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「人嫌い(非社交的)」と「思慮深い」の違いは何ですか?? また、私の友人C氏より思慮深い人はこの世にいるのでしょうか??

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか?? それとも、悟りを得たのでしょうか?? 世の全てを悟ったのでしょうか?? 彼は、神さえも超えたのでしょうか?? 後云々についても御聞き下さい。 私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。 基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。 ですが、ノイローゼになりつつあるのか、 「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。 善が100%勝つ世界は、この宇宙に存在しないと解りながらも。 しかし、本人はその事については「俺の知った事ではない。」等と言っています。 何故なら、「この時代、軟派で明るいだけが取り柄の、熱くなる男が所詮は馬鹿を見るのだろう。」、 「クール~ニヒルで、生真面目で人をあまり信じないぐらいの男が得ではないか??」 との事だからです。 ・好きな女を守ろうとする男、モテたくて女性に優しくしようとする男性は、所詮は「都合の良い男」になるだけ、また何らかの拍子で「単純馬鹿」とか「情けないor頼りない」等と謗られるだけであって、 大してモテる訳でもないだろう。だから馬鹿馬鹿しい。熱くならない方が良いだろ。 ・また、逆に冷たい男は「悪い男」、「酷い男」として非難される。 ・この世は全てが「虚無」である。 「いい男」も「格好良い男」も存在しない。 何度言ったら解るのか??!! 何だかんだ言って、死なない限り、「安住の地」には行けない。 生きている限り「成功」や「満足」なんてものは得られない。 生きている人間に、所詮ユートピアは無い!! 努力しない男=駄目駄目男 努力する男=駄目男(最後には飽きられて捨てられるかも知れないから。) 死んだ男=イイ男 では?? 本当に格好良い男なんて、所詮は 「死んだ男」か「石像になった男」か「生涯孤立して恋愛、結婚をしない男」ぐらいしかいないのでは?恋愛した時点で軟派だろう? ・生きる事そのものが無意味で酔生夢死であって、矢張り 死 こそが全てである。死ぬ以外に解決策が無い。 仏教の教えでも「人は死ぬ為に生まれて来た自己矛盾の下にある。」とも言われている。 ・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。 *なので、上辺だけ、礼儀正しくて優しい人間を装った、疑り深い、恋愛とか形の無いものは信用出来ない、だから人のいない所で文武に励む、硬派で不言実行的で人とは関わらない男が良いのではないか。馬鹿を見ないのだから。 やがてそれを解ってくれる人も現れたならその人と一緒になれば良い。「果報は寝て待て。」である。 孤独なら孤独で、精神の自由を楽しめる。読書や創作活動にも専念出来る。これぞ両刀論法。 ・100%利用されないようにするなら、100%人を信じない以外に無い。 ・俺のように考える人間の事を、「負け犬」だの言う奴が、ヤフーとか2ちゃんねるには時々いるようだが、そんな事言う奴自体が、 負け犬か、ガキである。つまらん誹謗中傷だな。 ・思慮深い人間の事を、僻んで「根暗」とか「陰険」とか、根拠も無く謗っていないか? ガキじゃないのなら、もうヤメにしようぜ。 ・女に手を出す男は最悪と言うが、しかし、 女を大事にしたせいで、つけあがってそれを逆手に取り、調子に乗って男をぶったり利用したりと言うような、ズルい女が、稀にでも現れるようなら、それは馬鹿馬鹿しいな。 嗚呼。もう石になりたい…………。 果たして彼の言っている事は正しいでしょうか? 彼は、全てを悟っていますか? 彼みたいなのを「悟りの境地」と呼ぶのですかね? 注意事項: このように書くと、すぐに「過去に辛い経験を御持ちですか??」、「何かあったのですか??」、「誰かに振られたんですか??」 とか仰る人おられますが、 違います。 もう 思想の終焉 でも来そうでしょうかね? 彼は恋愛経験も無く、ただ、漫画や物語、ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている、そして自分の憶測が正しいと確信しているまでの事です。 でも彼は、正義漢、責任感、自意識が過剰なぐらいで、いつもは真面目で優しくよくやってくれる人なので、周囲からは寧ろ慕われています。 彼の心の中は解らないので、彼を悪く言う人は少ないです。 では御願いします。

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  • ENERGEIA
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回答No.1

