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自然科学は不完全性定理をもコントロールするか

GPSに特殊相対論と一般相対論による補正がされているというのは有名ですが、とくに一般相対論はリーマン幾何学をもちいています。 リーマン幾何学は非ユークリッド幾何学を扱うことができ、この際、平行線の公理を選択的にコントロールすることで、空間の歪みを叙述することが可能ということがいえるのではないかと思います。 平行線の公理といえば、ゲーデルの不完全性定理が関与するところですが、このようにアインシュタインのような天才は不完全性定理さえも物理学の道具として使いこなした、という印象を私は持っています。この印象は正しいでしょうか。 #ここでの近くのご質問に刺激を受けました。ちょっと筋が違うので新しく質問を立てました。

  • ga111
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みんなの回答

回答No.17

<<ここの質問欄を閲覧しているすべての方へのお詫び>> 先日来、この欄において、わが身の浅学を顧みず高慢な講釈を垂れていたことをお詫びいたします。 先日来のやり取りを通じて妙な違和感を感じておりましたが、ここに至って自分が解析幾何と初等幾何の区別もつかぬ愚かものであったことに気がつきました。今となってはここでやり取りしたメッセージのかなりの部分が無意味というより、有害な情報であったと認識しております。 叶うことなら、この場における私の発言のすべてを忘却していただきたくお願いいたしたく存じます。 私は今年から哲学を始め、そちらの方から不完全性定理にアプローチしたもので、基本的な知識に欠けておりました。言い訳にもなりませんが、平にご容赦願います。

ga111
質問者

お礼

お礼の欄には不適切ですが、「真偽決定不可命題を具体的に挙げる」ことが私自身でたぶん下のようにできました。自分自身で自己批判は滑稽かとも思いますが、真実に近いと考えられることを公表することを優先します。公理の言葉の取り扱いもgobo-tetsuさんの方が正しいと今となっては感じます。よって、公理と不完全性定理の理解は現時点では私の間違いと考えております。お詫び申し上げます。gobo-tetsuさんにはより正しいと考えられるご指摘にお礼を申し上げます。 http://en.wikipedia.org/wiki/G%C3%B6del%27s_incompleteness_theorems#Examples_of_undecidable_statements In 1973, the Whitehead problem in group theory was shown to be undecidable, in the first sense of the term, in standard set theory. In 1977, Paris and Harrington proved that the Paris-Harrington principle, a version of the Ramsey theorem, is undecidable in the first-order axiomatization of arithmetic called Peano arithmetic, but can be proven to be true in the larger system of second-order arithmetic. Kirby and Paris later showed Goodstein's theorem, a statement about sequences of natural numbers somewhat simpler than the Paris-Harrington principle, to be undecidable in Peano arithmetic.

回答No.16

>gobo-tetsuさんは多くのクリティカルなポイントでお話を逸らす傾向があるようです。 私の方もあまりにも論点がずれすぎるのでもどかしく思っていましたが、前回の回答への補足により、貴方が私が考えている以上に公理系と不完全性定理について理解不足だということがわかりました。  >他に4つの真偽決定不可な命題がありますが  >ここでの話の範囲では「第五公理は除外されたのではなく書き換えられたのです」  >平行線の公理は公理であるがゆえに、証明不可能です(=ゲーデルの不完全 「4つの真偽決定不可な命題」が他の公理を指しているのだ、と気がつくまでかなり時間がかかりました。他の公理は外せばそもそも幾何学として成立しません。そうなれば、貴方のこだわっている「平行線公理」は命題ではなくただの言明でしかありません。もちろん「4つの真偽決定不可な命題」などという言い方はあり得ません。 公理を「真偽決定不可な命題」などとするのは暴挙というものです。「公理は証明不可能」ではなく「証明不要」なのです。 第5公理を「除外」ではなく「書き換えた」のなら、いわゆる「平行線公理」は真偽決定不可命題ではなく、その否定が証明されてしまうことになります。それで話の端緒として、第5公理抜きの「幾何学」から始めました。リーマン幾何学の公理は確認していませんが、おそらくあなたの言うように「書き換えられた」のだと思います。でも、公理系を解かっている人なら、私の書いていることに違和感は感じないと思います。平行線公理を「除外」して別の公理を「追加」しただけでしょうから。こんなことで上げ足を取るのは感心できません。 公理系に対する認識が十分でないまま、不完全性定理を語るのは無意味です。私の投稿も最後といたします。

