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「偏見を持たない」と「能天気」の違い、また「硬派」と「頑固」の違いについて。

「すぐ偏見を持つ」は、良い見方をすれば裏面では思慮深く、二度と同じ失敗をしない、と言う意味でも使われるのではないでしょうか? 純真で偏見を持たないが為に「能天気」とか「単純」とか謗られるのが嫌なら、猜疑心を持ち続けてとことん人を疑う他方法ありませんよね。 能天気とは、深く考えられないような人の事を言う、ではないでしょうか。 また、硬派と頑固の違いはありますか?? 「男らしくて勤勉で性格良い男に限って、悪い女に利用されたり我儘な女に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」 「女らしくて勤勉で性格良い女に限って、悪い男に利用されたり我儘な男に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」 従って、 「善男善女は絶対に恋愛、結婚をするな!!」、 「孤立は正義である。」、「恋愛、結婚をした時点で軟派だ。」、「視野の狭さこそが、思慮深さであり、所詮は  視野が広い=能天気で単純 だ。」 と言う偏った考えが正しくなるケースもありますね。 違いますか?? 「100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無い。」 のですから。 注意事項。 私は恋愛の経験とか、酷い経験がある訳ではありません。 ただ、本や漫画、ドラマ、法律相談番組等の決まったシチュエーションに飽き飽きしているだけですので。 自分をダイヤモンド硬派と名乗るつもりはありませんが。 ただ、熱くなるのは好きではありません。 「熱くならなければ、また恋愛とかせずに一人でじっと読書や思想や筋トレ等に黙々と耽っていれば、誰からも『単純な奴』(単細胞)とか『能天気』とか言われて謗られる事はない。」 かと思いますので。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

ン・ベルテさん、今晩は、 疑うということ自体は、哲学を深めるため、あるいは人生についての考えを深めるために必須の事と思います。 疑って疑って 疑いきれないものを見つけてゆく作業が哲学とも言える面もあるかと思います。 そうすることによって、より多くの視点から物事が見れるようになり、 最後は この人生の全体の視点が総合化されてきたら、 ほんとうにこの世で必要な正義を見つけ そこに実際の見通しもつけることができ、 こうして生きた人生のリーダーが育ってゆく場ともなってゆくのが哲学の広場だと 私は思ってます。 ここは、もう1つ 総合的に つっこんだ回答をしてみたいと思います。 前回のン・ベルテさんの質問にも、こちらの質問に けっこう特殊な長所がン・ベルテさんには見られるのですが、 どんな欠点にも裏には、良い見方、つまり長所にすぐ結びついてゆくような面も隠されていたりしますが、 ふつうはこれを発見するのは中々大変で 私のように常に教育に興味のある63歳の人間でも、  いまでも勉強中のところなのです。 だからこそ、ここでは いまひとつひねり方をつっこんでみましょう。 でもン・ベルテさんは、 質問文の一番最初にその観点を語られています。 簡単にそういう裏を見ながら思索を展開出きる能力がある人なのです。 「純真さ」という、おそらく人間にとって最後は最大に大切となる命の宝ものについてなのですが、 それは大人となるにしたがって 失っていったりする人が多いです。 世の中の汚い面、欲望におぼれた姿、そこから人をだます人たちが多い姿などの中に置かれることで、 自分の心に ゆとりを失ってしまうからです。 でも、この時に、そうした汚い面は どうしてこの世に生まれるのか?という事を 徹底して哲学しておけば、 またその根元である欲望についてしっかり吟味しておけば、 だます人のだます手口や心の中まで理解できるようになり、けしてほんとうにはだまされなくなると同時に、 その人自身は純真であり続けることは出きるのです。 欲望について、 簡単に言えば 生物としての欲望が浮かんできますが、そこから経済欲も簡単に派生していたりしますが、 深く分析してみれば、 そういう簡単な欲望は 表面的であり イメージで言えば幻想的な夢みたいな希求でしかなく、 誰もがその奥にその生物性を土台としつつも もっともっと 生きてることを感じたい、その幸せを知りたいという深い希求があることに気がつきます。 そうすると、 普通の欲望の世界も もっと大きく落ち着いてその必要性とかを「みつめる」ことや「みつめなおす」ことが出きるようになるのです。 それが出来ないから 小さな幻想的な欲望も土台として まるで本能におぼれた動物達のように、こころにゆとりを失って、おぼれとらわれ、  こうしてそこに人をだましてでもその欲望を満たそうとしあってしまうということなのです。 つまり、 現代のこの情報化社会のねずみ小僧は、 ほんとうは、もうひとひねりして、 お金持ちの心自体を教育して、みずから考え方を改めた「みんなのための企業」にお金を捧げる人たちにしてしまう英雄を必要としているということです。 以上の点を もうひとひねり深く考えられるような人になるならば、ン・ベルテさんのような人は、 後に続くすべての質問文の疑問もご自分の力で解答を見つけることが出きるようになると思います。 男と女の問題については、それ自体が奥が深いですから すぐには答えが出てこなかったりする世界ですが、 いきなりそういう人生の本質への関心が文になる点も、ン・ベルテさんの特徴です。 いつか、きっと、そのへんの答えも見つかると思いますよ。 いわゆる常識を超える人となってください。 期待していますよ。