自分の考えを「彼」の考えとして発表したと 推察します。 なぜなら >彼の心の中は解らないので  と自分で解っているようですので。  で、内容そのものはどうかと言うと... ノーコメントです。もうお分かりですよね。  こういった思想を自分の考えとして発表すると、非難されたり誹謗中傷された時に恥ずかしいから「彼」の考えとして発表したのでしょうが、恥は恥です。  自分で否定しておられるようですが、やはり 内面世界においてヒドイ事があったようですが...例えばマンガや小説の悲劇の主人公と同調してしまったとか。  過去のことは忘れて新しい自分として生きるのも良いことです。

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  • 善男善女は、矢張り恋愛、結婚はしない方が良いのでしょうか??

    また、私の友人C氏より思慮深い(注意深い)人はこの世にいるのでしょうか??pp 「人嫌い(非社交的)」と「思慮深い」の違いは何ですか?? 彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱、強迫神経症なだけなのでしょうか?? それとも、悟りを得たのでしょうか?? 世の全てを悟ったのでしょうか?? 善男は、薄情な女としか遭遇出来ず、 善女は、薄情な男としか遭遇出来ない、 と世の中は元々こう言う仕組みになっているのでしょうか?? 彼は、神さえも超えたのでしょうか?? 後云々についても御聞き下さい。TT 私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。 基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。 ですが、ノイローゼになりつつあるのか、 「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。 善が100%勝つ世界は、この宇宙に存在しないと解りながらも。 しかし、本人はその事については「俺の知った事ではない。」等と言っています。 何故なら、「この時代、軟派で明るいだけが取り柄の、熱くなる男が所詮は馬鹿を見るのだろう。」、 「クール~ニヒルで、生真面目で人をあまり信じないぐらいの男が得ではないか??」 との事だからです。 ・好きな女を守ろうとする男、モテたくて女性に優しくしようとする男性は、所詮は「都合の良い男」になるだけ、また何らかの拍子で「単純馬鹿」とか「情けないor頼りない」等と謗られるだけであって、 大してモテる訳でもないだろう。だから馬鹿馬鹿しい。熱くならない方が良いだろ。 ・また、逆に冷たい男は「悪い男」、「酷い男」として非難される。 ・この世は全てが「虚無」である。 「いい男」も「格好良い男」も存在しない。 何度言ったら解るのか??!! 何だかんだ言って、死なない限り、「安住の地」には行けない。 生きている限り「成功」や「満足」なんてものは得られない。 生きている人間に、所詮ユートピアは無い!! 努力しない男=駄目駄目男 努力する男=駄目男(最後には飽きられて捨てられるかも知れないから。) 死んだ男=イイ男 では?? 本当に格好良い男なんて、所詮は 「死んだ男」か「石像になった男」か「生涯孤立して恋愛、結婚をしない男」ぐらいしかいないのでは?恋愛した時点で軟派だろう? ・生きる事そのものが無意味で酔生夢死であって、矢張り 死 こそが全てである。死ぬ以外に解決策が無い。 仏教の教えでも「人は死ぬ為に生まれて来た自己矛盾の下にある。」とも言われている。 ・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。 *なので、上辺だけ、礼儀正しくて優しい人間を装った、疑り深い、恋愛とか形の無いものは信用出来ない、だから人のいない所で文武に励む、硬派で不言実行的で人とは関わらない男が良いのではないか。馬鹿を見ないのだから。 やがてそれを解ってくれる人も現れたならその人と一緒になれば良い。「果報は寝て待て。」である。 孤独なら孤独で、精神の自由を楽しめる。読書や創作活動にも専念出来る。これぞ両刀論法。 ・100%利用されないようにするなら、100%人を信じない以外に無い。 ・俺のように考える人間の事を、「負け犬」だの言う奴が、ヤフーとか2ちゃんねるには時々いるようだが、そんな事言う奴自体が、 負け犬か、ガキである。つまらん誹謗中傷だな。 ・思慮深い人間の事を、僻んで「根暗」とか「陰険」とか、根拠も無く謗っていないか? ガキじゃないのなら、もうヤメにしようぜ。 ・女に手を出す男は最悪と言うが、しかし、 女を大事にしたせいで、つけあがってそれを逆手に取り、調子に乗って男をぶったり利用したりと言うような、ズルい女が、稀にでも現れるようなら、それは馬鹿馬鹿しいな。 嗚呼。もう石になりたい…………。 果たして彼の言っている事は正しいでしょうか? 彼は、全てを悟っていますか? 彼みたいなのを「悟りの境地」と呼ぶのですかね? 注意事項: このように書くと、すぐに「過去に辛い経験を御持ちですか??」、「何かあったのですか??」、「誰かに振られたんですか??」 とか仰る人おられますが、 違います。 もう 思想の終焉 でも来そうでしょうかね? 彼は恋愛経験も無く、ただ、漫画や物語、ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている、そして自分の憶測が正しいと確信しているまでの事です。 でも彼は、正義漢、責任感、自意識が過剰なぐらいで、いつもは真面目で優しくよくやってくれる人なので、周囲からは寧ろ慕われています。 彼の心の中は解らないので、彼を悪く言う人は少ないです。 では御願いします。

