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人生が走馬燈のように

人生が走馬燈のように 死の直前に人生が走馬燈のように見えるというのは、お話にはよく出て来ますがほんとにあることなんでしょうか。 立花隆さんの著書「臨死体験」に出て来る例は、走馬燈とはずいぶん違っていますが。

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noname#115328
noname#115328
回答No.4

ヤフー知恵袋に同じような質問がありました。 その回答によると 「人間の脳は生命の危険に見舞われると 過去の経験から助かる方法を必死で探しだそうとする。 水に溺れたり、交通事故に遭ったりした時は一刻の猶予もないため 過去の記憶を片っ端から引っ張り出してくるので、 思い出が走馬灯のように脳内をめぐる・・」のだそうです。 「また穏やかに死を迎える場合はゆっくりと記憶を蘇らせる」・・ 走馬灯はゆっくりまわるという事になるのでしょうか? 真偽のほどはわかりません。

cpbr
質問者

お礼

説得力のある説明だと思います。おっしゃる通り、真偽のほどは?でしょうけれども。 でも、立花さんの臨死体験者の話にはなんで人生が走馬燈のように見えた話がないんでしょう。

その他の回答 (3)

  • s_end
  • ベストアンサー率41% (176/425)
回答No.3

一般的にはそのように伝えられていますね。 臨死体験とか九死に一生を得た、という体験は、普通はあまり体験できないです。またどちらかというと そういう体験をした人を英雄視、とまではいかなくとも、ちょっとした特別扱いする傾向があります。 人間は首を絞められたり、急所(頭、股間、鳩尾など)を強打されたときに「光視現象」という現象が起き、光を見たように感じます。漫画的表現で言えば、頭の周りに星がぐるぐる回っている絵です。 多くの人はこの光の中に何かしらの意味のある映像を感じ取ることがあるようです。 そこで、首絞め、急所強打など怖い思いをした人が自分の体験した光視現象を、大げさに 「死にそうになったとき、今までの人生が走馬灯のようによみがえってきた」 と言ったらどうでしょうか? 周囲の人から「この人、すごいんだ」ってな感じで見られますよね。きっと。 実際には単なる光を感じただけでも、「走馬灯のように・・・」といえば、一般人にはないすごい体験をした!という人になれるわけで、自分をかっこよく見せるために大げさに言っているやからもいるでしょう。 そういうわけで、大げさに伝えられた現象も多いのでしょう。

cpbr
質問者

お礼

死ぬ間際に人生が走馬燈のように見えるという表現が出来た後は、その表現に、実際に体験した不思議な感覚の方が引きずられてしまうということがあるかもしれませんね。

  • ruehas
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回答No.2

こんにちは。 自分の死を自覚して過去の回想を行うというのは極めて論理的な思考です。このためには、まだ意識のある状態で自分の死を予測し、それを受け入れなければなりません。 ですが、そのとき自分の死を予測しているひとはほとんどいませんし、仮に分かってもそれを受け入れるなど通常の精神状態では簡単なことではありません。まして、生きているうちにそんなことが決まってしまっては、恐ろしくてとても過去の思い出どころではないと思います。 では、もう少し意識が弱まり、そこに深層心理が働いたとしたらどうなるでしょうか。果たして、ここでは自分の死を受け入れて過去を想うなどという論理的な作業は行いません。深層心理は夢と同じですから、死の恐怖が何になって表れるかは全く分からないのです。過去を見る場合もあれば、未来を想像することもあります。従いまして、自分の死が恐怖や不安として反映されるのは普通ですが、この結果が必ずしも過去の回想になるということはあり得ないわけです。 このように、ひとが死ぬ間際に人生の走馬灯を見るというのは信憑性がないだけではなく、科学的にも明らかに矛盾します。亡くなるひとが過去を思いながら旅立つというのはどうやら我々の理性的な想像です。死ぬ間際というのはほんの一瞬ですので、走馬灯などというイメージが作られたのではないでしょうか。

cpbr
質問者

お礼

人生が走馬燈のように見えるというのは私もあまり信憑性がないと思います。ただなにか元になるようなものがあったのではないかとも思います。

noname#124369
noname#124369
回答No.1

死の直前に見える、つまりホントかどうかは、死んだヒトにしか分かりません。

cpbr
質問者

補足

九死に一生を得るのと本当に死んでしまうのとは紙一重の差ですから、死ぬ直前の状態を考察するのに、臨死体験者の証言は十分聞くに値すると思いますが。 分かりっこないのは死後の世界のことで、そのへんが科学とオカルトの境ではないでしょうか。

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