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「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。」は違いますか?

「真面目な人や思慮深い人は、色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい。ストレスに弱い。」と言う論理展開を前提に、 「真面目な人や頭が良い人は、あれこれと考えて倦む癖があるから精神的に弱い。」ものなのでしょうか? 頭ばかりでくねくねと考える人間は、良く「ストレスが溜まりやすい。」、「精神的に弱い。」と一般的には考えられますか? 良く「もう少し能天気になった方が良いぞ。」と言われるのは、 逆に「能天気な奴だなあ。だからストレス溜まらないんだろ。」とか「アホちゃうん。」とか言われる事が決まっているからもう良い、と考える人間も普通にいます。 完璧主義で読書好きで硬派で思慮深くて、その反面ストレスに弱い私のなのですが、「程々にするのは難しくて疲れるから。」「朗らかになり過ぎて決まった事を言われるのは、当の昔にもう飽きているから。」と、このように申しております。 ですが、必ずしも二律背反にはなりませんよね? 「ストレスにも強くて頭も良い人」、「ストレスにも強くて精神的にも強い人」は勿論いますね。 ですので「いつもあっけらかんとしているから、嫌な事があっても記憶力や拘るだけの脳が不足しているから精神的に強い。ストレスに強い。」だとか、 「物事を一人、頭の中で深く追求する癖があるから、頭の良い人は精神的に弱い。ストレスが溜まりやすい。」 と一概には言えませんよね? もしそうでなければ、 「アホは嫌い。賢い人が良いなあ。」とか言っておきながら、その傍らで「ストレス溜めるな。もっと精神的に強くなれよ。」等と垂れているような人の話は、聞きたくありませんので。

  • stsc
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noname#42771
noname#42771
回答No.9

>勤勉、思慮深い、頭が良い人が精神的に弱いか?  人間の脳は機能的には大差はありません。それ以前に、その脳細胞の10%しか使用されてないという話もあるくらいですから、脳の能力の個人差など問題ではありません。  つまりこの場合、勤勉、思慮深いなどの、性格的特徴について、それが心の弱さを伴うのか、を論じなければなりません。元々「頭の良い人」など居ないと思われます。思いの強さ、努力などにより、インスピレーションや、論考能力のセンスを身に付けるのです。「頭の良い人」を決め付けると、傷付く人が存在することに配慮して、言葉を選ばれた方がよろしいかと思われます。  勤勉、思慮深いという性格的特徴が、心の弱さを伴うのか?。  これは、逆に辿ってゆけば良いのです。心が弱い(この場合その定義を、ナイーブ、傷付きやすい、という事にさせて頂き、堕落し易いという意味ではないとさせて頂きます。ストレスもナイーブさが原因と思われます。)と、どうなりますでしょうか?。傷付かないような、努力をするのです。傷付かない努力は、勤勉、思慮深いという性格的特徴という、実りをもたらすのです。また、ナイーブで傷付きやすいなら、人の気持ちも分かると言えるでしょう。  勤勉、思慮深いという性格的特徴は、心が弱いことからのみ派生する訳ではないと思われます。「人の役に立ちたい」、「人を助けたい」という強い思いも、勤勉、思慮深さを生む原因になり得ます。「どうしたら泥棒で捕まらないか」という事に執着する場合でも、勤勉、思慮深くなり得ますね(真面目ではないが)。そう考えると、勤勉、思慮深くなり得る原因など、無数に在るでしょう。  その中には、精神的弱さと無関係の原因が多くあります。ですから、勤勉、思慮深いからといって、精神的に弱いとは限りません。  傷付きやすい人は、その防衛策として、勤勉、思慮深くなる方法を選択する傾向がある、とは言えましょう。ただ、これも傾向であって、引きこもりを選択する人もいれば、立ち回りの上手さを選択する人も居ましょう。  また、傷付きたくないので、強くなろうとして、格闘技を始めたりする人も居ましょう。  勤勉、思慮深い原因などいくらでもあります。その全てが精神的に弱い筈がありません。  あなたの精神的弱さは、ナイーブさの事であると思われますが、それは私の感覚では、弱さではありません。それは、様々な強くなる原因となる、素晴らしい心の可能性です。優しくて、強くて、思慮深い、素晴らしい人になれる可能性であるのです。  本当の弱さとは、堕落することです。全ての可能性の実現を、邪魔するものです。  そういったことを認識し、自分に自信を持って生きるのです。

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noname#84124
noname#84124
回答No.10