  • " 勤勉で勇敢で思慮深い人 "は、もしや" ヘタレ "とイコールになり

    " 勤勉で勇敢で思慮深い人 "は、もしや" ヘタレ "とイコールになりますかね? 下心を一つも持っていない人間など、何処にいましょうか? 勤勉で勇敢で思慮深い人は、「本当は、周囲から『情けない。』とか『だらしない。』とか『ヘタレ』とか謗られるのが嫌だから、無理矢理に努力している。なので、ヘタレであり、精神的にも弱い。」 怠け者や軽薄やヘタレな人は、「周囲から『ヘタレ』とか『能天気』等と謗られる事を厭わないのだから、逞しい。肝が太い。」 男らしい男の方が、本当は女々しいのでは?と思う事もあります。 「勇敢で男らしい男、女を大事にする男は、本当は周囲から『女々しい』とか『ヘタレ』とか『卑怯者』等と謗られたり叩かれているのを恐れているような奴だから、本当は女々しい。」 「女々しい男ほど、周囲から『女々しい。』と謗られる事を厭わずに平気でダラダラ過ごしているのだから、本当は勇敢で男らしい。」 ではないかと。 ヘタレ=ヘタレ 勤勉・勇敢・思慮深い=ヘタレ 女々しい=女々しい 男らしい=女々しい ではないですかね?? 泥棒に言わせれば、 " 警察=ヤクザ " みたいになりますしね。 生きる事のゴールは、死以外に所詮無いのに、何故自殺をしてはいけないのか? 自殺する人を情けないとか弱いとは言うが、自殺出来る勇気があるなら、やっぱり勇敢なのでは? 「逞しい人間は存在しない」事は愚か、「男らしい人」自体がこの世には存在しないのでは? と思いますね。 生きている者は皆、女々しいのが基本ではないかと思うのですが。 生き物は元々雌でしょうし。雌から生まれますしね。 「知恵の無い者ほど、世渡り上手で、知恵ある者を利用するのだけは得意。」 「知恵ある者ほど、利用されるのだから愚かで都合が良い。」 では?? 一人がセクハラだと言い出せば、何でもかんでもセクハラ、誰かがパワハラと言い出せば、何でもかんでもパワハラと言う者が出て来るようです。 一人、二人がヘタレと言い出せば、何でもかんでもヘタレと言う者が出て来ます。 一人が女々しいと言い出せば、何でもかんでも女々しいという者が出て来ます。 やる事成す事全てが、女々しいって事になりませんかと。 なのでいつまでも、ヘタレだの逞しいだの、女々しいだの男らしいだの、明るいだの暗いだの、ガキみたいに言うのは止しましょうという話ですね。 「1から100までしっかりした人間」も、「1から100までだらしない人間」もいる筈がないでしょうに。 如何でしょうか?? 全身全霊振るっての回答を御待ちしております。

