• 締切済み

中国古代の尚書、歴史書は何で書かれたか

中国の尚書や歴史書、例えば、孔子の書いたもの、司馬遷の史記など、これらの内容についてはよく論ぜられています。が、いったい、これらの祖本は何で書かれていたのでしょうか。竹簡、木簡、布のようなもの、あるいは、それらのどちらでもない場合、人から人へ語り継がれた後に、それらを用いて書かれたのでしょうか。 石に刻したり、鉄、銅に鋳込まれたりするのは比較的短い尚書であると思いますが、孔子の「春秋」、や「尚書」、司馬遷の「史記」など、長文の粗本は何によって書かれたのでしょうか。ズバリ回答できる方教えて下さい。

  • bjs
  • お礼率12% (1/8)

みんなの回答

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.2

 始皇帝が有名な焚書坑儒をしています。その焚書の対象の書籍がどんな形態のものだったかを考察していれば回答に近づけるのではないかと思います。下の検索サービスで 焚書 竹簡 で検索すれば有益なサイトにあたるはずです。

参考URL:
http://www.google.co.jp/
  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.1

竹簡だと思います。馬王堆の遺跡から出土したときには竹簡もかなりありましたし、史記に書かれている四字熟語韋編三絶もこの時代の言葉です。帛は保存や値段において不利だったのではないでしょうか。

参考URL:
http://www57.tok2.com/home/kenokun/yoji_i.html
bjs
質問者

お礼

やっぱりそうですよね。おそらく竹簡ですよね。馬王堆の遺跡は漢墓ですから、史記が書かれた時代とはそんなに離れていないので竹簡かなと思います。しかも、現存最古の竹簡は、孔子の時代より、ほんの百年降った頃ですから孔子の時代もおそらく竹簡だと思います。ただ、何を調べても、ズバリ「孔子や司馬遷は、竹簡で書いた」、あるいは「おそらく~で書いたであろう」とは言ってないんですよね。孔子や司馬遷について研究している歴史家や考古学者の人たちは数多く、あらゆる事について論じているのに、この部分だけをとても上手に避けて論じているような気がします。私の見聞が足りないのでしょうか。 とにかくご回答有難うございます。また何分かったら教えて下さい。

関連するQ&A

  • 皆さんの中国史の中で最も歴史に影響を与えたベスト10は誰だと思いますか

    皆さんの中国史の中で最も歴史に影響を与えたベスト10は誰だと思いますか? 因に私は 1位 始皇帝 2位 清の康煕帝 3位 孔子 4位 毛沢東 5位 李世民 6位 朱元璋 7位 後漢の光武帝 8位 司馬遷 9位 曹操 10位趙匡院

  • 古代中国語文章の口語混入と方言混入について

    古代に書かれた中国語の文章(例えば司馬遷『史記』など)は、書面語だと思いますが、それはその時代の標準語だったのでしょうか。それとも、司馬遷は陝西出身だったのであれば、陝西方言が混じっているのでしょうか。口語が入っている文章ならば、必ず方言の影響が出てくると思うのですが、実際はそうでしょうか。私の知る限り『詩経』は一部口語が入り周で使用されていた方言です。一般に『世説新語』あたりからが口語体文章と言われているようですが、それ以前の時代の文章は、完全な書面語と言ってよいのでしょうか?

  • 中国の歴史書で面白そうなのはありますか?

    私は十八史略を読み、春秋左氏伝も読みましたが、戦争や殺人を嫌う性格だからか途中で嫌気が差してしまいます。 中国の歴史書で比較的穏やかな書籍はありますか?

  • 璧の起源

    司馬遷の史記を読んで藺相如の大ファンになってしまいました。 玉器が中国では古代から重宝されてきたことは知っているのですが 璧はいつごろからあったものなのでしょう? 誰かご存知の方教えてください。

  • 韓国は、何故、古代朝鮮の歴史を歪曲するのですか?

    口汚い教科書批判により、日本の教科書は真実を書けなくなりました。 任那府は、教科書から消え去りました。 歴史書も文学書も存在しなかった古代朝鮮。 http://bit.ly/jFXAHq 日本人 = 日本書紀に「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」 韓国人 = 捏造だ。 日本人 = 三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。 韓国人 = 捏造だ。 中国人 = 満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。 韓国人 = 捏造だ。 中国人 = 中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。 韓国人 = 捏造だ。 中国人 = 中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。 韓国人 = 捏造だ。 中国人 = 中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。 韓国人 = 捏造だ。 日本人 = 日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか? 韓国人 = そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。 中国人 = 中国の歴史書まで捏造か? 韓国人 = そうだ。歴史書が本物だとしても,日本という名前は7世紀まで無かった。倭と日本は違う。 日本人 = 三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが? 韓国人 = 捏造だ! 中国人 = 中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」と公式に認めている。 韓国人 = 中国人の捏造だ!! 日本人 = イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。それを世界50か国の学校に発行している。 韓国人 = オックスフォード大学の捏造だ!! 日本人 = アメリカのコロンビア大学やアメリカ議会図書館が「5世紀の朝鮮半島南部は日本の大和政権の支配下にあった。」と記載している。 韓国人 = 世界中が朝鮮半島を捏造している!!

  • 日本の風土が中国人の犯罪を引き起こす?

