• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖書って経典としてどうなんでしょうか?)

聖書とは一体どういう経典なのか?

相談 蟻(@soudan-ari)の回答

回答No.12

>こんな、ただの読み物が聖典でいいのか? そうですね。イエス・キリストの記録としては、約2000年前の記録ですね。そして、旧約聖書はそれ以前の記録。言葉を話せない人は別としても、最初から口述とは思えないので、伝承の時代もあって不思議は無いでしょう。人類の初めの記述を見ていた人は居なかったので、書いたのは人間でも知っていたのは、神様しか居なかった事になります。  書き手としての人間と、神様の共同制作と言えます。しかし、神を否定する人にはこの神は存在しないので、人間の書物としか成り得ない。記述内容は神が人間を通して書いたと見る事が出来ますが、客観的な物証とは言えない。だからこそ信仰上の聖典と言えるのでしょう。  見方、(1)物語(文学書) (2)歴史(飽くまで神と選民、他民族などの関係) (3)預言書(神の約束と成就) (4)その他(西洋音楽や絵画への影響、地動説や天動説、道徳観や教育の基礎)  ※律法の書に関しては省略(~しなさい、~するなの規定、約束)  (1)ではヨブ記やコヘレトから人生観を考えさせられる人も多い。(2)人類の誕生は時代が変わっても生物学的な学説が変わっても、永遠のテーマである。そして、人類が存在する宇宙も現時点では普遍のテーマである。(3)聖書が人間の手に依って記述という表記をした書である限り、100%完全であるとは言えない。そもそも人間には間違う事がある。神の言葉である聖書は、完全であるとする主張はあるとしても。(4)現代は、この部分に当る係わりが多い。例えば、最近”死生学”が注目されている。自殺予防やガン末期患者のケア、高齢者の死に対する関わり方など(ホスピスと言われる)。キリスト教の生と死は価値観の転換を意図している。そこから生と死に対するキリスト教的な救いが語られていると思う。この死の見方に仏教との大きな違いがあるように思う。  唯の読み物と見るか、人生の指針となるか、研究対象となるか、或いは仕事の領域になるかはその人との関わりになると思う。 

temtem1
質問者

お礼

ありがとうございます。 本気で神の書物と考えると胡散臭いことこの上無いですが、当時のユダヤ人たちの人生観を導くためのものだと考えれば納得いきます。 人生の理不尽な出来事を、ただの不幸と嘆けば気が滅入りますが、神の与えた試練と解釈すれば多少は前向きに捉えることができるかもしれない。 ようはそういった形で教訓を物語の形にしている、ということでしょうか。

関連するQ&A

  • 般若心経は間違った経典

    日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の著書に「般若心経は間違い」があります。特に「空即是色」この言葉の扱いについての指摘が印象に残りますが、般若心経肯定派は、この意見に対してどういう反論がありますか? 色即是空、これは上座部仏教でも言われることで経典にも根拠を求められるそうですが、空即是色、これが事実無根の創作だろうということです。 いろいろな角度からのご意見お待ちしてます。 返事は遅れると思いますが、どうぞ宜しく。

  • 聖書と仏教について

     聖書では人は神の子といい、仏教ではすべての人に仏心が宿る といいます。また、聖書では全知全能のGOTの存在を、仏教では空の 論理を展開します。このように一方では似たような響きをもち、一方では 全く違う教えを説く。聖書と仏教の違いについて簡単に回答することは 無理なことと存じますが、決定的な違いについてあえて質問します。 よろしくお願いします。

  • 仏教

    仏教には沢山の宗派があり、沢山の経典があるようですが、般若心経はどこに位置するのでしょうか? 仏教にどれくらい宗派があり、それぞれの宗派が持っている経典がどんなものなのか知りたいのですが、なにかいいサイトはありますか?

  • 「浄土真宗と般若心経」のベストアンサーを読んで。

    「浄土真宗の教義に反します。」とありました。  教義に反すると、どうなるのですか? 私は大乗仏教の経典の中で、般若心経が一番ありがたいお経だと思っています。浄土真宗の門徒です。「般若心経を捨てろ。」と言う仏様には救って欲しくは無い。

  • 般若心経の疑問

    般若心経は、空というものを強調しているように思えますが、全てが空ならばこの般若心経も他の経典に書かれたことも、お釈迦様も舎利佛様も観音菩薩様も、「ぎゃーてい、ぎゃてい…」と唱えることも、全く意味がないような気がして、いったい何のためにと思います。まるで般若心経だけが色として成り立った上で、空の意味合いが存在しているみたいです。どうか、仏教にお詳しい方、また御僧侶お教えください。

  • 「般若心経」や「法華経」の作者は?

    仏教では、「般若心経」や「法華経」とかの経典の名前をよく聞きますが耳にしますが、これらの経典はいつ頃どこでつくられたのでしょうか? またその作者や翻訳者は明確にわかっているのでしょうか? お経は、サンスクリット語あるいはパーリ語を耳で聴き、聴いたままの音を中国人が漢字に当てはめただけのものや、その文脈を理解した上中国語に翻訳したものがあると聞きました。 「般若心経」や「法華経」も同じことが言えますか?

  • 神が全知全能の造物主だと誰が言ったんですか?

     聖書ですか?  聖書にもとづき人が言ったんですか?  だとしても どうしてその見解にわれわれ一般の人間が従わなくてはならないのですか?  全知全能というのは そうだとしても ただの属性でしょう。  創造主だというのは そのように物語を描いて表現したに過ぎないことでしょう。  何で調子を合わさなければならないのですか?  神は 神でしょう。

  • 真言宗の大日如来について

    仏教に興味があるのですが、真言宗の大日如来がもう一つわかりません。神道系の、いわゆる、この世を創造した全知全能の神と、この大日如来の大きな違いは何でしょうか? ほぼ無宗教に近い私からみると、同じように思えるのですが… よろしくお願い致します。

  • 般若心経における悟りとは何でしょう

    私は無宗教ですが、般若心経について少し興味があるので教えてください。 「悟りとか煩悩の克服にこだわると悟れない」とあるサイトに書いてありました。経を唱えるとか、写経とか、修行とか座禅などは悟りの境地に近づくためにするもの、つまりこだわっているものだと思っていたのですが、このへんがよく理解できません。 また、「悟りを得るための仏教の教義にこだわることも間違い」という説明もありました。仏教の教えを守ろうとすることも間違いという意味なのでしょうか? 「一切のこだわりがない状態が良い」というのが教えだとしたら、般若心経の教えを理解しようとする気持ちもない状態が良いということになるのでしょうか。また、仏様を崇拝する気持ちもない方がよいということなのでしょうか。

  • 聖書の内容についての質問

    聖書を教典とする宗教で、今日3000を越す宗派があるようなので、 どれがどれか分かりませんが、私が読んだものでは下記が登場しませんでしたので、 どの宗派やどの書物の部分からの引用なのか知りたいのです。 後に書かれた小説などでしょうか? ご存じの方、説明をお願いします。 1.アダムの最初の妻リリス。リリスが蛇に化けてイブをそそのかした。 2.神は天使を送り、アッシリア軍18万5千を滅した。 3.イエスが復活し、サタンとエルサレムの北の古戦場   (ハルマゲドンはこの古戦場の名前の発音が変化したものと聞きました)で対決する。