  • この世は皮肉の海ですか?  性格の良い人は結局、損をしっ放しでは無いかと思うのですが。

    どうしてこうにも、世の中は皮肉に出来ているのかと思うようになりましたが。 ここでまた思ったのですが、矢張り「"性格だけ良い人"と言うのが一番損をしている。」と、どうもそんな気がしてなりませんね。 勿論、性格の良さだけでは生きて行く事は出来ません。ですが、頭の良さだけでも運動神経だけでも生きられません。 現実はどうか解りませんが、漫画やドラマを見ているといい加減、このような決まったシチュエーションに飽き飽きして来ます。 *本当に良い女(特に性格の良い女、女らしくて素直な良い女)ほど、男運が悪く、相手の男からは打たれたり、貢いだ挙句に捨てられたり、騙されたりと、思うが侭に利用されたりする。 良い女に限って、良い男とは中々出遭えない。 *良い男ほど、周囲から誤解されて叩かれたり、謗られたり、頼りないとか煮え切らないとか言って叱咤されたりなど、他にも文句ばかり言われ、揚げ足ばかり取られる。 *夫の事を良く慕ってくれる良い妻ほど、夫を事故や病気で亡くしたり、夫から扱き使われたりする。 *夫の事を良く慕ってくれる良い妻ほど、事故や病気で亡くなる。 *頑張り屋で、人間性も良い営業マンに限って、商売運が悪く、仕事がうまく行かない。 *常にベストを尽くす良い男の周囲には、我侭で見る目の無い女しかいない。 人は所詮平等だとは限りませんし、神も勿論いません。 「下界を見下ろしている何か」なんて、所詮はそんなものいませんよね。だからいい加減、笑わせないで欲しいものでもあります。 では質問に戻ります。複数質問です。 ・矢張りこの世は、"皮肉の海"ですか?ならば神の存在は信じても構いませんが。 所詮、 良い男=単純、 良い女=浅はか になりませんか? 単純と浅はかの違いは何でしょうか? 性格の良い人が騙されて損をすると、これ即ち、性格の良い男性は、利用されて単純と言われ、性格の良い素直で逆らわない、人見知りしないような女性は騙されて浅はかとか言われるとな? どっちもどっちですか、くだらないと思いませんか? 人間性、人間性って、人間性が出来てるのは所詮、馬鹿か頓馬か何かではないでしょうか? 勿論、全ての面で賢くなる事も健康になる事も、生きている人間には到底無理ですよね。 馬鹿にするのも馬鹿されるのも悪いとなると、人を信じない以外に要領良く、誰からも騙されずに邪魔されないように生きる方法も御座いませんね。でも一人では生きて行けません。 それとも、人間そのものが自己中心的であり、そもそも人間は"地球に 巣食う害虫だから御互いに殺し合えば良い"って事でしょうか?偶々覗かせて頂きました、2ちゃんねるのその記事にも一理はあるかと思えども、ちゃねらー臭くはなりたくありません。 人は「地球を救う者」でなく、「地球に巣食うモノ」ではないですか? 騙されても気にかけずに努力を続ける人と、鼻から騙されないがヒトとしては成長しない人、どちらが大人なんですか? 「冷たい手と手を擦り合わせれば熱くなれる」のなら、モテない男と、モテない女は、さぞ気が合う事でしょうね? 悩める努力家男性と、素直で品行方正な女性の味方なり、22歳女より。

  • 結局、どちらが良いのですか??(陽気で軽薄で軟派 or 硬派で非社交的で思慮深い)

