• ベストアンサー

「的を得る」という表現

いろいろな掲示板を読んでいると文章の中の「的を得る」という表現に対して、それは「的を射る」でしょう、という訂正されることがあります。 ところが更に「的を得る」でも必ずしも間違いじゃないよ、というレスがつくことがちらほらとあります。 いずれ場合も、これが本題ではないので流れてしまったのですが、気になりました。 実際のところ「的を得る」というのは、現在の日本語としてみた場合には正しい表現になるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.9

「的を得る」は、「的を射る」と「当を得る」のごちゃ混ぜと言われる。これに対し、ご質問文で触れられているように、 > 「的を得る」でも必ずしも間違いじゃないよ と主張する書き込みを私も見かけたことがある。「必ずしも間違いじゃない」が味噌で、「まれな表現だが必ずしも間違いじゃない」という意見らしい。 それでは、正しい日本語とは何だろうか。私は既出質問で次のような卑見を述べた。 「先生【を】呼びかけた」という表現は正しいでしょうか http://okwave.jp/qa/q2748578.html (引用開始) しかし現代日本語は、近代以降の文士などが呻吟しつつ工夫を重ねて、育み受け継いできたものです。辞書の用例の多くも、それら文士の作品などから採られています。 (引用終り) このご質問者は度量の大きな人で、私のつっけんどんな回答も受け入れてくれた。「先生【を】呼びかけた」という表現は正しくないとは言えない。昔はよく使われていたし、「現在は正しくない」というより、「現在では廃れた」のである。 私は自分の言語感覚など信用しておらず、こういう時は「青空文庫」(www.aozora.gr.jp)のサイト内で用例を検索することにしている。今回も馬鹿の一つ覚えでその方法をとったところ、次の(a)~(c)が分かった。 (a) 「的を得」の使用例は皆無。 (b) 「的を射」の使用例はあるが、意外と少ない。 (c) 「当を得」の使用例が(b)に比べて段違いに多い。 「的を得る」は、「昔は使われていたが、その後、誤用と見なされるようになった」などではなく、昔も文章のプロはほとんど使わなかったようだ。 さて、現在は「当を得る」はあまり用いられないが、昔はよく用いられていた。漢語調の感じがするので、あまり用いられなくなったのだろうか。それでは、なぜ昔は「的を射る」の方があまり用いられなかったのか? これは、「射的」との連想で嫌われたのではないかと思う。「的を射る」を漢文にすると(?)、「射的」だろう。しかし、日本語の「射的場」は次の二つの意味を持つ言葉である。 (ア) 空気銃の銃口にコルクの弾丸をつめ、人形、タバコなどの的をねらいうちし、命中して下に落ちると、景品としてもらえる遊びをさせるところ。 (イ) 軍隊や警察などが射撃の訓練をするところ。 現在の私たちは、「的を射た御意見」などと評されると褒められた感じがするが、昔の人は小馬鹿にされたように感じることもあったのではないか。射的場は、射幸心を煽って遊興させる商売で、昔は多かったようだ。今でいうならパチンコ屋みたいなものだろう。青空文庫でも、(イ)より(ア)の用例の方がずっと多い。 的は、狙ってもなかなか当たらず、運次第のものでもある。「的を射た御意見」と褒められた人の中には、「私は論理をしっかりと展開して結論を申しているのであり、飛躍させて運よく命中した類のものではない」と不快に思う人もいるかも知れない。不快に思わない現在の私たちの方が、語感が鈍いかも知れない。 というわけで、昔は「的を射る」の使用頻度自体、あまり多くなく、その変種の「的を得る」に至っては、わざわざ用いる人は皆無に近かったように見受けられる。「的を得る」は、学識教養ある昔の人の使用例が少なすぎて、これを「必ずしも間違いじゃない」と主張するのは屁理屈と思う。「先生【を】呼びかけた」と同類ではない。それとも、明治よりさらに昔には使用例が見られるのだろうか? また、「的を得る」を「的を射る」に訂正するのは、ハイパーコレクション(hypercorrection)ではないと考えられる。

siffon9
質問者

お礼

現状の把握も含めて、知りたいことに的確にご回答いただけました。非常に参考になりました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • tanuchi
  • ベストアンサー率16% (210/1238)
回答No.8

