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人助けやボランティアは偽善?

私はおそらく自分勝手な人間です 他人が困っていても自分だけ良ければそれで良いと言う所が少なからずあります それは生い立ちや環境 自分自身の弱さが関係しているのかも知れません まあ私のことは今回はあまり関係ないんですが そんな私が思うのですが人助けやボランティアとは なんでしょう?いえ意味ではなくなぜそのような事を するのかと言うことです 私が思うに人とは自己の利益にならないものは しないと言う感じがあります だから私が思うのは人助けやボランティアは 自己満足・達成感・名誉・同情・等々の何かしら自己の利益が関わっている偽善行為ではないかと 思ってしまうのです だから簡単に言うとごみ拾いは他者の情を引き 自分自身が住みやすい環境を整えるため 寄付や募金は自己の貢献していると他者に思わせる いわば社会的な名誉のため・ でなければ別に名前を公開しなくても 匿名ですればいいことです等々あまり学がないので コレ以上詳しくは言えませんが どうでしょうか?全てがそうだとは言いませんが ほとんどの場合そうではないでしょうか? あくまでこれは一個人としての意見なので 気を悪くする人がいればあまり干渉しないように してください

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  • ベストアンサー
  • memoko
  • ベストアンサー率23% (453/1905)
回答No.13

偽物の善でも、それで助かる人がいるのは事実ですから偽善じゃないかと言ってみても無益だと思います。 ところで、ゴミ拾いは他者の情を引き自分自身が住みやすい環境を整えるための偽善……というのは違います。 誰かがやらなきゃしょうがないじゃないですか。 人が捨てたゴミなんて誰が拾いたいもんか。 捨てる人は多くても拾う人はいない。近くに住んでる人間が拾わなけりゃ、しょうがないんです。でも、拾ったからといって感謝してもらおうなんて思ってませんよ。その人が捨てた空き缶や火のついたままの吸い殻、形状記憶でないけれど、現状記憶で持ち主のところに戻る機能をつけられないものかといつも思ってます。

その他の回答 (18)

回答No.19

ボランティアとか人助けで悩み苦しむこと、それが大事だと思います。体力的な苦しみ、精神的な苦しみ。解決を出して気分を楽にすることが、必要でしょうか。

回答No.18

murohusi8723 さん、こんにちは。 ひょんな事でこのカテにきていますが、私なりに書かせてくださいね。 >人とは自己の利益にならないものはしないと言う感じがあります これは正しいでしょうね。 (損・害になることもしないようにするということも含まれますが) またその利益にもいろいろありますよね。 >自己満足・達成感・名誉・同情・等々の何かしら自己の利益 もそれらの中に入っているでしょう。  しかし、それがなぜ >自己満足・達成感・名誉・同情・等々の何かしら自己の利益が関わっている偽善行為ではないかと思ってしまうのです なぜ偽善行為だと非難するのでしょうか。 これは助けられる側が自分ではないからそう感じてしまう事になると私は思います。 簡単な例を示しますね。 この質問です。 murohusi8723さんは困っていますね。 だからここで「その困っている気持ちを安らげた意」分けですよね。 それが「自分の思っている事への同意」であろうと「どこか理解をしていない部分があるのだろうかと感じる事」かもしれません。 何が理由であろうと、ここでmurohusi8723さんが質問すると言う行為をしたのはご自分でおっしゃっているように何かしらの「利益」を求めていると理解して言いと思います。 さてそれを踏まえてもう少し考えてみましょう。 その困っているmurohusi8723さんへの回答をたくさんの人がしていますね。 そして、ある程度自分を満足できるかもしくはそのヒントとなる回答を読みますね。 つまり、回答はあなたにとって何かしらの利益を与えているものですよね。 それに対してmurohusi8723さんはお金を払っているのでしょうか。 無料ですね。 では、回答者のほうはどうでしょうか。 murohusi8723さんからもらえないのならこのサイトからもらえるのでしょうか。 もらえませんね。 回答者の全てがボランティアということになりますよね。 そして、お金をもらっていないわけですから何らかの「利益」を得ているはずですね。 それが「自己満足・達成感・名誉・同情・等々」などがかかわってくるのではないでしょうか。 しかし、murohusi8723さんは本当にこれらの回答者に向かって、「あなたたちは偽善者だ!」と言えるのでしょうか。 「どうせあなたたちの回答は自己の欲を満たすものに過ぎない!!」と批判しますか。 回答する理由が「偽善的な」単なる「優越感を感じるため」だとしても、murohusi8723さんにとってそれでも「偽善者だ」と言うのでしょうか。 私は全ての人がどんな人でも人の助けを必要としているし、更にどんな人でも分け合えるものを持っていると信じるものです。 それがこのサイトでも分け与える事の出来る人それぞれの知識や経験がどれだけの人の疑問や困っている事を助けてきたという「人助け」をしてきた事ですね。 自分はいろいろな形で毎日助けられていると感じれば必然的に自分だってどこかにいる人の手助けができるはずだと思えると思います。 衣食住に関するすべてが人の力で最終的には個人が個人の沃を満足させる事ができるのですね。 これを思えば職場でももう少し京は頑張ってみるぞと言うモチベーションも出てくることになると思います。 なぜって、もし、その衣食住に携わっている人がそのとき怠ければそれだけmurohusi8723さんにとっては満足度が下がるわけですよね。 と言う事で、助けられる側にとっては、助けようとする理由がなんであろうと「疑惑」を持つものではない、と言うことになり、逆に当然ながら「感謝」をしなくてはならないものであり、さらに、「私も何らかの形で私の持っている者を分けてあげたい」と思うようになるのではないかと思います。 それが「一秒の笑顔」でも人を信じられなくなった人にとって「自殺」をやめる事になる事だってあるでしょう。 また、毎日自分を頑張らせる事によって、知らずして他の人もそれを見てがんばれるようになることだってありますね。 murohusi8723さんも知らずして「人助けのボランティア」をやっていると思いますよ。 ただ気がつかないだけです、 そんな時に、「偽善者呼ばれ」をしたところで誰が「利益」を得る事になるでしょう。