大差ないはずの人間に実際、大差がつくのは何故か。 思考能力の深みを身につけるといっても個人によって限界があるのも事実、その事実は何によって分けられるのか。 「努力も才能のうち」という言い方があるが執念深いほどに「努力」すればするほど聡明さから程遠くなっている実例など山ほどある。それは何故か。 どういう方向性での努力が、どういう結果に結び付くかを見分けられること、また、どういう結果に結び付くことを「敢えて」望むのか、それを決めるのは何によるのか。 そういったことをひっくるめて敢えて能力と言わせてもらう。 傷つくことを怖れて止まない人は、その「傷」について思索する事自体できないだろう。 だから「傷」を受ける前に鎧で身を固めてしまう。 そして「のれんに腕押し、糠に釘」とうそぶく。 思索能力を深めるどころのさわぎでない。そこで終わってる。

noname#84124
noname#84124
回答No.8

ストレスを「溜め込む」ということとストレスに「弱い」ということはイコールではない。 弱かったら「溜め込む」こと自体できない。 ストレスに強い、というのは溜め込んだストレスに負けない、ということ。 もちろん「溜め込める」=持ちこたえられる量には個人差が大きい。 だから、ホンのちょっとでも溜まったら即、負けてしまうような人は、あまり物事を正面から真剣に受け止めないで済ますというのは、弱い人なりの回避策だろう。 それとは別に物事をどれだけ掘り下げて思考できるかということ自体は能力(脳力)の問題。 但し、いわゆる「机上の空論」的なことに延々耽る人が実社会に出て一発でやられてしまうとしたら、それは、ぬくぬく守られてる状態のなかで思考のお遊びをしていたに過ぎず、自分のちっぽけな思考と現実の重さとのギャップにやられてしまったということ。単なる世間知らず。 たとえば「死」が怖い怖いと思う人が思慮深いかどうかは、「なぜ自分は死を怖れるのか、死とは何か」というところまで掘り下げられるかどうかで決まるということ。怖がるだけなら誰でもできる。 怖がることにすら耐えられないなら、そもそも考えることもない。

noname#47855
noname#47855
回答No.7

>「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。」は違いますか? 違わないと思います。 >ですが、必ずしも二律背反にはなりませんよね? なる、と思います。 「真面目な人や思慮深い人は、色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい。ストレスに弱い。」と言う論理展開を前提、とするなら、「ストレスにも強くて頭も良い人」、「ストレスにも強くて精神的にも強い人」がいる、というのは二律背反します。 なので、 「物事を一人、頭の中で深く追求する癖があるから、頭の良い人は精神的に弱い。ストレスが溜まりやすい。」 と「いえる」事になります。 よって質問者さんは、 「アホは嫌い。賢い人が良いなあ。」とか言っておきながら、その傍らで「ストレス溜めるな。もっと精神的に強くなれよ。」等という話は聞かなくていいことになります。 そしてなぜ私が、「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。」は違わないと考えるかの理由ですが、 私事で恐縮なのですが、私は死ぬのが恐いのです。その事を考えると頭がおかしくなりそうなのです。多分それは人並み以上のものです。 それは精神的に弱いと捉えてくださいますでしょうか? そして、自分のことを真面目な人、思慮深い人とはとてもいえないのですが、「色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい」性質だとはいえます。 そんな私でもその恐怖を忘れられる瞬間があります。 それは例えば、おいしいものを食べている瞬間や趣味に没頭している瞬間なのですが、その瞬間は「仮に」私が死について深く考えず忘れている状態なっているといえます。 よって色々な事をあれこれと深く考えて「なくて」ストレスが溜まり「にくい」人(というか状態)は精神的に弱くなる瞬間がない(=色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい人間は精神的に弱い)という事になります。 でもこれは「一般的」ではなく私に限ったことと言われてしまうかもしれませんね。 別の例を考えますと、 例えば動物とか虫とかは精神的に弱くなる瞬間がないですよね。 (イルカやチンパンジーにはあるかもしれないとか、そもそも精神があるのかというのはちょっと置いておいていただくと助かります) それは自分が不幸だと認識する瞬間がない、若しくは考えられないからとはいえないでしょうか(≒物事をあれこれ深く考えられない) それは精神的に刺激に対して鈍感だからとはいえないでしょうか? 刺激に鈍感=強いとはとれませんか? よって、 色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい人(ヤバイ、人じゃなかった)=勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程=精神的に弱い とはいえませんかね? 長々しくわかりにくい文で申し訳ありません。