ga111
質問者

お礼

回答番号:No.17のお礼欄への追加として、ユークリッド幾何学に5つの公理以外に真偽決定不可命題はないようです。 Limitations of Gödel's theorems The conclusions of Gödel's theorems only hold for the formal theories that satisfy the necessary hypotheses. Not all axiom systems satisfy these hypotheses, even when these systems have models that include the natural numbers as a subset. For example, there are first-order axiomatizations of Euclidean geometry and real closed fields that do not meet the hypotheses of Gödel's theorems.

ga111
質問者

補足

私もやっとすっきりしました。もし、ユークリッド幾何学に5つの公理以外に真偽決定不可命題があるとすれば、それは大事件です。ガウスなどの功績により、約2000年にわたる例の5つの公理の存在の正当性の証明が否定的になされたわけですが(最後参照)、それを覆す大事件です。 >「幾何学」にとって平行線公理は真偽決定不可命題でありますが、それを公理に追加したユークリッド幾何学にも依然として、真偽決定不可命題は存在するはずです。 gobo-tetsuさんはここでの真偽決定不可命題を具体的に挙げることは絶対にできないと予言します。その場合、gobo-tetsuさんがとんでもない「暴挙」、「あまりにもひどい」間違いをしているということになります。 ウィキ >19世紀にガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーらによって、最初の4つの公理が成立しかつ平行線公理が成立していないような幾何学の体系(双曲幾何学)が構成された事によって平行線問題は否定的に解決された。もし最初の4つの公理から平行線公理が導けるのであればこのような幾何学は存在するはずがなく、よって平行線公理は他の4つの公理からは導けないのである。

回答No.15

ユークリッド幾何学から平行線公理を除いても「幾何学」は成立します。そして、その「幾何学」の中で平行線公理を導き出そうとしても、それはできません、つまり平行線公理は「幾何学」にとっての真偽決定不可命題である。別に異論はありません。   第一不完全性定理は真偽決定不可命題について言及している。               ↓   リーマン幾何学は平行線公理(真偽決定不可命題)を公理から除外した。               ↓   アインシュタインはリーマン幾何学を利用した。               ↓   アインシュタインは第一不完全性定理を利用した。 あまり論理的な図には見えません。公理の選び方によって数学の個性が変わるのは当たり前のことで、第一不完全性定理とは何の関係もありません。アインシュタインは平行線公理に制約されて窮屈なユークリッド幾何学より柔軟なリーマン幾何学を利用しただけのことです。 平行線公理がそれ抜きの「幾何学」にとって真偽決定不可命題であることはもっと昔から知られていたことです。リーマン幾何学の発表は約150年前です。天才ガウスもそれ以前に第5公理抜きで「幾何学」が成り立つことを知っていたようです。 昔は実空間=ユークリッド空間とされていたので、無限遠にまで言及している平行線公理の真偽性に疑問を持つ人はそれまでにもいたようです。 使い物になる程度の「数学」は大概自然数論を含んでいます。つまり無限を扱うということです。本来永遠の時間を消費しても把握することのできない無限を「数学」は「ハイ、これ」という風に無造作に提示します。いうなればかなり無理をしているわけで、その無理のとがが不完全性定理に表出している、と言ってもよいと思います。 「幾何学」にとって平行線公理は真偽決定不可命題でありますが、それを公理に追加したユークリッド幾何学にも依然として、真偽決定不可命題は存在するはずです。 第一不完全性定理は「数学」にはどのように公理系を選んでも、真偽決定不可命題が存在することを免れない、と主張しているだけです。その新規決定不可命題が使い物になるかならないか、ということには何も触れていません。 あらためて、あなたの持っている解説本で、平行線公理がどのような文脈で扱われているかを意識しながら読むことをお薦めします。 不完全性定理は難しいです。論理学ではカンによるあてずっぽうは絶対当たりません。解説書の説明をひとつずつ丹念に納得しながら理解していくしかありません。インターネット上の不完全性定理についての情報は実に間違ったものが多いです。まさにあきれるばかりです。あまりのひどさについ黙っていられなくなりました。 学問カテなので、間違っていることは間違っていると、率直に指摘させていただきました。当方が間違っている場合も率直に指摘いただいて結構ですが、自分が理解していることとしていないことを明確にして議論することが大事だと思います。

