• ベストアンサー

音楽で感動する人としない人

TZBXU39369の回答

回答No.2

ただ単に、その音楽に対して興味が有るか無いか、ということではないでしょうか?私の場合、ジャズやロックには興味がありませんが、ロックンロールやクラシック音楽になら興味があります。また、全ジャンルの中ではクラシック音楽が専門分野みたいなものですので、この中で未だ知らない音楽が出てくると好奇心を掻き立てられます。逆にジャズのような興味の無いジャンルになると苦痛に感じます。このように個人の興味に依存すると考えますが、いかがでしょうか?参考意見としてですが…。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 興味以前に、抗いがたい美的なものが感じられて、惹かれてしまう。興味はその感動に付随すると言う感じですね。つまり、質問趣旨としては、なぜあるい音楽に感動できるのか?あるいは感動がない人がいるのか?という刺激的な次元での話しなのです。

関連するQ&A

  • 音楽と感動について

    この質問は感動とは何かという極めて素朴な質問です。長文をお許しください。 当方は色々なことで感動しやすいのですが、これまで感動については倫理的なものから生じるものだと解釈してきました。 人其々倫理観は異なりますが、当方がこれまで映画、小説、漫画などを見て感動、若しくは個人的な体験を再び思い出して感動するとき、当方からみて善いと思われる要素(例えば誠実、慎み、優しさ、思いやり、不屈など)がそれら物語や事象に含まれており、それら善があまりにも多分であると、バケツの水が満杯で溢れ出る如く、当方自信が多大な善を受け止めきれず、涙を流したり、胸が詰まるといった生理的体験に繋がるのではないかと考えていました。 今まで音楽や楽曲を聴いて感動することがありました。それらはゲームのエンディング曲(例えばクロノ・トリガーの「遥かなる時の彼方へ」)や歌詞がとても示唆にとんでいる曲(例えば「アンパンマンのマーチ」)などで、それらの楽曲が素晴らしいのは勿論ですが、感動したのはエンディング曲によって惹き起こされたゲームの印象を含めてであり、また歌詞から伝わってくる愛や勇気の大切さから生じたものと考えていました。つまり、楽曲の音によって感動したのではなく、楽曲を様々な視点から倫理的に解釈し、善を見出だすことによって感動するのだと思っていました。 ところが最近ふと耳にした良い曲があり、その曲をDownloadして集中して聴いてみると、感動して涙していました。 その曲についての特別な事前情報は持ちあわせてなく、歌詞も特に興味を惹くものではありませんでした。それらから考えると、楽曲によって惹き起こされる善さではなく、その楽曲のメロディや声、つまり楽曲の音によって感動していたのではと思われたのです。 音に快い、快くないということはあっても、音に善い悪い(この音は誠実を表しており、この旋律は慎みを表しているなどということ)がないこと当然のことですから、音そのもので感動するかもしれない、この発見は意外なことでした。 当方はすっかり感動というものが分からなくなってしまいました。 そこで質問ですが、心理学では感動についてどのように解釈されていますか。また心理学者は感動について何と言っていますか。 拙い質問本文で恐縮ではございますが、どうぞ宜しくお願い致します。

  • 純粋に「音楽」に感動できる人の割合

    「音楽」で感涙に咽ぶ(「いいなこの曲」というのでなくて「うわっすごい、ああ、泣けてくる!」という状況です。音世界の「美」に魅せられてしまう状況です)ことができる人というのは、どれくらいの割合でいるものなんでしょうか。この場合、「音楽」とぃうのは「歌詞」ではないです。純粋に「音」の世界のみで、その羅列で感動できる人ということです。作曲家の気持ちになってどうこうというのはまた違うと思っています。何の背景も知らずに、感動してしまうことです。

  • 感動する「力」は才能ですか?

    やっかいなテーマでお邪魔します。 「感動する」という表現があります。ネットの辞書には「感動」の説明で >[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。 とあります。 さて同じ音楽を聞いても、同じ絵画を見ても、同じドラマを観てもそうですが感動するポイントは人により違うようです。 私の知り合いで「洋楽のよさが分からない」といって演歌ばかり聴いている人がいます。趣味は人それぞれなのは言うまでもないことです。しかし、ここでは趣味について喋喋しようという意図はありません。 人によって「より深く感動することが出来る」というのは、どうもその人の「才能」ではないか、という印象が拭えません。 このページをご覧の皆さんは「質問タイトル」についてどうお考えでしょうか。 ※より深く感動できることができないことより「いい」という前提が質問内容から伺えると思います。それは否定しません。

  • ドヴォルザークに感動した

    中学の音楽鑑賞で、ドヴォルザークの弦楽四重奏「アメリカ」を聞いたのですが、いたく感動してしまいました。そして、突っ伏して居眠りしている生徒が多い中で、私一人感涙にむせっておりました。 なぜ、感動したのでしょうか? というか、このことをどう考えたらいいのか、よくわからないです。 クラシックに共感しない、感受性がない人がほとんどだから、感動もしないし、退屈してBGMとしか認識しない、というのが普通の人なのでしょうか? あるいは、私とてめったな感動はあまりないのですが、ドヴォルザークの独特のアクの強さが感動を誘ったのでしょうか? なにか、感動の共鳴点というのが、私の場合そこにあったのでしょうか? 追加すると、「新世界」では感動しませんしつまらない曲だと思います。古典派も大体嫌いです。19世紀末からの濃厚な曲がどうも好きですね。 とにかく、この出来事について、どう私という人間をどう考えたらいいのか、何か疎外感(周りは感動どころか寝ているんだぜ!)みたいなものを感じるので、思ったところがあれば教えていただきたいです。

