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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:旅とは何か)

旅とは何か

このQ&Aのポイント
  • 旅人にとっての人生の航海であり、老を迎えるまでの日々を旅として過ごすこと。
  • 古人も旅に死せるほど旅に魅了され、漂泊の思いに駆られて旅をする。
  • 旅は物理的な移動だけでなく、魂の旅であり、目的や目標を持たない旅も含まれる。

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noname#156094
noname#156094
回答No.27

俳句をすこし・・・ 風を待つごとく芒の傾げをり ふと出し森の小径の秋の蝶 ゑのこ草芯まで透けて夕日濃し 芭蕉先生・・・・・添削は・・・無理・・すか 叙情はダメか 小さな旅の小さな句 スケッチブックを離さずに 見つけたらすぐに描こう 消えないうちに 下手でいいから 見たまんま・・・ 秋風にさそはれ出し広野かな 花野ゆく一両列車のローカル線 見はるかす森の稜線秋の雲 大刈田捻りゆるやか鳶の舞 秋水に影を据ゑたる峰ふたつ 群雲に月の明りのこぼれをり 写生も・・・いいか 次・・・行こ

mashumaro2
質問者

お礼

hetanosuke様、 お礼が遅くなりました。 重ねてのご回答をありがとうございます。 そして、 >風を待つごとく芒の傾げをり これ、私にとっては初見ではないのです。 何かの質問で、拙文投稿のたしか前か後ろにあったかと。 とても味のある句だと思いますし、 私には到底つくれませんし。 芭蕉先生、いったい何ておっしゃるでしょうね? >小さな旅の小さな句 >スケッチブックを離さずに >見つけたらすぐに描こう hetanosuke様の旅支度で欠かせないものは何ですか。 小さな句をしたためるメモ帳と愛用の筆記用具? それとも、 スケッチブック? 私は、小さなスケッチブックと水彩画鉛筆です。 rupapo様みたいな素晴らしい写真も、いつか撮ってみたい! hetanosuke様には、せっかくですから、作曲などにも是非。 ヒマラヤ地方のスピティとか、ラダックあたりだと、 どのような曲調に仕上がるのでしょうね。 この度はhetanosuke様のご回答をまるごと素直に頂戴し留めさせていただきますね。 いずれも旅情たっぷりなのが何よりも嬉しくて。 ほんとうにありがとうございます。 またひとつ先に進みます。

mashumaro2
質問者

補足

hetanosuke様、お礼が遅くなってすみません。 もう少々お待ちを。 >写生も・・・いいか >次・・・行こ はい、どうぞ先に行っててね。 すぐに、追いつきますので。

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その他の回答 (29)

  • SaveMonk
  • ベストアンサー率26% (28/107)
回答No.9

旅とは、見聞を広めるもの。 マルコポーロも、マゼランも、芭蕉も、みな見聞拡大を目指して長旅に出た。 人生そのものもまた、旅だ。 伊達政宗の家訓には 「人生は重き荷を負うて長き道程を行くが如し。急ぐべからず。」 「人生とは他家へ招かるる客人の如し。客の身にて好悪は申されまじ。」 と言っているそうです。 このように人生を旅と考える事には、妙に現実味があると思いませんか? 西洋でも「Life is short, art is long.」と言います。 神ならぬ身の我々は一人として、この地球上に永住権を持っていません。 旅人として地球を訪れ、ビザが切れたらあの世へ強制送還されるのです。

mashumaro2
質問者

お礼

SaveMonk様、こんにちは。 >旅とは、見聞を広めるもの。 >マルコポーロも、マゼランも、芭蕉も、みな見聞拡大を目指して長旅に出た。 はい、とてもわかりやすいです。 個人都合や事情は異なれど、見聞を願う熱意は各人に通底しているように思われます。 強いて言えば、芭蕉には旅の本質がしかるべき美意識に満ちた物見の旅であったであろうと 独善的に思うところではあるのですが、いかがでしょうか。 >伊達政宗の家訓には >「人生は重き荷を負うて長き道程を行くが如し。急ぐべからず。」 >「人生とは他家へ招かるる客人の如し。客の身にて好悪は申されまじ。」 よくご存知ですね。 妙にどころか、かなりの現実味が感じられました。 「客の身にて好悪は申されまじ。」というのは凄く新鮮で、 ホント、伊達じゃあないですね、笑 >神ならぬ身の我々は一人として、この地球上に永住権を持っていません。 >旅人として地球を訪れ、ビザが切れたらあの世へ強制送還されるのです。 はい、このくだりを拝見して、古代エジプトの死出の船を想起致しました。 まさに、人生そのものが旅、そして、 誰もが片道切符と期限付きのビザを握りしめているのですよね。 常日頃、あまりに当たり前のこのことを忘れて暮らしているわけでして。 そうっか、誰もがみな旅人なのですよね。 納得です。 またよろしくお願い致します。 ご回答をありがとうございました。