ga111
質問者

補足

どうも、gobo-tetsuさんは多くのクリティカルなポイントでお話を逸らす傾向があるようです。 >「幾何学」にとって平行線公理は真偽決定不可命題でありますが、それを公理に追加したユークリッド幾何学にも依然として、真偽決定不可命題は存在するはずです。 これは、平行線の公理がゲーデルの第一不完全性定理でいう「証明も反証もできない命題が存在する。」ところのその命題であることを認めたことに他なりません。もちろん、他に4つの真偽決定不可な命題がありますが、それら存在があるからといって、当たり前ですが 平行線の公理がゲーデルのその命題のうちのひとつであることを否定することにはならないのです。よって、私はあなたの主張である、 >キーワードがたとえ一億件ヒットしてもダメなものはダメです。平行線公理について触れていますが、それは公理系というものを説明するためのものです。 は不適切だと思います。再度明言しますが、あなたはたとえば、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86 での平行線公理とゲーデルの命題の関連の不適切さを証明する必要があるのです。 ちなみに、ここでの話の範囲では「第五公理は除外されたのではなく書き換えられたのです。」 私は何度も言うように最初の質問にある意見から態度を変えています。私をクリティサイズするには、長いスレッド全体をよむ必要があります。

回答No.14

「幾何学の第五公理である平行線の公理に不完全性定理は適用できないということでしょうか?」というような表現はしません。不完全性定理は公理系全体を問題にしているのです。 ですから、ユークリッド幾何学も不完全だし、非ユークリッド幾何学も不完全です。独立命題をいくら追加しても公理系は完全にはなりません。それが不完全性定理の主張するところです。

ga111
質問者

お礼

ちなみに、不完全性定理のうちでも、私は第1不完全性定理を念頭においています。どうも、第2を念頭に置くと、言い方に違和感がでますね。たんに言い方の問題なら、それだけのことだと思います。 第1不完全性定理 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。 第2不完全性定理 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

ga111
質問者

補足

公理は否定も肯定もできないがゆえに、ゲーデルの不完全性定理の「、、、証明も反証もできない命題が存在する」というところの命題にまぎれもなく相当するのである、というのが私の理解です。なにかあなたが勘違いされていないでしょうか?? もちろん公理系全体が矛盾がないなら、という条件がつきますが、「証明も反証もできない命題が存在する」というのは明らかに(あなたの言うように全体ではなく)いくつかの公理(もしくはそれと等価な命題)が証明も反証もできないということを意味していると考えています。

回答No.13

<<不完全性定理  平行線の公理 のキーワードで検索しますと、たくさんヒットします。よって、私の例示はおそらく正しく、該当する回答者のかたは何か勘違いされているのだと思っています。>> 論理学について論じているのだから、上述のような情緒的なことは言うべきではありません。キーワードがたとえ一億件ヒットしてもダメなものはダメです。 解説書の多くは確かに平行線公理について触れていますが、それは公理系というものを説明するためのものです。あなたは多分、前説の部分で挫折しているはずです。後半の不完全性定理の証明の解説は全然理解できなかったか、おそらくは読み飛ばしていると思います。それで、前回はとにかく解説書を最後まで読み通して下さい、と申し上げました。 本当のことを言うと、読み通したところでなかなか理解できません。 私は何度も肩透かしを食わされたような感覚を覚えながら繰り返し読んでやっと解説書はクリアできました。証明の道筋は理解できましたが、実際のゲーデルの論文を読むことはあきらめました。 不特定多数の人の目に触れるこうした場では、自分が何がわかって何がわかっていないかをわきまえて、慎重に発言するのがエチケットだと思います。 そういう意味でも、psytexさんには猛省を促したいと思います。 不完全性定理を勝手に『公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る』と読み替えることをしてはいけません。 不完全性定理はそんなロマンチックなものではありません。ある意味つまらない無味乾燥のがっかりするような内容と言えなくもありません。 <<このように、完全な系にとって外的要因でありながら、その系が存在する(有限な値をとる=無矛盾)であるためには、その系に加わる必要がある(不完全な系ゆえに無矛盾)要因がある、というのが、論理学における不完全性定理であり、ユークリッド幾何学における平行線公理であり、決定論的な古典物理に対する不確定性原理であり、時空における自我(こころ)なのです。>> ユークリッド幾何学における平行線公理がどうだというのですか? 平行線公理が加わったから無矛盾だとでも言うのですか? 数学の定理を物理の法則に読み替えてよいかは自明ではありません。 あなたは不確定性原理を「無矛盾ではあり得ない(Aと非Aを同時に導く)」)と言っていますが、自然科学が矛盾を抱えてどうするんですか? 不確定性原理は矛盾ではありません。位置と運動量を同時に確定できないだけのことです。 ddtddtddt さんへ 不完全性定理が問題にしているのは、公理系によって展開される数学理論の完全性なのに対し、完全性定理の方は「論理公理系」と「推論規則」からなる論理体系の完全性を保証しているのです。

