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相手は自分のことを友人(あるいは親友)と思っていないのでしょうか?
今年で24歳になった男ですが、仕事のためお互いに地元を離れている親友のことで相談があります。 今度の年末に共通の知人も一緒に3人で会う予定でしたが、その共通の知人というのが、我々と違って仕事で忙しいものですから、自分と親友が日程を調整して、都合が付けば知人も参加するということになりました。 結局、仕事のためその日に知人は出席できないことになりましたので、「仕方ないから、俺達2人だけでも会おうぜ~♪」と誘ったのですが、「話すネタがないから遠慮するよ」と言われてしまいました・・・ 確かに直接会えない分、こちらからメールを出したり、電話をかけてはいますが、自分としては話し足りないことや彼に聞きたいことがたくさんありますし、ぶっちゃけ会話がなくても彼がそばにいてくれるだけで自分は嬉しいんです。 そもそもお互いに地元を離れているとはいっても、隣同士の県に住んでいるので、月に1回でも会おうと思えば会えるはずなのですが、彼が会社の友人や地元の草野球チームのメンバーとの付き合いを優先させているため、自分はメールや電話で何とか彼との接点を維持しようと必死なんです(もちろん相手に迷惑ですから、毎日とか週に1回とかではなく、月に1回程度で「最近どうよ~?」という感じです)。 それなのに「話題がないから会わない」と言われて、ひどく傷つきました。 本当に親友や友達だったら、会話がなくてもただいるだけで幸せを感じるはずなのに、そう感じないということは、もう相手は自分のことを何とも思っていないのでしょうか? >追伸 誤解のないように言っておきますが、親友が自分よりも同僚や地元の仲間との付き合いを大事にしているという点については何とも思っていません。 勿論寂しくないといえば嘘になりますが、遠くの人間よりも近くの人間と付き合おうとするのが普通だと思いますし、いくら親友とはいえ、「いつも俺のことばっかり見てくれよー!!」と、相手を束縛するのもどうかと思いますので・・・。 それでも質問履歴を見てくだされば、一時期はかなり思いつめていたんですけどね・・・(汗)
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質問者が選んだベストアンサー
Q1→ 「ありのままの相手を受け入れる」とは言っても、「100%相手を受け入れて、また100%相手に受け入れられる」なんて不可能だと思います。 質問者様は質問者様で、ご友人の世界とはリンクしない自分の世界を持っているわけだし、ご友人はご友人で、質問者様の知らない世界を知っている。 それでいいと思うんです。 相手を「友人として」受け入れるというのは、自分が受け入れられる部分も受け入れられない部分も含めて相手が相手の世界を持っている、ことを認めることだと思います。 100%受け入れようとするのはそういう相手の世界の広がりを過小評価することにもつながり、また100%受け入れられようとするのは自分の世界の広がりを狭めることにつながります。 また、そういう広がりを持ったご友人の世界の中で、自分がどこに位置づけられるかを決めるのはご友人自身であり、それがご友人の世界の「尺度」であるわけです。 それも含め相手を尊重することがまず基本であって、それを認めたうえで、相手の世界と自分の世界がどれだけリンクするのか、相手の世界が自分の世界がどのように作用しうるのか、を探るのが人間関係の構築だと思います。 Q2→ これは私にも心当たりがあることなんですが、それまで人間関係に恵まれなかった場合「本当に心を許せる相手」がいると、そこから全てを得ようとしてしまいます。 でも、相手がいるだけで、と自分では思っていても、相手はそれを与えるために、意識的なり、無意識なり、何か努力をしています。 だから、全てを求められるのは相手にとって辛いんです。 「いるだけで」はないんです。人間関係はギブアンドテイクが基本です。 無理に何かを与えようとするのではなく、相手から受け取った何かを、一つ一つ自分の中で消化して、それを何らかの形で相手に返せるようにする、それが出来なければ、相手にとって自分は「苦労が多く、実りが少ない関係」になってしまいます。 例えばご友人がされた「同世代の趣味を勉強しろ」というアドバイスですが、質問者様はそれを殆ど消化することなくあきらめていませんか?