noname#52347
noname#52347
回答No.6

ストレスというのは何か人間の中の原始的(動物的な)反応によるものがおおきいと捉えています。 例えば背広を着ると苦しいとか満員電車がつらいとか人前で快活に振舞ことが辛いと言うようなことは 人間が結構動物的な部分を残しているからだと思います。 私はストレスに非常に弱く 気候の変化とか何か嫌のことを感じたとかいうだけのことで、眠くてしょうがなくなり、15時間コンコンと眠り続けてしまったりしますが、自分ではこれは何か動物的な名残が「苦しい」と言っているということだと思っています。 皆何かしらそういった暗い(社会認知的には)ものを抱えているものだと思いますよ。 そして質問者さんのように色々と頭で考えて行動する人、反面実はストレスに弱いというような動物的な部分を抱えている人は、自然の多いところで暮らすというような、自分の動物的な部分を開放させて生きれる環境をつくれば、結構バランスがとれて非常に健康な人になれるかも知れません。私もバランスをとれた時はけっこう健康な人です。 またただ明るい人も、ストレスによる苦しさを小出しにしていなだけで、いつ爆発するか分からないから、あっけらかんとしていいねというのは単純すぎると思います。

noname#65789
noname#65789
回答No.5

>「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。」は違いますか? 違うと思います。 ただ、勉強(机上の論理)ばかりで、社会経験が乏しいと精神的に弱く(ストレスを溜めやすく)なるかもしれませんね。 人間、より大きい苦難を経験すると、より小さなことではあまりストレスを感じなくなるものだと思います。 >「いつもあっけらかんとしているから、嫌な事があっても記憶力や拘るだけの脳が不足しているから精神的に強い。ストレスに強い。」 そのように言った方はかなり高慢で他人を見下す方なんでしょうね。 色々な経験をして精神的に強いから、嫌なことがあってもあっけらかんとしていられる。と見た方が(色々な意味で)良いと思いますよ。 他人を見下す人ほどストレスは溜りますからね。

stsc
質問者

お礼

そうですね。はい皆様、大変御恩に着ます。 実は私は、自己防衛しやすいタイプであって、ただ思慮深く見られるまでで結構失敗します。ギャップも激しく、気分次第で謙遜したり高慢になったりと掴み所は自分でも良く解らない程です。 ですので頭も心も芳しくはありません。 ただ、テレビよりは本や音楽の方が好きなので、テレビに出ている人達は誰一人好きになれず、それでバラエティーでも番組は普段はあまり鑑賞しないのです。 軟派に振舞って後味悪くするのも何ですし、サバサバしていた頃は大体は馬鹿にされて言われる事も決まっていました。 殆ど自己防衛の傾向が強いです。虚勢を張る癖もいつの間にか付いてしまい、取り越し苦労の連続です。 自分を良い子だと思い過ぎないようにして行かなくてはならないと思っています。 私は本当に、世間知らずの御馬鹿さんですね。(微苦笑) ではどうも。

noname#43375
noname#43375
回答No.4

>完璧主義で読書好きで硬派で思慮深くて >その反面ストレスに弱い私のなのですが ご自分をこのように感じていらっしゃる訳ですよね? これに付け加えて「頭が良い」とも思われているようですが 何を基準に「頭が良い」「精神的に強い」とされているのかが 私にはわかりません。 一般的には「学校の成績が良い」「一流と言われる学校を出た」 IQの数値が高い、偏差値が云々・・・で頭の良し悪しを言われますが それだけで、その人の頭の良さ(脳の機能の働き)が良いとは言えません。 また、経済社会においては、経済力の高さで判断される場合もありますが それには、皆の条件が違いすぎます。 あなたは「体力の強さ」をどう感じますか? そして「精神力の弱さ」の基準は何ですか? ご自分で「精神が弱い」と感じているのであれば そして、それを欠点だとか、弱みと考えているのであれば それを「克服」するのは、ご自分でやることだと思います。 私の人間の能力の「強さ」の基準は、その人「それぞれにある」と考えます。 その人の能力を「能力いっぱい」に使っていれば「疲れ」ます。 「疲れ」が出れば、色々と「問題」が生じます。 それをある一面では「弱さ」と言えるのかも知れませんね。 体力にしても、精神力にしても、自分で鍛えて強くしたり伸ばしたりも可能であります。 どうぞご自分の「弱さ」があると思うのであれば 日々鍛えるなどして克服する努力をなさって下さい。 「頭が良い=精神的に弱い」という図式ばかりではない・・・と 他の人からの同意や共感があろうと無かろうと あなたの能力はそのままが「事実」な訳でありますからね。