的を射る。 時代劇などに出て来る弓矢を射って、的に当てるという遊びがあった。(今で言う射的みたいなものかな) そこから的を射る。と言う表現が出来た。ズバッとど真ん中を射抜くのと同様にパーフェクトに図星というのが元の意味。

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • obiwan8
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.7

答えかどうかは、質問者様と皆様にゆだねます。 回答者は、肯定形文章の採用主義者です。 ◎的について 左の部首、偏のほうをご覧ください。 白く目立つ目標物であると解ります。 ◎得るについて 右の旁、上段を、ミてくださぁ~い。 日は、本来、貝でした。その変形です殻、 お金に相当します。偏は、入手です。 (総統も、相当、上段がお好きなようで・・・) つまるところ、 《的を得る》は、入手すべき的の値打ちに、 左右されます。   ◎表記と発音、ことのは について 《的を得る》という表現使用のはがきを、うけとったと仮定します。 目からの情報では、回答者の美学には、副いかねます。 ★《的を得ている》なら、いいもんめっけ! という状況を意味しそうで、RADIO放送を聞く際には いちゃモンつけずに、かろうじてセーフ。 元、体育系クラブ工学部主将より。END

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • wild_kit
  • ベストアンサー率32% (581/1804)
回答No.6

 話していて「それは的をえているね。」と言われると、「訛ってるな。」と思いますね。 間違っていることを知らないならいざ知らず、指摘されても使い続けるなら、愚かなことをと思うばかりです。

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

回答No.5

 回答番号:No.1の誤植を訂正  本来は“的を射る”だと、このサイトの回答で拝読しました。  いまは混同が激しく、言葉が崩れてきていますので、的を得るという言い方もされていることが多いのですが、不遜ながらこれは無知の為す所以でしょう。  由縁wど所以に修正し、引用括くりを付加しました

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.4

反感を持たれるのですから、今現在は正しくない表現でしょう。 「役不足」や「潮時」くらい間違った方に統一されれば構わないのでしょうが。 「そうゆう」などの口語表記もこれから浸透する過渡期だと思います。

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • mappy0213
  • ベストアンサー率26% (1706/6353)
回答No.3

本来は的を射るです 文字通りうまく目標に当てる。転じて、うまく要点をつかむって意味です 的(標的)は射るものであり 得るもの(取るもの)ではありませんからね(笑) 只今現在的を得るという言い方は間違いですが 遠い将来的を得るも市民権をとって正解となる日が来るかもしれません たとえば キレるって言葉 本来は頭の回転のいい人に対して使う言葉です よくキレる人って本来は頭のいい人って意味ですが 最近はよく爆発する人(暴れるとか怒鳴る)って意味で使いますよね 言葉は進化します その時代の流れや風潮で変わってきますからね

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • Us-Timoo
  • ベストアンサー率25% (914/3620)
回答No.2

的を射た 当を得た 正鵠を得た が正しい日本語です 的を得た という表現は国語辞典には正しい表現としては載っていません

siffon9
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

回答No.1

 本来は的を射るだと、このサイトの回答で拝読しました。  いまは混同が激しく、言葉が崩れてきていますので、的を得るという言い方もされていることが多いのですが、不遜ながら無知の為す由縁でしょう。  当を得るという言い方との混同だと、私も思っています。  どんどんことばと人の意識が変わり、○○が増えていますね。  市民権を得たようになっていくでしょうが、私はそういう言い方を相手にしません。認めません。  ことばは大切にしたい。間違いを通す事は認められません。  みんなでやれば、間違いも正しくなるという哲学は私は採用したくありません。

関連するQ&A

  • 「的をえた」という表現について

    良く「まとをえた発言」とか言いますが国語的には「的を射る」が正しいと思うのですがPCの仮名漢字変換では「的を得る」と変換されます。現代では実際に弓矢で放つ場合は「まとをいる」と発音しますが「まとをいた発言」と言う方はいないと思います。 ある掲示板で私が「的を得た発現」と書き込んだらおかしいと指摘されたのですが「的を射た表現」と記述した場合でも「まとをえた表現」と読めるのでしょうか。

