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鬱の期間をプラスに考えたい。

ご覧いただきありがとうございます。  僕は欝で2~3年ほどほとんど家で引きこもっていました。 あまりにも家にいたので、その頃の記憶は殆どなく完全に空白の期間です。  現在は大学四回生です。 このままではいけないと去年頭から安定剤、睡眠薬の類は全く飲まなくなり、六月頃から嘘でもいいから明るく演じていようと  考えた、次第にそれが染み付いてきて  欝になる前より明るくなったような気がします。  そこで7月頃同い年のバイト先の人を好きになり、幸い友達は多いので、みんなに力をかり  今までしてこなかった、お洒落や、身だしなみに気をつけ、頑張ってきました。 ちなみに真剣に人を好きになったのは今回が初めてです。中高男子校だったのもあり引きこもっている期間彼女なんかもう一生できないだろうなと思っていましたが、初めて恋することによって、人を好きになる素晴らしさや、なぜみんなこれほどまで恋愛に夢中になるのかという謎がとけました。 その頃から「明るくなろう」と言う気持ちに拍車がかかり仕事も今まで以上に力を入れ、何年も掃除していない場所を勝手に掃除したりと、恥ずかしいくらいの気合いの入れようでした (笑)  現在までそんな感じでオーバーラン気味でしたが、 バイト先の子とある程度 仲良くなり、最近  彼女が所属するサークルの舞台に呼ばれました。  バイト先での姿しか知らなかったので、そこでの彼女は本当に輝いていて  笑顔は充実した大学四年間を映し出しているかのようで どれだけ自分が欝を克服して明るくなったとしても 空白の時間はあまりにも大きく、どんなに走っても 彼女には追い付けない、 そう感じました。 ちなみにその数日後彼氏がいるのを知り若干憔悴しています。  しかし、諦め切れません… 空白の期間、どういう考え方をすればプラスにとらえられるでしょうか?  今後ずっとコンプレックスに感じるかと思いますが…乱文失礼しました。 よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#143153
noname#143153
回答No.3

例えばね、生き生きと生きてきた彼女には持てないものをあなたが 持っているとしたら? 苦しみ抜いてそれから脱却したあなたにしか持てないもの あるんじゃないの?? 2~3年てね、あなたが思ってるほど長い期間じゃないよ ましてや、文章から推測するにまだ20代前半くらいじゃない? ぜーんぜん、これからだし 私はね、そういう期間乗り越えて、人の心の繊細さとか世の中の流れや 生き方、考え方色々な物知ったよ 人の冷たさや優しさも知ったし だからここの相談箱覗いて「くだらない」って思うことホントたくさんあるけれど その反面この人の気持ち手に取るようにわかるなって言うこともたくさんあるの 人ってとても弱い生き物でとても強い生き物なんだよ あなたはそういう経験をしたから今まで気づかなかったことにも気づけるし 人の心の痛みも知ってるんじゃない? 違うかな???

回答No.2

私は躁鬱病歴4年目です。  私のしたこと治療法を3つ紹介します。  まず本を読むことです。ブックオフで100円の本の中から1冊の本を選んで読んでみてください。きっと何かの答えが見つかると思います。  次にどんどん街を散歩してどこで何を食べるかを考えることだと思います。ラーメン・マック・うどん・回転寿司選択肢はいくらでもあります。そうして3時間もすると空腹でどこかの店に行って美味しいを実感できると思います。  後一つは1週間かけて今度の休みに何がしたいのかをじっくり考えることだと思います。  近頃は簡単に今度の休みにしたいことが見つかるようになりました。  だいぶ私の病気は良くなってきたようです。  貴方もステキな女性に巡り会えて良かったですね。とにかくこのサイトでどんどん疑問に思ったことを投稿してみませんか?  私はこのサイトでかなりストレスを解消しております。

noname#106108
noname#106108
回答No.1

これといったアドバイスができるかどうか分かりませんが、ひとつたとえ話をします。 生まれてから一度も目を覚ますことなく、60歳でようやく目を覚ました老人がいたとします。 その老人が、自分の「人生の空白期間」を悔いてばかりいて、与えられた寿命の少なさを嘆いてばかりなら、彼のこれからの人生はろくでもないものになってしまい、まわりの人間もどことなく暗鬱な気分を味わうことになるでしょう。 では、同じ老人が、「これからの私は何でもできる!うれしい!」と喜び、60歳からすべてをスタートしようという気持ちに満ちていれば、今度はまわりの人間までハッピーにしてしまうでしょう。彼は過去のことなど気にせず、自分に与えられたこれからの人生こそ希望だと思っているのです。 もしかしたら、ご質問者さまの人生は、この両方ともを味わったことがあるのではないでしょうか? 強いてぼくの考え方を言えば、過去にとらわれること自体が、マイナスにとらえているということです。過去があやまちだったとしても、あるいは栄光に満ちていたとしても、そんなこと、いちいち考えても意味がないのです。 あのときは過ぎ去ってしまいました。考えることはできても、取り戻すこともやり直すこともできません。取り戻すことも、やり直すこともできないものを考えることに、意味があるでしょうか。 今のご質問者さまの行動力は、すばらしいものがあります。その積み重ねが、未来のご質問者さまの「勲章」になると思えばいいのではないでしょうか。

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