ga111
質問者

補足

ええと、ユークリッド幾何学の第五公理である平行線の公理に不完全性定理は適用できないということでしょうか?その論拠を示してください。 私は数学のカテゴリーで質問することも検討します。また、他の方への批判は論点がぼけたり、ほぼ話がついていたりするので、最小限にしてください。

noname#221368
noname#221368
回答No.12

 #11です。「不完全性定理 平行線の公理」で検索して、 http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kouri.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86 http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/4695/theme/math.html などを読みましたが、やはり意見は変わりません。とは言え自分も、全てを知っているわけではありませんので、これ以上は申し上げません。ただ不完全性定理がヒルベルト・プログラムに止めを刺した件ですが(#11の補足)、質問者様は、ヒルベルト・プログラムが破綻したので、数学者(と物理学者)は、公理系選択の自由度を手に入れたと仰っているような印象を受けました。そしてアインシュタインは、もっと早い時期にそうしていた・・・、と。  個人的意見ですが、ヒルベルトが形式主義を持ち出した時点で既に、少なくとも数学者は公理系選択の自由度を獲得していたと思います。もっとも前世紀の初頭まで、物理畑の人達は違ったのかも知れませんね。特殊相対性理論が発表された時、ローレンツとミンコフスキーはあくまで絶対時空にこだわり、光速度の不変性をなかなか受け入れなかったと聞いています。絶対時空:ユークリッド幾何学とも読める気がします。  しかし4次元時空(ミンコフスキー空間)の概念を作ったのは、数学者としてのミンコフスキー自身であり、アインシュタインは後でその価値に気づきそれを取り入れた、というのが歴史的経緯だったはずです。何故ならアインシュタインはミンコフスキー空間を、最初無用の長物とみなしていたからです。そしてローレンツとミンコフスキーは、アインシュタインに先行して、ミンコフスキー空間を利用した結果から、「見かけ上は、光速度不変だ」と言っています。  物理的ユークリッド空間を信じていたと思えるミンコフスキーが、ミンコフスキー空間を作れたのは、ガウス,リーマン,ヒルベルトが明確化した、公理系選択の自由度のおかげ、というのは言いすぎでしょうか?

ga111
質問者

補足

ポイントがずれていないでしょうか? >言いたかった事は、不完全性定理が関わるのは、文法の問題であって、ある命題が本質的に証明可能かどうかには関わっていないのではないか?、 お答えはノーだと思います。ある命題(例:平行線の公理)は本質的に証明不可能なのです。 この私の指摘に合意できないというなら、ddtddtddtさんは、公理の概念や不完全性定理を理解していないと思います。 また、私はここでリーマン幾何学には触れていますが、ミンコフスキー空間には触れておりません。 >質問者様は、ヒルベルト・プログラムが破綻したので、数学者(と物理学者)は、公理系選択の自由度を手に入れたと仰っているような印象を受けました。そしてアインシュタインは、もっと早い時期にそうしていた・・・、と。 ちょっと、違います。皆さんの指摘にともなって、私は意見を変えていますが、物理学者は数学を道具として使うので、不完全性定理によって制限されたり、脅迫されたりすることはあまりないということです。

