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善男善女は、矢張り恋愛、結婚はしない方が良いのでしょうか??

また、私の友人C氏より思慮深い(注意深い)人はこの世にいるのでしょうか??pp 「人嫌い(非社交的)」と「思慮深い」の違いは何ですか?? 彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱、強迫神経症なだけなのでしょうか?? それとも、悟りを得たのでしょうか?? 世の全てを悟ったのでしょうか?? 善男は、薄情な女としか遭遇出来ず、 善女は、薄情な男としか遭遇出来ない、 と世の中は元々こう言う仕組みになっているのでしょうか?? 彼は、神さえも超えたのでしょうか?? 後云々についても御聞き下さい。TT 私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。 基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。 ですが、ノイローゼになりつつあるのか、 「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。 善が100%勝つ世界は、この宇宙に存在しないと解りながらも。 しかし、本人はその事については「俺の知った事ではない。」等と言っています。 何故なら、「この時代、軟派で明るいだけが取り柄の、熱くなる男が所詮は馬鹿を見るのだろう。」、 「クール~ニヒルで、生真面目で人をあまり信じないぐらいの男が得ではないか??」 との事だからです。 ・好きな女を守ろうとする男、モテたくて女性に優しくしようとする男性は、所詮は「都合の良い男」になるだけ、また何らかの拍子で「単純馬鹿」とか「情けないor頼りない」等と謗られるだけであって、 大してモテる訳でもないだろう。だから馬鹿馬鹿しい。熱くならない方が良いだろ。 ・また、逆に冷たい男は「悪い男」、「酷い男」として非難される。 ・この世は全てが「虚無」である。 「いい男」も「格好良い男」も存在しない。 何度言ったら解るのか??!! 何だかんだ言って、死なない限り、「安住の地」には行けない。 生きている限り「成功」や「満足」なんてものは得られない。 生きている人間に、所詮ユートピアは無い!! 努力しない男=駄目駄目男 努力する男=駄目男(最後には飽きられて捨てられるかも知れないから。) 死んだ男=イイ男 では?? 本当に格好良い男なんて、所詮は 「死んだ男」か「石像になった男」か「生涯孤立して恋愛、結婚をしない男」ぐらいしかいないのでは?恋愛した時点で軟派だろう? ・生きる事そのものが無意味で酔生夢死であって、矢張り 死 こそが全てである。死ぬ以外に解決策が無い。 仏教の教えでも「人は死ぬ為に生まれて来た自己矛盾の下にある。」とも言われている。 ・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。 *なので、上辺だけ、礼儀正しくて優しい人間を装った、疑り深い、恋愛とか形の無いものは信用出来ない、だから人のいない所で文武に励む、硬派で不言実行的で人とは関わらない男が良いのではないか。馬鹿を見ないのだから。 やがてそれを解ってくれる人も現れたならその人と一緒になれば良い。「果報は寝て待て。」である。 孤独なら孤独で、精神の自由を楽しめる。読書や創作活動にも専念出来る。これぞ両刀論法。 ・100%利用されないようにするなら、100%人を信じない以外に無い。 ・俺のように考える人間の事を、「負け犬」だの言う奴が、ヤフーとか2ちゃんねるには時々いるようだが、そんな事言う奴自体が、 負け犬か、ガキである。つまらん誹謗中傷だな。 ・思慮深い人間の事を、僻んで「根暗」とか「陰険」とか、根拠も無く謗っていないか? ガキじゃないのなら、もうヤメにしようぜ。 ・女に手を出す男は最悪と言うが、しかし、 女を大事にしたせいで、つけあがってそれを逆手に取り、調子に乗って男をぶったり利用したりと言うような、ズルい女が、稀にでも現れるようなら、それは馬鹿馬鹿しいな。 嗚呼。もう石になりたい…………。 果たして彼の言っている事は正しいでしょうか? 彼は、全てを悟っていますか? 彼みたいなのを「悟りの境地」と呼ぶのですかね? 注意事項: このように書くと、すぐに「過去に辛い経験を御持ちですか??」、「何かあったのですか??」、「誰かに振られたんですか??」 とか仰る人おられますが、 違います。 もう 思想の終焉 でも来そうでしょうかね? 彼は恋愛経験も無く、ただ、漫画や物語、ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている、そして自分の憶測が正しいと確信しているまでの事です。 でも彼は、正義漢、責任感、自意識が過剰なぐらいで、いつもは真面目で優しくよくやってくれる人なので、周囲からは寧ろ慕われています。 彼の心の中は解らないので、彼を悪く言う人は少ないです。 では御願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Oruko000
  • ベストアンサー率31% (336/1081)
回答No.2

