、前もって専門家、大臣となる有資格者をピックアップ、リストアップして置く制度をつくることもできる。 ”最低限、国民の信任を受けている、という資格を持った人間が内閣の過半数を占める必要がある。” その過半数を埋めるためにではそれに該当したポストは手抜きといえないか? 国会議員は一般人が選んだのである。がどの様な資質を有しているかなど知っている有権者はいない。またあるともおもえないが。 ”突き付ければ官僚がそのまま大臣になるべきであると言っているに等しい。”  統治するとは、先を見通すことである。したがって、何も見通せない為政者は統治者として失格である。先を見通すことのできる人選、それならばそれもよい。 ”政治家の職分は、究極的にはどのような国を作るかを示すことであり、表層から言えばどのような制度にすべきかという骨格を示すことであって、その具体化のための細々とした仕事(例えば法律の字句選び)などを行う専門家たる官僚とは別の役割である。” 現国会議員は科学も技術も芸術文化も関係なしに一般人が選んだものである。大臣ポストを正・副、開発担当・流通担当、供給担当・需要担当等に分けて(例、厚生労働開発大臣・厚生労働流通大臣、文部科学供給大臣・文部科学需要大臣等)でも専門家は配置するべきではないか。 人類の障害その解決に必要なのは技術的・科学的能力であり、それを有する専門家、正・副どちらでもよいがいなければこの先おかしくはないか?

その他の回答 (5)

回答No.6

千葉大臣が落選して一般人大臣となったときの世論は「落選した人が閣僚に入っているのはおかしい」でしたよ。 国会議員である必要は無いけど、選挙をして落選した人にまで権利があると問題あるよね。 国民が「そいつには議員をやる資格はない」って判断した人なんだからさ。

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政党の選挙戦略絡みでしょうが、2人も民主党候補を出さなかったら千葉大臣は当選してたという意見もあった。 だが、選挙区が違うと全く関知しない&関係がないのも一般人です~。

noname#139664
noname#139664
回答No.5

これが回答です。 ご自身の十八番を100回よめば 必要なのは技術的・科学的能力であり、すべての労働者が、物質的制約から人類を解放しようという団結心に燃えて、個人の利益よりも社会全体の幸福のために、一心に働くことを決意することである。核兵器の開発や宇宙船の建造などの馬鹿げた事業や、軍事予算などに浪費されているすべての手段を有効に使用することである。第一、これらのことは、人類が一度物質的制約から解放されてしまえば、より有効に、そしてより簡単に研究されるであろう。  人間の代わりに仕事をしてくれる、コンピュータや電子装置がすでに存在している。これら科学技術が真に人類のために奉仕するように、あらゆる知識を利用しよう。数年で全く違った世界が建設されるだろう。_ラエル著/真実のメッセージ』

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中身の解からないお経読みは困りものではないですか?

noname#119812
noname#119812
回答No.4

ここで上から目線の論調で批判投稿しても、何も起こらない。 時間が経てば忘れ去られる。

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理ですよね。

  • at9_am
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回答No.3

> 大臣ポストを正・副、開発担当・流通担当、供給担当・需要担当等に分けて(例、厚生労働開発大臣・厚生労働流通大臣、文部科学供給大臣・文部科学需要大臣等)でも専門家は配置するべきではないか。 日本は、大臣・副大臣の下に政務・事務の二人の次官がいる。この事務次官は官僚がなる。正に専門家である。 残る大臣・副大臣・政務次官は政治家である。元々、自民党政権下では、いわゆる族議員というのが占めていた。議員を数期務め、その間に、例えば道路族であれば道路行政についての勉強をしっかり行い、そして専門家になってからのポストであった。彼らは、時に問題があったものの、概してみれば先を見通すことのできる人選であった。 現在、民主党政権下においては、政治家のポストのほとんどを無知な者が占め、専門家たる官僚は遠ざけられているが、仕組みとしてはそうなっていた。 > 統治するとは、先を見通すことである。したがって、何も見通せない為政者は統治者として失格である。 政治とは、先を見通すことではない。それは専門家の役割だ。先を見通すというだけのことであれば、専門家の助言を受けさえすればよいし、一人の専門家に頼る必要もないから、多数の専門家の意見を正しく理解することさえ出来れば一人の専門家に勝る。 政治とは、決断することと、それについて多数の合意を取り付けること、そして決断が間違っていた時に責任を取ることだ。したがって、合意を取り付けているという資格が必要であり、それを示すが国会議員に当選するというプロセスである。 一方で統治は日本では行われていない。政治と違い、統治は上意下達の世界である。必ずしも合意は必要ない。 > 人類の障害その解決に必要なのは技術的・科学的能力であり、それを有する専門家、正・副どちらでもよいがいなければこの先おかしくはないか? ホンダの社長が自動車を設計できなくとも全く問題がないように、トップが専門家である必要はない。 必要があれば専門家の知恵を借りればよく、正しく理解出来れば3人の現役の専門家は1人の現場にいない専門家に勝るのは自明のことだ。関連する分野が多岐にわたるならばなおさらだろう。 ここで理解するというのは、理論が理解できる必要はなく、何が出来てどのような結果が起こってどのような問題が起こるか、そしてどう対処すればよいか、といった程度のことだ。