noname#80116
noname#80116
回答No.3

世の中は 勤勉の上にガリ勉がいて これが 引っ張っているところがあります。また その傾向によって 劇場であるかのごとく あちこちにいろんな見せ物を興行しているかのように 進んでいます。 個人が つねに向上を目指し 道理にもとづき 妥当な考えを出しても 一幕づつ演出は決まっていて 途中からでは なかなか 耳を傾けてはくれません。アイディアが摂り容れられる場合もあるわけですが 幕あいなどないほど 芝居を引っ張って行く力も大きく その進行具合いでは 個人の精神もその思慮も 取り残されて行き勝ちです。Show must go on. というわけです。 考えるに ストレスと言っても いくつか種類があります。どんな分野であれ 大舞台に立つというそのこと自体の緊張もあるでしょうし あるいは そうではなく この現在の社会の仕組みから来る大きく不条理のようなものをめぐる不安もあるでしょう。(こちらの場合は 不安というよりは 人間社会をめぐるなぞのようなものかも知れません。そうだとすると 特別に緊張する必要はないとも考えられます)。 さらにいろんなストレスがあるでしょうが 一つに それぞれの場面によってかもし出される緊張としてのそれは 人それぞれ 工夫して のり越えていく(もしくは のり越える必要もない)ものと思います。もう一つに 社会や人間にかんして容易には分からないこと――つまりまさにこの哲学欄の問題ですね――については まづは謎として その解明を楽しみにしていけばよいのではないでしょうか。 具体的なことがらについて述べるのは 苦手ですし 具体的な情況が決まったというかたちでないと むつかしいですから 以上のような漠然としたお話になりましたが。 

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.2

私は哲学の分野には完璧な素人なので、この議論に参加できるほど知識もないかもしれませんが。見た目と内面をどのように判断されているのかわからないですが、一概に言えないのは明白だと思います。 ここに出されている人に対する表現は、レッテルであってその人の性質といえるまでのものではないですよね。 私は硬派だとか、まじめだとかの自己申告も怪しいですが、他人から「あなたって、xxxだよね~」というのはもっといい加減だと思いません? 論点を逸してたらすみません。

回答No.1

まず ストレスは精神的緊張から来るもので、別に頭の良い悪いは、関係ありません。 ストレスはスポーツに非常に関係が深く、特にオリンピック選手などは 大きいストレスを受けます。(日本の代表!勝たなくてはいけない) 要は責任感が強い人ほどストレスを受けやすく無責任な人ほどストレスを受けにくい。 なので 頭が良い悪いはストレス又精神等、関連性はまったく関係がないと 思われます。 >能天気な奴だなあ。だからストレス溜まらないんだろ これは頭が悪く見られているより無責任な奴と見られてる方が強いと 思われます。 ゆえに >頭ばかりでくねくねと考える人間は、良く「ストレスが溜まりやすい。」、「精神的に弱い。」と一般的には考えられますか? 一般的に見るとそうは考えられません。

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    思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね?? 過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。ss 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%近く人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%近く人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??

  • 曲った事が嫌いで本が好きで正義感、責任感が強いような人に、「ストレス溜めるな。」と言っても、矢張り無理なんですかね?

