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偽善とは何か?私が考える善とは
- 「偽善」とは、人が他者を助ける行為をした際に、その行為が本当の善ではないと評価されることを指します。
- 私は善をしたとも思っていません。仮に善だとしても、当たり前と思ってする行為が偽者と言われる意味も分かりません。
- 「偽善」と言われる場合は、助ける行為が自己中心的であると見なされる可能性があります。他者のためではなく、自分の利益や好感度のために行動していると捉えられることがあります。
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「こいつは自分をいい子に見られたくて助ける」 そういうのが偽善。 そういう気持ちから善行を行う人も世の中には結構たくさんいて、自分がどう見られるかしか気にしてないから自己満足な援助をしたり、 「私こんな素敵なことしてますよー」的なアピールが鼻についたりもします。 もちろん例えそんな理由であっても、困っている人を助けないよりは助けたほうがいいに決まってます。 そして、あなたが純粋に善意からよいことをしても、残念ながらそんな風に「こいついい子に思われたいだけなんじゃない?」なんてうがった見方をしてくる人もいます。 多くの人は困っている人を見れば助けてやりたいと思うものですが、でも勇気が出せなかったり自分の予定を優先させてしまったりとか、そんなことはありますよね? そんなとき堂々と助けている人がいると、なんだか逃げた自分が責められているような被害妄想が生まれてしまいます。 そんなとき「ふん!どうせいこいつだって偽善でやってるに決まってる!」なんてうがった見方をして逃げた自分に対する後ろめたさをごまかしたいのだと思います。 多分あなたに偽善と言ってくる人も、決して心底意地の悪い人ではなく むしろそれなりに善意をもった人だからこそ助けられない自分に後ろめたさを感じているのでしょう。 そういう人が本当に責めたいのは、他でもない自分自身だったりするのでしょう。 そんな目で見て、ひどいことを言われても温かく見守ってあげてください。
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- potatoman7
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とても立派な考えをお持ちのようで感心しました。 悲しいことに世の中には、「見返りがないのに他人を助けてなんになるの?」といった考えを当然のように持っている人々がいます。 実際私の周りにもそのような考えをもつ人がいます。 そういった人々にとって、ボランティアや他人への無償の親切心=「偽善」として捉えられてしまうようです。 私は、どちらかというと「人から感謝されたい」という思いから、人を助けることが多いので、質問者様の文章を読んでみて、なんだか自分が恥ずかしくなりました。 私も質問者様を見習って、態度を改めなければと痛感しました。
- henmiguei
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「偽善だ」と言う人は 困った人が居てそれを助けるのを当然の事と思っていない人でしょう その点に於いて貴方は困窮者が目の前にいれば “自分の出来る限りの助力をするのは当然だ”と思っている 其処の違いが「偽善だ」と言う言葉を吐かせたのでしょう。
- gdmuse
- ベストアンサー率37% (184/495)
偽善というのは「見返りを期待した善行」です。 ame_ame100さんの行為に「見返りを期待」を足したものです。 カンタンに言うと、善行をして少しでも「感謝されたい」と思ったらそれが偽善です。 ame_ame100さんの行いや考えは正しいと思いますよ。 当たり前のことをした、と思っていてくださいね。 私はダメです。ヘタレです。 電車で席譲る時だって無言で立って隣の車両に逃げちゃいます。 あなたのように、やって当然という意識を持ちたいものです。
- zura69
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少し前にハイチに千羽鶴を送ろうという運動があったそうです。 こういうのは偽善かな、自己満足のみで終わる。 誰かが感謝してくれるなら偽善ではないと思います。
- mizukiyuli