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- udonkuitai
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すみません、質問そのものに答えてなかったですね。 Q2→ 幸福一般とは「友情とか愛情とか」です。「会話する楽しみ」「趣味が合うことの喜び」「ちょっとしたやさしさ」や「思いやり」「ねぎらいの言葉」などなど。 友人である以上相手にこれらを期待する気持ちは誰にでもあると思いますが、これらは有形無形の相手の努力の上にあるものだし、「誰でも当然受けているものだから、自分も友人から受けられて当たり前」ではないと思います。
お礼
ありがとうございました。 >「誰でも当然受けているものだから、自分も友人から受けられて当た り前」ではないと思います。 わかってはいるつもりなのですが、今まで赤の他人から人として扱われたことが殆どありませんので、不意に優しくされると期待してしまいますね(苦笑)
- udonkuitai
- ベストアンサー率28% (15/53)
多分前のご質問も拝見したと思いますが… 「自分のことを無条件に受け入れてほしい」「なにもしなくていい、そばにいるだけで幸せ」なんていう関係は、親と子位でしか、持続的な関係としては成立しないと思います。まあ恋愛関係は一般的にそういうものですが、それがイコール持続的な関係、ではないし。 友人関係って、一般的にはもっと対等なものだし、相手にとっての「自分」の内的なプライオリティまで含めて相手に選ばせる自由を、表面的な態度として、ではなく、心から認めた上でのものだと思いますよ。バランスの取れない人間関係は齟齬、悪くすると関係への依存から崩壊を招きます。質問者様はご友人との関係に「人が人間関係から得られる幸福一般」を望んでいませんか?
お礼
ありがとうございます、2つお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか? Q1.「友人関係って、一般的にはもっと対等なものだし、相手にとっ ての「自分」の内的なプライオリティまで含めて相手に選ばせる 自由を、表面的な態度として、ではなく、心から認めた上でのも の」というのは、No.1の方が仰っていた「ありのままの相手を認 めること」と同じ意味だと思うのですが、どうすればそこまで到 達できるのですか? Q2.「人が人間関係から得られる幸福一般」というのは、具体的に言う と何でしょうか? 「友情」とか「(異性に対する)愛情」ということでしょうか? そうだとすれば、貴方の仰る通りかもしれません。 過去に受けたいじめのせいで、人と付き合うことが苦手になりまし たので、それだけ数少ない友人からそういった感情を多く得よう としているのかもしれません。 いじめられたせいで人付き合いが怖くなり、今まで趣味の道を突き進んでいましたが、同年代の嗜好とは思いっきりかけ離れた趣味ですので、今さら同世代の人間と付き合おうとしても難しい話ですし。 ああ、できるものならば人生をやり直したいです。 それも産まれる前から・・・(いじめの原因が先天的な右手の奇形なので)。 普通の人間に産まれたかった・・・
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
その友人は、結構交際範囲の広い人なんじゃないですかね。勤め先の人や草野球チームなんかでも上手くやっているようです。一方、質問者さんはどちらかというと人付き合いが苦手で、気の合う人とはじっくり付き合うけど広く浅くってのが苦手なタイプと見ましたがどうでしょう。 もしそうなら、質問者さんの気持ちがちょっと彼には重すぎるんじゃないですかね。私は交際範囲の広いタイプですが、会話がなくてもただいるだけで幸せって、恋人じゃないんだからとは思いますね・笑。 もちろん、長年の友人とは別にいちいち話題を探す必要はないですけどさ、でも、他の人も書いているけど質問者さんの友人に対する気持ちは同性の友情というより、ちょっと愛情に近いものを感じますよね。ただし、男同士の友情はむしろ肉体関係のない愛情に近いものであるということは思います。
お礼
>その友人は、結構交際範囲の広い人なんじゃないですかね。 >質問者さんはどちらかというと人付き合いが苦手で、気の合う人とは じっくり付き合うけど広く浅くってのが苦手なタイプと見ましたがど うでしょう。 まさしくその通りです!! No.1&No.2の回答者へも言いましたように、幼少の頃から同級生にいじめられ、中学生のときが最もひどかったので、すっかり人と付き合うことが怖くなりました。 数少ない地元の友人とは気軽に会話できるのですが、会社では必要最低限のことしか話しません。 この前会社の先輩から「もう少し心を開けよ」と言われまして、それとなく過去にいじめを受けたことを匂わせたのですが、「それがどうした、男ならしゃんとしろ」と反対に説教を食らってしまいました・・・ いじめられて両親に泣きついたとき、「いじめられる方が悪い、男ならやり返せ」と、父親にも似たようなことを言われて、ひどく落ち込んだことがあります。 それができたら、最初からいじめられないのに・・・
