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音楽で感動する人としない人

noname#100496の回答

noname#100496
noname#100496
回答No.7

音楽は、脳の発達、自我意識の発達と、関係あります。脳が、自我が、発達すると、脳を刺激する音楽が好きになります。そして脳を強く、複雑に刺激する音を求めて、どんどんエスカレートします。複雑で強いリズム、雑音の様な不協和音、難しい、長い歌詞、これらは、自我の欲求なので、自我が強くなります。そして情緒がある音楽を、理解出来なくなります。他方、脳の発達していない、無我の動物や赤ちゃん、子供は、リズムが単純で、調和音で、間や母音を強調した、脳が休む、情緒がある音楽を好みます。だから海で、雅楽やモーツアルトを演奏すると、魚が集まって来ます。胎教や音楽療法に応用されてます。昔の日本人は、生活に、間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。娯楽も、脳を休ませて、間が多くて、情緒がある、様式化、非現実化、ワンパターン化した、脳が休んで、情緒がある娯楽が好まれました。だから人の音楽の好みは、自我意識に支配されています。脳の自我と情緒は、対立していて、両立しません。脳が思考する時は、脳が情緒を排除するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と情緒が交流するので、心が癒されます。だから情緒音楽を理解するためには、脳を休める必要があります。幸い日本には、脳を休める方法がたくさんあります。日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを目的にしています。座禅、雅楽、演歌、民謡、能、文楽、歌舞伎、狂言、落語、日舞、茶道、華道、日本画、浮世絵、水墨画、和歌、俳句、など

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 脳の発展によって、それをフルに稼動させるような音楽を好むようになると言うパターンがあるようですね。もっともこれだけでは疲れてしまうので、例に挙げていただいたような、伝統的東洋的な音楽、情緒を大事にした音楽もまた、バランスをとるうえで必要になると思います。

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