ribelte
質問者

お礼

長文を御疲れ様です。有難う御座いました。 全て解るには時間が掛かりそうですが、気長に頑張ってみますね。 私のこの名は、「リベルテ」です。^^ リベルテとは実はフランス語で、自由・解放を意味します。 リバティーも、自由と言う意味になりまして、それと似ています。 因みに、バラード歌手の岡村孝子さんのファンでして、彼女の「リベルテ」と言う曲も大好きです。渋いですが生きる力が湧いて来そうな曲です。

その他の回答 (5)

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.6

 結局、「こうですよね、こうですよね、絶対こうですよね、嫌、絶対こうだ!」  って言ってる だけのようで...  若くして 絶対他者の意見を容れない 頑固な人もいます  読書も筋トレもしなくていいから、恋愛でもしてください、誰も止めやしませんから。臆病だから恋愛を否定しているのではないでしょうか...  あまりにも猜疑心や偏見が強くて 臆病だと 女の子にもモテないのかも?  そして、そういった事実に対しての自分自身への言い訳から、「硬派だから本を読んで筋トレをしてるだけで良い、恋愛はしないんだ」ということを言っているような気もしてきました。。。  とにかく、哲学ではなく 心理学のカテであれば、精神状態も含めて冷静に診てくれるはずです。

ribelte
質問者

お礼

良い所を突いてくれました!! 礼を言います。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.5

偏った見方をすることと、経験をいかしたものの見方をすることは似ていると思います。私は発達障害という持病を持っていますので、経験をいかしたものの見方をすることが苦手でしてその結果偏った見方をするのも好きではないということなのです。 だけどだけど、それって偏ってるんですね。いい加減、経験から学んでくれよって周りは思っているわけです。つまりオールオアナッシングに偏っているわけです。だってだって未来は未来でしょって具合です。 存在は結局、勝手に直感で人間が言葉を使って決めつけているということです。やけくそなんですね。気分次第なんです。そんなバカななんです。

  • umasimaji
  • ベストアンサー率30% (6/20)
回答No.4

言葉の意味からいうと、「偏見を持つ=思慮深い」「能天気=偏見がない」「硬派=頑固」にはかなり無理があります。 「偏見」とは「間違った意見」に近い意味で、「偏見を持つ」とは「正しくものが見えていない」ということです。「脳天気」とは「馬鹿」に近い意味です。この二つは本来悪い意味で使うものです。「硬派」とは元々は「男性的」という意味です。 偏見を持った人が思慮深いとは限りませんし、脳天気な人が偏見を持ってることもあります。頑固な人が硬派かといえば、そうでもないです。