    きっと手段の違いであって、答えはないかと思われますが、どちらが良いと御考えですか? 茶化し等は一切無しで、真剣に回答を御願いします。 1.陽気でノリが良いのだが、軟派で調子に乗りやすく、すぐにチャラけるため、幾部の人からは大体うざがられたりもする。 それに、考えないで行動する事も多く飛躍するので、「馬鹿だなあ。」「単純だなあ。」「子供だなあ。」 等と"決まった事"を言われる。 軽薄で口だけタイプにもなりやすい。 弱音も平気で吐くので、 「女々しい。」、「男の癖に。」等と、矢張り、臭い"決まり切った事"を言われる。でも言われてもそう動じない。進歩は無い。 2.無口で硬派且つ、物事に無関心で、非社交的、思慮深くニヒル。   決まった事を言われるのも馬鹿馬鹿しいので、チャラける事も控え、調子もこかないし、恋愛等と言う形の無いものは信じない。 「1は、決まった事を言われると解っているのに進歩が無いのか。」 だが、偶に人と接するかと思えば、謙虚で落ち着いた対応である。 それは、決まった事を思われたり言われたりするのが嫌だからと言う虚勢も混じっている。それでも、人にはちゃんと気遣うため、嫌がられる事も無い。 自意識過剰でプライドも高く、抜け目無い完璧主義なので、 人のいない所で、きちんと文武に黙々と励んでいる。 誰からも「男の癖に。」とか「情け無い」「だらしない」等と決まり腐った事だって丸っきり言われたりはしない。 それも虚勢による気配りのおかげである。 周囲からは不言実行の男らしいタイプと思われる事だろうが、一部からは何だあいつ、損な性格ではと敬遠されるところもある。 そして勿論の事、単に「つまらない。」とは言われるかも知れない。 では出来るだけ「どっちもどっち。。」等と言うのは無しで御答え頂きたいですね。 私は、決まった事を言われるのは飽きるので、1でも良いと思っております。 2の場合なのですが、1のように御喋りが多いと、口ばかりで女々しいと思われたり、「男の御喋りは感心出来ない。」とか吐かれる位でしたら、不言実行タイプの2で良いのでは、ザマを御覧になってろと言う感じで良いのではないでしょうか? 2のような人の場合ですと、どんなに文武に秀でていようがやっぱり普段はがり勉~読書家で"教室では皆と話さな"くとも仕様が無いのではないでしょうかと。 2は "小市民ごときに「男らしくしろ。」とか言われる前に、自分でちゃんとやるわい!!と言うかやっとるわい。" と思っているものではないでしょうか? ここで、2は「身も蓋も無い」かと思われますが、 2は人の評価に拘るからだと考えます。 いっそ2で良いのでは? 文武両道でも、矢張り、「いつもは非社交的でがり勉~読書家」と言うのは駄目ですか?

  • 結局、どちらが良いのですか??(明朗快活さが取り柄だが軽薄で軟派 or 硬派で非社交的で思慮深い)

    きっと手段の違いであって、答えはないかと思われますが、どちらが良いと御考えですか? 茶化し等は一切無しで、真剣に回答を御願いします。 1.陽気でノリが良いのだが、軟派で調子に乗りやすく、すぐにチャラけるため、幾部の人からは大体うざがられたりもする。 それに、考えないで行動する事も多く飛躍するので、「馬鹿だなあ。」「単純だなあ。」「子供だなあ。」 等と"決まった事"を言われる。 軽薄で口だけタイプにもなりやすい。 弱音も平気で吐くので、 「女々しい。」、「男の癖に。」等と、矢張り、臭い"決まり切った事"を言われる。でも言われてもそう動じない。進歩は無い。 有言不実行でうざったい人、よくいるワンパターン人間になりやすいものかと。 2.無口で硬派且つ、物事に無関心で、非社交的、思慮深くニヒル。   決まった事を言われるのも馬鹿馬鹿しいので、チャラける事も控え、調子もこかないし、恋愛等と言う形の無いものは信じない。 「1は、決まった事を言われると解っているのに進歩が無いのか。」 だが、偶に人と接するかと思えば、謙虚で落ち着いた対応である。 それは、決まった事を思われたり言われたりするのが嫌だからと言う虚勢も混じっている。それでも、人にはちゃんと気遣うため、嫌がられる事も無い。 自意識過剰でプライドも高く、抜け目無い完璧主義なので、 人のいない所で、きちんと文武に黙々と励んでいる。 誰からも「男の癖に。」とか「情け無い」「だらしない」等と決まり腐った事だって丸っきり言われたりはしない。 それも虚勢による気配りのおかげである。 周囲からは不言実行の男らしいタイプと思われる事だろうが、一部からは「何だあいつ、ちょっと損な性格では?」と敬遠されるところもある。 そして勿論の事、単に「つまらない。」とは言われるかも知れない。 では出来るだけ「どっちもどっち。。」等と言うのは無しで御答え頂きたいので。 私は、決まった事を言われるのは飽きるので、2でも良いと思っております。 2の場合なのですが、1のように御喋りが多いと、口ばかりで女々しいと思われたり、「男の御喋りは感心出来ない。」とか吐かれる位でしたら、不言実行タイプの2で良いのでは、ザマを御覧になってろと言う感じで良いのではないでしょうか? ファイナルファンタジー8のスコール氏とか、7のクラウド氏とか、あずまんが大王の榊さんは、2のようなタイプに該当するのではないでしょうか。 2のような人の場合ですと、どんなに文武に秀でていようがやっぱり普段はがり勉~読書家で"教室では皆と話さな"くとも仕様が無いのではないでしょうかと。 2は "小市民ごときに「男らしくしろ。」とか言われる前に、自分でちゃんとやるわい!!と言うかやっとるわい。" と思っているものではないでしょうか? ここで、2は「身も蓋も無い」かと思われますが、 2は人の評価に拘るからだと考えます。 いっそ2で良いのでは? 文武両道でも、矢張り、「いつもは非社交的でがり勉~読書家」と言うのは駄目ですか? 1を素直で謙虚と仰られる人もいるみたいですが、ですから1は単なる怠け者の見栄っ張りと言う場合が有り得ますね。 いざって時に頼れる人、真面目で誠実な人、自分にも他者にも厳格なのは2ではないかと思いますが。