noname#221368
noname#221368
回答No.11

#3です。#5さんへの言い訳も含めています。 >数学的公理系を切り替える自由な発想をアインシュタインは持っていたともいえ、この点で、アインシュタインは不完全性定理の制限を受けなかったともいえる・・・(#4への補足より)。  正直な感想を言えば、少なくともヒルベルト以降、誰もがこういう発想を持っていたのではないか?、という印象はあります(もちろん発想を持つだけでは駄目ですが・・・)。しかしたぶん、この言葉の真意を自分はわかってないんだな、と思いました。  証明できるものは公理でないという意見が大勢のようですが、「証明できる公理もある」と言った時に念頭にあったのは、理論に対するブルバキの定式化です。ブルバキでは、ふつう言うところの公理を明示公理と言い、明示公理にシェマを適用して得られる結論を非明示公理と言っていたと思います。次に証明手続きを定義した後で、証明の文脈に現れる非明示公理を、定理と呼ぶ。さらに理論の強い,弱いですが、ある理論の明示公理を、全て非明示公理として(定理として)含む理論を、より強いと言う。この定式化があったので、公理かそうでないかは、「決め」の問題だと言いました。  そして上記のような「手続き型証明」の限界を示すものが、不完全性定理だと自分は思っていました。自分の今の本職はプログラマーなので、どうしてもこういう発想になってしまいますが、言いたかった事は、不完全性定理が関わるのは、文法の問題であって、ある命題が本質的に証明可能かどうかには関わっていないのではないか?、という事です。もちろん光速度不変の原理や等価原理が(現在のところ)証明可能なものとは、自分も思っていませんが、この立場から言うと、 >平行線の公理は公理であるがゆえに、証明不可能です(=ゲーデルの不完全性定理)。(#1さんへの補足) には、一応?が付きます。しかしながら、質問者様の意図を誤解しているのではないか?、と今は思います。  ところで#5さん、 >完全性定理と不完全性定理の意味するところの「完全性」は別物です。 なのですか。是非知りたいので、別質問を立てるかも知れません。もしよろしければ、お付き合い下さい。

ga111
質問者

補足

>言いたかった事は、不完全性定理が関わるのは、文法の問題であって、ある命題が本質的に証明可能かどうかには関わっていないのではないか?、 お答えはノーだと思います。ある命題(例:平行線の公理)は本質的に証明不可能なのです。不完全性定理  平行線の公理 のキーワードで検索しますと、たくさんヒットします。よって、私の例示はおそらく正しく、該当する回答者のかたは何か勘違いされているのだと思っています。 >ゲーデルの不完全性定理によって「普通の数学」(自然数論)を展開できるような公理系では(体系が無矛盾である限り)その無矛盾性を与えられた公理系だけからは証明できないことがしめされ、ヒルベルトが思い描いた形でのヒルベルト・プログラムは実現しないことがわかった。(公理 提供: フリー百科事典『ウィキペディア)

noname#135843
noname#135843
回答No.10

 はじめまして、Hidocchiと申します。  少し補足させていただきます。   > 「人間の能力はときとして余りにも大きく、自然科学分野では不完全性定理に制限されることなく理論が展開され、しかもそれが現実レベルである程度証明され(重力レンズ効果などなど)、実用面で大きな貢献をすることがある(GPSの補正などなど)。」ということになります。  確かに、自然科学の研究者は、そのように考えてきましたし、現在もそうかもしれません。実際、ゲーデルの不完全性定理は数学科の学生さんにはあまり人気もなく、これをさらに進めていこうとする学生さんはほとんどいないといわれています。この不完全性定理が現代にも(特に哲学を学んでいるひとに)影響を及ぼしているのは、それなりに理由があろうかと思われます。それは以下の2点からだと思われます。   ・ 科学的進歩という人間理性を過信し過ぎたための反省: つまり、多くの環境汚染や大量殺戮兵器の開発を人類はしてきましたが(実際、実行もしました)、これらへの反省があろうかと考えられます。 ・ もう一つは、人間理性を高らかに謳い上げた“マルクス主義”の反省およびそれに対する反論:マルクス主義が実際はどうだったかにつきましては、おそらく説明は不要かと思われます。ソ連軍のチェコへの侵攻、ルーマニアの独裁政権等です。つまり、そもそも人間理性を推し進めていった結果は、惨劇だったのではないか? ということです。  これらの反省から、ゲーデルの不完全性定理が利用されてきた経緯がございます。さらに申し上げますと、不完全性定理という一種の“懐疑論的思考法”を用いた、理性万能を信じきっているものたちに対する反論でもあるわけです。  従いまして、むしろ科学万能教に対するアンチテーゼと受け取った方がよろしいかと存じます(ゲーデルが証明した動機のひとつに、「公理系以外の何かプラスα(おそらく神)の助けが必要である」という説もございます。何しろ敬虔なキリスト教徒でしたから)。  そこで、まことに僭越ながら、以下にお薦めのものを列記させていただきました。  やはり、1冊ぐらいは読破されることをお薦めいたします。なお、ゲーデルにつきましては、高橋氏の方がやさしいかと思いますし、これを正確に読めば、別段ナーゲル氏の本は省略してもよろしいかと思います。適当に本屋さんで選んでみてくださいませ。もちろん、これらの書籍に限定する必要はございません。 1. 高橋昌一郎著「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」(講談社現代新書) 2. E. ナーゲル著「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」白揚社 1. 山田克哉著「量子力学のからくり―「幽霊波」の正体」(ブルーバックス) 2. 都筑卓司著「新装版 不確定性原理―運命への挑戦」(ブルーバックス)  お役に立つところがございましたら、幸いでございます。

