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「奥の細道」の冒頭について

奥の細道の冒頭で「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」とありますが、この「旅人」とはどういう意味なのでしょうか。 旅人と聞くと各地を転々と動き回っているイメージがあります。そこから「時間とは、止まっておらず常に流れているものだ」という解釈になるのでしょうか。しかしそれでは「時間は流れている」という、あまりにも当たり前すぎる内容のような気がしてしまいます。 また「月日」や「年」など、なぜ「時間」について言及しているのでしょうか。その後の文章では船頭や馬子や古人など、「人間」の旅についての記述があるのと比べると、時間について述べている冒頭部分だけがどこか突出している感じがします。 結局、芭蕉の言いたい「行きかう年もまた旅人なり」とはどういう意味なのでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.3

私も、冒頭の一節は浮いているように感じています。何かしっくりはまりませんよね。 アイデアのもとである李白の漢詩の序文「夫れ天地は万物の逆旅(旅館)にして、光陰(月日)は百代の過客なり。而して浮生は夢の若し。歓びを為すこと幾何ぞ」と置き換えると、枕としては判りやすいのですね。「万物は旅籠であり、時間は旅人」であれば、その水墨画的宇宙観にそって、自分の人生は短い、残りは何に使おうか、と続いて、芭蕉の場合は「旅をしたい」と続けることができると思います。 一方「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」は、「時間は旅人だ」と同じ内容を二つ続けただけで、何の枕かよく判りません。もしかすると、本歌取りのように「李白の序文はみんな知ってるよね、あの李白の気持ちと同じなんです。李白は酒なのでしょうが私の場合は旅に出たいと思うのです」と解釈すればいいのかと感じます。 その場合、「月日は百代の過客」だけで充分なのですが、リズム感のために二つ並べただけなのだろうと考えられます。単なるパクリかも(笑)

taitai_1935
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 これは説得力のあるご意見ですね。確かに「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」という記述もありますし。質問欄に書いたとおり、「行きかう年もまた旅人なり」の「旅人」の意味が私は分からなかったのですが、ご指摘の通り、最初の一文は独立させるとよく分かる気がします。これを更に一歩進めて解釈をすると次のようになるでしょうか。 旅をしている本人からすると、家を出てから再び家に戻るまでが、ず~っと旅でしょうが、他の人から見ればその旅人は、すれ違っただけの、一瞬の存在になってしまうことでしょう。行きかう年も、個々の人からすればすれ違うだけの一瞬の存在であり、そこから「人生は短いのだ」ということにたどり着くのかもしれませんね。 こう考えると、最初の「旅人」と後で出てくる「旅」とは、全く別の違った概念を表していると考える方が自然かもしれませんね。

その他の回答 (5)

  • d-drop
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回答No.6

 #5です。蛇足かもしれないけど、ちょっと補足。  第1段は、普通だったら、みんな世のなかのものは、時の経過に随うしかない旅人だ、という風に考えるでしょう。でも、芭蕉は、違う、「時」だって旅人なんだ、とひっくり返してみせたところに、この部分の面白さがあるのだと思います。贅言失礼。

taitai_1935
質問者

お礼

重ねてご回答ありがとうございます。

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.5

 こんばんは。  私見です。  昔の文章は、今のように、段落分けなどはしませんでした。題名や、歌や、句が入らない限り、改行なしの書きっぱなしでした。句読点もなかった(句読点、段落分けが出てくるのは、明治の頃からだそうです。読みやすいように、作ったものらしいです)。  だから、この文章を、  「月日は~」、「舟の上に~」、「古人も~」、「予も~」で、それぞれ改行して考えたらどうでしょう。  すると、まず、  月、日、年という暦の上の時間的区切りという抽象的な概念を、李白の詩をベースにして、「旅人」として「擬人化」している1段。今日も、今月も、永遠(百代)に旅をする旅人(過客)のように、自分の前を通りすぎてゆく。「年」だって、街道をゆきすぎる旅人のように、去年、今年、来年とつぎつぎ去ってゆく。  つぎは船頭、馬子など、移動を生業とする人々を、やはり「旅人」の比喩として使ってる1段。この段で大事なのは、暗喩として「人だってみんな旅人の要素を持っているんだ」という芭蕉の感慨が読めることです。  そして、具体的に、一生を旅に終えた人(「古人」は、芭蕉の尊敬していた西行や、宗祇だ、といわれてます、私は、それに加えて、芭蕉が最も尊んだ漂泊の詩人、杜甫の面影をここに見ます)を偲ぶ1段。やはり暗喩として、旅人は詩人である、詩を生業とする人は本質的に旅人である、という芭蕉の思想が読めます。  で、やっと私事を語り出す1段。私のようなマイナーポエットでも、やっぱり詩人の例に漏れず、今回の旅にでることにしたんだ、と動機を提示します。  こう見ると、抽象的な概念―人間―詩人―自分というふうに、だんだんイメージが具体化していくのがわかると思います。そして、その基調に鳴っているのは、この世にあらわれるものは、すべて、「旅人」という、芭蕉の思想です。  こういう風に、いわば抽象から具象、遠景から近景、という流れは、導入部ではよく見られる、オーソドックスな手法です。それは文学に限らない、映画や歌でもそうです。  それをこの数行で、いろんな意味を重層的にこめてやってしまった芭蕉は、やはり稀代の文学者だと思います。  私は、ここの部分、とても好きです。天空から舞い降りてきて、軟着陸するような感じがします。  どうでしょう。ご参考になれば嬉しいです。