  • 「的」の使い方について

    会話や何かに書かれている文章に関してなのですが、 「~的」という表現がどうにも気になって仕方が無いのです。 先日入った公衆の場のトイレに、 「この便器は人が離れると自動的に水が流れます」 と書いてありました。 これは 「この便器は人が離れると自動で水が流れます」 と何が違うのでしょうか? 正直なところ、なんでもかんでも「的」を付け過ぎな気がするのです。 会話でも 「自分的にはこう思います」 と言われると、責任の所在をぼかしたいの?と言いたくなります。 つまり「私はこう思う」と断言するのを避けているような… 細かいことなのですが、どうも「的」の使い方が気になるのです。 これは文法(?)で何かしら分類できたりするのでしょうか? もちろん「抽象的な表現」といった表記のように、 的をとると意味がわからなくなるものは「的」をつかってしかるべきとは思うのですが。 よろしくお願いいたします。

  • 「的」をつけると間違いなのかどうか

    「わたし的には……」 「ぼく的には……」 「おれ的には……」  上文のように、一人称のあとに「的」をつけるのは、日本語として間違いなのでしょうか?  ちなみに、二人称のあとに「的」をつけるのはどうでしょうか? 「あなた的には……」 「きみ的には……」  どうか教えて下さい。  宜しくお願い致します。  

  • 「~たいと思います」という表現

    昔、国語便覧を見ていると巻末の日本語間違い表現に「~たいと思う」(例文:仲良くなりたいと思う)があり、理由が『「たい」の中にすでに気持ちを表す意味が含まれているのでわざわざ「思う」をつけなくてもよい。』というのがあったと思います。 しかし、敬体で文章を書いていて、「これからも頑張りたい」と「たい」で終わるとどうしても、そこだけが不自然になってしまいます。かといって、「たいです」となると舌足らずや幼稚な印象を受けるかと思います。(私だけでしょうか) こういう場合、「と思います」を書き加えてもよろしいのでしょうか? それとも、ぴったりな代替表現があるのでしょうか? よろしくお願いします。

  • ’的’と’的な’について

    こんにちは。 日本語の勉強をしている外国人です。 ’医学的問題’と’医学的な問題’は両方ただしい表現ですか。 正しいならニュアンスの差があるでしょうか。 ’名詞+的’の形式ではすべて’的に’や’的な’のように活用してもいいでしょうか? 例:社会的地位ーー社会的な地位、社会的に そしてすべての名詞に’的’を付けられるわけではないと思いますが区別方法はありますか? どうぞよろしくお願いします。^^

  • 「されると思われる」この表現は正しいですか?

    この町に大きな大学ができるので来年には労働人口が大幅に 変化(     )と思われる っていう文章の()の中に入る日本語は当然「する」だと 思ったのですが、(される)も入るって言われました。 「~されると思われる」っていう日本語表現は正しいですか?

  • 名詞+かけると言う表現について

    私の勤務している会社だけかもしれませんが、「~かけます」という表現が不自然に感じます。 たとえば、「発送かけます」「修正かけます」「依頼かけます」「訂正かけます」などの表現です。 「~します」と言えばすむことかな、と思うのですが、いかがでしょうか?正しい日本語でしょうか?なんとなく、ビジネスっぽく聞こえるのかな?という気はしますが、違和感を覚えます。

  • 難しい表現言葉を教えて下さい。

    現在とある文章を書いてます。その中で、『記憶が甦る』という部分があるのですが、そのままでは何か表現が物足りないような気が致します。 出来れば、『記憶が○○』と同義語で表現したいのですが、なにか良い表現の仕方はないでしょうか? 勿論全く別の表現の仕方(記憶が入らない)などでも構いません。 宜しくお願いいたします。

  • これは日本語でどう表現するのでしょう?

    日本語でしゃべる時に、的を得た表現がなかなか出てきません。慣用句やことわざ、故事、熟語などを駆使して、この3つを表現したいのですが、どういった言い回しができるでしょうか? とるに足らない質問ですみません。。 1: たくさんある(いる)なかで、1つ(1人)だけ劣っている。 2: たいして重要でないこと。 余計なこと 3: 身についてしまった悪い癖をとりのぞくこと。

  • 是~的の語順

    今年大学を卒業したのですか。 を中国語で「是~的」を使って表現すると、参考書には 「ni(是)今年大学biye的ma?」 となっています。 そこで質問です。 私は「ni(是)今年biye大学的ma?」と回答したのですが、 間違いのようです。なぜ間違っているのかわかりません。