ga111
質問者

補足

ほかにこれまで指摘にありましたように、不完全性定理と科学の進歩は必ずしも強い関連(共役)はないということだと思います。よって、私は最初の意見を変えています。(皆さんありがとうございました) 最初の指摘の科学者の考え方には私は合意が見出せますが、不完全性定理を科学批判に使えるかどうかはちょっと疑問です。

回答No.9

申し訳ありませんが、私は30年間にわたる無数の読書によって習得したので、 ウェブサイトも知らなければ、何か1冊で全て分かるといった虎の巻も知りません。 あしからず。

ga111
質問者

補足

そうですか。たとえば不完全性定理と不確定性原理の関連について本質的な関連が示されているのであれば、それはちょうど一般相対論のように、誰がいつ発表したか、クリティカルな文献があり、それはいつでも開示できるべきものであると私は考えます。

回答No.8

確かに「公理」とは、他の公理と矛盾ないし二次的に導かれてはならない、「前提」です (とはいえ、さらにその前提となる完全に独立した「定義」とは違い、言明として 相互に作用し証明をなします<矛盾してはならない)。 公理系は、その公理によって、あらゆる可能性が網羅(=証明)される完全なものでなければなりません。 ところが「平行線公理」については、他の公理から導けるのではないか(=定理) という疑義が古くからあり、証明の努力がなされましたが結局、独立でした。 その過程で、平行線公理でない可能性を公理化しても、公理系として無矛盾である ことも発見されました(非ユークリッド幾何学)。 これは、公理系をなす他の公理にはない性質です(他の公理は相互に必須なのに、平行線公理は任意)。 このように、完全な系にとって外的要因でありながら、その系が存在する(有限な値をとる=無矛盾) であるためには、その系に加わる必要がある(不完全な系ゆえに無矛盾)要因がある、 というのが、論理学における不完全性定理であり、ユークリッド幾何学における平行線公理であり、 決定論的な古典物理に対する不確定性原理であり、時空における自我(こころ)なのです。 (不完全性定理と不確定性原理だけは、日常的な認識(素朴唯物論)の対極にある重要なものですので、 wikiなどで得られる結果的なエッセンスだけでなく、その思考プロセスそのものを習得して下さい。 それには本の1冊では済まない情報量が必要ですので、あえて私は答えないようにしています。<無理な人には無理だから)

ga111
質問者

補足

私は(たとえば不完全性定理と不確定性原理の関連について)平易に述べたサイトはありませんか?とお聞きしたので、それはないということかと思います。 しかし、理論に疑問が提示された場合、たとえそれが英語であっても参考文献を挙げるのが自然科学分野の議論の常かと思います。