どれから回答すれば良いのか、突っ込みどころが多すぎます。 私が彼のお姉ちゃんなら、とことんその話に付き合ってあげたいところです。 とても怖がりで、臆病で、傷付くことに敏感で、自分の考えに固められて潰れてしまいそうに思いました。 自分に言い聞かせてるんでしょうね。 信じて傷付くのが怖いから。 この世に安息の地はないと諦めて、「今を生きる」ことから逃げたいのでしょうね。 これらを黙って聞いている質問者さんの存在に気が付けば「思慮深い」、それらを語らなくなったら「人間嫌い」と考えるのはいかがですか。 今は「自分はここにいる」と叫んでいる若者って思いました。 残念ながら悟りの境地ではないと感じます。

ribelte
質問者

お礼

皆さん御疲れ様でした。納得ですね。

その他の回答 (2)

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1847/10423)
回答No.3

C氏の台詞が六田登さん、大場つぐみさんといった漫画家、往年のフォークソングがそのまま使われていると感じてしまうのは私だけでしょうか。 例えば >・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。 コレを聞いてあの歌手かあのドラマが頭に浮かばない60年~70年生まれの男性の方が少ないのではないでしょうか。 ご質問者さんは若くて深い台詞に聞こえるかもしれませんが、どれも細切れにして単語単位で検索をかければ全部出典となった有名な作品が見つかりますよ。 私くらい浅識な者にも分かりましたから。 (C氏本人がそれを意識しているかどうかは決め付けません、人は結構多く記憶していた思考をまるで自分が思いついたかのように錯覚する生き物ですから。) そういう、断片的で一貫性のない論だけを収集するのはお好きなようなのは分かりますが、それらを一つ一つ乱雑に並べるとご質問者さんが読み直せばC氏の論が矛盾だらけであり、説得力に甚だしく欠けることが分かります。 つまり、漫画や歌の一部の借り物の思考では悟りにも正確な結論にも辿り着けません。 恋愛経験もなく、借り物の知識をひけらかして「俗世の連中とは違う」自分に酔っているだけなのがC氏だと感じました。 あ、それと周囲の人間に表立って悪く言われている人間となれば、これは相当悪く無いとありえません。 周囲の人間は大抵、無関心と軽蔑を隠すために「慕う仮面」を付けています。 多くの場合、気づいていないのは本人(この場合C氏)だけというのが現実の社会ってものです。

noname#120325
noname#120325
回答No.1

あー、はいはい。最近よくいるよねー、そーゆー人。困ったねー。その彼さんのキライな2ちゃんねるとかいくと、同じよーな人たちたくさんいるねー。その彼さん、自分は独自の考えを打ち立ててるかのよーに錯覚してるかも知れないけどー、すごーくステレオタイプな考え方だよねー。もーまたそれ?みたいなー。それこそ「ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている」気分になるねー。 >彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱、強迫神経症なだけなのでしょうか?? >それとも、悟りを得たのでしょうか?? >世の全てを悟ったのでしょうか?? んなもん、悟りのわけないじゃんさー。だって、恋愛経験ないんでしょー。悟りってゆーのは、「机上の空論」で得られるもんじゃないでしょー。例えば、その彼さんが、ありとあらゆる恋愛経験をしてきて、その果てに「恋愛とはこういうものだ」というなら、それは悟った、かも知れないよー。でも、なーんにも経験がないのに、悟ったもなにもないでしょー。 なんで最近、そーゆー「自分じゃ何一つ経験したことないことをさもわかったふうに語る人」が増えたんだろーねー。経験するのが、そんなに怖いのかねー。自分じゃ実際に経験する勇気もない臆病者がなにえらそーに語るんだか。世の中は、頭じゃなくて「体」で理解することのほーが多いのになー。 まー、最近はそーゆー人が多いからねー。てきとーに「あーそー、そーかもねー、はいはい」といなしておけばいーんでないかなー。別に、その彼さんがそー思い込んでたからといって、実害はないだろーしねー。表向き「おーすごいねー、悟ってるねー」といっといて、腹の中で「恋一つしたことないガキがなにナマいってんだか」と笑ってるなー、私ならねー。

