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復帰前の沖縄県いつまで存在していたと言えるのでしょうか。

復帰前の沖縄県いつまで存在していたと言えるのでしょうか。 廃藩置県により設置された沖縄県は、沖縄戦時も存在していたと思いますが、いつまで存在していたと言えるのでしょうか。また、存在がなくなった(「解散」、「解体」、「停止」など、どの用語が適当なのか?あわせて教えていただければ)は、ミニッツ布告によるものなのか、島田知事の訓示なのか、またはサンフランシスコ平和条約なのか。教えてください。よろしくお願いします。

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  • lequeos
  • ベストアンサー率54% (308/566)
回答No.2

沖縄戦により沖縄県庁は機能を失いましたが、内務省は1945年7月、県に代わる機関として福岡沖縄県事務所を設置し知事代行も任命しました。その意味では、同事務所がGHQ命令により廃止される48年までは、沖縄県(行政機関としての)は存続していた、といってよいかと思います。

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回答No.1

返還されるまで一貫して「沖縄県としては」存在していた、と言えます。 行政区域「沖縄県」が消滅し、また復活したことはありません。 しかしその存在は純粋に法的なものであって、 行政権は8/20の「沖縄諮詢会」設置を以って 実質的に米軍政に移ったと見るべきかと思います。

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