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  • plokij75
  • ベストアンサー率45% (716/1567)
回答No.8

個人的経験と勘からですが。。。 「旅」とは、「自己からの解放」ではないかと思います。 つまり、現在、自分が置かれている状況や環境の下で、いろいろな制約のある空間の中で、人は生きていますが、座標系が異なった空間へ移動する事により、日常のしがらみや制約から逃れて、自由になることのように思えます。 つまり、自分の背負った文化の世界から、異文化の世界に自分を置いてみるような。。。 よって、人は旅行をすると、すがすがしい気分になり、心が洗われたような感じがするのではないかと思います。 でも、「旅」は、交通機関を利用して物理的移動が伴わなくても、精神的なVirtual Tripも含め得るのではないでしょうか。 空飛ぶ鳥の如く、野や山で吹き荒ぶ風の如く、「自由になる事」が「旅」の本質ではないかと思うのですが。。。

mashumaro2
質問者

お礼

plokij75様、こんにちは。 >個人的経験と勘からですが。。。 >「旅」とは、「自己からの解放」ではないかと思います。 はい、「旅」のスタイルは十人十色、 皆様方の「個人的経験と勘」による「旅」につきうかがいたく、 私にとってはご回答の一つ一つに深く考えさせられておりまして、 本当に有り難く感謝致しております。 また、その「経験」とは、plokij75様も「物理的移動が伴わなくても」とおっしゃるように、 必ずしも物理的移動など要さないものかもしれませんね。 たとえば精神的なVirtual Tripにより生み出された芸術作品など数知れませんし、 人間の情熱や想像力、創造力って、本当に凄まじいとは思いませんか。 「百聞は一見にしかず」のことわざ、これって、いつ頃からあるのでしょう。 現代の旅の場合、時にネット上の百聞(百見?)などがあまりに充実過ぎて、自身の経験(一見)のほうが影が薄かったりして、 そんな逆転劇ってあり得そうな。 単なるVirtual Tripの効能って、いったい、どうなのでしょうね。 よくSF映画にも出てきますけれども。 >いろいろな制約のある空間の中で、人は生きていますが、座標系が異なった空間へ移動する事により、日常のしがらみや制約から逃れて、自由になることのように思えます。 はい、旅を人生と結びつけると、ちょっと壮大な航海の様相を呈してまいりますが、 実際には、多忙な現代人としての日常から解放されるために逃避行先で、癒しを受けて清々しく家路に着く旅など多くみられましょう。 「異文化の世界に自分を置く」旅は、やはり舞台の一役者としての自分を愉しむ、余暇ですよね。 >空飛ぶ鳥の如く、野や山で吹き荒ぶ風の如く、「自由になる事」が「旅」の本質ではないかと思うのですが。。。 そうですね、翼があったら飛んで行けるのに…と、私自身何度も思ったことがあります。 「自由になる」って、どちらかというと、漂泊、さすらいの旅の印象がありましょうか。 思うに、古事記に出てくる須佐之男命など、周縁に下る日本神話の旅の原型なのかもしれませんね。 う~ん。 風とともに茫漠とした野に帰る…。 「自由になる事=旅の本質」とは、ともすると、大自然の懐、あるいは宇宙への回帰のようにも思えてきたりして。 ちょっとあまりにも飛躍しすぎましたでしょうか。 またよろしくお願い致します。 ご回答をありがとうございました。