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  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??   

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  • 結婚とか恋愛って男が不利すぎると思いませんか???

    <動物の世界では> 動物の世界ではオスがメスと交尾するためにオス同士で殺し合い。ナワバリを奪い合い、勝ち抜いたモノがメスに求愛(巣を提供したり、力を誇示したり、餌を運んだり)して交尾して子孫を残します(より優秀なオスの遺伝子が残り種族が強くなる) ライオンなんかがいい例で、ナワバリを王者はハーレム状態で負けたオスは子孫も残せずに荒野で孤独に死んでいく・・・ <人間の世界では> 人間の世界でも一緒じゃないですか? 女は「女」ってだけで無職でも無能で結婚や風俗で生きていけるけし、恋愛だって「女」ってだけで男より1ランクポイントが高い でも、「男」は弱肉強食社会で、「力(経済、学、職、知)」などが無いと恋愛どころか、生き残ることすら許されません、相手にもされません 事実、ホームレスも年間5万人の自殺者も9割が男性というのは事実です。男性社会は一度でもレールから外れると死ぬしかないのです 恋愛にしてもそうで、男性でバリバリ恋愛ができるのはイケメンだったりエリートの極極一部の男性だけです。女性は女ってだけで男性から好感がもたれますが、男性は飛び出した能力が無いと相手にもされません。ゆえに、飛び出している男性のみが女性をたらい回しに抱く権利があるのです。(会社でも学校でも合コンでも)負け犬には食い残し(売れ残り)しか残っておらず、負け犬でもプライドはあるので食い残(売れ残り)しなんて相手にするぐらいなら孤独を選ぶ男性も増えました(草食系と呼ばれるようになった男性達) しかも、同じ負け犬同士の恋愛(売れ残り女と相手にされない男)でも女という生物は付け上がります。自分は女だから~と主張が耐えないし、売れ残りという自覚が全くありません。相手にされないモノ同士、謙虚にしあうことすらできないのです。 男女の恋愛ってどうしてこんなに理不尽な差があるのでしょうか 皆さん、どう思います? ※ いわゆる勝ち組は回答しないように

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。ss 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%近く人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??

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    恋愛依存症の女は馬鹿なんですか? バイト先の一番仲が良い友人A子ちゃんに嫌気がさします。 A子ちゃんは、恋愛依存症かつ男を見るセンスもありません。 A子ちゃんが現在付き合っている彼氏は、容姿も悪ければ、優しさも教養もなく、さらに嘘付きという何の取り柄もない男です。 そんな男にA子ちゃんは夢中になり、金を貢ぎ、足を開き、せっせと尽くします。そして病気を移されては泣き、ぞんざいに扱われては泣き、の繰り返し。 私がいくら別れろと説得しても聞く耳を持ちません。 依然もナンパ師の男に惚れ込み金を貢いでいました。 なんでこうも男のために必死になるのか不思議で仕方ありません。 また大学の友人にも恋愛依存症の女がいますが、その子も男見るのセンスがありません。 恋愛依存症になってしまう女って良い男を見分けられない馬鹿なんですか? 周りの人がその女のために一生懸命説得したり別れさせようとしても無駄なことなんでしょうか?