taitai_1935
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「旅人」とは文字通りに「行過ぎる存在」という解釈ですね。「月日は永遠の旅人であり、時間は確実に通り過ぎてゆく」といった感じでしょうか。

  • chironero
  • ベストアンサー率11% (23/200)
回答No.4

 緩やかに、確実に過ぎ去って逝く、時の流れを指しているものと思われ、この一文を、冒頭に持ってきたのは。また、旅と自己の人生を重ねて見たのではないかとも考えられます。人生を旅する。もしかしたら芭蕉自身の事ではないでしょうか。(私見です。)

taitai_1935
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「時間=人生」という解釈ですね。人生は旅であり、人生を生きることは旅をすることであると。この解釈も「旅を住処とす」という記述とつながってきますね。

  • corochan
  • ベストアンサー率40% (24/60)
回答No.2

私的意見です! 月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり を書いた「松尾芭蕉」という人物は、貞享元年から旅に出ています。途中、【野ざらし紀行】【冬の日】【鹿島紀行】等色々な書物を残してきました。その旅の途中で【奥の細道】を書いたわけです。 その旅の中で、松尾芭蕉は色々な場所を旅して廻っていたけれど、その旅地の上にはいつも【時間】という物があり、自分はいつも(生まれてから今まで)【時間】という物の中を旅しているのだと気づいたのだと思います。自分や、他の人間(船頭や漁師、全ての者)が実は時間を旅して廻っている旅人なのだ そしてこの世の一番の旅人は、恐らく行き交ふ年(=年月)で、時間という物が私達を旅人とさせる(自分達が進んで旅人となるのではなく、実は時間が旅人とさせている)と考えたのでしょう。 あまりいい回答になっていなければすみません・・・。もしこんな回答でもお役に立てれば幸いです。

taitai_1935
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人は時間の旅をしているという解釈も出来るのですね。時間自体が旅人であり、その時間と関わりを持つ我々も、おのずと旅人になるのだと。

回答No.1

感じることは人それぞれでいいと思うので私なりに思うことを書きますね。 この文は旅行記の冒頭で旅人についての書き出しです。 旅人について述べた文ですね。 月日は百代の過客にして、 これは李白「夫れ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり。」の詩を引用しています。 「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。」 歳月は希代の旅人で、行きかう時間もまた旅人です。と歳月をこの世で一番の旅人?として述べるとともに、 全体を貫いている雰囲気を予感させるものだなと私は思います。 そして次の船頭や馬師などをして老齢にいたる人も旅人といえるのではないかといっています。時間の旅をしていると言っているんだと思います。 余韻、はかなさといった雰囲気を出していて日本文学らしくていいなぁと私は思います。 故人も旅で一生を終える人も多く自分も旅に出たいと思ったとつながっています。 あんまりいい回答になってないかもです。 お役に立てれば幸いです。

taitai_1935
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「人は皆、時間の旅をしている」ですか…。う~む。そう聞くと意味深になってきますね。そして時間そのものがまた旅人なのだと。 松尾芭蕉にとっての旅とは一般に言う「旅行」ではなく、「人生」の事を指しているのかもしれませんね。奥の細道では「旅を住処とする」という記述もありますしね。

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