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    私が知りたいのは ゲーデルの不完全性定理の幾何学での理解です。 (1)第2不完全性定理では 次の表現があり『公理系Nにおいて、その無矛盾性を証明することは不可能である』、そのなかで問題として『 真であるが証明不可能な主張とは何か。』に対して 答え『公理』とあり 自己言及を表現していることは 理解し易いのです。幾何学では5公理です。この理解はたぶん正しいと思います。 ところが (2)私がよく分らないのは 第1不完全性定理です。『形式的体系Sにおいて、形式的体系Sが無矛盾である限り、「形式的体系Sにおいて命題は証明可能である。」という命題も「形式的体系Sにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である。』 と表される(別表現もありますが)とあります。 ここで現れる命題は抽象的言語であってよく分らないのです。例えばユークリッド幾何学においてはこの具体例は何でしょうか。私の理解は 「例えば無限遠点において平行線は交わるは証明可能である」はその例のようにおむのですが。つまり 例題には ユークリッド幾何学では未定義の無限遠点が現れており 証明はできない のです。いくら公理を増やして定義を明白にしても 未定義の領域はある ということです。 もう一つの例ですが 無限遠点は扱わないという6番目の公理を追加したとしても 例えば 「X・X=-1 は根がない は証明可能である」も証明できない と思うのです。なぜなら複素数は未定義だからです。つまり 『公理で定義されても未定義域は必ずある』が第一不完全性定理の一つの別表現ではないか と思うのです。この理解が間違っているのかどうか どなたかにお教えて頂きたかったのですが 

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    私がよく分らないのは ゲーデルの第1不完全性定理です。『形式的体系Sにおいて、形式的体系Sが無矛盾である限り、「形式的体系Sにおいて命題は証明可能である。」という命題も「形式的体系Sにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である。』 と表される(別表現もありますが)とあります。 ここで現れる命題は抽象的言語であってよく分らないのです。例えばユークリッド幾何学においてはこの具体例は何でしょうか。私の理解は 『例えば無限遠点において平行線は交わるは証明可能である』はその例のように思うのですが 間違っているでしょうか。 問題は 無限遠点が公理を用いて表されるか どうか という先輩のご指摘があり公理をあらためてみてみますと 公理2に線分を限りなく伸ばすことができる とあります。つまり無限遠点は「公理2の限りなく線分を伸ばした点」と理解され 公理の定義を用いることで表されるとおもうのです。間違っているでしょうか。参考までに公理を挙げておきます。 <ユークリッド 幾何学の公理> (公理1)与えられた2点に対して、それらを結ぶ線分をちょうど1つ引くことができる。 (公理2)与えられた線分は、どちらの側にも限りなく伸ばすことができる。 (公理3)平面上に2点が与えられたとき、一方を中心とし、他方を通る円をちょうど1つ書くことができる。 (公理4)直角はすべて相等しい。 (公理5(平行線公理))直線外の1点を通り、その直線に平行な直線は1本に限る

  • 不完全性定理 ユークリッド幾何学 公理

    専門家の方にお聞きしたいのですが、不完全性定理でいう「自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。」において、 ユークリッド幾何学における証明も反証もできない命題=ユークリッド幾何学の5つの公理 ということでよろしいでしょうか?? また、ユークリッド幾何学の5つの公理以外には、ユークリッド幾何学において証明も反証もできない命題は存在しないと考えていましたが、正しいでしょうか?

  • 不完全性定理を自然科学に敷衍できるか。

    数学基礎論の林晋先生の「ゲーデルの謎を解く」という本を読んで疑問に感じていることがあります。 この本の最初に「ホーキングの疑問」と銘打って天才物理学者の下記の疑問をゲーデルの不完全性定理になぞらえています。 「本当に完全な統一理論があるならばそれは人類の行動をも決定するだろう。ということは、統一理論自体が、人類の統一理論探求の行方を決定することになる! だとしたら、どうして、人類が正しい結論にたどり着ける、と決まっているだろう?」 もし、統一理論がニュートン力学と初歩的な電磁気学で構成されていたとしたら、そのような世界では、ニュートン力学を理解できるような知性は生まれえないということでしょうか。 自然科学は暫定的な仮説の総体と言っても良いはず。無矛盾を前提に証明された不完全性定理を自然科学に適用するにはもっと慎重であるべきではないかと思います。 統一理論(というより宇宙)の自己言及性という問題があるとすれば、次のような状況ではないかと考えます。宇宙の全要素の状態を超巨大コンピューターに入力できて、宇宙のすべての状態を把握できるようになる。そうするとコンピューター自身も宇宙の一部ですから、そのデータも自分自身に入れなくてはなりません。 つまり人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。 以上のような私の考えに対してサゼスチョンがあれば聞かせていただきたいと思います。 勝手ながら、回答は数学科か哲学科の方か同等の知識のある方にお願いいたします。