  • 根拠も無く、人の事を「意気地無し。」とか言う人自体が一番意気地無しだと思いますね。エトセトラ。

    そう言う意気地無し君が増えて困りますなあ。そう思いませんか? また、根拠無く、人の事をガキとか幼稚とか御子様とか軽々言う人もまた、そんな人自身がまだまだ御子ちゃまだと思いますね。 すぐに「明るい」とか「暗い」とか口に出して言う事についても、「明るいとか暗いとか、ガキじゃないんだからさ。」って言うセリフが耳に入りました。私が普段見ないドラマの台詞でしたね。 名言でしょうか。 人間は皆、心にも身体にも光と影を持ちます。 物事を深く突きつめて考えを凝らしている時には偶々暗そうに見えるだけであって、好きな事をしたり話題が盛り上がったり、物事を広く見ようとしたならば、明るく見えたりもするものですね。 熱くなれば、馬鹿っぽく見えたりもするからガキ臭く見えたりもしますね。冷めたら感情的にはならない分、思慮深そうに見えたりもします。 一見した外観で全てを決められませんね。 色々あるからして同じ感情で毎日を過ごせませんし。

  • " 勤勉で勇敢で思慮深い人 "は、もしや" ヘタレ "とイコールになり

    " 勤勉で勇敢で思慮深い人 "は、もしや" ヘタレ "とイコールになりますかね? 下心を一つも持っていない人間など、何処にいましょうか? 勤勉で勇敢で思慮深い人は、「本当は、周囲から『情けない。』とか『だらしない。』とか『ヘタレ』とか謗られるのが嫌だから、無理矢理に努力している。なので、ヘタレであり、精神的にも弱い。」 怠け者や軽薄やヘタレな人は、「周囲から『ヘタレ』とか『能天気』等と謗られる事を厭わないのだから、逞しい。肝が太い。」 男らしい男の方が、本当は女々しいのでは?と思う事もあります。 「勇敢で男らしい男、女を大事にする男は、本当は周囲から『女々しい』とか『ヘタレ』とか『卑怯者』等と謗られたり叩かれているのを恐れているような奴だから、本当は女々しい。」 「女々しい男ほど、周囲から『女々しい。』と謗られる事を厭わずに平気でダラダラ過ごしているのだから、本当は勇敢で男らしい。」 ではないかと。 ヘタレ=ヘタレ 勤勉・勇敢・思慮深い=ヘタレ 女々しい=女々しい 男らしい=女々しい ではないですかね?? 泥棒に言わせれば、 " 警察=ヤクザ " みたいになりますしね。 生きる事のゴールは、死以外に所詮無いのに、何故自殺をしてはいけないのか? 自殺する人を情けないとか弱いとは言うが、自殺出来る勇気があるなら、やっぱり勇敢なのでは? 「逞しい人間は存在しない」事は愚か、「男らしい人」自体がこの世には存在しないのでは? と思いますね。 生きている者は皆、女々しいのが基本ではないかと思うのですが。 生き物は元々雌でしょうし。雌から生まれますしね。 「知恵の無い者ほど、世渡り上手で、知恵ある者を利用するのだけは得意。」 「知恵ある者ほど、利用されるのだから愚かで都合が良い。」 では?? 一人がセクハラだと言い出せば、何でもかんでもセクハラ、誰かがパワハラと言い出せば、何でもかんでもパワハラと言う者が出て来るようです。 一人、二人がヘタレと言い出せば、何でもかんでもヘタレと言う者が出て来ます。 一人が女々しいと言い出せば、何でもかんでも女々しいという者が出て来ます。 やる事成す事全てが、女々しいって事になりませんかと。 なのでいつまでも、ヘタレだの逞しいだの、女々しいだの男らしいだの、明るいだの暗いだの、ガキみたいに言うのは止しましょうという話ですね。 「1から100までしっかりした人間」も、「1から100までだらしない人間」もいる筈がないでしょうに。 如何でしょうか?? 全身全霊振るっての回答を御待ちしております。