noname#10008
noname#10008
回答No.17

ボランティアさんのお世話になることもあるし、 自分が 提供できることは 別の場所で参加してる者です 暇と気力があって気が向いたらやってるだけで、 役に立ってないかもしれないけど おおきな迷惑にもなってないなら  偽善に見えてても、問題なし じゃないでしょうか? 自分も、何でボランティアとかやるの?そういうのって偽善でしょ ってよく言われますが、そうおもうひとはもちろん、しなくていいと思うのです。 言われても正直なんとも感じません。何かするのが好きな人、してもらうのが好きな人、どっちも嫌な人、それぞれ自由にいいんじゃないでしょうか。 活動自体が面白いからする、ということが、自分では最重要です。

  • pink_pink
  • ベストアンサー率7% (23/320)
回答No.16

仮に偽善であっても、それで誰かが助かるなら良いと思います。

回答No.15

人助けやボランティアは偽善です。でも、偽善から本物になることもあります。

  • peg93
  • ベストアンサー率35% (10/28)
回答No.14

さまざまな考え方があると思いますが、 今は私の考えを述べさせていただきます。 偽善かどうかはボランティアをする人が決めることだと思います。 その人が偽善だと思わなければ、偽善ではありません。 私はボランティアが偽善であってもいいと思っていますが。。。 それで助かる人がいるのなら。 偽善で100円募金したとしても、それで助かる命もあるのですから。

回答No.12

>私が思うに人とは自己の利益にならないものは >しないと言う感じがあります 私もmurohusi8723さんがおっしゃる事と同じ事を考えていました。 以前は。 しかし今年2度ほど会社や地域のイベントで強制的に ボランティアに借り出された時に思ったのですが 「自分が出来ることで困っている人に感謝されるのも 悪くないな」 と言うことでした。 これが優越感でありそれこそ偽善だよと言われれば そうかも知れないですが 少なくともやった事(そんなたいしたことはやってません) 分は・・なんと言うか心が満たされました。 やったことで心が満たされたのですから 私に関して言えば 「自己の利益」 になりました。 来年も行くか?と言われると微妙ですが^^;

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.11

人助け、ボランティアというのは、その「行為」を指すのであって、心の状態を指すものではないと思います。 人間は基本的に自分が食べなければ死んでしまいますから、自分を中心に考えるようにできているんです。ご飯を食べるのも、寒さ熱さから身を守るのも、雨風を防ぎたいと思うのも生存の為の本能です。ですから、まず、第一に自分のことを考えて当然なんです。 ですから名誉や売名という気持ちがあってもこれは当然のことだと思います。 ですからこれで良いんです。 何の問題もありません。 最初は偽善のつもりだったけど、やってるうちに本当に役に立ちたいと思い出す人だっているかも知れませんし、どんな人間だって、経験を積んで、見聞を広めていけば成長しますから、気が付いたら偽善が善になる「瞬間」だってあると思います。 ただ、人助けと銘打って、困っている人を騙して、搾取していたんでは、これは人助けという「行為」ではありませんので、これこそは偽善だと思います。 心の底で何らかの見返りを期待していたとしても、一日のうち5分でも善の気持ちになれれば、それで充分だと思います。

回答No.10

 「人に喜んでもらえることがうれしい」「その行為自体が楽しい」というのを「自分の精神的な利益」と考えてしまえば、質問者様のいうところの「偽善行為」でしょうね。

  • heyboy
  • ベストアンサー率21% (1852/8731)
回答No.9

#2です。 度々書かせていただきます。 やっぱ偽善と思う根本は ボランティアはビジネスになり ビジネスはお金を生むからでしょうか 前にNHKのご近所の底力で 何か奉仕した分をマネーもどきな 単位で決めて近所同士で 色々助け合うようなシステムが ありましたが、あれは良い方法 だなーと、とても感じました。

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