  • この文章の意味を教えてください。

    ある対談集を読んでいて次のような箇所に出くわしました。 「日常的な因果律というのは、単位が非常に小さいところだけで成り立っている。例えば、ユークリッド空間は、微視的には、われわれの日常生活の中で確実に機能するし、役に立つ。しかし、巨視的な立場に立つと、ユークリッド空間では具合悪くなる。飛行機でアメリカへ行くだけでももう非ユークリッド空間だからね。」 読んで???でした。辞書でユークリッドを調べるとユークリッド幾何学が出ていて、「五つの公理に基づいて体系化されている幾何学。二つの平行線は相交わらないという公理は最も著しい特徴の一つである。」 とありました。となると非~はそうじゃないということでしょうが....。 そこでお聞きしたいのですが、 (1)ユークリッド空間とは、ユークリッド幾何学と同義で使われていると考えていいのでしょうか? (2)特に分からないのは「飛行機でアメリカへ行くだけでももう非ユークリッド空間だからね」というところなんですが、ここのところを分かりやすく説明していただけるとありがたいです。 カテゴリーが正しいの分からない程、こういう話は苦手です。よろしくお願いいたします。

  • ユークリッド幾何学において 真偽が証明できない問題として 例えば『無限

    ユークリッド幾何学において 真偽が証明できない問題として 例えば『無限遠点で平行線は交わる』は その例と考えますが、合っているでしょうか。なぜなら 無限領域は 定義されていないからです。  ユークリッド幾何学の5公理は有限領域で定義されているとし、その場合に真偽が証明できない問題として 例えば『X・X=-1は根が存在しない』はその例と考えますが、合っているでしょうか。なぜなら 複素数領域は定義されていないからです。  なお 公理は証明対象にならない 命題と考えます。

  • 同位角相等

    色々なところで議論されてきたようですが、難しい議論もあって良く分かっていないので、深い見識のある方に伺いたく、質問させていただきました。 疑問は、同位角相等は定理か公理か、とユークリッドの第5公準は公理なのか?の2種類です。 (1)まず、ユークリッドの第5公理(公準)は 「1 直線が 2 直線に交わり、同じ側の内角の和を 2 直角より小さくするならば、この 2 直線は限りなく延長されると、2 直角より小さい角のある側において交わる。」 となっています。 同位角相等は公理であって証明できないという意見は、どのように証明しようとしても、例えば背理法を用いて、同位角が等しくないとしたら、その補角である内角の和は2直角より小さくなる(2直角に等しくなくなるので、第5公理により2直線は交わってしまい、平行にならない、だから同位角は等しいと述べたとしても、それは第5公理と同値、トートロジーなので証明にならない。故に証明できない公理であるというように説明すると理解しています。 しかし、この説明が公準と同値、トートロジーであるというところが良くわかりません。なぜそう言えるのかお教え頂ければ幸甚です。 (2)また第5公理が公理であるというのも直観的にとても受け入れにくいものです。他のユークリッド公理に比して明らかに自明性が低く、冗長で、定理じゃないの?と直観的に思ってしまいます。 これは大数学者たちが何度も挑んで、結局非ユークリッド幾何学(公理系)を産むことになった訳ですが、そこまで行くと浅学の身には全く手に余る話で、そういうことを言いたいのではなく、もっと直観的になぜ「平行性は交わらない」が公理でないのかというのが私の疑問です。これを公理とすれば、同位角相等は証明できる定理になると思っています。 どうして、といっても実際そうじゃないので、詮無いことかもしれませんが、こういう疑問を持った方はおられないでしょうか...。おられるとすれば、どう納得されました?   

  • アインシュタインについて質問です

    アインシュタインは12歳の時、ユークリッド幾何学の本で独学し、微分学と積分学もこの時に、独学したようですが、もし上記の事を勉強や独学しなかったら、特殊相対性理論や一般相対性理論などは、発見できなかったですか? 疑問なので回答お願いします。