    あの史記の司馬遷に最も尊敬された晏嬰(あんえい)。 以下Wikipediaより引用します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8F%E5%AC%B0 司馬遷は、著書『史記』列伝において最初の伯夷・叔齋列伝の次に管晏列伝(管仲と晏嬰)を持ってきており、さらには「(晏嬰の)御者になりたい」とまで語っており、尊敬の大きさが見て取れる。 さて、気になるのが以下の部分。 楚に使いに行った時に、楚の霊王は晏嬰の背の小ささを馬鹿にして小さな犬しか通れないような門を作って、人間が通る門は閉じておいた。 これに対して晏嬰は「犬の国には犬の門から入る。楚に入るのに犬の門からは入れない。」と叫んだ。 これを聞いた霊王は、自分の国を犬の国と認める訳にはいかないので、やむなく門を開いた。 しかし霊王もそれだけでは諦めず、晏嬰を呼び出し、その場に斉の出身である盗人を連れてきて、「斉人は盗みを良くするようだ」と言った。 これに対して「橘は淮南(淮河の南)では橘になり、淮北では枳になると聞いています。この二つの違いはその土地の風土の違いです。斉では盗みを働かなかった者が楚に入ると盗みを働く。楚の風土は盗人を作るようです。」とやり返した。 さすがの霊王もこれには「聖人と共に戯れるものではないな。却って恥をかいた。」と脱帽したと言う。 晏嬰の帰国後、暴虐な事で天下に悪名が知られる霊王を驚嘆させた事で、彼のその盛名は更に上がった。 よく中国人の日本での犯罪・・例えばピッキングという盗みが騒がれますが、中国人から、 「日本の風土は盗人を作るようです。」 と言われたらどうしますか?

  • 中国の近・現代史が楽しく勉強できる小説

    中国の成り立ちについてよく知りたいなあと思っているのですが、名前が難しかったり出てくる人が多かったりでなかなか勉強する気になれません。清王朝が滅ぶ前後以降の歴史を楽しく学べるような小説を教えてください。 ちなみに私は司馬遼太郎とか好きで良く読みますので、それぐらいの難易度が望ましいです。。 よろしくお願いします!!

  • 宮城谷昌光の中国歴史小説の良さを教えてください。

    以下については批判的な内容もあり誤解が生じるかも知れませんが敢えて質問させていただきました。 お答えいただけると幸いです。 宮城谷昌光先生の中国歴史小説を読みながら長年抱え続けている疑問があります。 私は中国史の研究をしていることもあり、 多くの作品について興味深く拝読させていただきましたが なぜ宮城谷先生一連の作品が一般に高く評価されるのかが分からないのです。 というのは、古代史は特殊な要素が多く、 あの内容を一般の人が咀嚼できるとはとても思えないのです。 実際、研究者でも背景などをすぐに把握できないような時代を作品の舞台にされています。 よく、政治家などの偉い人が宮城谷先生の作品を引用したりしているのを耳にするのですが、 聞いていて本の内容と思い合わせて自分の教養に箔を付けるために読んだといっているだけなのではと思ってしまうのです。 作品では題材はとても興味深いものを取り上げていると思いますし、 執筆にあたって相当勉強されているとは感じるのですが、 原典を読み比べると、ほとんどが歴史書に書いてあることをそのまま蘊蓄として書いてあるだけで、 こんな抜き書きを読むくらいなら原典などを読んだ方が よっぽど早いし面白いのでは、と感じてしまいます。 小説としてキモとなる創作部分についてもキャラクターが傍観者的で魅力が今ひとつ、 物語にも起伏や抑揚が薄く、面白みが感じられません。 司馬遼太郎から是非会いたいと評価されたという逸話についても 宮城谷先生をポスト司馬遼太郎のような存在として押し出したい、本を売りたい、という 出版社の思惑から創作されたのではないか、とも勘ぐってしまう自分がいます。 しかし、宮城谷先生の作品は書店でもかなり売れているそうなので、 作品のどんな点を魅力と感じているのかファンの方から教えていただければと思い質問しました。 常々疑問に思っていたことを端的に書かせていただきましたので 以上の質問でお気を悪くされてしまったら申し訳なく思います。 宮城谷先生に対して悪意はありません。 何とぞよろしくお願い申し上げます。

  • 四部分類というのがありますが、その四部分類の順列とはいったい何を示して

    四部分類というのがありますが、その四部分類の順列とはいったい何を示しているのですか?またその意味とは何ですか? 【検索用】 近藤光男 中国語 水滸伝 三国志 中国文学概論 春秋 チャイナ 餃子 上海万博 経 史 子 集 孔子 論語 歴史 孟子 儒教 儒学 漢文 古典 古文 西遊記 

  • 「項羽と劉邦」か「竜馬がゆく」か。

    こんばんは。 私は普段、本をそれなりに読むほうなのですが、これまで「歴史小説」といわれるジャンルを読んだことがありませんでした。 そこで、「初心者でも読みやすい」とのことで、司馬遼太郎さんの作品を読んでみようと思うのですが、「項羽と劉邦」か「竜馬がゆく」のどちらを読もうか迷っています。 「項羽と劉邦」は最近古典の授業で「史記」を取り扱った(学生です)のと、「竜馬がゆく」に比べて格段に短いのが魅力ですが、私は中国の歴史にあまり興味がありません。 「竜馬がゆく」は一人の人間の一生を取り扱っているというスケールの大きさと、日本の話なのが魅力ですが、なにぶん全8巻ということで、読みきれるか心配です。(あるサイトでは、読み始めたらあっというま、と書いてありましたが。) どちらが良いのでしょうか?教えてください。