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「えた」の初見の史料について

部落史を勉強しています。 「えた(エタ・ヱタ)」の初見(最古)の史料は塵袋か名語記のどちらなんでしょう? 成立期も近いようなのではっきりしないのですが… ○塵袋…1264年―1288年ころ? 『キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バゾ 「穢多(異筆?)」』 ○名語記…初稿は1268年,増補は1275年 『河原ノ辺ニ居住シテ牛馬ヲ食スル人ヲヱタトナツク 如何』 多くの書籍では塵袋が初見とあります。 ちなみに,漢字表記の「穢多」の初見史料はまた別のものになるのでしょうか? どなたか詳しい方の見解をお聞かせ願い無いでしょうか? よろしくお願いします。

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回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>多くの書籍では塵袋が初見とあります。 ちなみに,漢字表記の「穢多」の初見史料はまた別のものになるのでしょうか? (1)下記サイトの「Wikipedia」によると、 935年に編纂された『和名類聚抄』は「屠児(とに)」の訓を「恵止利(えとり)」とした上で「牛馬を屠り肉を取り鷹雛の餌とするの義なり」と解説している。・・・となっていますね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A (2)戦国時代までは、もちろん「漢文」もありましたが、多くの「伝記」などでも「ひらがな」を多用しています。 信長や秀吉の書状にしても、「ひらがな」で書かれているものが多いことから考えると、多分、江戸時代になってから「当て字」をしたものかと考えます。 (3)話は少しズレますが、 かぶき・・・傾く(かぶく)・・・普通でない。異常だ。・・・つまり、男が女を演じる。・・・「歌舞伎」の漢字。 おいらん・・「おいらの姉御」「おいらんの」「おいらん」・・・「花魁」の漢字。 これらは皆、江戸時代に漢字が当てはめられました。

pusuta
質問者

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回答ありがとうございました。引き続き調べていきたいと思います!

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