    「曲った事が嫌いで本が好きで正義感、責任感が強い」ような人に、「ストレス溜めるな。」と言っても、矢張り無理なんでしょうか? 思慮深い人に、「ストレス溜めるな。」と言っても、矢張り無駄なんですかね? 「勤勉で読書家で思慮深い」以上、ストレス中毒症を治すのは不可能ですか? 「穴の空いた鍋でスープを沸かせ。」、 「次の信号を左へ右折して下さい。」、 「牛肉をコレステロール抜きで御願いします。絶対ですよ。」 等と言う我儘と同じではないか、と思ったりもします。 ここで。私の友人S氏の基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい、慎重で思慮深い、静かだけれど正義感も責任感も強い、曲った事が大嫌いで本が好きです。 反面、生真面目過ぎて神経質で疑り深くて気苦労が絶えません。ストレスはよく溜まりますし、精神的にめげやすいところもあります。 また、恋愛とか形の無いものも信用しません。 「モテたいとか熱くなる男に限って、モテないのだろ、どうせ。 そして、恋愛に興味無い、ニヒルで内向的な男が、見る目ある人からモテたりするってもんだろ。」 「性格だけ良い男女は、どうせ悪い異性から利用されるだけだろ。」 とか言う固定観念も。 それも、自分自身は経験していないのに、ただ 「本や漫画やドラマやバラエティ、法律相談番組等の、決まったシチュエーションを腐る程見て、それに飽き飽きしているだけだ。」 との事です。 ここで思うのですが。 矢張り、「硬派で読書好きで思慮深いからストレスが溜まる」、 「軟派で軽薄でチャランポランだからストレスが溜まらない」と言う事でしょうか? そのS氏ですが、極度に慎重で猜疑心の塊のようでもあります。 ただの硬派と言うより、"ダイヤモンド硬派"のようですかね。 ただのクールとかニヒルと言うより、まるで"ニヒリスト"のようです。 「自分過保護と思われない為の、自分過保護まで行う」為、まるで思慮深さに底がないのではないか、との事です。 時々、彼はモヤモヤすればこのように言う事さえあります。 「俺が、曲った事大嫌いで本を読むのが好きで正義感も責任感も強い事を知っていながら、何故"ストレス溜めるな。"とか言うんだろうな?拷問としか思えないがな。」 「"ストレス溜めるな。"と言う人ほど、ストレス溜まらない人に対してはどうせ『能天気な奴だなあ。』、『子供っぽいなあ。』『単純』とか言っているんじゃないのかな?」 とかですね。 どうなのでしょうか? 「曲った事が嫌いで本が好きで正義感、責任感が強い」且つ、「ストレスを溜めない」人は存在するのでしょうか? また、彼の思慮深さは、銀河を貫くんですかね? 彼の思慮深さは、ブラックホールを超えましたかね? 如何なものですかね?まるで視野を犠牲にして、思慮ばかり深くしている頭でっかちさんのようと言えましょうか?? 「物事には裏を表がある。」、 「天は二物を与えず」 とこんなものですかね?? では頑張って下さい。彼及び私目を、この暗黒の苦しみの渦(ジレンマ)から解放して欲しいのです。

  • 「知的な人に限って、頭の回転だけが鈍い。」ように思えて仕方ありませんが。即ち"頭を使う"の定義が解りませんね。

    賢さには幾つも類型はありますね。 では、前述の一例がこちらですがまあ御聞き下さいませ。 論旨の一つに「賢い人に限って、生き方上手にはなれない。」がありますが。 人には得意不得意があり、全ての面で賢くなるのは無理だと(絶対的な無理ではなく、経験したり努力するのには時間が足りないのですね。)最初から解っているつもりではありますが。 いつもこうではないかと思うのですが。 学生の場合でも。 内向的な優等生の場合。 ・勉学優秀で、人と話さない分、いつも図書館で難しそうな本ばかりをよく読んでいる。思慮深い性格。 なのでよく端から見ている人からは「知的な人だ。」と囁かれたりしている。 実際、勤勉で勉強と読書は誰にも劣らず、思慮深く猜疑心も強く、物事を深く考察する事にも裏読みにも長けており、博学才穎で洞察力、分析力は抜群である。いつも落ち着いている。特に文学、哲学、人間科学、倫理等の分野には造詣が深い。 しかし、遊びや雑用とかの単純な細かい事を行う時には、ボンヤリして簡単な工夫も思い付かず、咄嗟に「もう少し頭使えよ。」とか「それぐらい考えりゃ解るだろう。」と、普通の人から言われて諭される事が少なくない。 特に、大勢の前に出るとボンヤリして頭が回らなくなったりもするし、勿論話術も無く口下手。 気苦労も多く、肝心な時にエネルギーが無かったりもする。 人と触れ合う機会も少なく、折角の豊富な知識を活かすのもそんなに上手とは言えない。 でも疑り深いから軽率な振る舞いもしないので誰からも「単純」とか「子供っぽい」、「軽い」、「能天気」等とは言われたりしない。 でもノイローゼとかになる危険性は、後者より圧倒的に高い為、天か地かになりがち。 逆に、いつも明朗快活な反面、軟派で浅薄でチャランポランで、勉強嫌いの読書嫌い。 しかし、よく周囲からは「アホだなあ。」とか「単純」、「幼稚(子供っぽい)」等と謗られるのはしょっちゅう。 そんな人に限り、何かする時に色々な事でチョイチョイと頭が働く。話術も巧み。 「明るさ」と「頭の回転」だけが取り柄ってところ。 だけれど、前者に比べて、ノイローゼや犯罪者になる危険性は低い、普通に働いて普通に稼いで食べれる無難な人間、標準偏差を保てやすいと思う。 「勉強出来ない人に限って、勉強以外の事ではやたら頭が働く。柔軟なので世間のどんな荒波にも打ち勝てる。」って皮肉なものですが。 では御願いします。 「賢い人は存在しない。」と言うより、 「全知万能な人は存在しない。そこまで成長は出来ない。」が正しいとは思いますが。