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困っている人がいる時、それを実行することが可能なら手をかしてあげるのは当たり前のことで善行ではない、ということですね。 その当たり前のことができない人がたくさんいるわけです。 したいけどできないという人から見ると「いい事をした」と映ります。 「偽善」に映る人の場合ですが、 自分がそういうことをしたいとは思わないし、助けるのが当たり前だとも思えないからです。 「何の利益もなしに他人に手を貸すはずがない」と考え、 利益とは何か…というと他人からの評価です。 あの人は優しい人だ、あの人はいい人だ… そういうふうに言われたいからやっているんだろうと言いたいわけです。 更には、例えば質問者さんの世間での評価が上がったとしますね。 上がるということはそれ以外の誰かの評価が落ちるわけです。 つまりは偽善者だと文句を言っているこの人がくり下げられるわけです。 じゃああんたも評価を上げるような事をすればいいじゃない?というとこの手の人は「どうして俺(私)がそんな面倒なことをしなくちゃいけないんだ!」と言います。 要するに、自分がやりたくないことを他人が当然のようにやることで、「ああするのが常識なんだからお前もやれ」と言われるのが嫌なんですね。 だから「偽善者」という言葉を使って善行を行う人こそが非常識なのだというイメージを植え付けようとしているのです。
- tomban
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基本、人間には「上昇志向」というものがあり、また、それが特別強い動物であると言えます。 ライオンが食うに足りれば狩りを行わないように、本来動物は「足りる」ことで満足します。 しかし人類は「未だ足りない」という「終わることの無い欲求」を持ち続ける存在です。 あなたが仰るように、他人の危地に動くと言うのは、私は「本能的なもの」だと思っています。 勘違いされている方が多いと思いますが、人が人を助けるのは基本的には他の動物達と同じく「本能」だと思うのです。 ただ人間社会はすっかり複雑化してしまって、理性無しではたちいかなくなってしまいましたから、自分のなかに起きる「衝動」みたいなものに鈍麻になってしまっているのだと思います。 「善行」というものは、基本的には日本の場合仏教からの影響が濃く「人間界で善行を行わないと、地獄道に落ちるぞ!」などと諭されてきたものや、儒教の教えや、博愛思想などの「輸入品」の考え方も加わって形作られてきたものと考えます。 そこで本来なら「カウントされないもの」であるはずの「善行」というものが、カウントされ、評価されるようになった結果、その事に対して潜在的に反意を持つ人、アレルギーを感じる人などが現れ、なおかつ、自身の「カウント」が芳しくない、と他者に評価され、プライドを傷つけられた怒りなどが加わって「偽善」と言うものが生まれてきたのだと思います。 善行と言うものは、本来はカウントされるべきものでも何でも無かったわけです。 気持ちの赴くまま、と言うものだったはずです。 それにカウントと言う概念がとってつけられて「定量化」されてしまった結果、そこに差別が生まれてしまったわけで…皮肉なものですね。 最近はそれを過給化するように、様々な「ランク」やら「カウント」やらが加わってきたわけで、すっかり根源的な理由と言うものは顧みられることは無くなり、後からやってきたものばかりが支持されるようになってしまいました。 もはや「偽善」と言う言葉は 「他人と自分との差別化を図るための道具」として利用されるものとなってしまったわけです。 馬鹿らしい限りのお話です。
(1)実際に偽善者がいるので同類に見てしまう。 (2)性悪説に立っているので有り得ないと思ってしまう。
- dinggong
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偽善って言うのは善を為そうとしない(ひとのために何かをするなんて馬鹿げている。そんなことをするよりは自分のために何かをした方が時間をムダにせず、利益になるし、良いに決まっているという)思考の持ち主が、 善を為す方が良いという思想に対して反抗するために、それなりの説得力を持たせようとして作った説明だと思います。 生まれてから中学生になるくらいまでは、善とは何かということを教える必要があると思いますが、(というのは、善なんて相対的で社会的なものでしかないから、学習が必要なので)、 しかし、そういう学習を積んだ後は自分がやった方が良いと思うことを半自動的にできるようになることが望ましい姿です。 あなたは、人間社会において、非常に上手く育った事例と言えると思います。 しかしながら、子育てって言うのはそうそううまく行く場合ばかりじゃないのです。 上手くいかなかった事例では、自分の欲ばかり追求します。 そういう人が自分の価値観にあわせてあなたのような人の行動を見ると、 自動的に他人のためになる行為を行えると言う事実を理解出来ないので、 自分の欲のためにそれを行っていると理解します。 それが、偽善です。 僕は姉貴にそういうことをずっと言われ続けてきました。 それに対する対処法は、したいようにすること、です。 人がどう言ったって、自分がしたいようにするのが一番です。 もしそれが相手を責めることなら、そうするのもよし。 もしそれが人には黙ったままその精神性を保持すると言う形であるなら、それもよし。 だと思いますけどね。