回答No.2

 こんにちは。  ★ 「偏見を持たない」と「能天気」の違い、  ☆ 《偏見を持たない》は 世の中に偏見のあることを知っていますし あまりよくは思っていない。《能天気》は おそらくうっすらと世の中に偏見のあることを知っていますし しかもこれを意に介さない。 前者は 自分も偏見を持ったことがあると知っているし いつ何時ふたたび偏見を持つか分からないというおそれをも知っています。後者は おそらく偏見を持ったことがない。つまり みづからの予見や予断を持ったことがなく――つまりは おおむね人びとに共通の識見と認め得るものを 自分も持とうとするだけであり―― 偏見は別世界のしわざだと思っている。  また後者の《能天気》は 《偏見を持つ》および《偏見を持たない》 この両者に対して――それは 自分とは別世界だと認識しているのだから―― 偏見か偏見でないかにはこだわらないで わたしの世界に来て欲しいと思っているでしょう。また「硬派」と「頑固」の違いについて。  ★ 「すぐ偏見を持つ」は、良い見方をすれば裏面では思慮深く、二度と同じ失敗をしない、と言う意味でも使われるのではないでしょうか?  ☆ 初耳でした。  ★ 純真で偏見を持たないが為に「能天気」とか「単純」とか謗られるのが嫌なら、猜疑心を持ち続けてとことん人を疑う他方法ありませんよね。  ☆ これは ですから すべて同じ世界にいると捉える場合には そういう解釈がみちびかれるかも知れませんね。  ★ 能天気とは、深く考えられないような人の事を言う、ではないでしょうか。  ☆ 能天気であることと 考えが深い浅いとは 別の問題だと考えます。偏見の有無の世界にあっても 考えの深い浅いは やはりあるでしょう。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  「男らしくて勤勉で性格良い男に限って、悪い女に利用されたり我儘な女に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」  「女らしくて勤勉で性格良い女に限って、悪い男に利用されたり我儘な男に振り回されたりするから、恋愛、結婚はしない方が良い。」  従って、  「善男善女は絶対に恋愛、結婚をするな!!」、  「孤立は正義である。」、  「恋愛、結婚をした時点で軟派だ。」、   「視野の狭さこそが、思慮深さであり、所詮は 視野が広い=能天気で単純 だ。」  と言う偏った考えが正しくなるケースもありますね。違いますか??  「100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無い。」のですから。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ あざむかれるなら われあり。まちがうなら われあり。という考え方もあります。  間違えたくない・間違えてみなに迷惑をかけたくないというこころの真実は だれも欺くことは出来ません。そういうふうにひとは生まれて来ているものです。(安易な例証としては 仏性があるという言い方をすることを出します)。  わたしはだまされようとは思わないと言っているひとに向かって いやおまえはおそらくだまされていると唱え続けても そしてたとえその指摘が当たっていて また騙されたとしたとしても かれが《欺かれたくない。わたしは欺かれることを欲していない》というこころの真実は もはや否定もされ得なければ 欺かれ得もしない。  能天気の世界は この海の底にこころを置いているのです。  その上に 思考のおこないがあります。海面では 日があたったり嵐が吹いたりと心理の動きがひっきりなしですが この表面の動きによって 予断も予見も決め切ったかたちでは持たないわけですから――なぜなら こころは 静かな海じたいですから―― 自分の間違いをそしる者には そうさせておけばよいでしょう。欺かれたとしても わたしは海だと言ってしまえばよく そのようなうわっつらの恥ぢに沈み込むこともないでしょう。  ★ また、硬派と頑固の違いはありますか??  ☆ ありません。硬派と軟派のそれもありません。ばかと利口の違いもありません。