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回答No.7

自我の確立を環境(周囲の評価や社会的地位)に依存する人間は、 ある意味、自我の目覚めが不完全だと言え、自己の属する環境から 脱却することにより、自我が不安定になります。 環境を変えることにより、通常の意識の中で不可分に混合し不明瞭 になっていた自己と環境が、明確に把握できるようになるのです。 もの想う人間にとって、旅は故郷です(環境の三点測量の基線)。

mashumaro2
質問者

お礼

psytex様、こんにちは。 広大な景色が見渡せて気持ちの良いお写真、どうもありがとうございます。 どちらの方面なのでしょう。アジアなのでしょうか。それともアフリカあたりですか。 >自我の確立を環境(周囲の評価や社会的地位)に依存する人間は、 >ある意味、自我の目覚めが不完全だと言え、自己の属する環境から >脱却することにより、自我が不安定になります。 はい、komaas8様の三木清も同様な事柄を述べているようです。 「旅に出ることは日常の習慣的な、従つて安定した関係を脱することであり、そのために生ずる不安から漂泊の感情が湧いてくるのである。旅は何となく不安なものである。」 旅人なら誰しも自我が不安定になりやすいのでしょうね。 そしてだからこそ、ありとあらゆるものを鋭敏に感受し、心に残ったりするのでしょうか。 >環境を変えることにより、通常の意識の中で不可分に混合し不明瞭 >になっていた自己と環境が、明確に把握できるようになるのです。 >もの想う人間にとって、旅は故郷です(環境の三点測量の基線)。 この「環境の三点測量の基線」の意味するところがちょっとわかりかねるのですけれども、 「自己と環境が明確に把握できる」つまり、 わたしとはいったい何者かと自問自答せざるを得ない状況を突きつけられるということですよね。 そして時と場合、相手次第では、かなりのダメージをくらうこともあったりなどして。 人間と自然、psytex様の御経験では、どちらが手厳しくお感じになったのでしょうね。 もう何年も「予約」「予定」のない旅など私はしておりません。 たとえば美術館でも何カ月も前から予約を入れる予約制だったりして、 それって、はたして便利なんだか、不便なんだか、 とにかく以前よりは少々融通が利かなくなっているように映るのです。 交通手段の発達により、移動時間が短縮され、逆にせわしい気もしなくもなかったりして。 こんな端々に加齢を感じたりなんかして、笑 むろん、そのようなシステム網が張り巡らされた地域など、 この地球上ではごく限られた場所で、私が他を知らないだけなのでしょうけれども… 環境を変えるというのは、ただ物理的な移動のみを指すわけでもなく、 ある程度慣れ切った旅の方面やスタイルを変えるという意味にも思えてまいりました。 アジア、心の故郷としてはかなり良さそうですしね。 またよろしくお願い致します。 ご回答をありがとうございました。

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noname#123390
noname#123390
回答No.6

三木武吉いや三木清は「旅は人生そのものである」と河童、いや喝破しています。それはおいといて やはり私は、旅は変わらないもの、変わるもの、おおいにかわるものたちがお互いに心身で交流し共感しつつしかし独立性は保ち合いながらそれら自身が更に膨大ななにものかのこしらえた舞台のうえで演技しているのだという覚めた意識になかば酔いながらもいやおうなくどこかへおし流されていく、そういったことを実感するための最高のツールであろうとおもいます。旅人とは?その中のヒーローであるあなた自身でしょう。

mashumaro2
質問者

お礼

komaas8様、こんにちは。 以前、こちらのカテの「旅についての哲学書」という質問に際し、 三木清「旅について」人生論ノートを挙げていらっしゃいましたよね。憶えております。 「出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味ふことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといはれるのである。日常の生活において我々はつねに主として到達点を、結果をのみ問題にしてゐる、これが行動とか実践とかいふものの本性である。しかるに旅は本質的に観想的である。旅において我々はつねに見る人である。平生の実践的生活から脱け出して純粋に観想的になり得るといふことが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考へることができるであらう。」 得てして結果のみを問題にする日常から抜け出す旅の特色と人生、ここに特に惹かれます。 komaas8様は、どのあたりに深く考えさせられたのでしょうか。 >膨大ななにものかのこしらえた舞台のうえで演技しているのだという覚めた意識になかば酔いながらもいやおうなくどこかへおし流されていく、そういったことを実感するための最高のツール はい。たしかに、見知らぬ土地の旅人として劇中に参加している気にもなります。 たとえばルーヴル級の美術館内では、エキストラの一人に過ぎないでしょうし、 名もなき片田舎の村で民宿に泊まるときなど、まさに主役級だったりして。 自分で立てた旅程ながらも、諸般の物理的事情とは別に、 目には見えない不思議な縁に手繰り寄せられて、自分がそこにいる、みたいな(酩酊状態、笑)。 若い時は通過儀礼みたいな意味もあったのかも。 そんな御経験はおありでしょうか。 三木清以上にkomaas8様らしい旅論をうかがえて良かったです。 きっと旅がお好きな御方なのでしょう。 そして時折「おーい、酔ってるぞ~!(「思いこみ激しいぞ~」も可)」 というストッパー的な声掛けを頂戴できますか。 最近回るのが早いせいか、戸惑うこともあったりなんかして。 ご回答をありがとうございました。