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戦時中は殆どの人員を国が兵力として使ったと思うが、普通選挙の時代、目指すのは過半数の得票でしょうが、その現政権が目指す過半数の得票、その集票、過半数の人間が政権への拠り所となるはずだが、その過半数の人間は真に国を滅ぼさず、日本の未来を切り開くだけの資質があるものと考えられるか否か? わけの分からない過半数に立脚する政治、国を健全にできるか否か? 時代は変わっても過半数に座し過半数を拠り所とする政治、歴史的失態、悪政を繰り返すだけではないか?

  • chubou3
  • ベストアンサー率23% (264/1130)
回答No.2

大臣と言うのは会社で言う社長と同じ様な物でしょう。 従って専門知識は余り必要ではなく、どの人に依頼すれば信用置けるかを判断すればよいだけ。 詰まり、人間力が必要であると言うことでしょう。 従って選挙で選ばれる人であれば、人間力がそれなりにある筈と言う理論が成り立つのも理解できます。 投票する人が馬鹿でなければ...

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”大臣と言うのは会社で言う社長と同じ様な物でしょう。” どのような会社の社長か解からないが、海外に物を売る会社なら高齢化もあり峠を越したような気がしないでもないが、物の売買の会社と政治会社、一様に扱うと面倒ではないか? ”従って専門知識は余り必要ではなく、どの人に依頼すれば信用置けるかを判断すればよいだけ。” 日本全体の景気の話しであって、生活物資の総量の問題である。中小企業の社長では困るのではないか? ”従って選挙で選ばれる人であれば、人間力がそれなりにある筈と言う理論が成り立つのも理解できます。” なにぶんにも普通選挙である。普通の有権者が45%存在する。 ”投票する人が馬鹿でなければ...” 《原始的な民主主義すなわち平均政治  現在、人が民主主義と呼んでいるものは、実際は平均政治にすぎない。というのは、最も人数が多いのは、平均的知性を持った人びとであり、したがって、かれらの決定が投票のさいに勝利を得るからである。  非常に良く作られたテストのおかげで、ガウス曲線(1)を見てもらえばわかるように(注・貼っていない)、実際の人口のうち、わずか0.5パーセントがきわめて優秀、すなわち天才である。しかし、こうした天才たちの声は、同じく0.5パーセントを占める白痴的な人たちの声によって、投票の際に相殺されてしまうのだ!  優秀な人たちはわずか二パーセントしかおらず、かれらの声も、同じく二パーセントを占める知恵遅れの人たちの声によって相殺されてしまうのだ!  平均より十~三十パーセント高い知性を持つ人たち、つまり「平均以上」の人たちは、人口の二十五パーセントを占めているが、かれらの意見もやはり、同じく人口の二十五パーセントを占め、平均より十~三十パーセント低い知性を持つ人たち、つまり「平均以下」の人たちの意見によって相殺されてしまう。  結局、平均的知性を持つ人たち、つまり平均的な人たちが、投票の際に決定を下すことになる。なにしろ、かれらは四十五パーセントもいるのだから。以上、民主主義のこのような形態が、実際は平均政治にすぎないことの理由である。_ラエル著 》

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