noname#108517
noname#108517
回答No.1

受取る¥側の考え方次第だと思います。 質問中のたとえは現実にそぐわないと思います。

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    教員だって、不良とか女は殴らず、無抵抗な男子生徒や、真面目で大人し目の生徒を殴ると言う教員がいたという話を聞いた事がある。 真面目で優しいのとか働き者なのは、八つ当たりや責任転嫁の的にされるだけではないかと。 そして最後に飽きられて捨てられるだけ、とな。 なので、男は不良かヤクザにでもなった方が良いのではないかと思いますがね。 酒やギャンブルに溺れて暴れる男は、悪ではなく、寧ろ正義の使者ではないでしょうか?だから得だろう。 何故なら、 「夫が真面目にしっかりと働けば、今度は妻が我儘になるに決まっている」ではないか。 夫が働き者だから妻が我儘、 妻が働き者だから夫が勝手。 善男善女は、所詮悲しみの餌食ではないか。 誰かから利用されて「単純」とか「馬鹿な奴」とか謗られるだけではないか。 因みに、自分は幸い善い人としか出会っていないので、自分が被害を受けた訳では決してありません。 聞いた話上と、後は私の憶測(被害妄想)です。 しかし、私の辞書には、 悲観=達観 卑屈=悟り 被害妄想=推測、憶測 虚勢=予言 と書いてありますので、 悲観や卑屈なんてものも、本当はそんなもの、全く存在しないのではないかと思います。 それに、不良やヤクザ、盗賊の何%かは、 「元々は素直で真面目な良い子だったのに、誰かから裏切られたり利用されたりして、それからいじけて人を信じなくなった。」 ような人ではないでしょうか。 ではここでまた質問ですが、 ヤクザや盗賊は、何割が1で、何割が2に当たるのでしょうか?? 実状、1が多いとは御聞きしますが。 1.元々気性が荒く、そんな生活を最初から送っていたいと考えるような人。 2.元々は素直で誠実な善き人間だったのに、偶然友人や恋人に裏切られた、騙された、それから人を信じなくなった。 また、自分は素直で純粋な良い子だったのに、気紛れな親から捨てられていじけた。 もういっそ、ヤクザの事務所を開いて暴れ回ろうかと。 下の者(チンピラ)に勝手に暴れさせておけば良いのではないか。 俺は裏でじっとしておくから。 それから、 視野が広い=単純、思慮が浅い 思慮深い=視野が狭く猜疑心が強く、気苦労が絶えず、精神的に病んでいる だろ。 http://www.kirafura.com/cgi-bin/dqsyo091027s2105/petit.cgi では、俺の言っている事が可笑しいなら、こっちへ俺を叩きに来てくれないか。名指ししてスレッド立ててくれて構わないから。 「ビジネス金さん」と言うHNだ。 そのHNで昔、正論かの事を僻んでけなしてしまった事があったからな。だから俺の事を叩きに来てくれよ。蛸殴りにしてくれて構わない。

