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江戸時代には刀を投げたり目つぶしをするのは卑怯とみなされていたのでしょ

kangaroo-Dの回答

回答No.3

今のスポーツと違い、相手を如何に効率よく殺すか、ということを突き詰めた剣術では、卑怯という概念は無かったのではないかと思います。 負けるということが、死ぬということと同義な以上、どんな手を使っても勝たなければならなかったはずです。 また、どんなに正々堂々戦ったとしても、死んでしまえばただの敗者なのです おそらく誰も正々堂々戦ったことを讃えるものはいません。 江戸時代の後期に入り、実際の戦いが無くなって行くに従い、武士の教育の一貫となり、卑怯な行為が恥ずべきものとされていったのだと思います

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