- dorefa
- ベストアンサー率31% (22/69)
まだお若い質問者様には解っていただけないと思いますが、「親友」や「友人」というくくりに捕らわれると、自分の人生が不自由になりますよ。綺麗ごとに思われるでしょうが、相手がどんな対応をしようと、あなたがその人の事を思うなら、あなたにとってその人は友達。友達ってこういうものじゃないの!?っていう考えは捨てないと、いけません。 映画や小説や他人の話を聞くと、素晴らしい友情があるように見えます。私はそういう物をを否定しませんが、やはり、それは真実の一部分を語っているだけです。フィクションである映画等はもちろん、廻りの人の話なんて、話す相手にこう思われたいという意識が働いているので、まあ話半分で充分です。 彼がいるだけで嬉しいっていうのは擬似恋愛に思えます。まだまだ子供である中学高校の頃によく見られるものです。親友なんて認識を、大の大人は持たないですよ。恥ずかしいし、何より人間ってもっと複雑なので、とてもじゃないけど私は**の親友だなんて言えないです。ご友人は一足先に大人になられたのではないでしょうか。
お礼
>とてもじゃないけど私は**の親友だなんて言えないです。 お言葉を返すようで申し訳ございませんが、自分が彼のことを「親友」と思っていたのには、きちんとした理由があるのです。 彼とは小学校の6年間を共に過ごしまして、中学校からは別々の学校になりました。 それで中学1年生から2年生になるまで、同級生からひどいいじめを受けたため、高校1年生まで極度の人間嫌い&人間不信に陥りました。 同学年の間で浮いた存在になり、またいじめられそうな立場になりましたが、ある晩親友と冒頭に述べた知人(3人とも同じ小学校の出身で、知人とはたまたま同じ高校の同じクラスでした)がやってきて、「今のお前、かなり危ない立場だぞ」と忠告してくれました。 同じ小学校を卒業したとはいえ、中学は別だった人間がわざわざ自宅を訪問してくれたことに対して、自分はすごく感動しました。 それと同時にいじめられる以前ほどではないですが、高校でもリラックスして、数が少ないとはいえ、友人もできました(それでも内向的な性格は変わりませんでしたが・・・)。 もし彼らがあの晩自分の家を訪れなかったら、学校で自分は疎まれ、再びいじめられていたでしょう。 そう考えれば、親友と共通の知人に対して感謝の気持ちでいっぱいですし、仲間としていつか恩返ししなければいけないなと考えています。 親友や共通の知人が自分のことを想っていなければ、果たしてあのとき自宅へ来たでしょうか? その答えを考えると、少なくとも自分は彼らにとって「いてもいなくてもいい存在」とはどうしても思えないのです。 >ご友人は一足先に大人になられたのではないでしょうか。 これは本当にそう思います。 いじめられたトラウマのせいか、ある程度人間嫌い&人間不信は解消されたように思いますが、今でも他人が怖くてなかなか心を開くことができません。 だから転勤先では友人すら皆無です・・・
- taka-aki
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親友とは何かってことではないでしょうか。 お互いにありのままの相手を認めあってるのが親友、 ではないかと思います。 あなたはありのままの彼を認めてないので、 あなたにとって彼は親友ではありません。
お礼
返事が遅くなってしまって、申し訳ございません。 親友の定義が「お互いにありのままの相手を認めあってる」ことであるならば、相手の対応に一喜一憂せず、相手を信じるということですから、確かに自分にとって彼は親友ではありませんね。 小さい頃からいじめられてきたせいか、あまり人間というものが信じられないのですが、どうすればそこまでの境地に至ることができるのでしょうか?
お礼
ありがとうございました。 >例えばご友人がされた「同世代の趣味を勉強しろ」というアドバイス ですが、質問者様はそれを殆ど消化することなくあきらめていません か? はい、その通りです。 今まで他人から拒絶され続けてきた自分にとって、音楽にせよテレビ番組にせよ、最近の流行は前向きすぎて(あるいは軽薄で)好きになれません。 それよりは中島みゆきさんのように、人生の重みを歌ったものの方がしっくりきます。 もちろん人の嗜好はそれぞれですので、口には出しませんけどね。