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どんな凶悪犯でも

boss715の回答

  • boss715
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回答No.5

少し他の方と意見が違うのですが、キリスト教の本来の教えは「Unconditional Love」です。これを何かと言いますと、その人が誰であろうとも全ての人に愛を与えるというものです。つまり、誰であろうとも差別をしてはいけないというのが基本的な教えです。 もしも、凶悪犯が心の底から過ちを後悔し、更正を望むのであれば、更正の道を閉ざすべきでないと言うことでしょう。 この場合、周りの人に更正の道を閉ざしてはならないとは言わないと思います、むしろ犯人に対して更正の道を歩むように解くのではないでしょうか。周りの人には、なぜ彼が更正の道を歩んでも良いのかということ解くことになるでのではないでしょうか?

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