mashumaro2
質問者

補足

またよろしくお願い致します。←抜けました

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  • _AXIS
  • ベストアンサー率5% (2/40)
回答No.5

ここでは「ただ旅すること すべてはその中に」と言っております。 http://www.youtube.com/watch?v=t9OmIJ2gQ8g それから、「誰にも知られず 消えていく強さ」とも言ってます。間違いでしょうか?

mashumaro2
質問者

お礼

_AXIS様、こんにちは。 清々しくて、聴けば聴くほどに心地良く感じられる曲だと思いました。 本当にありがとうございます。 近日よく似たIDネームが散見されておりましたし、 イメージ的にはインストゥルメンタル系がお好きな御方だと思っていたのですけれども、 ご紹介下さった曲もヴォーカルがとても自然な感じなので、すぐにピンときました。 曲の出だしで「はじめて飛んだ~あの空へと~」とありました。 旅(たび)は飛び(とび)なのかもしれませんね。 >ここでは「ただ旅すること すべてはその中に」と言っております。 はい、曲の中で「旅」が何であるかを告げてますものね。 >それから、「誰にも知られず 消えていく強さ」とも言ってます。間違いでしょうか? 間違いではないと思います。 人に誇示するまでもなく、自分だけが知っていればよい諸々の強さですよね。 「どんな遠くても~まよわない強さ~」ともありますよね。 私は、この強さ、欲しいです。とても。  _AXIS様はもうすでにお持ちのようですね。 そうそう、「聞くな」で一度、迷子になりそうになったことがありましたっけ。 急なカーブや坂の多い起伏のある土地って、 歩くには多少疲れるけれども、趣があって嫌いじゃあないです。 たまには、あてもない途中下車の旅も、いいかもしれませんね。 ご回答をありがとうございました。 またよろしくお願い致します。

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  • 326AtoZ
  • ベストアンサー率43% (36/83)
回答No.4

旅は非日常性を経験するための環境作りです。 非日常性とは、日常性の反対です。日常とは脳の情報処理が”自分が知っている情報は無視”するようになっているのが常態の環境のことです。 つまり、日々の生活では脳みそという臓器は、自分が知っていると思い込んでいる周辺情報を根こそぎ無視します。そこから新しい情報を発見しようという処理経路を遮断するのです。 古来より、旅にて色々な物を発見するという体験は、このような脳の処理系を無意識的に知っていた人々の知恵であったろうと思います。わざと見知らぬ土地を旅することで、自分の脳みそがさぼっていた情報処理を復活させ、新しい発見を強制的に促していたのです。

mashumaro2
質問者

お礼

326AtoZ様、こんにちは。 >旅は非日常性を経験するための環境作りです。 kunobou様と同じ「非日常性」ですね。 はい、たしかにそうかもしれませんね。 非日常を味わいたくて、だから旅に出たいと思うのでしょう。 「環境」を変えることが、脳の処理経路を根こそぎリセットするのに都合が良いのでしょうね。 それって、価値観の転換とも言えるのでしょうか。 >古来より、旅にて色々な物を発見するという体験は、このような脳の処理系を無意識的に知っていた人々の知恵であったろうと思います。 そうですね、旅の道中や旅先において芭蕉は自然を愛で、古に思いを馳せ、多くのゆきずりの人々と触れ合うこと、 これら一つ一つに心を揺り動かされていったことでしょう。 日本に数多くの紀行文が遺されているのは、日本人の旅好きを如実に物語っているのかもしれませんね。 総じて、あまり西洋のそれは多く見受けられないような気もします。 都市間の距離なども、意外と「直線距離(distance a vol d'oiseau)」で掲載されていることが結構多かったりして、 旅の道中というよりも、着いた旅先が何といっても主で、 だから、滞在型の旅に長けているのかもしれないなあって。 326AtoZ様は、旅に出ると、やはり脳がリセットされたのがわかりますか。 それって、旅先で気付くのか、帰宅後に実感するのか、どちらがより実感するのでしょうか。 ご回答をありがとうございました。 またよろしくお願い致します。