  • クラシック音楽を聴いて感動しますか

    クラシック音楽を聴く人に質問です。クラシック音楽を聴いて感動した経験はありますか?最近でも昔でも時期はいつでもいいです。また、曲や演奏者など覚えていたらお願いします。私は今楽器をやっていて、その演奏者になるのが夢で、たくさんクラシック音楽を聴いたせいか、聴いてもあまり感動しなくなってきてしまいました…。また演奏を聴いて感動できる心を持ちたいと思っているので何かアドバイスもあればお願いします。

  • 人の歌声や演奏を聴いて感動する時

    人の歌声や演奏を聴いて感動する時 人によって感性が違うので、全員が同じ歌声や演奏を聴いて 同じように感動するかは別としても、例えばフジコヘンミングさんのピアノを 聴いて涙が出る人は多いそうです。 個人的にはマイケルジャクソンの歌声を聴くと、 曲によっては何だかこの方からにじみ出る愛や優しさなどが伝わり、 これを俗に言う琴線に触れるというのか、とても感動します。 そこで質問なのですが、聴く側の感受性は別として、 実際人を感動させる歌声や演奏には物質的な何かがのっているのでしょうか? よく思いは物質化すると言いますが、やはり人を感動させるほどの歌声や演奏力を 持つ人は、それだけの人間性も兼ね備えているからそう言ったものが表れるのでしょうか? 素朴な疑問ですが、教えてください。 よろしくお願いいたします。

  • 自分の曲にも他人の曲にも感動できない。

    こんにちは! 僕は作曲をやっているものです。 最近困ったことがあります。 作曲のレベルはプロというわけではないので、そうそう鳥肌ものの感動できる曲ができるというわけではありません。 ですが、最近あることに気づいたのです。 他人の(プロの)曲を自分でVSTなどで弾いてみても、感動できないのです。ユーチューブなどで聴くと感動的なのに自分が弾くとさっぱりです。 やはり感情の込め方が下手なのでしょうか? また、よく近所の海、灯台まで散歩をしにいって帰ってきて、自分の曲を聴いたりすると、鳥肌が立つほど感動したりします。普段聴くと、ぱっとしない曲なのに・・・ちなみに自分は入院が必要なほど、精神を病んでいてストレスがたまっていて、失音楽症なのかと思うときがあります。音楽がたんなる騒音に聞こえるときがあります。 質問なのですが、感動できる演奏の仕方と自分の曲が他人にどの程度の感動をあたえているか(発表する以外に)はかる方法、海から帰ってくるとなぜ感受性が高まっているのか?ストレスがされば、自分の曲はもっとよく聴こえてくる(感動できる)のか?などです。 また聞き手を意図的に感受性の高いところにもっていって感動させるっていう手もありですよね。そのためにはイントロなども重要なのでしょうか? お願いします!

  • 映画を見て感動するとさびしい

    ある映画を見ます。感動するばあいとか、感動まで行かなくても、ああこの場面はすごいとかいうところがあるんですが、人と思いを共有できません。あちこちの映画スレは見たつもりですが、人の感想と言うのはあまりに多面的で、自分が感銘を受けた点などについてほとんど共有できません。ましてや一緒に映画を見る少数の人などとはもちろんだめです。 で、人が感銘した点を聞きます。そうすると自分にとってはどうでもいい点にこだわったりしているんですよ。それはそれでちょっと心が広くなる気はしますが、「俺はここがいいんだ!」というのをわかってもらえないと言うところに、人間の悲しささえ感じてしまいます。 余計孤独を感じるような気さえします。 音楽とか美術とかはそうでもないのですが、映画に関しては本当に思うを共有できないものだと言う気がします。 どうもそういう意味で映画を見たくなくなってしまうのですが、なにか屈託なく映画を愉しむ方法はありますでしょうか。

  • 音楽と絵画の感動の違いは?

    音楽と絵画の両方に感動される方はいますか? 音楽カテにも同じ質問を出しました。 私は音楽では、相当感動します。鳥肌が立つし、ボロボロ涙が出ることもあります。外国の音曲が多く、歌詞の意味は全く分かりません。 しかし、絵画にはほとんど感動しないのです。自然の風景や人物画には、多少は興味が湧きますが、 それどまりです。音曲の感動の1/10にも足りません。 絵画の鑑賞には修練がいるようで、鑑賞眼が出来るまでには何年もかかるとか。 音曲では修練など要りませんよね? 感動的な曲は初めて聞いて、十分感動させてくれますよね。 音楽も絵画も分かる方、絵画の感動はどういうものか、説明して頂けませんか? 私の知り合いで両方に趣味を持っている人がいたのですが、今はもう連絡が取れなくなりました。 それで、ここで質問しています。 宜しくお願いします。

  • 人が感動するポイントとは?

    スポーツを見た時、映画を見た時など、 人が感動するシーンというのは、世の中に様々あります。 しかし感動するポイントは、個人差によるところが大きく、 ある人が見て感動しても、別の人は全く感動しない、 というようなケースも多いのではないかと思います。 そこで質問をさせて下さい。 ●人の感動するポイントは何によって形成される? 例えば、感動的といわれる映画を見て泣く人と 泣かない(特に何も感じない)人とでは、 いったい何が違うのでしょうか? ●人生経験が豊富になると、感動しやすくなる?しにくくなる? 人は未経験・未体験のものに対して、感動しているような気がします。 (映画・小説の、現実には起こりえないようなストーリーや、 初めてなにかが達成できた時、など。) しかし私の場合は、歳を重ねるにつれ、以前よりも小さなことでも 感動することが多くなりました。 人生経験(年齢)と感動の関係性について教えて下さい。 ご回答よろしくお願いします。