  • 脳天気で浮気な母 娘からの制裁。

    こんにちは。 私の母は47歳で、ガサツで神経が太く脳天気な女性です。本人曰く「天真爛漫」らしいのですが、。、私には単に、他人の異性間にやたら首をつっこみたがり、世話焼きで、神経が太く、常識がなく、自分の快楽や生活の安易さに貪欲な女性としか移りません。母の若作りも神経の太さも女くささも吐き気がします。 そんなわけで、母に関しては昔から食傷ぎみなのですが、一年ほど前に父がうつ病になった時に母への嫌悪が余計強くなりました。うつ病は初めてみる父の弱った姿でした。父がうつ病になった時の母の態度はうんざりするものでした。母は家庭の状況に、父に、「負」の要素が持ち込まれると徹底的に拒否しました。父がへこんだオーラの時は病原菌のように避け、今の安易な生活を失うことへの不快感というか、弱さに対する嫌悪というか、なんともいえない感情をあらわにしていました。 母の性格を把握している私は「ああ、やっぱりこういう女なんだな。」と思ったのですが、父には相当の痛手だったと思います。父は働く事一筋な人で、こういう状況への対処法を知らないから。 このようにして母への嫌悪は強くなったわけなのですが、私は娘として親のことは放っておこう。憎しみを持っても無駄だ。と思っていたのですが、最近我慢できないことがありました。 母が明らかによその男と思われる相手と、夜や、父のいない時にいかにも甘ったるい声で電話をしているわけです。留守電や母の話す様子からすると、それは父の昔からの友人で、私も知っている人です。少し事情がありまして、その人は仕事の問題で父に大変なコンプレックスを持っており、昔からわけのわからない時間に酒に酔って父に電話してきたり、用もないのに家にきたりして、やたらと家のことに踏み込んでくる人です。またその人は家に来た時、私に「昔の自分が惚れていた人にソックリだ。自分と交際してくれるなら家庭を捨ててもいい」と話してきたりと、若い女に目がないタイプです。私はもちろん、うけ流したのですが、それからしばらく音沙汰がありませんでした。 そして最近は母に電話をかけてきている訳ですが、聞き耳をたてている限りではすごく下らない世間話ですが、母は相当メロメロになっている様子。主婦であまり男性と話す機会がないからかもしれません。もうかなりの期間電話は続いています。でもその人の電話は明らかに父への嫌がらせです。家の電話に普通に留守電(母が消している様子。一度消されていないものを私が発見)を入れたりしてきていて、父に気付かせる、お前の奥さんと仲良くしてるぞ、という意図がミエミエなのです。それなのに脳天気な母は何を勘違いしているのか、年甲斐ものなくコソコソと甘ったるい声で電話し、浮気をしている気分になっているとでもいいますか、、。 もう怒りというか、母に対する軽蔑と飽きれた気持ちで一杯です。脳天気な妻を持って、今の状況を知らない父が哀れです。もうどうにでもなればいい。 この間母が消し忘れた例の男の留守電を聞きながら(内容は、また電話かけるよというようなこと)、脳天気な母に制裁を加えてやりたい。この脳天気は一度ガツンと痛い目にあわないと治らないのではないか。という気持ちがこみあげてきました。私がいくら言ってみたところで、母はもう女としてつけあがってるからどうにもならない。 留守電の相手(例の男)に私がかけなおして、色仕掛けでまるめこめば、絶対相手は乗ってくる。それから調子に乗った母にガツンと一言この男から言わせるように仕向けてみたらどうだろう。ナイスアイデア!もともと相手にされてないと分かったらかなりショックなんじゃないか?という妄想が広がってきました。 自分でもかなりおかしいこと考えてるな、と思うのですが、もう母の脳天気な甘ったるい電話の声を聞くのがいやです。夜だと普通に聞こえてきます。父にはいいたくありません。正直、もうあんな妻と別れてほしい。でも父にとっては大事な妻ですから、余計腹が立ちます。父はあの脳天気な母と馬鹿な男に、ないがしろにされたりする覚えがない人です。 娘として母に制裁を加えたいのですが。私の考えは歪んでますか?

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね?? 過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??

  • 37歳で初婚の男性…偏見でしょうか?

    最初に、37歳以上で独身の男女がいたらお詫びします。 実は友人が37歳の男性と結婚することになり両親から反対されているそうなんです。 相手の方は医師で仕事が忙しいらしいですが『37歳まで独身だなんて、性格とかに問題がありそう。その年まで独身って…』と心配しているそうです。 私も偏見でありませんが、『本当にいい男ならそんな年まで独身ではない』と思ってしまいます。 私の周りにいる男性(医師)も、どんなに忙しくても35歳までには結婚してます。 単純に出会いがなかったのか、長年の彼女と別れたのか分かりませんが、その年まで独身だとみなさんならどう思いますか? また親世代ならどう思うでしょうか?