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思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??   

みんなの回答

noname#99435
noname#99435
回答No.2

質問文を見る限りでは 空間の歪んだ者同士という感じですな。 貴女と彼 正確にはどっちが歪んでいるのかは分かりません。 質量に空間が歪められているのか 歪んだ空間に投影されているだけなのか 貴女の文章からは 貴女の空間は歪んで見えます。

  • Us-Timoo
  • ベストアンサー率25% (914/3620)
回答No.1

あの、「深く考える」ということや「慎重」なのと 「猜疑心」はまったく意味合いが違いますけど? 前者は、基本的にいい意味の言葉であり妬みはありません。 後者は、相手の行為などをうたがったりねたんだりする気持ちを言います。 ま、ご質問者のような人には、いくらポジティブでいることの メリットを周りの人間が説明しても、”猜疑心”のせいで 『みんなが俺をだまそうとしているんだ、信じるもんか』 とでも言って、お聞きにならないことでしょうから 書きませんけど。(-ω-) でも、損な人ですね、かわいそうに。

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