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キリスト教(聖書)の中で破壊と温和、光と影、表と裏というようなことに関
kigurumiの回答
- kigurumi
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追加です。 キリスト教は、特徴からしてクムラン宗団が分裂した中の一派じゃないかと思えるんですね。 クムランの教えに「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」などがあるし。 クムラン宗団は二元論的終末思想を持っていた。 http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/028.htm 他には聖書の中のヨハネの黙示録が終末思想が描かれており、光と闇の戦争が描かれている。 ヨハネの黙示録に出てくる竜ってティアマートのことじゃないかと。 バビロンの大淫婦はローマ帝国だ カトリックだ とか言われますが、いやいや ティアマアトのことでしょう って個人的には思います。 ちなみのティアマトはたくさんの神々を生み出した神々の祖。 後に息子が裏切って、ティアマトの軍団とエアの軍団とに神々が分かれて大戦争をしたとなっている。 後にキリスト教になると神側についた天使と悪魔側についた天使たちが大戦争をするってなって、今に伝わるハルマゲドンになったわけです。 元ネタはバビロニア地方に伝わっていた神話で、未来じゃなくて過去として描かれている。 どれだけ過去かというと天地創造の前の設定。 あとはキリスト教のエクソシストの祈祷は善が悪を倒すって内容。 http://www.catholicdoors.com/prayers/english/p01975.htm ヨハネの黙示録以外、新約聖書に明確に光と影が対照的に同時に描かれていることは無かったと思いますが、マタイとルカだったと思うが、そこに「私が救いをもらしに来たと思うのか、そうではない、破壊をもたらしにきた。地上に火を放つためにやってきた」と破壊の相のイエスが描かれている。 破壊というより峻厳。 要するに閻魔様やマアトみたいな概念。 あと前回の補足として参考までに http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/trinity.html
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