松尾芭蕉の野ざらし紀行と奥の細道について
- 芭蕉の『野ざらし紀行』は無常の旅であり、死の観念を投影した作品です。
- 『奥の細道』もまた無常を表現しており、「旅に死せる」ことを示しています。
- 芭蕉は風景を通じて歌の伝統や文学の心を感じ取り、それを表現していました。
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松尾芭蕉の『野ざらし紀行』『奥の細道』について。
野ざらしを心に風のしむ身かな 芭蕉の『野ざらし紀行』の冒頭にこの句が置かれています。この句は、無常の身だからいつ旅の途中で死ぬかもしれないという気持ちを詠んだものといわれています。この旅は、「野ざらしを心に」した旅でもあり、「死にもせぬ旅」ともいえて、「死」の観点の上に立っての「旅」であると考えることができます。それには、母の死を体験した芭蕉に「死」が一段と迫りくるものとして意識されていたのではないかと思いました。つまり、芭蕉のいう無常の根本には死があり、「死」の観念がはかない多くの美的世界を発見したと思いました。 そして、そのことは『奥の細道』中にもいえて、冒頭部分に、 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり、舟の上に生涯を浮かべ馬の口をとらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。 明らかに、「無常」のことを述べ表していると思いました。 上記に挙げたことは、私の考えですが間違いですか? 芭蕉は、多くの旅で、姿ある風景ではなく、何を見てきたのですか? 歌の伝統、伝統の文学の心を、風景に投影したのですか? 教えてください。 とても分かりにくくなってしまいすみません。
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>上記に挙げたことは、私の考えですが間違いですか? 間違いかどうか、というご質問ですと難しいところです。 理由は簡単なことで、「正解」というものが存在し得ないためです。 文学研究では「正解」はありえません。 「限りなく真実に近いと確信できる答え」を探すのがやっとです。古典研究であれば作者はもう居ませんし、仮に「こう書いたつもり」という記録が見つかったとしても、作者の中にある無意識がこの文章を書かせた、という論は成り立ちます。 要は、どこまでも「こうなんじゃないか」の連続、積み重ねがあるだけで、真実も正解もあろうはずがないのです。 ということで間違いかどうかは言えません。 しかし、私個人の見解としては、芭蕉の文に「無常観」が見られる、という意見には概ね賛成です。 >芭蕉は、多くの旅で、姿ある風景ではなく、何を見てきたのですか? >歌の伝統、伝統の文学の心を、風景に投影したのですか? まず「歌の伝統、伝統の文学の心」とは一体何を想定してお話されているのでしょうか? 芭蕉が何を見てきたか、という問いに答えられるのは芭蕉だけです。 従って次の問いに答えられるのも芭蕉だけです。 この問いに関する「限りなく真実に近いと確信できる答え」を探すためには相当な研究を重ねる必要性があります。それこそ先行研究が山のようにある分野ですので、まずはそこの読み込みからになります。本文研究も相当必要です。 ぶっちゃけた話、大学の卒論クラス、もしくはそれ以上の問いになりますので、答えるとしても全角800文字の制限がある中では不可能といわざるを得ません。 ですので、こればっかりはご自分で研究して、「答え」を見つけるよりほかないと思われます。 そこまで深刻ではない、というのであれば、お近くの図書館で松尾芭蕉と無常観に関する本をお探しになられるとよろしいのではと思います。 最後になりますが、私は、芭蕉は旅の中で風景を見て、その中から何かを感じ取って作品を書いたのではないかと思います。 その感性は無論彼の人生観やその形成に関わった書物の影響の下に存在しているでしょう。彼が尊敬する人物の中に西行法師が挙げられることからも、無常観というものは常に彼の中にあったものとは思います。 しかし、これが正解ではありませんので、あしからず。
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