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noname#136007
noname#136007
回答No.3

  旅とは、すむ土地を離れて、一時他の土地に行くこと。 旅人とは、旅をする人 です。 因みに、広辞苑です。 これを、抽象化するなら。 旅とは、非日常性を体験すること。 されに、抽象化を進めると。 旅とは、非日常性を獲得すること。 さらに、抽象化を進めると・・・ きりがないので、止めます・・・  

mashumaro2
質問者

お礼

kunobou様、こんにちは。 広辞苑、どうもありがとうございます。 私もkunobou様に倣って、広辞苑を開いてみました。 驚きました。 ずいぶん多くの旅にまつわる言葉があるのですね。 「旅」のほかに「旅行(たびゆき)」という言葉を見かけました。 「旅に出ること」だそうです。 「旅」と「旅行」とは、同じだけど、ちょっと何かが違うのでしょうか、 違うとしたら、いったい何なのでしょうね。 >旅とは、非日常性を体験すること。 >旅とは、非日常性を獲得すること。 >さらに、抽象化を進めると… はい、おっしゃることはよくわかります。 ご指摘の「旅とは、すむ土地を離れて、一時他の土地に行くこと。」に則れば、 たしかに旅には非日常性がつきものと言えましょう。 では、修学旅行などの団体行動の際、あるいは、 ネットを介して旅先から連絡をする場合など、はたしてそれって、 非日常なのか、それとも、普段の日常とさほど変わらないようにも感じたりして、 ちょっと自分自身で訳がわからなくなる瞬間ってあるような気もするのです。 「旅=非日常」とは、必ずしも言えないのかも?なんて、おかしいでしょうか。 ご回答をありがとうございました。 またよろしくお願い致します。

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回答No.2

私の実家の宗教は空海の「お遍路さん」のものです。 旅とは何か? おそらく、自分との対話です。 ちなみに旅をほとんど出来なかった私は、経済的理由からです。 旅をせぬも、旅をするも、みな同じ。「移動のみ」が旅ではない。

mashumaro2
質問者

お礼

OtamaFJWR様、こんにちは。 >私の実家の宗教は空海の「お遍路さん」のものです。 >旅とは何か? >おそらく、自分との対話です。 そうなのですね。 「お遍路さん」=霊場巡り、つまり旅ですよね。 修行や参詣を意図して巡礼遍歴の旅に出たとすれば、 ご指摘の「自分との対話」というのも、納得です。 >ちなみに旅をほとんど出来なかった私は、経済的理由からです。 >「移動のみ」が旅ではない。 はい、おっしゃるとおり、 実際に、旅には先立つ出費が常に想定されることでしょう、けれども、 「移動のみ」が旅とは決して言えないかもしれませんね、たしかに。 >旅をせぬも、旅をするも、みな同じ。 「みな同じ」かどうか、 さあ、どうでしょうね。 言えそうで言えない…そんなもどかしさも、正直感じなくもないです。 ただ、「巡る」というこの言葉ひとつを例に挙げてみても、 「戒壇巡り」「堂々巡り」等々、 とても思索的な意味があるような気が致しまして。 目的があって巡るのか、それとも、巡ることそれ自体が目的なのか、 そして、 「旅をせぬも、旅をするも、みな同じ」につき、あらためて考えさせられる次第です。 ご回答をありがとうございました。 またよろしくお願い致します。

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回答No.1

  旅は哲学そのものなり  

mashumaro2
質問者

お礼

v4330様、こんにちは。 >旅は哲学そのものなり はい、けだし名言ですね。 たった10文字に凝縮されているその意味って はかりしれないほど奥深いようにも察せられます。 もうちょっと、ヒントを戴きたいところではありますが。 ところで、 「哲学を要しない旅」って、あるのでしょうか。 ふと、考え込んでしまいました。 ご回答をありがとうございました。 またよろしくお願い致します。

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