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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『すごい』の使い方)

『すごい』の使い方の違和感とは?

このQ&Aのポイント
  • 『すごい』の使い方に違和感を感じる人もいます。
  • 本来ならば『すごく楽しい』という表現が適切ではないのかと思われることもあります。
  • テレビや学校の影響など、様々な要因が関与しているようです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • petertalk
  • ベストアンサー率69% (156/225)
回答No.7

その違和感は正当です。 「すごい」の副詞的用法からして口語的で、あまり正式とは言い難いのですが、 文法的には、「楽しい」は形容詞なので、接続するのは連用形であり、 「すごい楽しい」は間違い、「すごく楽しい」が正解です。 学校教育でもそう教えているはずです。 何故こうなったかとお尋ねですが、まだそうなっていません。 「すごい楽しい」は間違いのままです。 とはいえ、私も「すっごい楽しい」みたいなこともよく言います。 雑談だからです。 何故ほっとくのかと言われれば、雑談だからですよ。 インターネットに垂れ流すような雑文や、気心の知れた仲間内での雑談では、 多くの人は、いちいち文法など気にせず、ロクに推敲もせず、 心に浮かんだままを言葉にしているので、 日本語として間違った表現も多々あります。 一方で、企業に提出するエントリーシートや小論文、面接等では 学生さんたちもきちんとした文法で話し、書いてきますから、 おそらく、正しい言葉とは何かはわかっていて、 使い分けているのだろうと私は思っています。 こういう使い分けは、何十年も前からありました。 ただ、テレビが雑談化してきたことや、 インターネットが発達し、個人が参加してきたことによって、 雑談、雑文を目にする機会が増えたために、 ここ何年かで言葉が乱れてきたように感じるのだろうと思います。 以下、私の考えです。 - 日本語の間違いを許容してはいけません。 - しかし、雑談、雑文を取り上げて特別に問題視する必要はありません。 - 同時に、そういう雑談、雑文での間違いを、「市民権を得た」とか「言葉は変化する」などと正当化してはいけません。 - ら抜きは、雑談と一部方言を除いて、まともな人は使いません。当然、市民権などありません。 - 言葉が変化することと、言葉の正誤は別の話です。各種メディア、情報、通信、交通も発達し、識字率もほぼ100%である現代では、以前のように、言葉の正誤の基準が簡単に変わることはありません。

takken23
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 少し安心しました。 おっしゃる通りよく耳にする機会が増えたから目立つのでしょうね。 それにしてもテレビのニュースは毎日のように番組中に発言、テロップなど訂正し、訂正のところ見てない人はうその情報をキャッチし持ち出す。 テレビの影響は強いのにわかって使っているタレントだとしてもそれを聞きほんとだと思う人は多くなってると思います。年寄りでこの表現を聞いたことは私の記憶ではありません。若い人に多いのは事実だと思います。小学生はほぼ100パーセントで耳にしますが。ほんとに学校で正しているのかが疑問です。

その他の回答 (6)

noname#115911
noname#115911
回答No.6

私もかねてからこの「すごい」の副詞的誤用については問題視していました。が、これは「ら抜き言葉」がもはや市民権を得つつある今日では、まかり通る表現の一つとなったものと認識しています。自分では使いませんが、人が使っていても注意をするほどではありません。「ああ、そういう言い方が生まれたんだ」という発想の転換も必要なのだとかつて本で読み、自分は保守的なのでこういった表現を嫌いますが、ただ現象として眺めているだけです。教育に携わる仕事をしておりますが、生徒の前だけでなく日常生活の中でも「すごく」と言うようにしています。そのことに気がついている人がはたしてどれほどいるのか分りませんが。

takken23
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 市民権を得ているのですね。 では今日の学校教育では試験にもでなければ、間違いとも指導しない言葉なのですね。では、変化して当然の表現なのですね。 私は違和感を感じるのでこのままいけば私のように違和感を感じる人がいなくなり言葉の変化が成立するのでしょうね。

noname#215107
noname#215107
回答No.5

「すぐおいしい、すごくおいしい」はチキンラーメンのキャッチコピーですが、「すごく美味しい」と言う言い方が昔は幼稚に聞こえたものです。しかし、「すごく美味しい」は文法的には間違っていません。 その点では「すごい美味しい」は、現代の多くの人々が考える日本語文法では間違いと言えるでしょう。 しかし、過去には文法の枠を超えて認められた用法も存在します。 例えば「美味しいです」と言う言い方です。 通常「です」は、「だ」「である」に置き換えることができます。「きれいです」→「きれいだ」「きれいである」 しかし「美味しいです」は置き換えられません。 ところが、「美味しいです」に相当する適切な言い方がないため、結局認めざるを得なかったのでしょう。 (文法的に問題のない「美味しゅうございます」は、「です」より丁寧さが上のランクとなるため、代替できない) この点、「すごい美味しい」には、「すごく美味しい」という本来の言い方が存在するため、文法として認められる(例えばビジネス文書や公文書等に普通に使われるようになる)には、程遠いと思います。

takken23
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 なるほど、そういう言葉でしたか 勉強になりました。

  • 28aa5
  • ベストアンサー率30% (65/211)
回答No.4

NO.3です。 すみません‥私も高齢なのですが‥ この言葉だけでなく、日々変化して行く言葉には、全般的に寛容です。 時代に応じた変化は停められないと思います。 古語が今通じないのと同じ事では?

takken23
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 そうですか。そうかもしれませんね。 いつか気にならなくなる日が来てほしいものです。

  • 28aa5
  • ベストアンサー率30% (65/211)
回答No.3

《すごい! 楽しい!》と、二重に感嘆している様子が、いつの間にかひとつの言葉になって《すごい楽しい》になったのではないでしょうか? そう思って聞くと、私は気になりません。 確かに文法的には間違っているかも知れませんが。 言葉と言うものは常に変化して行くものなので、取り上げたら切りが無い気がします。 私は許容し過ぎですか?

takken23
質問者

補足

おっしゃる通りだと思います。 しかし私は気になります。ほかに気になるひとの意見を聞きたいです。 私の周りのとくに高齢の人は気になってるひとが多いです。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.2

ここ何年、のことじゃありませんよ。 私が学生だったころ、30年以上前から「すごい美味しい」はおかしいだろ、って論議はありましたよ。 簡単に言うと「すごい」は形容詞なので「楽しい」や「怖い」なんていう形容詞を修飾するのは日本語のルールからは外れている、ということですね。 「すごく」という副詞ならば形容詞を修飾できるわけです。 が、さらに言うと 「すごい」にしろ「すごく」にしろ、もともとはネガティブな状態を修飾する言葉だったのだから「すごくまずい」は良いけれど「すごく美味しい」は間違いだそうです。 「すごく怖い」「すごい死にざま」なんていうのはOKということです。

takken23
質問者

補足

そんなに前からでしたか。私が気になりだしたのがここ5年ぐらいだったものですから。とくにテレビでみんないいだした気がしたので。 もともとネガティブな表現だったのですか。初めて知りました。 参考になりました。

  • kdsakjgj
  • ベストアンサー率22% (26/114)
回答No.1

「すごい」「すごく」自体が曖昧な言葉なんですよ だからどっちでもいいのではないでしょうか。 そもそも言葉なんて伝わればいいんですよ。伝えるための表現でしかないのですから。

takken23
質問者

お礼

そうそうにご回答ありがとうございます。 言葉なんてとは私は思いません。 それにより傷ついたりすることもあるのですから。 敬語や尊敬語も必要なくなるのはよくないと思います。 日本語には美しい表現があるのですから。

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