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??   

  • 「思慮深くて勤勉で哲学的で聡明な人程、視野が狭い。」と言うジレンマはあるのですか?

    視野が広い=単純、能天気、浅薄、軟派、嫌な目に遭っても騙されても「こんな事ばかりじゃないさ。こんな悪い奴ばかりじゃないさ。」 とチャランポランするから、純粋で無邪気 視野が狭い=猜疑心が強く人を信じない、思慮深いから誰からも利用されたりしない、一度嫌な目に遭うと、警戒して塞ぎ込むから二度と同じ 失敗をしない故、賢い、 とこれは正しいですか? まあ結局、完璧賢い人間なんて存在しないんですよね? 視野ばかり広くて、思慮が浅いから、「単純」とか「浅はか」って言われるのではないですか? 今世代、視野の狭さこそが正義ではないですか? 形の無いものを信じるから、ロクな事が無いのでしょう? 視野だけ広くて浅薄なのは、所詮は都合の良い人間でしょう。 だから「良い人間」と言う事にはなりませんよね??

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%近く人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??

  • 思慮深さ・猜疑心とは、まるで、「一度付けたら死ぬまで外れない『呪いの御面』」と似てますかね??

    過剰の正義感や、思慮深さから来る、こんな猜疑心ですが。ss 他人から騙されたり利用されたりして、「単純な奴」とか「能天気」とか「馬鹿な奴」とか謗られるのが嫌なので、自分は深い疑いを持ち続ける極度に慎重な人間でいたい、だから恋愛とか形の無い物は特に信用したくない、軟派で軽薄なのは嫌だ、ワンパターン人間にはなりたくない等と考える気持ち。(疑り深さ) こうしていれば、誰からも単純とカ能天気等と謗られる事も無い。 それから更に、「やたら疑うのをボチボチ控えようか。」と考えようとしても、 「いや、疑うのをやめた途端に、何か起こるかも知れない。所詮は世の中そうなっているのでは??じゃあやっぱり、疑うのはやめられないなあ。と、こう考えながら疑うのをやめたらどうなるだろうか??いや、やっぱり猜疑心は持とう。100%騙されるのが嫌なら、100%近く人を信じない以外に無いな。卑屈になればなる程、やっぱり後味って良いものだな。素晴らしい事があると感動が大きいし、嫌な事があっても『ほら、やっぱりな。』と傷は浅くて済むし。でもポジティブだと、本当に何かあった時にはどんど失望してしまうから、それだけダメージも大きい。」、 「明るいだけが取り柄の軟派野郎とか、素直なだけが取り柄の単純馬鹿が、一番騙されやすいのだろう。」 ここまで考えては、やっぱり、思慮深さ、疑り深さ(猜疑心)は一度付けたなら、永遠に消える事は無い。 まるで「呪いの御面」の如くに、ですね。 そしてここまで考えあぐねた自分の事をまるで「無敵になったつもり。」だとか思ったり、更に 「この思慮深さは、正に悟りの境地であり、銀河を貫き、ブラックホールさえも超えた。」 とか思ったり等。 このように、硬派で読書好きで内向的で疑り深い人の場合であれば、 自分の事を余程か解ってくれる人が現れでもしない限り、恋愛、結婚はしない「果報は寝て待て」のタイプではないかと。 そして、孤独なら孤独で精神の自由が楽しめるし、読書や創作活動にも専念出来る。 と、両刀論法(どちらを選んでも困らないように、AにはAの良さと、BにはBの良さがあるからと言う合理化) を持つのではないかと思います。 そもそも、深く考える癖とか猜疑心なんて、一度付けたらもう二度と 外れる事はないかと思います。 如何でしょうか??