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究極の粒は存在するのか?

究極の粒は存在するのか? 現在の科学は究極の粒が存在しているであろうという前提に築かれています でも私は究極の粒は存在しない、存在できないと考えます その理由はこの宇宙の中で力の影響を受けない場所は存在しないと言えるからです 楕円は力を加えると分割できます。実際に出来るかどうかは問題ではなく 「楕円は分割できる」は真実なのです 現在の教科書は「粒」が満載です この前提はこのままでいいのでしょうか?

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  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.4

究極の粒を分割できない粒子と仮定して話を進めます。 >現在の科学は究極の粒が存在しているであろうという前提に築かれています 今の実用科学はせいぜい核分裂程度をベースにしていると思います、 少なくとも認識されていない粒子を前提にしている工学的応用は無いと思います。 >「楕円は分割できる」は真実なのです 証明が無いけど、どっちにしろ粒子の形状が楕円であるとも限らないですし、そもそも厳密に位置や速度も分からないものの形を議論するのは意味が無い気がします。 粒子がどうであるのかとは別に、古典物理のレベルで原子を球として扱うのは非常に便利なモデル化です。 量子論に行けばそうではないと分かりますが、そこまで行く人であれば丸としてあるのはモデルであるというのは分かるでしょう。 なので、実用レベルで教科書の表現は問題無いです。 そういうのは前提ではなく、仮定といいます。球と仮定してるのです。 ようするに、球にしとけば分かりやすいし、本気で勉強する人なら仮定を変えてもすぐ分かるから問題無いのです。

ichinari00
質問者

補足

分かりやすい表現としての球(仮定) はい、納得できます。 例え話は身近にあるような分かりやすい物を利用する… と言う事でしょうか?その通りですね 私の例えは「球のような性質の力」ですから だれも分かってくれないですね>< 私は量子論否定論者なので「量子」について話をしないとこの質問は 話がかみ合わないような気がします (それはまた別の機会にでも…)

その他の回答 (4)

  • eatern27
  • ベストアンサー率55% (635/1135)
回答No.5

#1です。 「究極の粒は存在しない」と考える事で何かメリットというか嬉しい事はあるんですか? ・こういう実験結果を説明できる ・計算が容易になる ・解釈が容易になる ・こういう面白い現象が起こると考えられる とか。 そういうのが何もないのなら、それらしい根拠もないようですし、 「究極の粒は存在しない」と考えるのは少なくとも現時点では妥当とは思えませんね。

ichinari00
質問者

補足

現時点で実用的なメリットは何も無いと思います でも、特異点とブラックホールの説明をする際には大きな前進が期待されます 私は一般人です。一般人にとって科学は宇宙の謎を解明する「物語」のようなもの その物語りの続きが「知れる」という喜びはとても価値があります

回答No.3

「究極の粒子」というのがなんのかよく分かりませんが、多分「これ以上分割できない根源的な存在である粒子」というようなものを指しているんですよね? 分割できる粒子がある->それは実は究極の粒子ではなくより根源的な粒子がある 分割できない粒子がある->それが究極の粒子である となるんじゃないですかね?分割できることが直ちに物質の根源が粒子ではないことの証明にはならないでしょう。 実際のところ、「どこまで分割できるかな?」というのは何時の時代もホットな研究ですし、「なんかこれ以上分割できない粒子があるんじゃないの?」という考え方を否定するような現象も観測されていないし、今のところ、究極の粒子なるものがあってすべてはそれで成り立っている、と考えて不都合も矛盾もないわけです。 でもまあ昔は「原子より小さくはならない!」といい、次は「陽子・中性子・電子より小さくはならない!」といい、そして今「もっと小さい粒子があるよ!」といっているわけですしねえ、とりあえず何か素粒子を実際に分割しまた無限に分割可能であることを実験で確かめてから発言した方が信憑性が増すと思いますよ。

ichinari00
質問者

補足

>多分「これ以上分割できない根源的な存在である粒子」 >というようなものを指しているんですよね? はい、その通りです >分割できる粒子がある->それは実は究極の粒子ではなくより根源的な粒子がある”かも” これはほぼ同意見です、少し修正を入れました >分割できない粒子があ”ったなら”->それが究極の粒子である 現時点では「ある」と言えないので仮定的に表現しました なので「>分割できることが」究極の粒否定につながって良いと思います 直接的な証拠でなくても選択肢を一つに絞れれば証拠と同じくらい 断定しても良いと思うのです >実際のところ、「どこまで分割…(中略)…矛盾もないわけです。 普通に生活する分にはそれでいいと思います でも「特異点」と「ブラックホール」に関しては謎が発生してしまいます 夢見る少年の私としては飯も喉を通らないほど大問題なのです ですから科学者の皆様に解決出来る説明をして欲しいのです >無限に分割可能であることを実験で確かめてから… 科学的に不可能です。無限を超えられないのは科学の弱点です だからこそ数学と想像の理論も重要なのです

  • tetsumyi
  • ベストアンサー率26% (1857/7086)
回答No.2

究極の粒子に付いて考えるのに実験も行わず古典的な理論を公に展開するとは、恥ずかしくないのが不思議です。 もっとも世の中には知らないから平気でできると言うことも多いようです。 信じる者は救われるに通じるような気がします。

ichinari00
質問者

お礼

私は恥ずかしい人間か? 多分その通りです。迷惑ばかりかける問題児だと思います 質問の質、表現(なぜムービー?)学問のルールに則らない。 数え上げたらきりがありませんが でもこれが私の出来る精一杯なのです 私が存在せずとも社会は何も困らない無に等しい人間ですが 科学はこんな私にも夢と希望与えてくれます どうか見逃してください

ichinari00
質問者

補足

この問いを実験で確かめる事は不可能です なので実験をしてから…と言う意見は理論的ではないと思います 「究極の粒である」と結論付けられる証拠は存在しません なので実験に拘らず数学と想像で考えました

  • eatern27
  • ベストアンサー率55% (635/1135)
回答No.1

少なくとも我々が行った実験・観測の範囲で、 内部構造が見つかっていない粒子に関しては、 素粒子として扱っても何も問題はないと思いますが。

ichinari00
質問者

補足

>素粒子として扱っても… はい、その通りです。同意見です でも「素粒子」と「究極の粒」は別物だと思います 素粒子は人間の技術の最高点。 究極の粒は人間とは無関係に存在するもの(存在していたら) 私の対象はその「究極の粒」なのです 実用性よりも真理を追いかける問いかもしれません

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